2653話
突然小麦粉の入った袋が出て来たことには、アンヌも既に驚かない。
狼の肉や毛皮が何もない場所から出て来ているのを、既に見ているからだ。
だが、その出て来たのが小麦粉となれば話は変わってくる。
「その、これ……本当に貰ってもいいんですか? 結構な量がありますよ?」
恐る恐る……それこそ、もしかして今こうして目の前にある小麦粉を本当に貰ってもいいのかといった様子で尋ねてくるアンヌ。
いや、アンヌだけではない。
部屋の中にいた他の職員達もまた、本当に貰ってもいいのかといった視線をレイに向けていた。
そんなアンヌ達に、レイは頷く。
「ああ、問題ない。ただ、見て貰えば分かるけど、古い小麦だ。普通の小麦に比べれば、味は劣る」
「問題ありません!」
レイの言葉に対し、アンヌは即座にそう叫ぶ。
当然だろう。子供達を飢えさせ……最悪、冬になれば餓死させるかもしれないということを考えれば、小麦が少し古いくらいなんだというのか。
だからこそ、アンヌはこの機会を逃してはいけないと勢い込んでレイにそう言う。
「お、おう」
レイもこの孤児院の状況から小麦が喜ばれるというのは予想していたが、その喜びようが予想以上だったことに驚きつつも、頷く。
ミスティリングの中に入れておけば時間も流れないので、そういう意味では小麦を収納しておいても悪くなったりすることはないので、特に困るようなことはないのだが。
それでもどうせならこうして喜んで貰えた方がいいと思うのは、レイにとっておかしな話ではなかった。
「まぁ、あれだ。この小麦は狼の件と合わせてエグジニスの情報料ってことで……もう少しエグジニスについての情報を聞かせてくれるか?」
そんなレイの言葉に、アンヌ達はすぐに我に返って自分達の知っている情報を話す。
そんな中でも、レイにとて有益だったのはエグジニスに存在する宿屋の情報だ。
体長三mオーバーというセトだけに、狭い厩舎ではセトがかなり不便だ。
あるいは狭いだけに他の馬との距離も近くなり、それでセトに怯えてしまうだろう。
それ以外にも、単純に高級な宿であれば当然だがマジックアイテムの類を使って、快適な暮らしをおくれる。
エグジニスで売られているゴーレムは非常に高価である以上、やって来る者はそれを買える者達……大商人や貴族、場合によっては従属国の王族がやってくることも珍しくない。
そんなエグジニスだけに、高級な宿もしっかりと用意されている。
勿論、高級な宿だけに宿泊料も相応のものだし、それどころか宿によっては誰かの紹介がなければ駄目といった宿もある。
(ランクA冒険者のギルドカードでどうにか出来るか? ……まぁ、無理なようなら他の高級宿を使えばいいから問題はないか)
そう自分を納得させ、他にも美味い料理店についての情報も得ていく。
この場合の美味い料理店というのは、あくまでも安くて美味いという意味の店だ。
孤児院で働いているだけに、当然だが貴族達が使うような高級店で食事するなどといった真似は出来ない。
だからこそ、安くても美味い店についての情報を仲間同士で必死に集めるのだ。
レイはそんな女達の情報網で上げられた店について覚えておく。
だが、レイにとって残念だったのは、どこの店のゴーレムがお勧めかといったような情報を得られなかったことか。
もっとも、貴族や大商人でもなければ買えないようなゴーレムだけに、その情報について知らなくても仕方がなかったのだが。
「あ、ただゴーレムといえば……去年くらいから、今までとは比べものにならないくらいに能力が高いゴーレムが出て来たという噂を聞いたことがあります。ただ、かなり希少で高価な素材を使っているのか、数は凄く少ないらしいですけど」
「高価なゴーレムか。それは興味深いな。買うかどうかは、別としても」
元々が、レイは何か使えそうなゴーレムがあれば購入したいと思ってエグジニスに向かっていたのだ。
どうせ買うのなら、高性能なゴーレム……それもアンヌの聞いた噂が真実なら、他のゴーレムよりも圧倒的に性能が上というゴーレムの方がいい。
(けど、そこまで希少なら買おうと思ったからって買えるとは限らないか)
それだけ高性能であれば、それこそ多くの者が欲しがっているだろう。
レイは自分がかなりの金持ちだという自覚はあるが、世の中にはレイ以上の金持ちは、それこそ幾らでも存在している。
そのような者達と値段の競い合いをして、勝てるかどうかは……正直微妙だろう。
(いや、魔の森のモンスターの素材……最悪、クリスタルドラゴンの素材を使ってゴーレムを作って欲しいと言えば、いけるか?)
そのゴーレムの性能が、何らかの新技術によるものなのか、あるいは希少な素材を使ってのものなのか。
その辺りはレイにも分からなかったが、それでもゴーレムを作っている以上、魔の森のモンスターの素材や……ランクSモンスターのクリスタルドラゴンの素材を欲しがらないということはないだろう。
あるいはクリスタルドラゴンの素材でなくても、魔の森のランクAモンスターの素材……というのでも、十分に取引出来るカードにはなる筈だった。
「そのゴーレムを売ってる店について教えてくれ」
ゴーレムについての情報は知らなくても、そのような特定のゴーレムを売ってる店となれば、噂の元だけに知っていたらしい。
その店の情報を聞き、レイは満足そうに頷く。
「それとエグジニスにはこの孤児院出身の冒険者も何人かいるから……その、後で手紙を渡しますので、それを見せれば色々と助けてくれると思います」
「それは助かる」
レイの言葉は、お世辞でも何でもない。
エグジニスという場所について詳しく知っている人物がいれば、ゴーレムやマジックアイテムを買うにしろ、エグジニスを観光するにしろ、生の情報が貰える。
アンヌ達からも色々とエグジニスについての情報は聞くことは出来たが、それでもやはりこの街はエグジニスからは離れた場所にあるのだ。
そうである以上、何をするにしろ新鮮な情報というのはあればある程にいい。
「いえ、こちらこそ。狼の肉や毛皮だけではなく、こうして小麦粉まで……本当に、ありがとうございます」
レイにしてみれば、渡した諸々は自分が持っていても使わない物であるのだから、ここまで感謝されるのはどうかと思う。
しかし、それはあくまでもレイの感覚での話だ。
この世界においては、古い小麦であっても皆が普通に食べるし、それどころか古い小麦であっても手に入れられない者も多いのだから。
「正直なところ、そこまで感謝されると微妙に照れるんだけどな。……まぁ、それはそれでいい。情報も貰ったし、俺はそろそろ行くよ」
「え? その、よければ今夜はこの孤児院に泊まっていっては? もう馬車もありませんし」
アンヌは、完全に予想外といった様子で告げる。
レイがエグジニスに向かうのは知っていたが、それでもまさかセトに乗って空を飛んで移動している……というのは、想像出来なかったのだろう。
アンヌが見た時、子供達はセトの背に乗って歩いていた。
そうである以上、レイが移動する際にも馬に乗るようにセトに乗って移動するのだと思ったのだろう。
実際、セトが地上を走るという意味でも、馬よりも速く走ることが出来る。
そういう意味では、普通にセトに乗ってエグジニスに向かうのは全く問題はない。
もし野営をするにしても、レイの場合はマジックテントがあり、セトが野営をしている間の護衛をしてくれる。
辺境のギルムであっても、問題なく野営が出来るレイだ。
辺境でも何でもないこのような場所の近くであれば、それこそ普通に宿屋で寝るのと同じようにぐっすりと眠れるのは間違いない。
……勿論、それでも街の外での野営である以上、一体何が起きるのか分からないので本当に心の底から安心して眠るといったような真似は出来ないのだが。
「馬車は別にいらないよ。俺がランクA冒険者だというのは、既に知ってるだろう? なら、この辺りの敵と戦ってどうにかなったりはしないしな」
「え? ……ああ、えっと……そうなんですね」
レイの外見だけを見れば、とてもではないが強者には思えない。
あるいは、相手の実力を見抜けるような者であればレイの強さを理解出来るだろう。
だが、アンヌは孤児院の職員で、戦いが本職といった訳ではないのだから、レイの実力を見抜くといった真似は到底出来ない。
だからこそ、レイの様子から野営をしたりしたら危ないと思ったのだろう。
「そうなる。じゃあ、えっと……手紙を書いて貰えるんだよな? それが終わるまでは、俺もセトと一緒に子供達と遊んでいるよ」
そう言い、レイは部屋から出ていく。
アンヌはそんなレイに向かって更に何かを言おうとしたものの、レイが孤児院に泊まるといったような真似をしないと理解し、残念そうにする。
アンヌにしてみれば、今回の一件は心からレイに感謝していた。
その感謝の気持ちを示す為にも、出来れば孤児院に泊まっていって欲しかったのだ。
だが、レイの様子を見る限りでは孤児院に泊まるといったような真似はせず、すぐにでも出ていく可能性が高い。
「アンヌ、早く手紙を書かないと」
「そうね」
同僚の言葉に、アンヌはすぐに手紙を書く準備を始める。
レイに対しては、それこそ子供達の件や食料の件もあり、心の底から感謝をしている。
その感謝の気持ちに返す為には、エグジニスで冒険者として働いている子供達に手紙を書くしかないというのは、残念だったが。
そんな風に思って手紙を書く準備をしようとしたところで……
「ちょっと聞き忘れがあった」
再び扉からレイが顔を出してそう尋ねる。
「はい? 何でしょう?」
アンヌにしてみれば、情報を話すことで少しでも恩返しを出来ればといったような思いがある。
知っていることであれば、大抵のことは喋るつもりだった。
「何でも、エグジニスの周辺ではかなり盗賊が多いって噂を聞いたことがあったんだけど、それは本当か?」
「私は会ったことがありませんけど、そういう話は聞いています」
アンヌは可愛いと言っても多くの者が納得する顔立ちをしている。
もし盗賊に遭遇していれば、それこそ連れ去られて盗賊達の欲望を吐き出される対象となっていただろう。
そういう意味では、アンヌが盗賊に遭遇していないのは幸いと言ってもいい。
ともあれ、一応念の為にといった様子で尋ねた一件で、レイが情報を聞き出した盗賊の話の裏付けは取れた。
「そうか。じゃあ、最近エグジニスの周囲の盗賊が次々と姿を消しているってのは知ってるか?」
「え? そうなんですか? いえ、それは初耳です」
「あ、でも行商人のジョーイさんが以前そんなことを話していたような……」
アンヌの側にいた女が、レイの言葉を聞いて思い出すようにして呟く。
その言葉によって記憶が刺激されたのか、アンヌもそう言えば……といったように口を開く。
「そう言えば、以前そんな話を聞いてました。すいません」
「いや、別に謝らなくてもいい。この街で暮らしている分には、あまり気にしなくてもいい情報だろうし」
行商人がその辺の情報について詳しいのは、それこそ自分にとって生死に関わる問題だからだろう。
だが、この街から滅多に出ない者達にしてみれば、そこまで必要な情報でないのは明らかだ。
(まぁ、俺が倒した盗賊みたいにエグジニスの周辺は危険だと判断して、この街に狙いを定める……といった可能性もあるけど。いや、ここはエグジニスからはそう離れてないんだし、寧ろ盗賊は避けるか?)
レイが盗賊から聞いた話によると、エグジニスの周辺にいた盗賊の多くが一人の生き残りもなく、突然消滅していたという。
そのような状況である以上、エグジニスからそう離れていないこの街に狙いを定めるかと言われれば、正直なところ微妙だろう。
レイがもし盗賊の立場であれば、エグジニスから少ししか離れていないこの街ではなく、もっと大きくエグジニスから離れる。
それこそ、レイが倒した盗賊達のように。
そういう意味では、ここは寧ろ安全なのかもしれないと、そう思い直す。
(まぁ、盗賊の件についてはエグジニスに行ってから調べればいいか。この孤児院出身の冒険者もいるって話だし、そういう意味では情報を得やすい)
アンヌに聞いたのは、もしかしたら何か自分の知らない情報を持っているかもしれないので、あくまでも一応といった程度でしかない。
それでも多少は盗賊についての情報を得られたので、それでよしとして感謝の言葉を口にし、庭に向かうのだった。