2651話
遠くに見えてきた街を見て、レイはセトの背に乗っている子供達に尋ねる。
「本当にあの街がお前達の住んでる場所なのか?」
「うん、そうだよ。ただ……僕達は外壁の隙間から抜け出してきたけど……」
「だろうな」
子供達の中でもリーダー格の少年……錆びた短剣を持っていたカミラの言葉にレイは頷く。
全員が顔見知りの小さな村であれば、村を出る時に身分証のチェックといったようなことはしないが、街や都市ともなれば、出入りするのに身分証が必要となるし、場合によっては多少の金額も必要となる。
もっとも、村は村で全員が顔見知りである以上、子供が村から出て行こうとすれば当然ながら止められるのだが。
ともあれカミラ達を見る限り、身分証を持ってるようにはとても思えない。
(そうなると、どうすればいいんだ?)
セトの背に乗っている、五人の子供達に視線を向ける。
体長三mを超えるセトだけに、その背中に五人の子供達を乗せるのは難しくはない。
とはいえ、セトが背に乗せて飛べるのは基本的にレイだけだ。
子供であれば一人二人はどうにかなるが、さすがに五人となると難しい。
あるいはセトの足に掴まったり、セト籠に乗ってということなら可能だったが、取りあえず今は地上を歩いている。
「そうなると、カミラ達が出て来た場所に行って中に入ればいいのか? ……難しいだろうけど」
既に街の正門の近くでは、警備兵達が右往左往している様子が見て取れる。
当然だろう。レイはともかく、高ランクモンスターのグリフォンがこうして街に向かって近付いてきているのだから。
それでもそこまで大きな――街を上げてのような――騒動になっていないのは、セトの隣をレイが歩いており、そしてセトの上には五人の子供達が乗っているのが向こうからでも確認出来るからだろう。
「う……姉ちゃんに怒られる……」
「だ、大丈夫だよ。ほら、狼を獲ってきたんだから。それを渡せば、多分……」
カミラの言葉に他の子供がそう言うが、自分で言っていても説得力がないと思ったのか、言葉尻が小さくなっていく。
「まぁ、無断で出て来たんだ。孤児院の方でも心配してるのは間違いない。大人しく怒られるんだな」
レイも、ここまで移動してくる間にカミラ達からある程度の情報は聞いている。
それによると、カミラ達は街にある孤児院で暮らしているのだが、その孤児院は決して裕福ではない。
それは孤児院を経営している人物が贅沢をしているといった訳ではなく、純粋に孤児院が貧乏なのだ。
当然だろう。この世界において、死というは日本と比べると遙かにありふれている。
ちょっとした病気や怪我でも、場合によっては死ぬこともあった。
回復魔法やポーションを使えば問題はないが、回復魔法の使い手は魔法そのものを使える者が少ない以上、どうしても希少になってしまう。
ポーションの類も、効果の高い代物は当然のように値段も高くなる。
その為に怪我や病気をそのままにして、死んでしまうといった者は決して少なくない。
そうして保護者が死ねば、子供達は路頭に迷うことになる。
あるいは、子供を育てられずに捨てたりといった者達もいる。
そのような者達を受け入れるのが孤児院なのだが、当然孤児院にも許容量があり、全ての孤児を受け入れられる訳ではない。
そういう意味では、曲がりなりにも孤児院で暮らしているカミラ達は幸運なのだろう。
少なくても、屋根があって誰かに襲われる心配のない場所で眠ることは出来るのだから。
しかし……当然だが、そんな孤児院を運営するにも金が掛かる。
孤児院を出て自立した者達や、もしくは街中でも金持ちに寄付をして貰ったり、領主からの支援金で暮らしてはいるものの、それでもギリギリだ。
ましてや、レイは知らなかったが少し前に孤児院に定期的に寄付をしていた商人が死に、その後継者は孤児院に寄付をすることは無意味だと判断して寄付を打ち切った。
結果として今までですらギリギリだった孤児院は経営が壊滅的に厳しくなり、食事にも困るようになる。
そんな状況を見かねて、カミラは数人を引き連れて林に向かったのだ。
大人の足でも二時間は掛かるだろう林に。
下の者達に何かを食べさせたいという思いからの行動だったが、当然ながらそれは自殺行為に等しい。
実際、レイが助けに入らなければカミラ達は狼を食うのではなく、狼の餌になっていたのだから。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか。……まぁ、ランクAのギルドカードを持ってるし、何だかんだと俺の存在もミレアーナ王国では有名だ。変なことにはならないと思うけど)
そう気楽に思いつつ、レイは歩み続け……やがて、街の側に到着する。
正門前にいた警備兵達は、セトの存在に怯えつつも逃げ出すようなことはしない。
そのことにレイは感心する。
ギルムの警備兵であれば同然のことだが、他の場所では悪質な警備兵もいる。
それこそ、中に入ろうとする者に難癖をつけて荷物を没収したりするような。
当然だが、そのような警備兵ならセトのような存在が来て勝ち目がないと悟れば、さっさと逃げ出してもおかしくはない。
しかし、この街の警備兵は恐怖している様子は見せつつも、逃げ出すといった真似はしていないのだ。
そして、レイと警備兵達は数秒沈黙したまま向かい合い……
「カミラ!」
と、不意に周囲にそんな女の声が響き渡る。
そう叫びながら、女が一人警備兵達の後ろから飛び出してきた。
一瞬敵か? と思わないでもなかったが、心の底から心配してカミラを始めとして他の子供達の名前を叫んでいるのを見れば……そして、カミラが乗っているセトにも気が付いていない――正確にはカミラ達だけしか目に入っていないのだろうが――ことから、誰なのかはすぐに想像出来る。
今のこの状況で、カミラ達を必死に捜している女。
かなり細めなのは、自分の食べる分を最低限にして子供達に渡しているからだろうと、想像するのは難しくない。
「姉ちゃん!」
そしてカミラや他の子供達も、セトの背から飛び降りると女に向かって走っていく。
「全くもう、どこに行ったかと思ったら……もう……もう……」
捜していたカミラたちを見つけて、感極まったのだろう。
女は言葉を最後まで口に出来ず、涙を流す。
そしてカミラ達も、そんな女の姿を見て泣き出す。
レイの前では強がっていたカミラ達だったが、この街から大人でも歩いて二時間は掛かるだろう場所まで子供達だけで移動し、そして狼の群れに襲われたのだ。
幸運と……そして、カミラ達の精神的な強さがなければ、それこそ今頃は狼の餌になっていたのは間違いない。
「あー……えっと、あんたがこの子達を助けてくれたってことでいいんだよな?」
カミラ達の様子を見て、気が抜けたのだろう。
警備兵の一人が、レイに向かってそう声を掛けてくる。
レイに声を掛けつつも、セトの存在を気にしてるのは見れば明らかだ。
レイもそれは理解していたが、取りあえず向こうの警戒を解かせるのが先だと判断し、頷く。
「ああ、ここから少し離れた場所にある林を抜けた先に、花が大量に咲いてる場所があるんだけど、そこで食事をしていたら狼に追われたカミラ達がやって来てな。そのまま見捨てるのは寝覚めが悪いから、助けてここに連れて来た。……ああ、これ」
ミスティリングから取り出したギルドカードを、警備兵に渡す。
ミスティリングからギルドカードを取り出したのだが、幸いなことに警備兵はそんなレイの様子に気が付かなかったらしい。
ギルドカードを受け取り……
「え!?」
警備兵の口から、そんな驚きの声が漏れる。
孤児院の職員と思われる女とカミラ達の感動の再会に、周囲にいた多くの者達はほっこりとした気分になっていた。
だというのに、そんなほっこりとした気分をぶち壊すかのような声がレイのギルドカードを見た警備兵の口から上がったのだから、何人もが空気を読めといったような視線を向けるのは当然だろう。
とはいえ、そのような視線を向けられた警備兵の方は、そのことに全く気が付いた様子も見せず、レイとギルドカードを見比べ、そしてセトに視線を向け……
「あああああああっ! 深紅!」
そこでようやくレイの正体に気が付いたのだろう。
レイを見て、その異名を口にした。
当然ながら、そうなれば他の者達の視線をレイに向けられる。
「ああ、深紅は俺の異名だ」
「ランクA冒険者なのか……? 俺が聞いた噂によると、ランクB冒険者という話だったが」
「昨日合格してな」
そこまで告げ、ふとレイは思い出す。
そう言えば、賭けで勝った金額を貰ってくるのを忘れていたなと。
とはいえ、賭けの金額を貰えるようになったのはレイの昇格が発表された後だ。
昇格試験の合格が発表され、更にはクリスタルドラゴンの死体の件もあって、レイはギルムの中を自由に出歩くことは出来なかった。
いや、正確には出歩こうと思えば出歩くことも出来たのだろうが、もしそのような真似をしていれば、多くの者がレイと面識を得ようと……そしてクリスタルドラゴンの素材を何とか自分に売って欲しいといったようなことになったのは間違いない。
そういう意味では、賭けの金額を受け取りにいくのはまた今度、ある程度騒動が落ち着いてからでいいだろうと判断する。
もし賭けの胴元がギルムから金を持ち逃げしていた場合、レイは損をすることになるのだが……そこまで大金を賭けた訳ではないので、構わない。
そもそもの話、胴元も持ち逃げした場合はギルムから出る必要がある。
ギルムは危険な場所ではあるが、危険だからこそ色々な利益があるのも事実だ。
レイに支払う金額と、これからギルムにいて得られる諸々の利益。
それらを考えた場合、普通ならギルムから逃げ出すといったような真似をすることはない。
「そんな訳で、そのギルドカードを見た警備兵はお前が最初の一人だな」
「……は? ギルムから出る時はどうしたんだ? 手続きが必要だろう?」
「特例として、手続きなしでそのままギルムを出てもいいことになった」
あまりと言えばあまりのレイの言葉に、レイと話していた以外の警備兵達も驚く。
まさかそんな……と。
実際、マリーナがダスカーと交渉した結果の街の出入りを自由にしてもいいというのは、本当にかなりの特例だ。
とはいえ、レイはそれに相応しいだけの活躍をしてきているし、多くの利益をギルムにもたらしてきた。
現在行われている増築工事でも、今でこそ他の冒険者に仕事を任せているが、当初はレイのお陰で実質的に工事が回っていたのは間違いない。
そういう意味では、レイが特別扱いされるのはおかしな話ではない。
「それは……いや、レイのことを俺達がどうこう言うような真似は出来ないか。そうなると……これは、どうすればいいんだ?」
「あのっ!」
いきなりやってきた、異名持ちのランクA冒険者の扱いに迷う警備兵。
そんな警備兵に対し、不意に声が掛かる。
声を発したのは、カミラを含む子供達を抱きしめていた女。
レイが警備兵と話している間に、カミラ達が今回の一件の事情を聞いたのだろう。
しっかりとした視線で警備兵に向かって口を開く。
「この子達を助けて貰ったということですし、出来れば一度うちに来て貰ってお礼をしたいのですが……」
「いやまぁ、冒険者……それもランクA冒険者なんだから、街に入るのは何も問題ないんだけどよ。ただ、そっちのグリフォンが……」
その後については、レイも何も言われなくても理解出来た。
つまり、街の住人が怖がるから中に入れるのは難しいと、そう言いたいのだろうと。
「えー! セトは大丈夫だよ! 俺達を乗せてくれたんだから!」
そんな警備兵に対し、カミラは真っ先に反論する。
いや、カミラだけではない。他の子供達もまた警備兵に対して不満を露わにした。
林からここまで、子供達はセトの背に乗ってきた。
それだけに、子供達にしてみればセトは最初こそその巨体から怖かったが、実際には人懐っこいと理解している。
それだけに、警備兵がセトが危険かもしれないからということで、街の中に入れるのは駄目と言ってるのが納得出来なかったのだろう。
「その、この子達の話を聞く限りでは、大丈夫だと思うのですが……本当に駄目でしょうか?」
「う……」
セトを街に入れられないと言った警備兵に、孤児院の女は尋ねる。
女も、間近でグリフォンを見るのは初めてなので、怖いという思いはあった。
だが、子供達を助けてくれたのだ。
そのような相手を、外見が怖いからといった理由で街中に入れないというのは素直に承諾出来なかった。
美人というよりは可愛いといった顔立ちの女に視線を向けられ……警備兵は、やがて顔を赤くしながらレイが責任を取るのなら、セトも街中に入ってもいいと、そう告げるのだった。