2650話
盗賊達を倒した場所からそれなりに……具体的にはセトの翼で二時間くらい離れた頃、下には多数の花が咲いている草原があった。
ちょうど昼に近かったので、その草原で花を眺めつつ昼食にしようとレイが提案すると、セトは嬉しそうに地上に向かって降下していった。
セトにとっても、花というのはそこまで珍しい代物ではない。
それこそギルムの外であれば普通に咲いているし、少し前まで昇格試験の為にいた魔の森にも当然ながら様々な花が咲いていた。
……もっとも、魔の森で咲いている花だけに、実はモンスターの一種でしたといったようなことになっても、レイは普通に納得出来たが。
「グルルルルルゥ!」
草原に下りたセトは、レイをその場に残して花の周囲を嬉しそうに走り回る。
特に何か特別な効能のあるような花でもなく、希少な花という訳でもない。
そもそも、今は夏だ。
植物にとっては今が最盛期だろう。
中には春や秋に咲く植物も多いので、絶対といった訳ではないのだが。
「セト、一通り遊んで満足したら戻ってこいよ」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、分かった! と鳴き声を上げると、再び花の中を思う存分走り回る。
花の中を走り回るのが、そんなに面白いのか? と疑問に思うレイだったが、セトが楽しんでいるのなら、それに対して特に不満がある訳でもない。
「セトが喜んでるのなら、それで何よりか」
そう言いつつ、レイは草原に布を敷き、腰を下ろす。
昼食に何を食べるかと考えていると、不意に気配を感じ取り、そちらに視線を向ける。
その気配は、少し離れた場所にある林の方からやって来る。
それもただやって来るのではなく、もっと別の何かに追われるようにだ。
「冒険者か?」
レイとしては、面倒なことになったと思いつつも、何かあったら即座に反応出来るように準備をし……
「って、おい、マジか」
姿を現したのは、十歳前後の子供が五人。
男が三人に女が二人。
一応手には短剣を持っている者もいるが、中には石を手にしているような者もいる。
そんな子供達が、必死に林から走ってきたのだ。
「なんで子供が?」
疑問を抱くレイだったが、林の中から狼……モンスターでも何でもない動物の狼が五匹姿を現す。
それを見れば、一体何故このような状況になっているのか、予想するのは難しい話ではない。
子供を見捨てるのは後味が悪いので、デスサイズと黄昏の槍を手にして走り出す。
「こっちだ! こっちに来い!」
子供達はレイの言葉を聞き、走る速度を上げる。
相手が十歳くらいの子供達で、レイの外見は十五歳程。
そういう意味では、本来ならレイもまた狼を相手にどうにかするのは難しい。
もっともそれは……あくまでも、レイが普通の十五歳であればの話だが。
レイのいる方に向かって必死に走る子供達だが、当然ながら十歳程度である以上、走る速度は速くない。
それでも命が懸かっているからだろう。必死にレイのいる方にやってきて……
「よく頑張ったな」
すれ違いざまにそう告げ、レイは子供達と狼の群れの間に割り込む。
「ワオオオオン!」
狼の中でも先頭を走っていた一匹が、レイに向かって襲い掛かる。
普段なら、セトの存在もあって決して自分から近付いて来るようなことはしないのだが、子供達を襲っていたことで興奮していたのか、全く気にした様子もなく攻撃してきた。
だが……
「甘い」
モンスターでも何でもない、普通の狼だ。
レイがデスサイズを振るうと、狼の首が綺麗に切断され、空中を飛んでいく。
あまりに鋭く滑らかな一撃だったから、首を失った狼はそのまま地面に着地して数歩歩いた後でバランスを崩して倒れ込み、首から大量の血を流し始める。
他の狼は子供達の追撃に集中していて先頭の狼が殺されたことに気が付かなかったのか、続くようにレイに襲いかかっては、それぞれがすぐに死んでいく。
狼の群れが全滅するのに必要だったのは、数秒。
その数秒で、頭部が切断され、砕かれ……といったように狼は死んでしまった。
「さて、これでいいとして……おい、大丈夫か?」
レイが戦っている数秒の間も走り続け、先程よりも離れた場所にいた子供達に声を掛ける。
子供達は、そんなレイの言葉でようやく我に返ったのか、足を止め……恐る恐るといった様子でレイの方を見てくる。
一体何があったのか、と。
子供達にしてみれば、モンスターでも何でもない狼であっても、絶望的な相手だ。
短剣や石を持っていたところで、倒せるような相手でもない。
そんな絶望的な……言ってみれば死の象徴とも呼ぶべき存在が、あっさりとレイによって倒されたのだ。
信じられないのは間違いないのだが、狼の死体が幾つも地面に転がっているのを見れば、それを否定するような真似は出来ない。
「た……助かったの……?」
石を持っていた子供の一人が、恐る恐るといった様子で呟く。
恐怖で震え、涙を流しながら尋ねてくる子供に、レイはデスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納して頷く。
子供を前にして、黄昏の槍はともかくデスサイズは外見的に衝撃が大きすぎると、そう思ったが故の行動だった。
幸い、子供達は自分が助かったことにだけに意識を集中しており、レイがデスサイズや黄昏の槍を持っていたといったことには、気が付いていない。
「ああ、助かった。……で、お前達は一体子供達だけで何をしてるんだ?」
「え? あ、えっと……」
短剣を持っていた子供が、レイの言葉で我に返ったように視線を向けてくる。
そして、恐る恐るといった様子で口を開く。
「その……何か食べ物を探して……」
「食べ物を?」
その言葉は、レイを納得させると同時に別の疑問を抱かせる。
夏の森や林ともなれば、色々と食べられる植物だったり、あるいは上手くいけば動物を狩るといったような真似も出来るだろう。
それは事実だが、だからといって子供達だけで林や森に入るような真似は、普通なら許されない。
今回襲ってきたのは狼だったが、モンスターが襲ってくるといった可能性も十分にあるのだから。
ギルムのような辺境ではないことで、そこまで強力なモンスターは出て来ないだろうが、ゴブリンのような弱いモンスターであっても、このような子供達でどうにかなるような相手ではない。
だが、改めて子供達を見てレイは何故子供達がこのような場所に来たのかを納得する。
(孤児か)
そう、子供達の服は見るからに古びており、何ヶ所にも傷がある。
子供達も全員が痩せており、十分に食事を取れていないというのは明らかだ。
だとすれば、食料を得る為に林にやって来たといったようなことを言われても、レイとしては納得するしかない。
「うん。他の皆もお腹を減らして待ってるんだ。だから僕達……」
レイと話していた子供は、目に涙を浮かばせつつも、急いでそれを擦る。
そんな子供を見て、レイはこの場合どうすればいいのかと迷う。
孤児院には入らないのか? と聞けばいいのか。
あるいは、レイのミスティリングに入っている食料や金目の物を渡せばいいのか。
その辺りは、レイにも分からない。
これが大人なら、仕事をしろと言うだけなのだが。
「取りあえず……あの狼の死体は、俺はいらないからお前達にやるよ」
「え? いいの!?」
レイは特に話のとっかかりにでもなればということで、狼の死体を渡すと言ったのだが、子供達にしてみれば幸運だったのだろう。
これが狼系のモンスターであれば、魔力によって肉はそれなりに美味いのだが、この狼はただの動物だ。
勿論、その肉も食べられないことはないのだろうが、レイにしてみれば狼の肉を食べるよりも普通にモンスターの肉を食べた方が美味い。
とはいえ、子供達にしてみれば違う。
これだけの狼の肉があれば、何人いるのかにもよるが、それなりに空腹で飢えなくてもすむ。
「で、どうする? この狼の死体……お前達が持って帰るのなら、そのまま持って帰ってもいいし、ここで解体していくのなら俺が手伝ってもいい」
「え? ……手伝ってくれるの? 何でそこまで?」
子供達にしてみれば、孤児か……もしくはそれに近い立場の自分達に、何故ここまでしてくれるのか。
そう疑問に思っても、おかしくはない。
「何でと言われてもな。さすがにこんな場所で子供を見捨てるような真似をするのは、後味が悪い。狼の解体が終わったら、お前達が住んでる場所まで送っていってやるから、安心しろ」
レイの言葉に、ぱぁっと子供達の顔が明るくなる。
林までやってきたのはいいものの、ここから自分達だけで住んでいた場所まで戻れるかとなれば、それはまた別の話だったのだろう。
実際、レイに遭遇しなければ狼によって喰い殺されていたのだから。
「グルルゥ?」
「うきゃぁっ!」
不意に姿を現したセトに、子供の一人が悲鳴を上げる。
悲鳴を上げたのは一人だけだったが、他の者達もセトの姿に恐怖を覚え、後退る。
「グルゥ……」
そんな子供達を見て、悲しそうに喉を鳴らすセト。
自分が初めて会った相手に怖がられるのは珍しくはないが、それでも珍しくないからといって、悲しくない訳ではないのだ。
「安心しろ。これはグリフォンのセト。俺の従魔……相棒だ」
子供達に従魔という単語が理解出来るとも思えず、レイはそう告げる。
そんなレイの言葉に、子供達は少しずつ下がっていた行動を止めた。
子供達にしてみれば、レイは自分達を助けてくれた相手なのだ。
そうである以上、レイがそう言うのなら安心なのでは? と思ってもおかしくはない。
このような子供達であれば、普通は相手をそう簡単に信じるといったようなことはないのだが、レイは別だ。
自分達が襲われていたところを助けて貰ったのだから、特に何かを企んでいるようには思えなかった。
また、狼の肉を譲って貰ったというのも、レイの言葉を信じた理由の一つだろう。
「取りあえず解体するか。……一応聞くけど、お前達の中で解体出来る奴はいるか?」
子供達に尋ねるレイだったが、当然のように誰もその言葉に反応することはない。
猟師の子供だったり、冒険者の子供だったりすれば、十歳くらいで解体をすることが出来てもおかしくはない。
だが、この子供達の様子を見る限り、そのような両親を持った子供はいそうになかった。
悔しそうだったり、残念そうだったり、悲しそうだったりといった様子を見せる子供達。
そんな子供達に対し、レイは少し考えてから口を開く。
「分かった。なら、簡単にだけど解体の仕方を教えてやろう」
「え? いいの!?」
驚きを見せる子供達。
当然だろう。今までの生活からすると、とてもではないがこの流れから自分達にとって利益になるような行動をしてくれるとは、思わなかったのだ。
勿論、レイも切羽詰まっているような時であれば、このような真似はしない。
今回このような真似をするのは、あくまでも自分に余裕がある為だ。
エグジニスに行くという目標はあるが、それも別に急いで行かなければならないといった訳ではなく、あくまでもクリスタルドラゴンの死体の件でギルムでは面倒なことになると思われるので、それをどうにかしたいと思っての行動だ。
そういう意味では、エグジニスに到着するまではゆっくりとしても何の問題もない。
いや、寧ろそのようにゆっくりとすることによって、エグジニスに滞在するのが遅くなり、その分エグジニスの観光やゴーレムを購入をする時間がより後回しになるのだから、時間を潰したいレイにとっては都合がいい。
「ほら、これを使え。そんな短剣で解体すると、それこそ食べられる肉にも悪い影響がありそうだし」
レイはミスティリングから取り出したナイフを一本、錆びた短剣を持っていた少年に渡す。
「これ、本当に使ってもいいの?」
「ああ。どうせ安物だしな。いいか? 解体の仕方を教えるぞ」
そう言い、レイは狼の解体をしていく。
モンスターではなく動物とはいえ、解体の仕方そのものにそう違いはない。
違うところは、モンスターではない以上、心臓に魔石が埋まっていないことと、討伐証明部位を切り取る必要がないことか。
そういう意味では、モンスターに比べて解体は寧ろ楽な方だろう。
「自分達で食う分だけならいいけど、そうじゃない場合……例えば、この毛皮を売ろうとする場合は、綺麗に解体する必要がある」
ギルムにおいては、モンスターの素材としての毛皮の方が大量にあるので需要はないが、ここは辺境のギルムではない。
そうである以上、動物の毛皮もしっかりと剥ぎ取って後処理をきちんとすれば、相応の金額で売れるというのがレイの予想だった。
勿論、子供達の外見からすると安く買い叩かれるかもしれないし、交渉をするにも難しいだろうが。
そんな風に考えながら、レイはまさか自分が解体の方法を教えることになるとは……としみじみと思うのだった。