2646話
「お帰りなさい。……あら? どうしたの、疲れた顔をして」
中庭にやってきたレイを見て、マリーナが不思議そうに声を掛ける。
だが、すぐにその理由に納得した様子で頷く。
「レイが式典の類が苦手なのは知ってるけど、ランクA冒険者になったら、ああいうのにも出ることがあるのよ。慣れておいた方がいいわ」
「あー……うん。俺が疲れてるのはそれもあるけど」
実際には、貴族街に入ってからマリーナの家に来るまでの間に、数回見回りの冒険者に声を掛けられたのだ。
セトがおらず、ドラゴンローブのフードを被って顔を隠していたというのもあるが、それでもまさか何度も声を掛けられるとは……と、そんな自分の状況に、色々と思うところがあった。
祭りだということで、普段よりも多くの見回りがいたのも、レイを不審者として認識した者が多かった理由なのだろうが。
見回りをしている者の中には、レイと顔見知りになっている者もいる。
そのような者であれば、すぐにレイと分かったのかもしれないが……殆どレイと接点のない相手であった以上、わざわざフードを脱いで顔を見せ、もしくはランクA冒険者になって渡されたギルドカードを見せるといったようなことをする必要もあった。
「あら、他にも何かあったの? ……まぁ、いいけど。ほら、今日はレイの昇格祝いなんだから、いつもより豪華な料理にしたわよ」
そう言われたレイは、中庭に置かれているテーブルに視線を向ける。
マリーナの言うように、テーブルの上の料理は普段よりも明らかに豪華な料理の数々だった。
「おお」
その料理の数々に、レイは驚きの声を上げる。
そんな中で特に驚いたのは、肉料理だ。
焼いた肉にオレンジ色のソースが掛かっている料理だったが、問題はその肉。
その肉が何の肉なのか……当然のようにレイは知っていた。
「これ、ガメリオンの肉だよな?」
ガメリオンの肉そのものは、そこまで珍しいものではない。
いや、それはあくまでもミスティリングに大量のガメリオンの肉や解体されていない死体が入っているレイであればの話だが。
ガメリオンとういうのは秋に獲れる獲物だ。
そして今は晩夏……つまり、本来ならガメリオンの肉を入手するのは一番難しい時期となる、
勿論、塩漬けや干し肉といったように保存食にしていれば、去年のガメリオンの肉でも普通に食べることが出来るだろうが、皿の上にある肉は明らかに生の肉を焼いたものだった。
「ええ。それも、ただのガメリオンの肉じゃないわよ? 保存する時に色々と手を加えているわ。そういう意味だと、レイのミスティリングの中に入っているガメリオンの肉よりも美味しいのは間違いないわね」
「……そうなのか? それでも、去年のガメリオンの肉がまだ生で残ってるというのは驚きだけど」
そう口にするレイだったが、日本ならともかく、エルジィンにおいてはマジックアイテムが存在する。
実際、レイのミスティリングもまた、マジックアイテムの一つであるのは間違いないのだから。
そんな風に考え、ふと熟成肉というのを思い出す。
肉をきちんとした温度と湿度で管理させ、熟成させ、食べる前に腐った部分を削ぎ落として食べるという……それが、熟成肉だ。
とはいえ、レイが知っている熟成肉というのはあくまでもTVや料理漫画で見た知識でしかない。
東北の田舎に住んでいたレイだけに、当然ながらそんな洒落た――という表現が相応しいのかどうか分からなかったが――料理を出す店はなかった。
(いや、でも違うな。幾ら熟成肉でも、一年近くも熟成させるなって真似が出来る筈はない。……これもマジックアイテムがあれば、出来るかもしれないけど)
取りあえず、自分の視線の先にあるのは熟成肉ではないと判断し……
「ん!」
話をしているレイに向かい、ビューネが早く食べようといったように声を上げる。
レイは知らなかったが、料理が用意されてから既に三十分近くが経っているのだから、食にうるさいビューネが少しでも早く料理を食べたいと主張するのも当然だろう。
三十分前に用意された料理が、何故まだ温かく、それどころか湯気まで上がっているのか……その辺は、マリーナの精霊魔法のおかげだった。
そう聞かされたレイは、便利だなとは思うものの、既にマリーナの精霊魔法の規格外さには慣れているのか、それ以上の驚きはない。
「では、主役のレイも来たことだし、そろそろ食事にしようか」
エレーナの言葉に、皆が椅子に座る。
レイよりも一足先に帰ってきていたセトも、イエロと一緒にテーブルの側で待機していた。
すぐにマリーナがコップを用意する。
酒があまり得意ではないレイに配慮して、用意されたのは果実水だ。
エレーナ達もレイに習ったのか、酒ではなく果実水が用意されている。
当然のように、果実水はマリーナの精霊魔法によってしっかりと冷えており、夏の夜に飲むには最適な飲み物だろう。
レイの場合は簡易エアコン機能のあるドラゴンローブを着ているし、それ以前にこの家の敷地内はマリーナの精霊魔法によって夏は涼しく、冬は暖かくといったように快適にすごせるようになっているのだが。
「では、レイ。乾杯の音頭を頼む」
「俺がか? ……皆が応援してくれたおかげで、ランクA冒険者になることが出来た。ありがとう。……乾杯!」
『乾杯!』
レイの言葉に合わせるように、皆が乾杯と口にしてコップの中身を飲み干す。
(こういう場合って、乾杯の音頭を取るのは俺じゃなくて他の奴じゃないのか?)
そんな風に思うレイだったが、今の状況を思えば特に不満はないので口にするようなことはしない。
「それにしても、今日の舞台は凄かったわね。……あれがレイの倒した新種のドラゴン……」
羨ましそうにレイを見るヴィヘラ。
強者との戦いを望むヴィヘラにしてみれば、ランクSモンスターの新種のドラゴンと戦ったレイは非常に羨ましいのだろう。
精霊魔法によって舞台で活き活きとした様子を見せていたクリスタルドラゴンの死体は、ヴィヘラの戦闘意欲を燃え上がらせるには十分だった。
「魔の森には、ああいうモンスターが結構いるらしいからな」
「……へぇ」
好戦的な笑みを浮かべるヴィヘラ。
それこそ、もしレイが何も言わなければ、今すぐにでも魔の森に向かうといったような行動をしてもおかしくはないと思える程に。
「ヴィヘラ、一応言っておくが魔の森に行くのは禁止だぞ」
エレーナが念を押すように言う。
そうしておかないと、それこそ本当に戦闘欲に流されて魔の森に行ってもおかしくはないと、そうレイと同じように感じられたのだろう。
「分かってるわよ。……私だって、何も考えないで動く訳じゃないんだから」
「その言葉が信じられるのなら、エレーナも注意したりはしないんでしょうけどね」
マリーナもヴィヘラの性格は十分に理解している。
それだけに、言われたヴィヘラは若干不満そうな様子を見せながらも、ガメリオンの肉を口に運び……次の瞬間、その顔は不満から驚き、そして喜びに変わった。
それだけガメリオンに肉は美味かったのだろう。
そんなヴィヘラの様子を見れば、当然だがレイもまたガメリオンの肉に興味を覚え、フォークで刺して口に運ぶ。
瞬間、最初は一体自分が何を食べているのか……これが本当にガメリオンの肉なのかどうか、分からなかった。
それだけ、口に運んだ肉は美味かったのだ。
肉の味や食感そのものは、レイの知っているガメリオンの肉とそう違いはない。
しかし、ガメリオンの肉の味が何倍……いや、何十倍にも濃縮したかのような、そんな味。
「これは……美味い……」
美味い、という言葉しか出てこない。
手間暇を掛けただけあってか、圧倒的な美味さがその肉にはあった。
他の者達も当然のようにそんな肉を食べては、その味を噛みしめる。
ビューネにいたっては、既に半分程も肉を食べ進めていた。
そうして皆が集中して肉を食べ、一段落したところでマリーナが口を開く。
「自分で用意しておいてなんだけど、凄い肉ね」
「ああ。正直なところ、この肉を好き放題に食べられるのなら、幾ら金を払ってもいいと思えるくらいにはな」
既に人生を数回生まれ変わっても、一生遊んで暮らせるだけの金額を所有しているレイが言うと、それは洒落にならない。
……実際、レイの口からでたのは洒落でも何でもなく、本気だったのだが。
「レイなら普通にそういうことをやりかねないわね。とはいえ、こういう肉は特別な日だけに食べるからいいと思うけど」
「ん……」
マリーナの主張に不満そうに声を上げるビューネ。
ビューネにしてみれば、このような美味い肉をいつでも食べられるのなら、それはそれで問題ないと、そう思ってもおかしくはなかった。
それはセトやイエロも同様なのか、それぞれに鳴き声を上げてビューネに同意するように主張している。
「こっちのソースも美味しいですね。これだけ肉が美味しいのですから、ソースが肉の味に負けてもおかしくはないのに……」
アーラのその言葉に、レイを含めて他の面々も改めてソースに意識を向ける。
そうして改めてソースを味わってみると、アーラの言葉には強く納得させられるところがあった。
そのソースを作ったマリーナは、得意げな笑みを浮かべる。
マリーナにしてみても、このソースは自信作だったのだろう。
(とはいえ、ワーカーと色々話していた筈のマリーナが、こうして手の込んだソースを作れるのは……いや、別にソースを作るのは今日でなくてもいいのか。ソースだけなら、昨日とかでもいいし。本物のコンソメスープとかは、それこそ料理人が数日寝ないで鍋の前にいないといけないとか、何かで見たことがあるし)
さすがにそこまでのことはやっていないのだろうが、それでもこれだけの味のソースだ。
作るのに、相応の時間が掛かってもおかしくはない。
「色々と精霊魔法を使ったからね。それでも大変だったけど……レイが昇格したお祝いなんだから、たまにはいいでしょ。それに、この肉に合わせるソースとなれば、それこそ並大抵のものではどうしようもないし」
そんなマリーナの言葉を聞きつつ、食事をする。
当然の話だが、いつもより豪華な料理はガメリオンの肉だけではない。
それ以外の料理やスープ、パンにいたるまで、いつもの食事に比べると数段上の味だった。
いつも食べている料理も、決して不味い訳ではない。
それどころか、レストランで出て来てもおかしくはないような、そんな味の料理だ。
しかし、今日こうして出て来た料理は、そんな料理と比べても明らかに上なのだ。
レイにしてみれば、普段から美味い料理を食べているのだが、それでも今日の料理はいつも以上に美味いのは事実。
「そう言えば、レイ。明日からエグジニスに行くのよね? でも、朝は大丈夫?」
いつも以上に柔らかく、小麦の味とバターの甘みを楽しめるパンを食べていたヴィヘラが、不意にそうレイに尋ねる。
ヴィヘラにしてみれば、クリスタルドラゴンの死体を見て戦闘欲が増しているところで、模擬戦の相手としては最高の存在であるレイがいなくなってしまうのを残念に思いつつ、それでも今の状況を考えれば仕方がないといった思いがあるのは間違いない。
「大丈夫って……俺が無事に外に出られるかってことか?」
レイもヴィヘラが何を言いたいのかは理解しており、だからこそ的確に言葉を返す。
今日の自分の立場は、色々な意味で危険だ。
ダスカーの懐刀として大々的に式典が行われ、ランクA冒険者になった。
異名持ちの腕利きで、アイテムボックスを所有している。
魔の森で倒した、ランクSモンスターの新種のドラゴンの死体を持っている。
それ以外も色々とあるが、そのようなどれか一つであっても、レイが多くの者に群がられてもおかしくはない。
朝一番に出るとしても、正門が開くのは午前六時だ。
そうである以上、日中程に多くの者に群がられるようなことはないとはいえ、それでも冒険者や商人達とは遭遇する機会が多い。
そんな中でも、特に商人達にしてみれば、クリスタルドラゴンの死体を持っているレイは、是非とも交渉したい相手だろう。
もし交渉が成功してクリスタルドラゴンの素材を買い取ることが出来た場合、それは大きな利益になるのだから。
可能なら今日ギルドから帰ってきた時のように、一人で……それもドラゴンローブのフードを被って顔を隠して移動するようにすれば、他の者に見つかるようなことはないのだが、街中を移動するのではなく外に出る以上、レイの従魔となっているセトは一緒に行動する必要があった。
そのことに思い悩んでいると……
「ああ。その件は大丈夫よ。ダスカーから特別に街中から直接飛んでもいいって許可を貰ったから。騒動が片付くまでの暫くの間は、正門から出なくてもいいらしいわ。後で書類を渡しておくわね」
マリーナのその一言で、レイの懸念はあっさりと解決したのだった。