2645話
「遅いぞ!」
倉庫に入ったレイに対し、そう声を荒げたのは当然ながら親方だ。
ただし、親方は皆の意見を代表してそう言ったにすぎない。
それを示すように、他のギルド職員達もレイに向かって不満そうな視線を向けている。
「悪いな」
見るからに不機嫌そうな親方達に向け、素直に謝罪の言葉を口にするレイ。
本来なら、もっと早くクリスタルドラゴンの死体を持ってくることが出来た。
しかし、それをしなかったのはレイが夕陽に染まるクリスタルドラゴンの死体に目を奪われていたからだ。
舞台の前にいた面々のことを考えたというのもあるが、それだけではなく、やはりレイもまたそれに視線を奪われてしまったのは間違いない。
その為に遅れたのだから、その原因となった自分が謝罪の言葉を口にするのは当然だろうというのが、レイの認識だった。
素直に謝罪の言葉を口にしたレイに、親方はそれ以上何も言わない。
他のギルド職員達は、まだ不満そうな様子を見せてはいたが。
それでも親方が何も言わない以上、自分達がこれ以上何かを言ったりは出来ないと、そう理解していたのだろう。
……もっとも、こうして準備万端でやる気にも満ちた状態で待っていた親方達だが、解体するクリスタルドラゴンの死体の所有権は、あくまでもレイにある。
勿論、レイがギルドに依頼するといった形になっているので、依頼されたギルド側にも相応の主導権があるのは間違いないが、もしレイがその気になれば、他の解体業者……例えば、ローリー解体屋に頼むといった方法もある。
親方としては、ここで無理をしてそういう羽目になるのは絶対に避けたかった。
ランクSモンスター……それも魔の森に棲息する、新種のドラゴン。
そんな存在を解体する機会など、それこそ一生に一度あるかないかなのだから。
少なくても親方は冒険者を止めてギルド職員になってからそれなりに長い時間が経っているが、魔の森のモンスターはともかく、そこに棲息するランクSモンスターの新種のドラゴンを解体するといったようなことはない。
何らかの理由で、ギルドマスターや領主からの許可を得て魔の森に行った者が倒したモンスターの死体を持ってきて、それを解体するといったようなことは何度かあったが。
「もういい。いつまでも下らないことで話して時間を無駄にする必要もない。それで、レイ。一応聞くが、クリスタルドラゴンの死体は持ってきたんだな?」
「ああ、勿論。……とはいえ、今の状況では俺が持ってるかどうかは分からないだろうけど」
クリスタルドラゴンの死体は、現在ミスティリングに収納されている。
そうである以上、レイが本当にクリスタルドラゴンの死体を持ってきたのかどうかは、分からない。
レイもそれが分かっているからこそ、自分が持ってきたと言ってもすぐに信じて貰えるとは思っていないのだろう。
「親方達に安心して貰う為にも、早速出すか。で、どの辺にどうやって出せばいい? 下手な場所に出すと、色々と面倒だろ?」
クリスタルドラゴンは、かなり巨大だ。
その大きさの幾らかを示している首は切断されているとはいえ、それでも巨大だというのに変わりはない。
だからこそ、ミスティリングから出す前にしっかりとどこに出せばいいのか、聞いておく必要があった。
「倉庫の真ん中辺りに頼む。その方が、死体の周囲を動き回りながら解体することが出来るからな」
「分かった」
そう言い、レイは特に勿体ぶるような真似をするでもなく、倉庫の中央にミスティリングから取り出したクリスタルドラゴンの死体を置く。
『おおおおおおおお』
既に以前にも見ているし、ギルド職員の中には今日舞台に飾られている光景を見たこともあった。
しかし、それでもやはりこうして間近でクリスタルドラゴンの死体を見るというのは、思うところがあるのだろう。
「じゃあ、この死体は預かる」
「分かった。解体の方は速度は求めないから、ゆっくりと確実にやってくれ」
「そうさせて貰おう。これだけの大物だ。慎重に解体をしなければ、勿体ないからな」
技術の粋を凝らして、しっかりと解体する。
そう告げる親方に、レイも頷く。
レイとしても、解体はゆっくりとやってくれた方がいいのは間違いない。
何しろ、明日からレイは暫くエグジニスに向かうのだ。
解体した素材や肉、何よりも魔石を確保しておく為に、それなりに頻繁に戻ってくるつもりではあるのだが、それでも急がないでしっかりと解体して欲しかった。
幸いなことに、先程の宴においてレイは親方からドラゴン……に限らず高ランクのモンスター、もっと正確に言うのなら、高い魔力を持っているモンスターというのは、解体をしてもその魔力のおかげで素材が傷んだりするにはかなり長期間が必要になるらしい。
勿論、それでもレイは万が一を考えて頻繁にギルムに戻ってきては、クリスタルドラゴンの素材を回収していくつもりだったが。
「さっきの宴の時にも言ったと思うけど、俺は明日からエグジニスに行く。このクリスタルドラゴンの解体は全面的にそっちに任せるから、しっかりと頼むな」
「おう」
レイの言葉に、返ってきたのはその一言だけだ。
だが、その短い一言には親方のやる気がこれ以上ない程、しっかりと込められていた。
そんな親方の声を聞けば、クリスタルドラゴンの解体は十分に任せられると、そう判断する。
「じゃあ、俺は行くよ」
親方に任せると決めた以上、自分がここにいても意味はない。
それどころか、ここにいても邪魔になるだけだと判断した。
幸いにも、外はもう夕陽が沈んでおり、暗くなっている。
とはいえ、今日は祭りだ。
明かりのマジックアイテムや、それ以外にも篝火の類でそれなりに明るいのは間違いない。
それでも、日中よりは見つかりにくいし、ドラゴンローブのフードを被れば見つかりにくいだろう。
(まぁ、セトがいる時点で俺だって見つかるんだろうけど)
そんな風に思いつつ、レイは倉庫から出る。
最後に倉庫の中を見ると、クリスタルドラゴンの解体を誰がどう行うのかというのを親方が指示している光景を見ることが出来た。
「レイ、伝言があるぞ」
倉庫から出たレイに、冒険者がそう声を掛ける。
「伝言? 俺に?」
「ああ。アーラって女からだ。お前の仲間で、セトを連れていくって言ってな」
「アーラが……」
言いに来たのはアーラだろうが、それを行うようにしたのは自分の昇格の式典を見に来たエレーナなのだろうというのは予想出来る。
「普通なら、そんなことを伝言されてもセトを任されたりはしないんだが……」
「だろうな」
伝言だけを頼み、セトを連れていく。
今回はアーラだったので特に何の問題もなかったが、もしそれがアーラ以外の何か悪意ある存在であれば、どうなったか。
連れていくといったようなことを言いつつも、そのままセトを自分のものにしようと考えてもおかしくはない。
もっとも、高い知能を持つセトだ。
もしそのようなことになった場合は、それこそ自分で判断して相手を倒すなり、逃げ出すなりしてくるだろうが。
「一応聞いておくけど、問題なかったよな?」
「アーラなら問題ない。けど、伝言を頼まれてるんなら、倉庫の方に顔を出せばよかったんじゃないのか?」
「……親方がちょっとな……」
そう言われると、レイとしても何も言えなくなる。
実際、レイがクリスタルドラゴンの死体をミスティリングに収納して倉庫に戻ってきた時、親方は見て分かる程に怒っていた。
そうである以上、この冒険者達が怒ってるのかもしれない親方のいる倉庫に顔を出すといったことは避けたいと、そのように思ってもおかしくはない。
とはいえ、ここの護衛を任されている冒険者としてそれでいいのかといった思いがレイにはあるし、恐らくこの件で仕事の評価が下がるのではないかとも思ったが。
あるいは、何だかんだかと祭りの雰囲気に酔っているといたところもあるのかもしれない。
レイとしてはアーラがセトを連れていってくれたのなら、それは助かる。
だからという訳ではないが、この件をレイがギルドに報告するといったような真似はするつもりがなかった。
冒険者と軽く言葉を交わしてから、ギルドの敷地内から出る。
「お?」
大通りを見て、少しだけ驚きの声を上げるレイ。
何故なら、先程までクリスタルドラゴンの死体が飾られていた舞台が跡形もなく消えていた為だ。
とはいえ、土の魔法を使って作られた舞台だ。
同じ人物であれば、土の魔法を使うことによってあっさりとその舞台を消すことも出来るだろう。
またクリスタルドラゴンの死体を飾っていた時には何も起きないようにと、護衛をしていた騎士や冒険者達の姿も既にどこにもない。
ドラゴンローブのフードを被り、レイであると見破られないようにしながら、街中を歩く。
夜になったとはいえ、まだ宵の口だ。
祭りということもあり、まだ多くの屋台が並び、必死になって客を集めていた。
大道芸を行なっている者達もいる。
何軒か、レイが初めて見る屋台があったのだが、さすがに屋台に買いに行けば、自分が誰なのかというのを知られてしまう。
屋台の店主なら、レイだということを知っても自分の店で大量に買い物をしてくれるのなら、正体を明かしたりといったような真似はしないかもしれない。
だが、全ての店主がそのように気を利かせてくれるかどうかは分からないし、あるいは店主以外の客にレイの正体を知られる可能性もあった。
これが日中ならともかく、今は夜で祭りということもあり、酔っ払いも珍しくはない。
そうである以上酔っ払いが何をするのかというのは、それこそ予想するのも難しい。
屋台に寄るのと、自分がレイであると知られないようにすること。
どちらを優先するのかと言われれば、さすがにレイも後者を選ぶ。
……とはいえ、屋台から漂ってくるソースの焦げた香りはこれ以上ない程に食欲を刺激する。
日本で使われているのとは、また別のソース……具体的にはたこ焼き、お好み焼き、焼きそばといった料理で使われているのとは別のソースなのだが、違うソースであっても焦げる香りというのは食欲を刺激するのだ。
「家の方で、何か料理を用意してくれているといいけど。……一応、今日は俺の為の祭りなんだし、料理を期待しても悪くないよな?」
そんな風に呟きながら街中を進む。
そうして進んでいくと、当然の話だ貴族街が近くなり、通行人が少なくなる。
人が少なくなれば、ドラゴンローブのフードを被っているレイは怪しげにみられることも多くなってきた。
今のレイはセトを連れておらず、ドラゴンローブの隠蔽の効果によってその辺の安物のローブを着ているように見られている。
貴族街が近くなっており、その周辺には貴族ではないが金持ちの商人といった者達が住む地域だ。
だからこそ、そんな場所に今のレイの外見のような者がいれば、怪しく思う者が出て来てもおかしくはない。
「おい」
不意にそんな風に声を掛けられる。
怪しい相手に向けるような、厳しい言葉。
そんな相手にレイが視線を向けると、声を掛けてきた男は鋭い視線を向ける。
貴族街ではなく、この辺りの屋敷の警備をしている者なのだろうというのは、レイにも想像出来た。
今日が祭りだからこそ、祭りの騒動を利用して盗みに入るといったような者がいてもおかしくはない。
(それに……この辺りでちょっと前には色々とあったしな)
屋敷の地下にあった巨大な空間の事を考えつつ、レイは面倒はごめんだとフードを脱ぐ。
それでようやく相手もレイの顔をしっかりと見ることが出来たのだろう。
今日は雲も殆どなく、月明かりがレイの顔をしっかりと男の目で確認出来る。
このような場所で見回りをしていただけに、当然ながら相応に腕の立つ冒険者で、レイの存在についても知っており、その顔を目にして動きが止まる。
自分が一体誰に対して呼び掛けたのが、十分に理解したのだろう。
「あ……その、悪い。まさか、レイがここにいるとは思わなかったんだよ」
「だろうな。俺もフードで顔を隠していたし、気にするな」
謝ってくる男に対し、レイはそう告げる。
これが、もしいきなり攻撃をするといったような真似をしていれば、レイも反撃をしただろう。
だが、男は自分のやるべき仕事をきちんとこなしていただけにすぎない。
そうである以上、レイがそれを責めるようなことはしない。
もしレイがこの男と同じような仕事をしていて、夜に高級住宅街に安物のローブを着ているような人物が一人で歩いていれば、間違いなく声を掛けたのだろうから。
レイに声を掛けた男は、レイが許すと再び仕事に戻る。
それを見送ってマリーナの家に向かったレイだったが……祭りだということで、いつもより多くの人員が貴族街で見回りをしているということもあり、何度か呼び止められることになるのだった。