2643話
「おう、レイか」
倉庫の中に入ってきたレイを見て、床に広げた料理を食べていた親方がそう声を掛けてくる。
その料理は、祭りの屋台で売られている料理なのだろう。
倉庫の前にいた冒険者達にもギルド職員が屋台の料理を差し入れしていたのだから、倉庫の中にいる親方達にも同様に料理を差し入れしていてもおかしくはない。
だが、今日はクリスタルドラゴンの解体がある以上、料理を食べつつも飲んでいるのは水だけだ。
酒の類はそこにも存在しなかった。
それだけ、親方達にとってクリスタルドラゴンの解体というのは大きな意味を持つことなのだろう。
レイにしてみれば、そうして万全の状態で解体に挑んでくれるのは嬉しいので、そんな親方達の態度を見ても不満の類は何一つ存在しなかったが。
「ああ、ちょっと様子を見にきた。……どうやら、英気を養っているようで、何よりだ」
「当然だろう」
その言葉通り当然の事だといったように告げる親方。
いや、それは親方だけではない。他の者達もいつ解体が始まってもいいように、準備は整っていた。
「やる気満々なところ悪いけど、今はまだかなりの者達が舞台に飾られているクリスタルドラゴンの死体を見に来ているから、あれを持ってくるにはもう少し時間が掛かるな」
「……そうか……」
残念そうに呟く親方。
こうしてレイが倉庫に来たので、もしかしたらもうクリスタルドラゴンの死体を持ってきたのではないかと、そんな風に思ったのだろう。
だが、レイの口からそれが明確に否定されてしまい、残念そうに再び料理に手を伸ばす。
そうしながら、親方は改めてレイに視線を向け、尋ねる。
「なら、何をしにわざわざここに来たんだ?」
「居場所がなくてな」
「……ああ」
レイの言葉に、すぐにその意味を察した親方は短くそう声を返す。
そんな親方の様子に、やっぱり元冒険者なんだろうなと、レイは納得した様子を見せる。
「なら、暫くはここにいればいい。どうせ今ここに来る奴は……俺達の仲間くらいしかいないだろうからな」
「悪いな、ついでといってはなんだけど、これも食ってくれ」
謝礼代わりに、レイはミスティリングの中から焼きうどんを取り出す。
元々食べ物の香りが周囲に漂ってはいたのだが、その焼きうどんの香りもその中に混ざり……そして、焦げたソースの香りがギルド職員達の食欲を刺激する。
「うおっ、美味そうだな」
「美味そうじゃなくて、美味いんだよ。俺がわざわざ屋台で買いだめをしている焼きうどんだぞ? 不味かったり、いまいちの料理をそんな真似はしない」
「言うねえ。じゃあ、レイご自慢の焼きうどん……食わせて貰おうか」
幸い、屋台の料理を食べるためにフォークやナイフの類は揃っている。
焼きうどんが美味そうだと言った男が、フォークで早速焼きうどんを口に運ぶ。
フォークで巻き取るその食べ方は、焼きうどんというよりはパスタでも食べているかのようだったが、箸の類が存在しないギルムにおいては、焼きうどんというのはフォークで食べるものと相場が決まっている。
レイが日本にいる時に見た洋画では、カップラーメンをフォークで食べている光景があった。
あるいは、大泥棒の孫が主役のアニメでも、カップラーメンをフォークで食べているのを見た覚えがある。
そういう意味では、レイにとっては箸で食べるのが当然の料理であっても、海外ではフォークで食べるのが普通だと、そのように思うのは当然の話だろう。
そんな風にレイが考えている間に、他のギルド職員もそれぞれ焼きうどんを食べては、美味いと口にする。
それどころか、親方までもが焼きうどんを食べ、美味いとしみじみ呟いているのを見れば、それだけ焼きうどんが美味いと思われているのは間違いなかった。
(まぁ、中には焼きうどんというのは名前だけの焼きうどんもあるしな)
焼きうどんというのは、うどんを焼くからこそ焼きうどんなのだ。
それは料理名から考えても当然のことなのだが、屋台で焼きうどんを売っている者の中には茹でたうどんをそのまま鉄板の上に乗せ、すぐにソースを掛けて炒めた肉や野菜と和える……焼きうどんではなく、和えうどんとでも表現した方がいいような焼きうどんを出す店もある。
そういう料理も、別に食べられない訳ではない。
また、世の中にはきちんと焼くよりもそうやって和えた方が好きだという者もいるのだが、レイとしてはやはり普通の焼きうどんの方が好みなのは間違いない。
そんなしっかりと焼いた焼きうどんの中でもこうしてギルド職員達に出した焼きうどんは、レイが食べても間違いなく最高峰の味と断言出来るだけの焼きうどんだ。
これを食べて不味いと言う相手がいたら、その人物とレイの食の好みが合うといったことはまずないだろう。
「いや、これ本気で美味いぞ。こんな焼きうどんを出す屋台があったのか……最近は酒場とかでばかり食ってたからな。素直に見直した」
「おい、酒場でばっかりって……もう少し身体に気を遣えよな」
「そう言っても、忙しくて自分で料理を作る暇なんかないんだよ。……料理を作ってくれる人もいないしな」
最後の言葉に、気を遣えと言った男がそっと視線を逸らす。
不満を言った男に、恋人や妻がいないというのを十分に理解していた為だ。
そして、自分には恋人がおり、色々と世話を焼いて貰っている。
それが分かっている以上、ここで下手にその辺を突っつけば、面倒なことになると判断したのだろう。
だからこそ、恋人のいる男は話を逸らすべく、レイに向かって尋ねる。
「レイはアイテムボックス……ミスティリングだったか? それがあるから、食事で困るといったようなことはなさそうだな」
「そうだな。これがあればいつでも好きな料理を食べられるし、かなり重宝しているよ。ただ、ミスティリングの中に収納する料理を選ぶのは俺だから、その料理が美味いかどうかはしっかりと自分で確認しておく必要がある」
また、レイは口にしなかったが、自分で料理を選ぶということは、料理のバランスもきちんと自分で決める必要があるのだ。
肉料理だけ、魚料理だけといったような、バランスの悪い食事をするのは、身体に悪い。
もっとも、レイの身体は普通の人間ではなく、ゼパイル一門が技術の粋を凝らして生み出した代物だ。
多少栄養のバランスが悪いからといって、それが影響を与えるとは思えなかったが。
それでもレイとしては、自分の健康……身体の健康ではなく精神的な健康の為にも、出来るだけバランスのいい食事をするようには心掛けている。
それでも食べ盛りというのもあって、どうしても肉を中心とした料理になりがちではあるのだが。
「それに、ミスティリングがなくても、家に帰ればマリーナが毎日料理を作ってくれるしな。そのおかげで、偏った食事をしなくてもいい」
ギシリ、と。
倉庫の中の空気が軋むような音がしたのは、レイの気のせいではないだろう。
レイはその辺を全く気にしていなかったが、ギルド職員にとって少し前までギルドマスターをしていたマリーナというのは、非常に大きな意味を持つ存在だ。
その美貌に心を奪われていた者も多いし、その能力の高さやカリスマ性に心酔している者も多い。
そんなギルド職人達にとって、家に帰ればマリーナが料理をして待ってくれているというレイの状況は、非常に複雑な思いがあった。
羨ましい。これは勿論ある。
それどころか、その気持ちだけで羨ましさと妬ましさからレイに殴り掛かりたくなるような思いを抱いている者も、決して少なくはない。
畏怖。これも羨ましさ程ではないが、それでも全員が抱いている気持ちだ。
ギルド職員にとって特別な存在であるマリーナが、家に帰れば料理をしている。
それを普通に受け入れることが出来るレイという存在は、話を聞いていた者達にとっては畏怖すべき存在と思われてもおかしくはない。
親方ですら、レイの今の言葉を聞いて驚いていたのだ。
レイの口から出た言葉に、一体どれだけの説得力があったのか、それを見れば明らかだろう。
(となると、マリーナが俺の交渉役になったというのは、言わない方がいいのか? もしそれを言ったりしたら、今の様子からするとまた驚かれたりしそうだし)
この辺は、マリーナとの付き合い方の差というのが大きいだろう。
ギルド職員は、当然ながらギルドマスターであったマリーナを間近で見てきて、毎日のようにその能力の高さを実感してきた。
そのような日々の中、マリーナを自分よりも上位の存在として認識するようになったのだ。
それはマリーナを嫌うといったような意味ではない。
上位の存在であっても、皆がマリーナを慕っているのは間違いのない事実なのだから。
ケニーやレノラがマリーナと話しているのを見ても、それは明らかだろう。
ただ、そんなギルド職員達とは違い、レイはマリーナを自分よりも上位の存在ではなく、あくまでもマリーナ個人として認識している。
……マリーナがレイに惹かれた理由としては、その辺も大きく影響しているのだが、それはともかくとして。
そんなレイだけに、マリーナが料理をしたり、自分の交渉役になってくれたというのも、嬉しくは思うし助かってはいるが、恐れ多いとは思わない。
その辺の感覚が、ギルド職員としてマリーナの下で働いてきた者達とレイとの違いなのだろう。
「そう言えば、レイってマリーナ様の家で一緒に暮らしてるんだよな? どういう感じなんだ?」
「どういう感じって言っても……そうだな、マリーナの精霊魔法でかなり快適なのは間違いない。夏は涼しく、冬は暖かいといったように。何しろ、冬でも普通に中庭でゆっくり出来るしな」
羨ましい、と。
レイの言葉を聞いたギルド職員達はそう思う。
ギルド職員の給料はそれなりに高いし、ましてやここにいるのは解体を得意としている者達で、解体の仕事をすれば基本給の他に歩合制として給料が上がる。
それを思えば、ここにいる者達は高給取りなのは間違いない。
それだけに、快適な住居を探せばそこに引っ越すといったような真似も出来るし、あるいはマジックアイテムを購入して現在住んでいる場所を快適にするといった真似も出来る。
だが、それを理解した上でも、レイとしてはやはりマリーナの精霊魔法を使った快適さには敵わないと、断言出来た。
とはいえ、そのような真似が出来るのはあくまでもマリーナが突出した実力を持つ精霊魔法使いだからなのだが。
元々、魔法使いというのはかなり少なく、その中でも精霊魔法使いは更に少ない。
そんな少ない中で、マリーナ程に突出した技量を持つ精霊魔法使いは……いないとはレイも断言出来ないが、それでもそう簡単に見つかるような相手ではないと思える。
「マリーナ様の家って貴族街なんだよな? そっちの方で問題はないのか?」
「ない……と言いたいところだけど、ちょっと前にかなり大規模な殺人事件があったんだよな」
レイは貴族街で起きた殺人事件を思い出し、苦い表情を浮かべる。
その事件には、レイも関わっていない訳ではなく、思うところがあったのだろう。
親方はそんなレイの様子を見て何か気が付いたようだったが、料理を口に運ぶだけで特に何も言う様子はない。
「ふーん、やっぱり貴族ってかなり怖い連中なんだな」
「それは俺も否定しない。色々と貴族のやり方を見てきたし」
ギルド職員の言葉に同意するレイだったが、そんなレイは多くの貴族……特に後ろ暗いところがあるような者達からは、畏怖や恐怖の視線を向けられていた。
何しろ、相手が貴族であれば普通は何らかの遠慮をしたりするのだが、レイの場合は貴族の地位というのは全く気にせずに、その力を振るうのだから。
貴族にしてみれば、自分達の常識では全く理解出来ない存在といった認識だろう。
「でも、貴族街って安全なのは間違いないんだろ? よくギルドにも貴族街の貴族から、護衛や見回りの依頼がくるし」
それは、ギルド職員だからこそ知っている情報だった。
いや、正確には貴族街に出入りしていれば、多くの冒険者達が見回りをしたりしているので、ギルドに依頼がされているのは一目瞭然なのだが。
貴族に雇われて貴族街の見回りをしている者達は、それこそ様々な者がいる。
冒険者として普通の格好で見回りをしている者もいれば、雇った貴族から衣装の類を着て見回りをするように言われる者も多い。
ただし、貴族街の見回りということでギルドからの相応の信頼がある者でなければそのような依頼を受けることは出来なかったが。
レイはそんな風に考えながら、束の間の宴――酒はなし――を楽しむのだった。