2641話
「お疲れさま」
ギルドの二階にある執務室にレイが入ると、ソファに座って紅茶を飲んでいたマリーナが笑みを浮かべてそう言ってくる。
そんなマリーナに続いて、ワーカーとダスカーの二人もレイにそれぞれ声を掛ける。
レイは若干不満そうにしながらも、あれが必要なことだったと分かっているので文句は言わない。
もしあのままレイが何も言わずにこちらに来てしまっていた場合、ギルド職員達が一体どのように思ったのか。
普段であれば、疑問や不満を表に出すようなことはしないだろう。
だが、連日連夜書類仕事に追われ、その上で今日は祭りだ。
テンションが変な方向に振り切っていても、おかしくはない。
それだけに、普段しないような行動をしてもおかしくはない。
実際、ケニーはともかくレノラがあそこまでレイに迫るというのは非常に珍しい。
普段であればケニーのストッパー役なのだが、それがケニーと一緒にレイに向かってきたのだから。
とはいえ、レノラにとってはそれだけクリスタルドラゴンの死体が衝撃的だったということなのだろう。
「一階での出来事はともかく……レイも少し疲れただろうから、休め」
ダスカーに促され、レイはようやく気を抜く。
実際、そこまで疲れているという訳ではないのだが、あれだけの人の前に出るのは色々と負担だったのは間違いない。
今まであのような人前に出たことはない……訳ではないのだが、その時はレイではなくもっと別の相手が注目を浴びていることが多かった。
そうして十分程雑談を行い、レイが十分に休めたと判断したのだろう。
ダスカーは小さく咳払いしてから、レイに向かって口を開く。
「レイ、これでお前は今日からランクA冒険者だ。あの演説で喋ったように、ギルムを大事に思ってくれているお前がランクA冒険者になってくれて、嬉しい。だが、以前も言ったように今回の件は特例だ。その条件として、お前と貴族の間で交渉を行う人員を用意するという話は覚えてるか?」
ダスカーの説明に少し考え、レイは頷く。
そう言えばその件があった……と思い、不意にレイはマリーナの方を見る。
現在この執務室の中にいるのは、レイ、マリーナ、ダスカー、ワーカー。
そのうち、ワーカーはギルドマスターで、ダスカーは領主だ。
当然だが、どちらもレイの交渉役になれる筈がない。
そうなると、残るのはレイとマリーナ一人。
そしてレイは自分が交渉役……貴族との交渉役に向いていないというのは知っている。
そもそも、その為にダスカーやワーカーが特例として交渉役を用意する事になったのだから。
そんなレイの視線を向けられ、マリーナは満面の笑みを浮かべる。
「交渉役のマリーナよ。よろしくね」
そう自己紹介する様子は、あまりにわざとらしい。
そもそも、レイとマリーナは現在一緒に住んでいる仲なのだから、わざわざ自己紹介をする必要もない。
……もっとも、客観的に見た場合はレイがマリーナの家に転がり込んでいるという形で、見ようによってはヒモのように見えてもおかしくはないのだが。
「いつの間に……?」
「そうね、結構前かしら。そもそも、レイの交渉役ということは基本的にレイと一緒に行動することになるのよ? そうなった場合、その交渉役もパーティに入るということになるわ。いえ、無理にパーティに入らなくても、一緒に行動することになるわ」
マリーナの言葉に、レイは納得するしかない。
今までその辺を全く考えていなかったのだが、マリーナが言うように交渉役ともなれば、当然ながらレイと一緒に行動することになるだろう。
その辺の者に、レイと一緒に行動するといったような真似が出来る筈もない。
レイはその性格もあり、またそれが運命だとでもいうように、多くのトラブルに巻き込まれる。
レイが自分からトラブルに首を突っ込むことも、多いのだが。
ともあれ、そのようなレイだけに例え交渉に自信のある者であっても、実戦で使えないような者は足手纏いでしかない。
ダスカーやワーカーもそれが分かっているからこそ、マリーナを交渉役に選んだろう。
また、マリーナは元ギルドマスター……それもミレアーナ王国唯一の辺境であるギルムでギルドマスターをしていたというだけあって、有名人でもある。
実戦という点に関しても、元冒険者……いや、現在は冒険者に復帰しているので現役の冒険者ということで全く問題ない。
マリーナがどれだけの実力を持っているのかというのは、それこそレイはこれ以上ない程に詳しく知っている。
(唯一の心配は……)
レイの視線が紅茶を飲んでいるマリーナの美貌に向けられる。
マリーナの美貌は、絶世のという表現が相応しい。
また、パーティドレスで褐色の肌と女らしい豊かな曲線を露わにしている。
何よりも、非常に強力な女の艶がある。
貴族……それも相手の力量を察することが出来ないような貴族にしてみれば、マリーナを自分の妻に、愛妾に……もっと酷い場合は奴隷にしたいとすら思ってもおかしくはない。
マリーナが交渉役になった場合、その手の問題が起きるのは間違いなかった。
幾らマリーナが高い知名度を誇っていても、その辺を理解出来ない貴族というのは多い。
そのような者達にしてみれば、マリーナが美人であり、男の情欲を激しく刺激するというだけで、手を出そうと考えるには十分なのだ。
だからこそ、寧ろレイは自分が交渉するよりも、マリーナが交渉した方が色々と問題が大きくなるのではないかと、そんな風に思ってしまう。
「大丈夫よ」
レイの様子から、何を心配しているのかを理解したのだろう。
マリーナはレイを安心させるようにそう告げる。
「ダスカーとワーカーからは、いざという時には自分の身を守っても問題ない。そんな風に言われているから」
「それは俺としても嬉しいけど、それで交渉役が出来るのか?」
「その辺は私の腕次第ね。……私が信頼出来ない?」
そう言われると、レイとしては信頼出来ないとは到底言えない。
マリーナがどれだけ腕利きなのかというのは、それこそ一緒にパーティを組んでいるレイが一番知っているのだから。
そして実際、精霊魔法を使えばマリーナを力づくでどうにかしようとする相手であっても、上手い具合に対処出来るだろうというのは、理解出来る。
理解出来るのだが……だからといって、それでレイが平気かと言えば、嘘になる。
しかし、それでも今の状況でマリーナに交渉役を止めろとは言えない。
もしレイが止めろと言っても、マリーナは絶対にそれを受け入れないだろうと、そう理解出来たからだ。
何より、レイがランクAに昇格したのは、あくまでも交渉役がいるという前提での話だ。
もしマリーナを交渉役から降ろさせた場合、新たな交渉役をどうするのかといった問題もある。
そうなれば、最悪レイのランクAへの昇格も取りやめとなる可能性があった。
あれだけ大々的にレイの昇格を発表したのだ。
そんな状況でレイの昇格が取りやめになった場合、ダスカーだけではなく、ワーカーや……それ以外にも、今回の特例措置を行う為に協力してきた多くの者達の顔に泥を塗ることになる。
とてもではないが、マリーナがそんなことを受け入れるとは、レイには思えない。
(そうなると……結局俺に出来るのは、マリーナに交渉役を任せるということだけか。その上で、貴族からの依頼は出来るだけ受けないようにして、もしくは受ける場合でも前もって問題ない相手かどうかを調べるとか……そういう風にすればいいのか?)
幸いにして、レイはエレーナという仲間がいる。
貴族派を率いるケレベル公爵家の令嬢でもあるエレーナは、当然ながら貴族派以外の貴族についても詳しい。
この場合は、正確には国王派の貴族については、と表現すべきか。
レイがダスカーの懐刀であると知られている以上、中立派の貴族がそんなレイの仲間に妙な真似をするとは思えない。
(ああ、そうなると……あるいは、無理矢理に問題を起こしてそれを理由として俺……いや、ダスカー様の問題にしようとする奴も出て来るのか。まぁ、マリーナを交渉役にするというのが決まった以上、当然その辺についても考えた上での話なんだろうけど)
そんな風に考えつつ、レイは改めてマリーナに向かって口を開く。
「いいんだな?」
それは、最後の確認。
そしてマリーナは、そんなレイの言葉の意味を十分に理解した上で、頷く。
「ええ。この件は私が自分で決めたのよ。それに、レイと一緒にいるんだから、このくらいはしてもいいでしょ?」
「……分かった。俺はこれ以上は何も言わない。マリーナが交渉役として動いてくれるのなら、俺にとっても助かるのは間違いないしな」
そんなレイの言葉を聞き、ダスカーとワーカーは安堵した様子を見せる。
ダスカーとワーカーにとって、レイがランクA冒険者としてやっていける為の交渉役として、考えられるのはマリーナしかいなかった。
レイと近しい存在で、同じパーティであるというのも、この場合は大きい。
ダスカーとは友好的な関係を築いているレイだが、レイがかなり気難しい性格をしているというのは、明らかだ。
ダスカーであるからこそ友好的な関係を築いてはいるものの、それはかなり珍しい。
いや、勿論レイもダスカー以外との貴族とも友好的な関係を築いている相手がいるので、別にダスカーだけではないのだが。
「ふむ、交渉役に関してはこれでいいとして……レイは騒ぎが収まるまで、暫くエグジニスに行くんだったよな? ……言ってもしょうがないけど、出来るだけ騒ぎは起こさないでくれよ。エグジニスは特殊な街だからな」
ダスカーの口調は、レイが自分からトラブルに首を突っ込むことを決定しているかのようなものだ。
レイとしてはそんなダスカーに対して何かを言おうとするものの、今までの自分の行動を思えば何も言えないのは事実だ。
レイが自分から首を突っ込んだ訳ではなく、トラブルの方からレイに向かってやって来るといったことも多いのだが。
「ゴーレムに関しては、少し興味があるんですよね。高額でも、それなりに購入出来るでしょうし」
これは嘘ではなく、真実レイが思っていることだった。
元々マジックアイテムに対しては強い興味を抱いているレイだ。
そしてゴーレムも当然のようにマジックアイテムである以上、レイがそれに興味を示すなという方が無理だった。
もっとも、レイが欲しているのは、あくまでも使えるマジックアイテムだ。
例えば、戦いの中で相手の注意を引き付けるような動きをしたり、意表を突いたような動きをして不意打ちが出来たりといったような。
あるいは、戦いでは使えなくても日常生活で使える便利そうなゴーレムの類でもいい。
レイにしてみれば、飾っておくだけのようなマジックアイテムには興味がない。
「ふむ、レイなら……そうかもしれんな」
ダスカーもまた、レイがマジックアイテムについて強い興味を持っているのは知っているので、レイがエグジニスに興味を持つのには十分に理解出来た。
「エグジニスはゴーレムが有名だが、それ以外にもマジックアイテムがそれなりに豊富にあるらしい。そういう意味でも、レイにとってはいい場所かもしれんな」
「エグジニスという街を知った時から、興味深い思いはありましたから。ダスカー様の言うように、向こうで何かいいマジックアイテムがあれば是非買ってきたいと思います。他にも、名物料理なんかもあれば食べたいですね」
料理という点では、ギルムは辺境ということで多くの者が集まり、それぞれの地方の料理を味わうことが出来る。
ましてや、今は増築工事の一件でより多くの者が集まってきており、より多くの種類の料理を食べる機会があるのは間違いなかった。
とはいえ、そのような者達の多くは増築工事で働いているので、たまの休日に仲間内で料理を作ったりはするが、屋台を出して大々的に売るといったようなことは滅多にない。
何らかの理由で、少しでも金を稼ぎたいと思っているような者でもいれば、また話は別だったが。
「ふむ、料理か。……では、何か珍しい香辛料があったら、その種を入手してきて欲しい。ああ、勿論可能ならでいい。それは高く買い取らせて貰おう」
「エグジニスに香辛料……? まぁ、探してみますけど」
ダスカーが何を考えているのかは、レイにも分かる。
現在ダスカーの下には、植物の生長を促すことが出来る緑人達がいる。
そして緑人達に香辛料を作って貰って売るというのを、ダスカーは考えていた。
実際、既に街中にはある程度の香辛料が売られている。
だからこそ、多種多様な香辛料の種を欲しているのだろうと、そうレイは納得するのだった。