2638話
舞台の前に用意された台の上に、ダスカーが上がる。
台とはいえ、幾ら何でもその辺の店にある木の箱を持ってきて使っている訳ではない。
ダスカーが乗るのだから、相応の作りになっているのは当然だ。
ましてや、レイが昇格試験に合格したことを発表する式典という一面もあり、レイが倒したクリスタルドラゴンの死体を公開する場でもある。
それは結構な大きさの台で、立つ場所にもかなりの余裕がある。
……レイがダスカーと並んでそこに並ぶのだから、そうなるのは当然の話だろう。
「さて、諸君。忙しいところよく集まってくれた。……もっとも、何故このような場所に私がいるのか、分からない者も多いだろうが」
台の上に立ったダスカーの声が周囲に響く。
集まっている者の数は、今となっては既に数百……いや、千を超えていてもおかしくはない。
それでもダスカーは、特にマジックアイテムの類を使っていないにも関わらず、その場に集まっている全員の耳に声が届くように声を発していた。
舞台の周辺にいる群衆……いや、既に観衆と化した者達は、そんなダスカーの言葉に耳を傾ける。
そんな中でも何人かが怪しい動きをしているのだが、その周辺には既にエッグの部下がそれとなく待機している。
エッグの部下ではあっても、そこまで腕の立つ者ではない。
あくまでも一般人に紛れて行動をするのが主である為に、怪しい動きをしている者達からは特に警戒されていない。
それでも、何人かは警戒している者もおり、そのような者達は腕が立つ証といえた。
「既に知っている者もいるだろうが、深紅の異名を持つランクB冒険者のレイは、これまでこなしてきた依頼の件から、特例として昇格試験を受けて貰った。……だが、この特例というのは、決して特別に簡単な試験という意味での特例ではない。皆も知ってるだろう、魔の森で二泊三日し、ランクAモンスターを最低二匹以上倒すという、極めて危険な試験だ」
それがどれだけ危険な昇格試験なのかは、冒険者が多数いるこのギルムだからこそ、多くの者が理解出来た。
また、冒険者ではなくてもギルムに住んでいる者であれば、魔の森について少なからず聞いた経験があってもおかしくはない。
そのような者達の多くは一般人なので、具体的に魔の森がどれだけ危険な場所なのかというのは分からないものの、それでも危険な場所であるということだけは理解していた。
「そして……レイは無事にその試験を突破した!」
『おおおおおおおおお』
ダスカーの言葉に、観衆達の口から驚きの声が上がる。
既にレイがギルムに戻り、それに合わせたように祭りの準備をしていた事から、多くの者は既にレイが昇格試験に合格したというのは想像していた。
……だが、そんな中でも少数の、レイの不合格に賭けて、その上で今のような状況であってもまだ賭けで勝つことを諦めていなかった者達は、ダスカーの口からレイが昇格試験に合格したといった話を聞いて悔しそうな声を漏らす。
「では、紹介しよう。……今日をもってランクA冒険者となる、深紅のレイだ!」
『わああああああああああああああああああああ』
ダスカーの言葉に促され、ワーカーと共に台の上に上がるレイ。
少し離れた場所では、マリーナが笑みを浮かべてそんなレイを見ており……台の上に上がったレイは、観衆の中にヴィヘラの姿を発見し、観衆から少し離れた場所には見覚えのある馬車を見つける。
ヴィヘラはともかく、馬車は一瞬気のせいではないかとすら思ったが、マジックアイテムとしても一級品で、更には馬車を牽いている馬も見るからに訓練され、一種異様な迫力を持つとなれば……そんな馬車は、エレーナの持っている馬車しかない。
何より、御者台の上にアーラがいるのを見れば、その辺は明らかだ。
だとすれば、ヴィヘラの側にはビューネの姿があるのは恐らく間違いないだろう。
つまり、レイの仲間の全員がこの式典を見に来たのだ。
それはレイにとっても嬉しいが、同時に若干の照れ臭さも感じてしまう。
とはいえ、そんな嬉しさも照れ臭さも、今は表情に出すような真似はしない。
台の上に立ったレイの横で、ワーカーが口を開く。
「知ってる方もいると思いますが、私はギルムのギルドマスターを務めているワーカーと言います。そして、ギルドマスターの名において、レイが昇格試験に合格してランクA冒険者になったことを宣言します」
『わああああああああああああああああああああ!』
ワーカーの宣言に、再び観衆達が歓声を上げる。
ダスカーの言葉でも十分大きな衝撃だったが、今度はギルドマスター直々の宣言だ。
……普通に考えれば、ギルドマスターと領主では領主の方が地位は上だ。
しかし、今回の場合はあくまでもレイの……ギルドに所属している冒険者のレイが昇格したのだから、それをギルドマスターが宣言するというのは、観衆達にも改めてレイが昇格したのだということを示すには十分だった。
「さて、では……レイから何か一言貰いましょうか」
え? と、ワーカーのその言葉に、レイは驚きの表情を浮かべる。
当初の予定では、自分が挨拶をするといったようなことは全くなかったからだ。
だというのに、ワーカーは全く躊躇せずレイに向かって一言……つまり、挨拶をしろと言ってくる。
レイにしてみれば、完全に予想外の展開だった。
(サプライズは、クリスタルドラゴンの死体だけで十分だと思うけどな)
そう思うものの、こうして式典を行ってランクA冒険者への昇格を宣言されたのだから、レイにも挨拶をするようにと言ってきても、おかしくはない。
とはいえ、レイはこういう場での挨拶は決して得意ではない。
何を言うべきかと迷い……取りあえず適当でいいかと判断する。
「今日からランクA冒険者となったレイだ。知ってる者も多いだろうが、俺はこのギルムを拠点として活動している。それだけに、ギルムという場所には強い愛着がある。また、ギルムというのは俺にとっても非常に暮らしやすい場所だ。これからもギルムで冒険者として活動していくので、温かく見守って欲しい」
特に何か挨拶する言葉を考えていた訳でもないので、レイの口から出たのは即興で考えた言葉だ。
だが、即興で考えた言葉だからこそ、レイの素直な思いがあったのも間違いない。
レイにしてみれば、若干照れ臭くあったが……そんなレイの言葉に、観衆達は一人、二人と拍手をしていき、やがてその人数は加速度的に増えていく。
この観衆達の多くも、ギルムの住人だ。
あるいは増築工事で仕事を求めてやって来た者も多かったが、そのような者達も感激させるには十分な言葉だったのだろう。
「ありがとう、レイの気持ちが素直に出た、素晴らしい挨拶だった」
そう言い、ワーカーはレイに向かって何かを差し出す。
それを受け取ったレイは、一体何だ? と疑問を抱くも……それがギルドカードであることを理解すると、納得する。
それは、ただのギルドカードではない。
ランクA冒険者としてのギルドカード。
今までであれば、持っているギルドカードをギルドに渡し、それを更新する形で次のランクのギルドカードを受け取ってきた。
だが、ランクA冒険者のギルドカードとなれば、やはりランクB以下の冒険者のギルドカードとは違うのだろう。
「ランクBのギルドカードは、後で受け取る」
その言葉は、レイだけに聞こえるように言う。
レイもワーカーの言葉に異論はないので、素直にその言葉に頷く。
「さて……レイの昇格に関しては、この辺でいいだろう。次の話題に移るとしよう」
ワーカーとレイのやり取りを見ていたダスカーだったが、それが一段落したと見ると、再びダスカーが口を開く。
「皆も、私の後ろにある舞台……それを覆っている何かについて、興味を持っている者もいるだろう」
ダスカーが新たにそう告げたことで、観衆の視線がダスカーの背後にある何かを見る。
マリーナの精霊魔法によって、現在舞台に飾られているクリスタルドラゴンの死体を見ることが出来ない。
当然ながら、ダスカー達の背後にある舞台については、多くの者が興味深そうにしていた。
しかし、今の状況を考えると、まずはレイの昇格試験について興味を向けた者が多かったのが……こうして、改めてダスカーの口からそのようなことを言われれば、そちらに興味を抱く者が多くなるのは当然だろう。
ダスカーも、それを承知の上でこうして言葉に出したのは間違いない。
「レイは、魔の森で多くのモンスターを倒してきた。だが……ここで私がそう言っても、素直に信じられない者もいるだろう」
そんな話を聞きつつ、レイは微妙な表情を浮かべる。
いつもは俺という一人称を使うダスカーが、今は私という一人称を使っているのに、どこか違和感があるのだ。
勿論、人前で話す以上は当然のことなのかもしれないが、普段のダスカーを知っているだけに、やはり違和感を覚えてしまう。
とはいえ、そんな風に思っているのはレイだけらしく、ワーカーは特に表情を変えないまま、ダスカーの話を聞いていた。
「そこで、この舞台には一匹だけだが、レイが魔の森で倒してきたモンスターの死体が置いてある。これを見れば……そしてこのモンスターをレイが倒したとなれば、レイがランクA冒険者として相応しい実力を持っていると、疑う者はいない筈だ」
ダスカーの宣言……いや、断言に多くの者達の期待が高まっていく。
ダスカーがここまで言うのなら、舞台の上にいるモンスターの死体とは、一体どういうものなのだろうと。
そんな期待の視線を受けながらも、ダスカーは言葉を続ける。
「だが、注意して貰いたい。この舞台の上にある死体は、非常に大きな迫力を持つ。気の弱い者は、ここで死体を見ずに帰っても、それで責める者は誰もいないだろう」
ダスカーの口から出たのは、一種の警告。
しかし、それは警告であると同時に観衆の期待を煽るものでもあった。
ギルムにいる以上、多くの者が大抵の光景を見ても簡単に驚いたりといったような真似はしない。
領主のダスカーは、当然のようにそれを知っている筈だった。
にも関わらず、こうしたことを口にするのだ。
それは色々と怪しめと言ってるのと同じことだろう。
それだけに、ダスカーの言葉を聞いてもその場から立ち去る者はいない。
レイの昇格についての公表で、気分の高揚している者が多いというのもあるのだろう。
冒険者でもなければ、誰がランクA冒険者であるのかというのは、そう分かるものではない。
だが、レイはこうしてダスカーやワーカーが公開した以上、間違いなくランクA冒険者なのだ。
……もっとも、レイの場合は昇格試験の件がかなり広まっていたので、今更の話ではあるのだが。
それでも、何だかんだとギルムの住人とレイの付き合いはそれなりに長いし、深い。
特にレイは食堂や屋台を主として、それ以外の店でも色々と纏め買いをすることも多く、そういう意味でも顔が広い。
あるいは、半ばギルムのマスコットと化しているセトの飼い主という意味でも有名か。
誰も立ち去らないのを見て、ダスカーは愕いた様子を見せる。……勿論、演技だが。
「これは驚いた。まさか、全員がこの場に残るとは思わなかった。だが、いいか? 私は既に忠告した。それを知った上でこうしてここに残る以上、何かあってもそれは自己責任となる。……それで構わないのだな? 繰り返して言うが、自分が気弱だと思っているのなら、立ち去った方がいい」
改めてそう告げるダスカーだったが、それでも誰も立ち去らないのを確認すると、大きく頷く。
「では、後悔をしないように注意して見るがいい!」
そう言いながら、大袈裟に手を振りつつマリーナに視線を向けるダスカー。
マリーナはその合図を前に舞台を覆っていた何かを精霊魔法で消滅させる。
もしこれでマリーナが精霊魔法を解除しなければ、ダスカーは道化となっていたのだが……マリーナも、別にダスカーが嫌いな訳ではないので、そのような真似はしない。
そうして、舞台が露わになり……そこに存在したのは、クリスタルドラゴンの死体。
それも、ただ死体が置かれているだけではなく、マリーナの精霊魔法によって本来なら切断されている部位もしっかりとくっついているように見え、躍動感に溢れている。
それこそ、もしかしたらこのままクリスタルドラゴンの死体が動き始めるのではないかと、そう皆が思ってもおかしくはない、そんな光景。
事実、何人かの観衆がそんなクリスタルドラゴンの死体を見て悲鳴を上げようとし……それを遮るように、ダスカーが口を開く。
「レイが魔の森で倒した、ランクSモンスター、クリスタルドラゴン! 今までみつかったことのない、新種のドラゴンだ!」
そんなダスカーの言葉に、悲鳴を上げようとした者達は思わず口を閉じ……そして次の瞬間、観衆達の口から周囲一帯どころか、ギルム全体に響き渡るのではないかと思えるくらいの歓声が上がるのだった。