2632話
領主の館から出たレイは、予想通り料理人から料理を貰って嬉しそうにしていたセトと共にギルドに向かう。
途中で何人もから声を掛けられつつも、レイとセトはギルドに到着したのだが……
「これは、また……」
「グルゥ……」
レイが驚きの声を発し、その隣ではセトもまた同様に驚いていた。
ギルドの前には、巨大な舞台が用意されていたのだ。
それがクリスタルドラゴンの死体を公開する為の舞台であるというのは、見れば分かる。
しかし、よく見知っている場所に突然このような舞台が出来たとなれば、それに驚くなという方が無理だった。
舞台その物は、そこまで派手なものではない。
それこそ、改めて見れば驚くような物ではないのだが……それでもやはり、こうして見ると驚いてしまう。
当然だが、そんな舞台があるということでギルドの前を通る者達にとって通行の邪魔ではあるようだったが、幸いなことにギルドの前の通路はかなりの広さを持つ。
だからこそ、舞台が用意されたというのもあるのだが。
「えっと、いつもの場所は舞台で使えなくなっているから……そうだな、邪魔にならない場所、それでいて舞台の側じゃない場所でゆっくりとしていて貰えるか?」
「グルルルゥ」
レイの言葉に、セトは若干落ち着かない様子を見せながらも、自分が寝転がっていても問題がない場所を探す。
セトにしてみれば、やはりいつも自分が寝転がっている場所が舞台によって使えなくなっているというのは、若干思うところがあるのだろうが。
そうしてセトが舞台からも少し離れた場所に歩いていくのを眺め、レイもまたギルドに入る。
いつもであればかなりの人数がいるのだが、今日のギルドの中には人の数は少ない。
今日は祭りということで、増築工事も緊急の物を含めて全て休みとなっている。
増築工事以外の、普通の依頼は問題なく受けることが出来るが、現在ギルムにいる冒険者の多くは増築工事を目当てにした者が大半だ。
そういう意味では、こうして珍しく空いているギルドに来ることが出来たのは悪いことではなかった。
(何年か前はこれが普通だったと思うんだけど、あの寿司詰め状態に慣れてしまうと、この状況はかなり空いているように思えてしまうな。この辺は増築工事が一段落すればどうにかなると思うけど)
そんな風に改めてギルドの中を見ると、ギルドに併設されている食堂の方には朝……早朝に近い時間帯だというのに、既に結構な人数がいて、酒を飲んでいる。
あるいは祭りの前祝いということで、昨夜から宴会をやっているのかもしれないが。
今日は休みである以上、レイはそれに対して何かを言うつもりはない。
そのままギルドのカウンターに向かう。
「レイさん、おはようございます。話は来ていますから、ちょっと待って下さいね。担当の方を呼んできますので」
レイの姿を見つけたレノラは、そう言うと処理していた書類をその場において、カウンターの奥に向かう。
こちらもまた増築工事が休みの為か、書類仕事はいつもより幾らか楽そうに見える。
「レイ君、おはよう。今日は早いわね」
レノラがいなくなった為か、ケニーは笑みを浮かべつつ、レイにそう声を掛ける。
いつもなら、こうしてレイに話し掛けているのを見られれば、レノラから仕事をしなさいと言われ、あるいは書類を丸めて叩かれる。
しかし、今はそんなレノラはいないので、ケニーは思う存分――レノラが戻るまでだが――話すことが出来た。
「ああ、祭りの件でちょっと」
「ああ。表の舞台の。……何をやるのかは、何となくしか聞いてないけど、レイ君も今日は忙しくなりそうね」
「そうだな。残念ながら……って言い方はどうかと思うけど、確かに忙しくなりそうなのは間違いない。今も表の舞台でちょっとした確認をしたら、また領主の館に戻らないといけないし」
すぐにまたいなくなるというレイの言葉に、ケニーは残念そうな表情を浮かべる。
「えー、出来ればレイ君と一緒に祭りを見て回りたかったのにな」
そう言った瞬間、周囲にいた他の受付嬢やカウンターの向こう側で仕事をしていたギルド職員達が、ジト目を向ける。
幾ら今日は祭りでそこまで忙しくないとはいえ、それでも今までに溜まった書類はかなりある。
いつもより仕事が少ないからこそ、出来れば今日のうちに溜まっていた書類を全て片付けたいと思うのは、今のギルド職員としては当然の話だった。
そんな中でケニーがレイと一緒に祭りに行きたいといったようなことを口にしているのだから、不満を持つ者がいるのは当然だろう。
レイにしてみれば、書類仕事ばかりをやっていても集中力が続かないのだろうから、多少は気分転換も必要だと思うのだが。
実際、ダスカーも今日はクリスタルドラゴンの死体を見に来ると言っていたのだし。
とはいえ、それはあくまでもレイがそのように思っているだけの話であって、他の者がどう思っているのかは、また別の話だ。
特にギルド職員達は、毎日毎日、夜遅くまで仕事をしており、家には寝に帰るだけ……そうして起きれば、身支度をしてすぐにまたギルドに来て仕事をするといったような、日本であればブラック企業に認定されてもおかしくはない毎日をすごしていた。
とはいえ、残業した分の給料はきちんと出るし、それどころか特別ボーナス的な報酬すら出る。
ギルドマスターのワーカーとしては、しっかりと働いた分に見合う給料は支払う必要があると、そう認識していたのだろう。
実際、ここ数ヶ月ギルド職員達が貰っている給料は、通常の時とは比べものにならない程に多くなっている。
……問題なのは、仕事仕事仕事で、幾ら高額の給料を貰ったとしても、それを使う暇がないということなのだろうが。
「コホン」
びくっ、と。
自分のすぐ後ろから聞こえてきた咳払いに、ケニーは恐る恐る後ろを向く。
そこには、満面の笑みを浮かべたレノラの姿があった。
レノラの隣には魔法使いが一人いたのだが、そんな相手に気が付く様子はない。
それだけ、レノラの浮かべている満面の笑みが怖かったのだろう。
「ケニー、仕事は?」
「……分かってるわよ」
レノラの指摘に、不承不承仕事に戻るケニー。
そんなケニーに呆れの視線を向けつつ、レノラはレイに自分の隣にいる魔法使いを説明する。
「レイさん、こちら魔法使いのイーガルさんです。舞台の用意は、全面的にイーガルさんがやってくれたんですよ」
「どうも。その……イーガルです」
レイに向かって頭を下げるイーガル。
ローブに杖と、典型的な魔法使いらしい格好をしている二十代の男だ。
ただし、どこか気弱そうな印象を受ける。
「俺はレイだ。よろしく頼む。……じゃあ、早速舞台の方で調整をやりたいと思うんだが、構わないか?」
「はい。よろしくお願いします。精一杯やらせて貰いますね」
気の弱そうな様子を見せるイーガルに、レイは本当にこの男がダスカーの部下なのか? とも思う。
同時に、ギルドの前に用意されていた舞台を作った人物なのか、とも。
(というか、ギルドの奥の方からやって来たってことは、もしかして俺が来るまでギルドの書類仕事をやっていたのか? 自分から進んで手伝ったのか、気の弱さから断れなかったのか、その辺は分からないけど)
ギルド職員が処理している書類は、当然だが部外者に見せてはいけない物も多い。
だが、部外者が見ても問題がないような書類の類も当然のようにあり、イーガルはそのような書類を任されていたのではないか。
レイはそんな風に予想するが、特に指摘するようなことはしない。
イーガルは気弱そうに見えるが、それでもダスカーの部下なのは間違いない。
それだけにギルド職員も当然のようにそれについては考えている筈であり……何より、レイにしてみれば結局は他人事だ。
本当に嫌なら、それを断るくらいのことはするだろうと、そう判断したのだ。
「じゃあ、表に出るか。詳しい打ち合わせは、ここじゃない方がいいだろ」
「分かりました」
「では、私はこの辺で失礼しますね。レイさん、イーガルさん、頑張って下さい。今日の出し物、楽しみにしていますので」
そう告げるレノラの言葉に、イーガルは照れた様子を見せてて頷く。
(あれ? もしかして……)
何となくイーガルが何故ギルドの仕事を手伝っていたのかを理解したレイは、笑みを表情に出さないようにする。
今の様子を見る限りでは、ほぼ間違いなくイーガルはレノラに気があるのだろう。
前々からそうだったのか、それとも今日ギルドでレノラと会って一目惚れしたのか、その辺りの事情はレイにも分からない。
それに、レノラは顔立ちが整っており、美人というよりは可愛いといった表現の似合う人物だが、それだけにギルドでも人気は高い。
それこそ、何とかレノラを口説きたいと考えている冒険者は幾らでもいる。
……とはいえ、それは別にレノラに限った話ではない。
美人度ではレノラよりも上で、体型もより女らしいケニーも……それ以外の受付嬢達も、冒険者達から口説かれることは珍しいことではなかった。
寧ろ男から見向きもされないようになれば、その場合は受付から外される可能性が高まってしまう。
ギルドの受付とはそのような者達なのだから、見るからに気弱そうなイーガルが、レノラに優しくされて惚れるというようなことがあっても、おかしくはない。
(とはいえ、上手くいくのは難しいけどな)
受付嬢達は大勢の冒険者に口説かれるが、そう簡単に誘いに乗るようなことはない。
身持ちが堅い者が多いのだ。
……ケニーの場合は、レイが口説けば身持ちの堅さというのは何なのかといったような具合に、あっさりと口説かれてしまうだろうが。
ともあれ、そんな訳でそう簡単に口説かれるといったようなことはないので、イーガルがレノラを口説ける可能性は、かなり低いだろう。
そんなことを考えながら、レイはイーガルと共にギルドを出る。
「うわ……」
ギルドから出た瞬間、夏らしい熱気が襲ってくる。
そんな熱気に声を上げたのは、当然だがイーガル。
レイの場合はドラゴンローブの簡易エアコンのおかげで、夏の日中でも全く暑くはない。
「まず聞きたいのは、舞台はこれで限界なのか? それとももっと広くすることも出来るのか?」
「出来ます。ただ、あまり舞台を広くしすぎると、ギルドの前を通る人の邪魔になるので、出来ればこの広さでお願いしたいのですが」
「……この広さか」
イーガルの言葉に、レイは改めて舞台の上を見る。
ざっと見た感じでは、広さ的に問題はないように思えた。
だが、それはあくまでも今こうして見ての話であって、実際にクリスタルドラゴンの死体を出してみた時に、どうなるのかは分からない。
(こうなると、首とかが切断されているのは結構痛いよな。その分場所を多く使うことになるだろうし)
クリスタルドラゴンの死体をどう設置すればいいのかを考え……取りあえず、まずは実際に出してみた方がいいと判断する。
「イーガル、この舞台を土の壁で覆ってくれ。一度クリスタルドラゴンの死体を出してみる。出来るんだよな?」
「はい、その辺は問題なく出来ますけど、高さはどうしましょう?」
「余裕を持って……そうだな。ギルドの屋根くらいの大きさにして欲しい」
幾ら周囲から見えないように土壁で目隠しをしても、土壁の高さが低ければ意味はない。
それこそ、壁に収まらなかった部分をギルドの外にいる連中に見られてしまうだろう。
レイがクリスタルドラゴンの死体を公開するというのは、既にそれなりに知られていることではあるが、それはあくまでも知る人ぞ知るといった程度でしかない。
大半の者達は、未だに今日の祭りのメインが何なのか……この舞台の上で何が行われるのかというのは、知らない。
それだけに、出来ればレイもそんな相手に実際に出し物を公開した時に驚くのならともかく、公開する前の準備の時にクリスタルドラゴンの死体の一部を見せて、ここで何を準備しているのかといったことを、知らせたくはない。
だからこそレイは慎重に舞台を土壁で包み込むように、イーガルに頼んでいるのだ。
「それは構いません。ですが、その場合は土壁はかなり脆くなりますよ? 風ではどうにもなりませんけど、誰かがぶつかれば崩れる程度に」
「そうなったらそうなったで、構わない。出来ればそうなって欲しくはないけどな」
「……レイさんも土魔法を使うんですよね? なら、レイさんがやった方が安心かもしれませんよ」
イーガルの言う土魔法というのは、デスサイズが持つ地形操作のスキルのことなのは、レイも分かっていた。
だが、それを承知した上で、今回の一件に関してはイーガルに任せようと考え、首を横に振ってイーガルに土壁を作るように要請するのだった。