2631話
祭りの当日……少し早めに起きたレイは、ヴィヘラと模擬戦を行い、食事をして身支度をすませると、領主の館に向かう。
セトと共に街中を歩いていたのだが、まだ早朝だというのに、いつもより多数の人々が既に色々と作業を行っていた。
「グルルゥ」
そんな様子を見て、レイの隣を進むセトは不思議そうに首を傾げる。
現在の時刻は、午前六時少し前といったところ。
夏なので既に明るいが、これが冬であればまだ暗いような時間の筈だった。
そんな時間にこうして多数の人々が外に出て作業をしているのだから、セトが疑問に思うのも当然だろう。
レイはセトを撫でながら、口を開く。
「今日は祭りだからな。今こうして動き回ってるのは、屋台だったりそれ以外にも何らかの出し物をする奴だったり……祭りで楽しむ側じゃなくて、楽しませる側に回る連中だ」
「グルゥ? グルルルゥ、グルルルルルゥ?」
祭りなのに、自分が楽しむんじゃなくて、楽しませる側に回るの? と疑問に喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトの様子に笑みを浮かべながら、説明を続ける。
「祭りには楽しむだけじゃなくて、楽しませる……人を喜ばせるのを楽しみにしてる奴もいるんだよ」
そう言うレイだったが、実際にはそれ以外にも祭りで楽しませる側に回る理由のある者は多い。
祭りともなれば気分が高揚し、財布の紐も緩む。
具体的には、キャベツが大半で肉が少ししか入っていない焼きそばや、幾つかはタコが入っていないたこ焼きといったような料理が普段よりも高値で売られていても、雰囲気に流されて購入してしまうくらいに。
だからこそ、屋台の稼ぎで生活をしている者にしてみれば、祭りというのは稼ぎ時なのだ。
あるいは何らかの理由で在庫が多数ある品物を高値で売り捌いたり……そういう者達にとって、祭りというのは非常にありがたいイベントだった。
とはいえ、セトにその辺については説明しない方がいいだろうと判断しながら、レイは歩き続ける。
そんな中、屋台の準備をしていたり、露天に商品を並べたり、大道芸の準備をしているいるような者達がレイとセトに気が付き、それぞれに感謝の言葉を口にする。
この祭りが何の為に行われたのか、それを知っているからこその、そのような行動だろう。
レイはそんな相手に簡単に返事をしながら、セトと共に領主の館に向かい……
「おう、レイ。待っていたぞ。ダスカー様が待ってるから、中に入ってくれ」
門番の一人が、レイの姿を見ると即座にそう声を掛けてくる。
レイが来たらすぐ中に通すようにと、言われていたのだろう。
「セト、じゃあ俺は行ってくるけど……いつものように少し待っててくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
セトが領主の館で待つということは、中庭で待っているということだ。
そして中庭で待つということは、料理人達から色々と料理を貰えるということでもある。
レイにしてみれば、そんなセトの様子は羨ましいと思えてしまう。
とはいえ、レイがセトと一緒に中庭に向かうといったような真似は出来ない。
今日レイが領主の館に来たのは、レイが祭りに参加する件……具体的には、レイが昇格試験を合格したのと、それに誰もが文句を言わせないようにレイが倒したクリスタルドラゴンの素材を見せつける為なのだから。
魔の森で二泊三日……その間に最低でも二匹以上のランクAモンスターを倒すという、普通に考えれば非常に難易度の高い昇格試験ではあったが、これはレイが悠長に本来のランクAへの昇格試験を受けているような時間はないから、ということで行われた試験だ。
本来の試験ではないだけに、幾ら厳しい試験であっても甘かったのではないかと、そのような意見を持つ者も多い。
それだけに、本来は倒すべき相手ではないランクSモンスター、それもドラゴンの新種を倒したというのは、レイがランクA冒険者となるに相応しい実力を持っているということを補強する材料だ。
その為に、クリスタルドラゴンの死体の公開は、レイにとって絶対に必要なことだった。
……とはいえ、その為にクリスタルドラゴンの素材を求めて多くの問題が起きるのだから、レイにとっては痛し痒しといったところなのだが。
(何だかんだと、結構面倒なことも多いんだよな。……そう言えば、貴族との間に交渉を担当する人員を用意するとか言ってたけど、そっちはどうなってるんだろうな)
メイドに領主の館を案内されながら、レイはそんな風に考える。
貴族との間に交渉を担当する人物を用意するというのは聞いているものの、未だにその人物と会ってはいない。
あるいは、その辺についての話も今回は行うのかもしれないと考え……やがて、ダスカーの執務室に到着する。
「ダスカー様、レイ様をお連れしました」
ノックの後にメイドがそう言うと、すぐに中から入れという言葉が聞こえてきた。
レイにとっては既に見慣れた、豪華な扉。
それをメイドが開けると、レイは執務室の中に入る。
まだ朝も早いというのに、執務室の中では既にダスカーが書類に目を通しており、仕事をこなしている。
その仕事熱心さは、レイにしてみれば感心すると同時に、そこまで仕事に熱中しなくても……といったように、若干の呆れすら抱かせる。
そんなレイの視線に気が付いたのだろう。ダスカーは書類から視線を上げると、レイを見て口を開く。
「今日の祭りの件で、仕事が多くてな。処理出来る書類は出来るだけ早く処理しておきたかったんだよ。いつもなら、この時間はまだゆっくりとしているぞ?」
「なら、いいんですけどね。ダスカー様はギルムにおいても重要な人物です。無理をして身体を壊すといったようなことは、ないようにして下さいね」
「体調を整えるポーションを飲んでるから、心配するな」
その手のポーションは、安い物は安いが当然ながら効果は低い。
ダスカーが使うような代物だと、それこそ効果は高いが、同時に非常に高額な物になってしまうのだろうが……ギルムという、ミレアーナ王国唯一の辺境の街に集まる富を考えれば、その程度の金額を出すのは何の問題もないのだろう。
また、そのポーションを私利私欲に使っているのなら問題なのかもしれないが、ダスカーの場合は自分が仕事をするのに必要だからこそ、飲んでいるのだ。
そういう意味では、公務の為と言っても過言ではない。
「そうですか。なら、安心ですね。……まぁ、本来ならポーションとかに頼ることなく、しっかりと身体を休めるのが一番なんでしょうけど」
「そうだな、仕事がもう少し少なくなればそういうことも出来るんだが。……まぁ、その件はいい。今日の祭りに関してだ。最初はこっちでそれらしい衣装を用意するという意見もあったんだが……」
「いえ、出来ればこのままの服装でお願いします」
「だろうな。祭りの検討をしていた者達からも、レイは冒険者で今回の祭りは昇格試験を祝って……表向きは違うが、とにかくそういう祭りだ。そうである以上、レイには特に何か着飾ったりするようなこともしないで、いつも通りの格好をする方がいいということになった」
「そうしてくれると、俺も助かります」
ダスカーに感謝の言葉を口にするレイだったが、現在レイが着ているドラゴンローブは、それこそ金で買おうとすれば価値を付けるのが難しいだろう、そんな代物だ。
ドラゴンローブの持つ隠蔽の効果で、マジックアイテムを見極める目を持つ者でなければ、隠蔽の効果を見抜くことは出来ないだろうが。
「ふむ、どうやら服装の件は問題がないようだな。……次は、段取りだ。この後でレイにはギルドに行って貰う。ギルドの前には、クリスタルドラゴンの死体を置く為の舞台が用意されているから、そこを確認してきてくれ。恐らく問題はないと思うが、いざという時に失敗しない為にしっかりと確認しておいてくれ」
ダスカーにとっても、クリスタルドラゴンの死体の公開というのは、今回の祭りの目玉だけに、失敗するということは許されなかった。
だからこそ、レイにしっかりと確認をしてもらう必要があったのだ。
「分かりました。ただ……ギルドの前で公開するとなると、実際に一度死体を出してみて確認するといった真似は出来ませんよ? もしそのような真似をしたら、間違いなくギルドの周囲にいる人達に見られるでしょうし」
あるいはクリスタルドラゴンの死体を置く舞台を何らかの布で囲んで見えないようにしてから試すといった手段もあるが、クリスタルドラゴンが乗るような舞台を覆う布となると、結構な量が必要となる。
そのような布を用意するのと、レイが見たクリスタルドラゴンの死体の大きさから想像して大丈夫かどうかを確認する……そのどちらになるのかは、レイとしてもダスカーに任せるしかない。
「安心しろ、その辺は土魔法で周囲から見えないように出来る奴を用意してある。死体を出しても、何の問題もない」
なるほど、と。
レイはダスカーの説明を聞いて納得する。
舞台を周囲から見えないようにする為には、別に布で隠すといった方法以外にも、色々と手段はある。
土の魔法を使って壁を作り、周囲から見えないようにするというのは、一番手っ取り早い方法だろう。
……もっとも、世の中には何らかの手段で土壁の向こう側を見るといったような手段を持つ者がいてもおかしくはないのだが。
ただし、そのような心配をすれば何に対しても行動出来なくなってしまう。
レイにしてみれば、今の状況においてそのような無駄な心配をするくらいなら、素直にダスカーの用意した土魔法の使い手に任せた方がいいと、そう思った。
「分かりました。その辺に関してはダスカー様に完全に任せます。なら、ギルドに行って舞台の確認をしたら……その後はどうします? ギルドで待ってればいいんですか?」
「いや、一度ここに戻ってきてくれ。祭りが始まったら、こっちでレイをギルドまで送っていく」
「……大々的に、ですか?」
レイのそんな言葉に、ダスカーは頷く。
ダスカーとしては、今回の一件はレイが自分の懐刀であると周囲に示す絶好の機会だ。
実際にはそういう訳ではないのだが、周囲がそう思ってくれるだけで相応の効果はある。
だからこそ、レイをギルドまで運ぶのに領主が使う専用の馬車を使うのが効果的だった。
レイもダスカーが何を考えているのは十分に分かっていたが、それを拒否するつもりはない。
今までダスカーにはかなり世話になっているし、マリーナと親しい関係だというのもある。
また、なにより貴族であっても無意味に威張ったりはせず、上から目線で命令をしたりといったような真似をしないダスカーには、レイ自身好意を抱いてもいた。
それだけに、ダスカーが自分を利用しようというのなら、それはそれで構わない。
もしダスカーが他の貴族と問題を起こしたとしたら、レイは間違いなくダスカーに味方をする。
そういう意味では、レイがダスカーの懐刀であるというのは決して間違っている訳ではないのだ。
「分かりました。なら、早速ギルドの方に顔を出していきますね。現在向こうで一体どんな感じになっているのかは、行ってみないと分かりませんし」
ダスカーが……正確には、ダスカーの部下やギルドが考えて準備をしたのだ。
クリスタルドラゴンの死体を乗せる舞台の方は、何も問題はないと思う。
思うのだが、それでも何か見落としたところがあるという可能性は十分にあった。
だからこそレイはダスカーの指示通り、ギルドに向かおうとする。
「クリスタルドラゴンの死体のお披露目は俺も参加するから、そのつもりでな」
「えーっと……本気ですか?」
「何かおかしいか? 祭りの中でも最も盛り上がる場所だぞ? 領主が行ってもおかしくはないだろう」
あ、駄目だ。
ダスカーの言葉を聞いて、レイはそう判断する。
ダスカーの様子を見る限りでは、自分が何を言っても意思を覆すつもりはないのだと。
(もしかして、こうして早朝から書類仕事をしていたのって、実はそれが理由だったりするのか?)
今更ながらにダスカーが何故このような早い時間から仕事をしているのか、表向きの理由ではなく本当の理由を理解し、呆れた様子を見せる。
とはいえ、ダスカーも仕事漬けの日々である以上は気分転換をした方がいいというのも、理解出来た。
以前、湖がトレントの森の側に転移してきた時に、それを見る為にやって来たが……その際も馬車の中で仕事をしていたというのは間違いなく、完全な息抜きとはならなかった。
湖では、十分に楽しんでいたようだが。
湖のことを思い出したレイは、ソルテーという学者のことを思い出し、一応ダスカーに話したものの、ダスカーはその厳めしい顔を微かに歪めたものの、問題ないと告げるのだった。