0263話
森の奥にある5m程の岩が幾つも立ち並んでいる場所。夜の月光が降り注ぎ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している中でレイとセトは身じろぎもせずにその場に佇んでいた。
レイの手にはミスティリングから取り出されたデスサイズがあり、ドラゴンローブを身に纏っていることもあってその様子はどこか死神のようにも見える。そしてセトは、そんな死神の横で地面へと寝転がって完全にリラックスしているように見えていた。
もちろん完全に寛いでいる訳では無い。寝転がっているように見えるセトだが、目を閉じているのは視覚以外の聴覚、嗅覚、あるいは魔力を感じる能力やモンスター特有の第6感まで使って周囲の様子を探っているのだ。そしていざとなれば、瞬時に地を蹴り敵へと襲い掛かることも可能なのである。
だが周囲を囲んでいる草原の狼の面々にしてもレイの実力をその目で直接確認している者も多く、あるいはエッグ達から聞いている者もまた多い。曰く、絶対に手を出してはいけない存在だと。その為、1人と1匹がその戦闘力を振るうようなことも無いままに時間が過ぎ……レイ達がこの場に到着してから20分程で森を掻き分けるようにして数人が姿を現す。
「待たせたか? いきなりの来客だったからこっちも多少揉めてな」
そう声を掛けて来たのは、顔中に幾つもの傷がついており身長2mを優に超える男で、レイが待ち望んでいた草原の狼の首領でもあるエッグだ。巨大なバトルアックスを獲物としているのだが、レイと敵対するつもりはないと示す為なのだろう。背負われたままになっており、その両手には何も持ってはいない。
「いや、そうでもないさ。気にする必要は無い」
そう返しつつ、手にしていたデスサイズをミスティリングの中へと収納する。
向こうが敵対するつもりがないのなら、こちらもまた同様だという意思表示だ。また、同様に周囲にいる者達が自分達に襲い掛かってきても何とか出来る自信があるという判断だった。
だが、それが面白くなかったのだろう。エッグの隣にいる目つきの鋭い男が、これ見よがしに舌打ちをする。
「おいっ、みっともない真似をするな。俺の客だぞ」
「けどよお、エッグさん。招待もしてないのに押しかけてきた相手に下手に出る必要なんか……」
(あの立ち位置からいって、恐らく草原の狼の中でもNo.2とかNo.3とかの位置にいる男なんだろうが……自分の実力を過信しすぎているタイプか。確かにある程度の実力はあるんだろうが、それでもこっちの実力を見抜けないレベルでしかない。と言うか、セトを相手にしてああいう態度に出られるってのはある意味で凄いんだろうが……)
「キルトス、俺の客に何か文句でもあるのか?」
鋭い視線でキルトスと呼ばれた男へと問いかけるエッグ。
エッグにしてみれば、この近辺で最強の盗賊団と呼ばれた草原の狼であろうともレイと戦って無事で済むとは思えなかった。おまけに今はランクAモンスターでもあるグリフォンまでいるのだ。その為、レイと敵対するのは何としても避けるべきだと判断している。いざとなったらキルトスと呼ばれた自分の部下を切り捨てたとしても。
更にレイは今回盗賊討伐の依頼を受けてきた訳では無く、以前の借りを返して貰いに来たと言っているだけに義理の上でも攻撃を仕掛けるような真似は出来ない。
「……何でもないですよ」
だがキルトスにしてみれば、やはり自分の尊敬する男がレイを相手に下手に出ているのが面白くないのだろう。それ以上言い募ることは無かったが、それでも鼻を鳴らして不本意だと暗に意思表示をする。
「そうか。ならいい。……悪いな、レイ。うちの若いのが失礼した」
「気にするな。どこにでも跳ねっ返りというのは存在している。……それよりも本題に入っていいか?」
レイの言葉に、自分の件が取るに足らぬことだと示されたキルトスは更に目つきを鋭くするが、レイはそんな状態の相手を気にせずに話を続ける。
「ああ。それで借りを返して欲しいとのことだが?」
「以前見逃した借りを、な」
「もちろん分かっている。それで俺達はどうすればいい? もちろんあの時の借りがでかいのは理解しているが、かと言って出来ることと出来無いことがあるが」
借りたもの以上の大きなものを支払うつもりはない。そんなエッグの言葉に、小さく頷いたレイは口を開く。
「何、それ程難しいことじゃないさ。現在ミレアーナ王国とベスティア帝国で戦争が起きようとしているのを知っているか?」
「ああ。その程度の情報なら盗賊暮らしをしていても耳に入ってくる。一応独自の情報網もあるしな。それに何よりもミレアーナとベスティアの戦争は殆ど年中行事のようなものだからな」
「なら話は早い。俺の要望はその戦争にラルクス領軍として草原の狼に参加して貰うことだ」
何でも無いことのようにレイの口から出た言葉。だが、その言葉が草原の狼の者達にもたらした衝撃は大きかった。
「馬鹿なっ! 盗賊の俺達に国の犬になれってのか!?」
「盾代わりにでもするつもりかよ!」
「お頭っ、こんな話引き受けないですよね?」
周囲から聞こえて来る否定の声。
だが、肝心のエッグはそれに同意せず、かといって反論もせずに黙ってレイへと視線を向けている。
その視線を黙って受け止めていたレイだったが、周囲の声が落ち着いて来たのを見計らい再び口を開く。
「別に、お前達にラルクス領軍の戦力になれとは言っていない。……いや、大きい目で見れば確かに戦力として数えているが、戦闘の矢面に立てと言っている訳じゃない。俺がお前達に期待しているのは、盗賊故の隠密行動を使った偵察だ。敵の居場所を素早く察知して報告したり、あるいは敵の中に忍び込んで各種工作をするとかの、な」
戦闘に参加しろと言われた訳では無く、偵察や各種工作活動をやって欲しいというレイの言葉を聞き、周囲に困惑の空気が広がる。
辺境に最も近い位置にあるこの周辺の盗賊団の中でも最強と謳われている自分達だけに、戦力として期待されていないと言われればやはり侮られているようにも思えるし、かと言って権力者の手先として戦うのも真っ平御免だという意識もあるからだ。
そしてその空気を感じ取ったかのように、レイは言葉を続ける。
「言っておくが、お前達に任せるのは最重要といってもいい役目だぞ。戦争は情報が全て……とまでは言わないが、情報が勝利に大きく貢献するのは確かだからな」
「そんな重要な役目を俺達に任せると?」
「お前達は俺に及ばない程度の力しかないが、それでも一般の兵士と比べると強い。それに盗賊として隠密活動にも優れている。偵察役としてはこれ以上無いと思うが?」
自分よりも弱い。はっきりとそう口に出すのは、レイが対人関係において未熟なところだろう。実際に戦闘力でいえば圧倒的にレイの方が勝っているのは確かだが、だからと言ってレイのような15歳程度の外見の子供に面と向かって弱いと言われ、はいそうですかと納得出来る筈も無い。特に草原の狼のメンバーはこの地域一帯で最強の盗賊団だというプライドを持っているのだから。
「ん? どうした?」
周囲に立ちこめ始めた剣呑な雰囲気を感じ取ったレイが尋ねるが……その一言が余計に周囲の者達の苛立ちを誘うことになる。
そして当然そんな空気を感じ取り真っ先に我慢の限界を超えるのは、レイの戦闘力を直接その目で見たことのない者達だった。
「手前、俺達草原の狼を舐めてるのか?」
真っ先に前へと1歩踏み出したのは、先程エッグに窘められていたキルトス。その両手には短剣がそれぞれ1本ずつ握られており、今にもレイへと向かって短剣を突き出しそうな雰囲気を放っている。
「キルトス、やめろ」
「エッグさん、でも!」
「言った筈だ。俺の客人だと。俺に恥を掻かせるのか? レイ、お前もだ。元々ここにいるのは血の気の多い奴等なんだ。挑発するような真似はやめてくれ」
「……挑発?」
挑発した覚えの無かったレイとしては、そう言われても小首を傾げるしかなかった。
「……天然かよ。まあいい、お前の言いたいことは分かった。だがこいつらも言ってるように、貴族や国の命令に従うってのは俺達の流儀じゃねえ」
「へぇ。お前達自身の命を見逃した借りを踏み倒そうって訳か? なら、当然あの時見逃したものを取り立てないといけないよな?」
視線に殺気を込めつつ、ミスティリングからつい先程収納したばかりのデスサイズを取り出していつでもその刃で命を刈り取れるように構える。
ミスティリングから取り出したデスサイズに、初めてレイを見た者達はそんな巨大な武器を使いこなせるのかと馬鹿にしたような笑みを浮かべ……そして以前にレイと遭遇した経験のある者は、姿を現した大鎌に思わず息を呑む。
「待て! 別にこっちも踏み倒そうなんて考えてはいない!」
このままではこの場にいる者の殆どが殺される。本能的にそれを察知したエッグが叫び、それによって今にも振るわれようとしていたデスサイズは動きを止める。
この時、エッグの失敗と言えばレイを相手に駆け引きを仕掛けたことだろう。普通の冒険者であればその駆け引きを受けて交渉の余地があったかもしれないが、レイの場合は自分が対人関係を得意としていないというのを理解している為に、最初から交渉をするつもりはなかったのだ。
「へえ。なら聞かせて貰おうか。お前達を見逃した借りを返すのか……あるいは、踏み倒すのか」
「もちろん返す。踏み倒すような真似はしない。だが、こちらとし……」
「エッグさん! 何でこんな奴に下手に出る必要があるんですか! 命の借り? それにしたって、どうせエッグさん達が疲れている時に襲撃してきたとかそんなのでしょう。なら、今の俺達なら問題ない。この人数差ですよ? こんなガキ1人、どうにでもなりますって。なあみんな!」
「そうだ! 草原の狼がこんなガキ相手に舐められるとか有り得ないぞ!」
「待てって、お前達はあいつと戦ったことがないんだろう? 奴は本気で化け物だ。それにグリフォンまでいるんだぞ? 勝てると本気で思っているのか!?」
喧々諤々と言い合いを始めた草原の狼の面々に、どこか呆れた様な表情を浮かべるレイ。
その横では、セトもまた同様に周囲を鋭く見据えつつもどこか呆れた様に言い合いをしている男達へと視線を向けていた。
そしてそのまま数分、レイを置き去りにして今や草原の狼のプライドがどうこうという風に話が脱線していたのを聞いていたレイが口を開く。
「ああ、もういい。どうやらお前達の話を聞いてる限りだと、一部の奴等が俺の提案に乗れないらしいな。しかも、そいつらはあの時に現場にいなかった奴等だ。なら、あの時いた奴等だけで俺に協力すれば問題無いだろう」
「ふざけるなっ! 俺達草原の狼を犬のように飼い慣らせるとでも思ってるのか!?」
「キルトスの言う通りだ! 俺達に首輪を嵌められると思ったら大間違いだぞ!」
キルトスの言葉に、同調して上げられる声。
(このままだといつまで経っても無駄に時間を費やすだけ、か)
一連のやり取りを見ていたレイは、視線をこの場の決定権を持つエッグへと向ける。
「どうするかお前が決めろ。俺に対する借りを返すか……あるいは」
チラリ、と自分の右手に握られているデスサイズへと視線を向けるレイ。
「はあ。分かった。しょうがねえからここは俺達の流儀に沿って決めさせて貰う。キルトス、反対派の中で1番腕が立つのはお前だな?」
「は? えーっと……ああ、そうだと思う」
自分に対して同調している者達へと視線を向け、頷くキルトス。
「なら、お前がレイと戦え。そして勝ったらお前の提案通りにレイに対する協力はしない。……もちろんその場合は相応の謝礼をさせて貰おうとは思っているが」
「俺がか? 俺よりエッグさんの方が強いのに?」
「俺は別に偵察として働くのに協力してもいいと思っている。もちろん裏方である以上はそれなりに危険はあるだろうが、それでも戦争の最前線に出されるよりはマシだ。それに実際にあの場にいた者達も、全員がミレアーナ王国はともかく、レイに協力するのは受け入れているらしいしな」
「そっ!?」
エッグの言葉に慌てて周囲へと視線を向けるキルトス。だが、その時キルトスが見たのは、エッグの言う通りにレイと遭遇した者達が黙って視線を逸らすという場面だった。
(こうでも言わないと収まりがつかねえからな。それに実際にレイと戦えば嫌でもその実力は分かる。そうすればレイが言っていた、借りを返さないのならこの場であの時に見逃した俺達の命を取り立てるというのが本気だと理解するだろう)
内心で呟くエッグ。もちろんエッグにしても喜んでレイに協力しようと思っている訳では無い。だが実際に自分達はお尋ね者であり、命を見逃された借りがあるのだ。その借りを踏み倒すというのは、草原の狼の名に掛けて絶対に出来ることではなかった。
そしてそれ以前にレイと敵対するというのは、草原の狼がここで消滅するということを意味しているのも理解している。
なら、実際にレイと戦わせてキルトスを始めとする反対派にレイという存在がどれ程のものなのかをその身で体験して貰おう。そう考えた結果が、先程のエッグの提案だった。
「……分かった。エッグさんがそう言うのなら俺がこのガキの相手をするよ」
短剣を構えつつ1歩前に出るエッグ。
それを見ていたレイもまた、エッグの懇願するような視線に溜息を吐いて前へと進み出る。
「どちらかが降参するか、戦闘不能になった時点で終了とする。くれぐれも殺すような真似はしないようにな」
「おいおい、エッグさん。俺が手加減に失敗するように見えるか?」
「……そうだな。くれぐれもお互いに頼む」
そう言いつつも、エッグの目はキルトスではなくレイに向けられている。
当然それに気が付いたキルトスも面白い筈が無く……
「始めっ!」
エッグの声と共に地を蹴り、レイとの距離を急速に縮めていく。
その速度は一般的な盗賊としては破格のものであり、キルトスの言い分が口だけのものではないというのを如実に表している。だが。
「へぇ、確かに中々の速度だ」
素早く繰り出される短剣の連続攻撃の殆どを、皮1枚で見切って回避し続けるレイ。
「くっ!」
その様子に、相対して初めてレイの強さを感じ取ったキルトスが焦燥を感じつつ舌打ちをして、短剣を操る速度を1段引き上げる。
「ふぅん……まだ速度が上がるのか。けど残念だったな。その程度では俺には届かない」
「がっ!?」
呟かれたレイの言葉に、何かを言い出そうとしたキルトスだったが……次の瞬間には鳩尾に強力な一撃を食らい、そのまま意識を失う。
気絶する最後の瞬間にキルトスが見たのは、大鎌の石突きが突き出されている光景だった。