2628話
「な……何をするううううううううううっ!」
パワークラッシュを使い、真横からの一撃でザリガニを吹き飛ばしたセト。
その光景に多くの者が唖然としていたのだが、そんな中で真っ先に我に返って叫んだのは、ザリガニを生け捕りにしろと言った学者だった。
叫んだ学者にしてみれば、異世界から来た未知のモンスターをここまで傷付けるとは何事だと、そんな風に思ったのだろう。
とはいえ、そのように思っているのはその学者だけだ。
他の学者達は、ザリガニの生態に興味はあるものの、自分の身の安全の方が重要だと思っている。
「まだ生きてる! 行くぞ、続けぇっ!」
ザリガニが吹き飛んだのは、湖でも森でも燃えているスライムでもない……何もない平地の方だった為に、地面を削りながらもまだ動いていた。
それを見たガガは、自分の部下のリザードマン達に叫び、武器を手に追撃を行う。
「ばっ、何をする! これ以上はいらない! 止めろ!」
叫ぶ学者だったが、既にその声はガガには届いていない。
ザリガニは、セトの一撃が余程に強力だったのだろう。
殴られた横腹は甲殻が砕け、その下の肉も自分の甲殻の破片によって斬り裂かれ、もしくはセトの一撃によって大きく抉れている場所すらあった。
「ギシャ……」
それでもザリガニは生存本能に突き動かされたのか、半ば倒れた状態から起き上がり……次の瞬間、先程よりも速度や鋭さは落ちたものの、触角を鞭のようにふるう。
「ふんっ!」
万全の状態で不意を突いたのならともかく、今のような一撃ではガガに通用する筈もない。
大剣を鋭く振るい、触角を叩き落とす。
……それでも触角を叩き落とすだけで、切断することが出来なかったのは、それだけザリガニの触角がしなやかでありながら、強靱だったのだろう。
「ぐ……俺がこの触角を引き受ける! お前達は本体を攻撃しろ!」
連続して振るわれる二本の触角。
その触角の連続攻撃を大剣で防ぎながら、ガガは鋭く部下達に命令する。
命令された部下達は、それぞれの武器を手に、ザリガニに向かって攻撃していく。
特に狙うべきなのは、やはりセトの一撃によって甲殻が破壊されている横腹だろう。
「レイ! 尻尾の毒針を頼む!」
当然ながら、ガガはザリガニがその尻尾の毒針を放つ隙を窺っているのには気が付いていた。
この辺り、元の世界で英雄と呼ばれていただけの実力を示している。
レイはそんなガガの言葉に、黄昏の槍を構えたまま口を開く。
「分かった、こっちは任せろ。お前はその触角に集中していろ。それと、牙にも気をつけろよ! セト! 他の場所の甲殻も割ってくれ!」
「グルルゥ!」
「馬鹿者、止めろ! 止めないか! そのモンスターがどれだけ貴重な存在なのか、お前達には分からないのか!」
レイがセトに指示をし、ザリガニを徹底的に殺すつもりだというの悟った学者が、必死に叫ぶ。
しかし他の冒険者や学者達が、戦いの場に突っ込もうとする学者を押さえつけている為に、出せるのはあくまでも口だけだ。
冒険者達は叫ぶ学者の気迫に一瞬気圧された者もいたが、それでも身体能力は嘘を吐かない。
フィールドワークをする上で、普通の学者よりも鍛えられてはいるのかもしれないが、純粋な身体能力ではギルドに認められてここを任されている冒険者達に敵う筈がない。
そんな様子を横目に見ながら、レイは黄昏の槍を手に目標を……ザリガニの尻尾を狙う。
尻尾の先端から伸びている毒針は、間違いなく希少な素材だった。
異世界から転移してきた湖から出て来た、未知のモンスター。
湖の主と思われるスライムに比べると大分小さい――それでも全長十m程もあるのだが――ので、レイの感覚では中ボス……いや、小ボスといったとこなのかもしれない。
だが、そのような相手であっても未知のモンスターであることは間違いなく、そんな未知のモンスターの持つ強力な毒針は、それだけで大きな意味を持つ。
また、毒というのは使いようによっては薬にもなるのだ。
だからこそ、レイとしてはあの毒針は出来れば欲しかったし、それ以外にもザリガニであれば肉は美味いと思える。
日本にいた頃に見たTV番組では、芸人が川でザリガニを捕って食べるといったような真似をしていたし、中国では普通に高級食材であるというのも見たことがあった為だ。
……もっとも、レイ達が現在戦っているザリガニは、正確にはザリガニとサソリが融合したような姿のモンスターだ。
何よりも異世界の存在である以上、あくまでもレイがザリガニとサソリと認識はしているものの、実際には違っていてもおかしくはない。
ともあれ、レイはザリガニの尻尾を……正確には、毒針が伸びている場所の下辺りを狙い、集中し……数歩の助走の後、黄昏の槍を投擲する。
放たれた黄昏の槍は、空気を斬り裂きながら真っ直ぐに飛び……そのままザリガニの尻尾、毒針の伸びている場所の下辺りを貫き、それだけでは殆ど速度も落ちず、飛んでいく。
それを手元に戻したレイは、叫ぶ。
「毒針は心配いらなくなったぞ!」
その言葉に、仲間によって動きを封じられていた学者が嘆きの声を上げる。
しかし、ザリガニと戦っている方としてはそんな学者の声など最早聞くまでもない。
ガガ率いるリザードマン達は、ザリガニに対して一斉に攻撃を行う。
そんな中でも特に強烈だったのは、やはりガガの攻撃だろう。
もしくは、反対側で攻撃をしているセトの一撃か。
ザリガニは口元の牙や触角を使い、そして巨体そのものを使って周囲にいる敵に向かって攻撃する。
リザードマンのうちの何人かは、そんな攻撃によって大きく吹き飛ばされたり、もしくは大きな怪我をしたりしていた。
しかし、全体的に見れば間違いなくガガ達の方が有利な状況になっていた。
「さて、そうなると……」
手元に戻した黄昏の槍を左手に持ち、再度右手にミスティリングから取り出したデスサイズを手にする。
そのまま真っ直ぐザリガニとの間合いを詰めていく。
普段であれば、ザリガニも自分達に近付いてくるレイの姿に気が付いていただろう。
だが、現在のザリガニは周囲で自分を攻撃してくる敵に向かって連続して攻撃をする必要があった。
ここで周囲への攻撃を疎かにすれば、自分はこのまま死んでしまうといったようなことになりかねない。
そうである以上、やはりここでは周囲にいる者を攻撃する方がザリガニにとっては最優先だったのだろう。
しかし、それはザリガニにしてみれば、致命傷だった。
デスサイズを手に間合いを詰め、ある程度――具体的には五m程――の距離をとったところで、レイはデスサイズを振るう。
ただし、それはザリガニに向かって振るわれたのではなく、地面に向かって振るわれた。
「地中転移斬!」
振るわれたデスサイズの刃は地面に向かって振るわれ、次の瞬間には地中を転移し……離れた場所にいるサソリの胴体を下から斬り裂く。
「ギシャアア!?」
幾ら頑丈な甲殻を持っていようとも、デスサイズの刃を防げる筈がない。
あるいは、もっと強固な甲殻を持っていれば何とかなったかもしれないが、生憎とザリガニの甲殻はそこまで強固ではない。
ましてや、ハサミのような場所であればまだしも、レイが振るった刃は地面を転移してその地中から真上に向かって振るわれた一撃だ。
ザリガニも硬い甲殻をもっているのは間違いないが、下の部分はそのような場所と比べてどうしても甲殻は薄くなってしまう。
それは、レイにしてみれば絶好の攻撃対象だった。
……それでも、甲殻は頑丈ではあるのだが、レイのデスサイズの前にはあっさりと斬り裂くことが出来る。
そうして胴体を斬り裂かれたザリガニは、当然のように動きが鈍くなる。
いや、動きが鈍くなる程度ですんでいるのは、ザリガニの頑丈さを示していると言ってもいい。
何しろ、胴体を斬り裂かれたのだ。
普通なら、そのような状況で動き回れば、内臓が出てきてもおかしくはない。
そうならないようになっている辺り、十分ザリガニは強力な……少なくても高い防御力を持っているモンスターだというのは明らかだった。
「動きが鈍ったぞ! 攻撃しろ! 恐れるな!」
ガガの叫びが周囲に響く。
幾ら高い防御力を持っているザリガニとはいえ、それでも胴体を斬り裂かれるといったような真似をすれば、すぐに死にはしないものの、動きは鈍くなる。
そのような相手の隙を見逃すガガではない。
そしてリザードマン達はガガの命令に従い、次々とザリガニに、向かって攻撃を行う。
ザリガニも急に攻撃が激しくなったことに驚きつつ、残っているハサミや触角で反撃しようとするとも、今のザリガニは既に半死半生……というのは若干大袈裟だったが、とてもではないがまともに戦えるような状況ではない。
そのような中でも戦い続け……やがて、このままでは死ぬと判断したのかその場から離れようとする。
「させると思うか? セト!」
「グルルルゥ!」
レイが名前を呼んだだけで、セトは自分が何をするべきなのかを理解したのだろう。
即座に移動し、ザリガニと湖の間を遮る。
「ギシャアアア!」
ザリガニは残ったハサミを触角を振り回しながらも、自分の前に立ち塞がるセトに向かって威嚇の声を発する。
だが、出来るのはそれくらいで、セトを攻撃するような真似はしない。
セトが自分の胴体の甲殻を破壊し、ましてや右のハサミを関節から切断したといったようなことを覚えており、とてもではないがまともに戦って勝てる相手ではないと、そう思ったのだろう。
実際、ザリガニはセトよりも圧倒的な巨体ではあるが、正面から戦った場合は間違いなくセトが勝つ。
セトもそれが分かっているからこそ、ザリガニを前にしてもどこか余裕があるのだろう。
胴体を砕かれ、あるいは斬り裂かれ……ザリガニは、時間を掛ければ掛ける程に不利となる。
そんな状況を、いつでも何かあったら介入出来るように眺めていたレイだったが……不意に、後ろの方から騒ぎ声が聞こえてきた。
一体何だ? と思ってレイが振り向くと、学者が走っている光景が見える。
ザリガニの存在が怖くて逃げ出したというのなら、レイもまたそんな学者の行動に納得することが出来ただろう。
だが、学者は逃げるのではなくザリガニの方に向かって走っていた。
一瞬だけ疑問を抱いたレイだったが、その学者の顔を見ると納得すると同時に、何故このようなことをしたのかとかといったことを理解する。
何故なら、その学者は最初からザリガニを殺すな、生け捕りにしろと騒いでいた学者だったからだ。
仲間の科学者や、腕利きの冒険者達によって押さえつけられていた筈だというのに、一体どうやって抜け出したのか。
その辺はレイには分からなかったが、それでもこのまま行かせると不味いということは理解出来た。
今までの経験からも、この状況の相手を自由にしておけば間違いなく自分達にとって面倒なことになると想像出来る。
具体的には、自分の身体を盾にしてでも、ザリガニを守ろうとするだろうと。
セトであれば、あるいは学者を攻撃しないようにするかもしれない。
しかし、ガガ達リザードマンとなれば、話は違ってくる。
戦いの場に自分から突っ込み、それで自分達の戦闘の邪魔をしたのだ。
普通に考えれば、それは戦いに巻き込まれても仕方がないと、そう判断してもおかしくはない。
そして、もしガガ達の攻撃によって学者が死ねば、後々それが問題になる。
その行動からはとてもそうだとは思えないが、この学者達は誰もがそれなりに地位のある人物なのだ。
そんな訳で、これから面倒にしないようにする為に、レイは学者が自分の横を通りすぎようとした瞬間に、デスサイズの柄を学者の足の間に突き出す。
「うおおおっ!」
足をデスサイズの柄に引っ掛け、転ぶ学者。
そんな学者の背中の上に、レイは足を下ろして踏みつける。
これもまた、後々問題になる可能性はあったが、それでも学者が死ぬよりはマシだろう。
少し無理があるが、学者が戦闘に巻き込まれて死なない為の、緊急避難的な行動と主張出来ないこともない。
そんなことを考えていると、後ろから冒険者達がやって来るのが分かった。
「離せ! この……私にこのようなことをしてもいいと思っているのか!」
足の下では、学者が何とか動こうと頑張っているものの、そのような言葉がレイに効く訳もない。
「悪い! いきなりとんでもない力を使われて、逃がしてしまった!」
「今度は気をつけろよ。……終わったな」
レイの言葉に冒険者達がザリガニの方を見ると、ガガの振るう大剣がザリガニの頭部を切断したところだった。