2627話
レイの言葉が周囲に響くと、冒険者達は即座に反応する。
武器を構える者、未だに何が起きているのか分からず、湖の側にいる学者を引っ張ってくる者。
……中には、何を勘違いしたのか分からないが、何故か自分から湖の中に入っていくような者もいた。
慌てて冒険者がその学者を岸まで引っ張っていたが、その学者は何故か冒険者に感謝の言葉を述べるでもなく、それどころか邪魔をするなといったように声を上げている。
普段であれば、護衛の冒険者もそんな学者の言葉を聞いても何とか説得したりするだろう。
だが、それはあくまでも普段であればの話だ。
現在、水中を岸に向かって大きな影が移動している以上、湖の中に学者が入るというのは、自殺行為に等しい。
そんな状況の中で、馬鹿な行動を取っている学者を説得するなどといった余裕がある筈もない。
甲高い声で喚く学者だったが、例えフィールドワークを頻繁にしている学者であっても、冒険者に……それもギルドから腕利きと判断された冒険者に、力で敵う訳がない。
結局は強引に引っ張られていき、学者達が集まっている場所に放り投げられる。
幸運だったのは、この湖の研究をしている学者は冒険者が危ないと判断すれば、その指示に従うだけの分別を持っている者が多かったことだろう。
湖の中に入っていた学者が、再び湖に向かおうとするのを何人もの学者が止める。
そんな中、レイ達が武器を構えていると、湖の騒動を聞きつけたのだろう。生誕の塔の方から、リザードマン達がやって来る。
勿論、リザードマン達の中で最もやる気を見せているのは、現在リザードマンを率いる立場にいるガガだ。
「レイ! 何があった!」
流暢にこちらの言葉を話すのを見れば、リザードマンとはとても思えない。
もっとも、ガガの外見からして他のリザードマンより圧倒的に大きいので、それを見て普通のリザードマンと認識することは難しいだろうが。
「敵だ。上空から、湖の中を岸に向かって泳いできている巨大な影が見えた。それが上陸してくるかどうか……もしくは本当に敵かどうかは分からないが、それでも警戒は必要だ」
「レイ様!」
ガガに説明している中、ゾゾがそう言いながら姿を現す。
こちらもまた、流暢に言葉を話せるようになっている。
ゾゾはガガの異母弟ではあるが、リザードマンを率いるといったようなことはなく、純粋にレイに仕えることを希望していた。
とはいえ、外見がリザードマンである以上、獣人といったように言い訳をする訳にもいかず……出来るとすれば、テイムしたといったように偽装することだけだろう。
ともあれ、ゾゾはレイの命令に関しては従うので、ガガにしたのと同じように敵の可能性が高い影が水中をこちらにやって来ていると説明する。
「グルルルルゥ!」
と、不意にセトが鳴き声を上げる。
レイがガガやゾゾ、それに他のリザードマン達に説明している間、セトは湖を警戒していた。
そんな状況でセトがこうして警戒の鳴き声を上げたのだから、何が起こったのかは明白だ。
それを証明するかのように、既に岸からでも近付いてくる影を見ることは出来ていた。
「嘘だろ……」
一体誰がその言葉を発したのか。
ただ、恐らくその影……いや、水深が浅くなったことにより、水中にいた影の姿をしっかりと見ることが出来た者の多くがそんな感想を抱いたのだろう。
レイもまた、そんな感想を抱いた一人だ。
何しろ、姿を現したのは巨大なザリガニ……正確にはザリガニとサソリを組み合わせたような、そんなモンスターだったからだ。
頭の先から尻尾――ただし尻尾はサソリの尻尾のように反り返っているので、その反り返っている部分までだが――までの長さは、十m近い。
また、レイの知っているザリガニというのは赤い甲殻を持つのだが、湖から姿を現したザリガニは青い甲殻を持っている。
……実際には、レイが知らないだけで地球にも青いザリガニというのは普通に存在するのだが。
そんな青いザリガニとも、サソリとも区別が出来ないようなモンスターは、水中から出ても全く苦しそうな様子を見せない。
それどころか、ザリガニやサソリが持っているようなハサミ……いや、それをより巨大で凶悪な外見をしたそのハサミをカチカチと鳴らす。
それは、岸に多数いるどの餌から食べようかと、そう考えているように思える仕草だ。
実際、そう予想したレイは決して間違っている訳ではなく、ザリガニは感情を感じられないような目で周囲を見回し……やがて、その巨体からは考えられないような速度でセトとの距離を縮めていく。
セトが狙われたのは、純粋にここにいる者の中でセトが大きかった為だろう。
大きいというだけなら、セト以外にガガもいたのだが……ザリガニの目からは、セトの方が美味そうに見えたらしい。
だが……セトもまた、ランクS相当と認定されているモンスターだ。
自分に向かい、叩き付けるようにして振るわれるハサミを後方に跳躍してあっさりと回避し、地面に足がついた瞬間、前に出る。
「グルルルルルゥ!」
鋭く叫びながら、セトは翼刃のスキルを使い翼の外側を鋭い刃とする。
ザリガニのハサミは強固な甲殻で覆われており、翼刃であっても破壊出来るかどうかは分からない。
だが……それは、あくまでも甲殻に覆われている部分だけだ。
ハサミである以上、当然のように関節は必要で、その関節は一応甲殻に覆われてはいるものの、ハサミと比べれば当然のように脆い。
セトの翼は、そんなザリガニの関節部分をあっさりと切断することに成功する。
「ああああああああああああああああっ!」
と、不意に周囲に響き渡る声。
デスサイズで一撃を放とうとしたレイは、その声が一瞬ザリガニの悲鳴なのではないかと思った。
しかし、その声が聞こえてきたのは、ザリガニではなく……離れた場所にいる、学者達の集団からだ。
その中でも先程まで湖の中に入っており、護衛の冒険者によって無理矢理連れ出された学者が、大きな口を開け、悲鳴のような……嘆きの声のような、そんな声を上げていたのだ。
(もしかして、見えない敵か!?)
一瞬そう思ったレイだったが、周囲の様子を確認する限りでは特にそのような小さなモンスターといったような相手は見えない。
では、今の声は一体何故?
そんな疑問を抱いたレイだったが、その疑問は学者が再び口を開いたことで、解決する。
「何をしている! この湖にいる珍しいモンスターなのだぞ! そんなモンスターを傷付けてどうする! 傷を付けずに、生け捕りにしろ!」
「グ……グルゥ?」
学者の声に、ザリガニのハサミを関節から切断したセトは、戸惑ったように喉を慣らしつつ、一旦ザリガニから距離を取る。
セトにしてみれば、まさかこのような状況でそのようなことを言われるとは、思ってもいなかったのだろう。
実際、その学者の周囲にいる冒険者は勿論、同じ学者までもが一体何を言ってるのだといった視線を、生け捕りにしろと叫んだ学者に向けている。
そのような視線を向けるのは、当然だった。
何しろ、ここでザリガニを生け捕りにしようとして失敗した場合、間違いなく自分達も死んでしまう可能性が高かったのだから。
「何を言っている! 今の状況を理解しているのか!」
学者の一人が、ザリガニを傷付けずに生かして捕らえろと言っている学者に向かって叫ぶ。
だが、叫ばれた学者は、それ以上の声で叫ぶ。
「お前こそ何を言っている! あの巨大なモンスターは、異世界の生物だぞ! それを調べないで、何が学者だ!」
「ぐ……」
学者としての能力から考えると、やはり自分の方が間違っているのか?
一瞬そんな風に思ったが、冒険者の一人が叫ぶ。
「レイ、構わないからやれ! ここであの敵を倒さなければ、周囲に大きな被害が出るぞ!」
そう叫ぶ冒険者が思い浮かべていたのは、学者もそうではあるが、リザードマン達もいるのだろう。
特に生誕の塔には、多くの子供達がいる。
そのような子供達がザリガニに殺される……もしくは喰い殺されると考えれば、ザリガニを放っておくような真似は出来ないと判断したのだろう。
そんな冒険者に対して、攻撃するなと叫んだ学者は強烈な視線で睨み付ける。
純粋に戦いの技量として考えれば、学者は冒険者を相手に勝利出来るような力はない。
にも関わらず、学者の視線に込められた圧力に冒険者は半ば反射的に後退る。
だが、それでも冒険者が言葉を翻すつもりはない。
今の状況を考えれば、ザリガニは可能な限り早く倒す必要があった。
「うおおおおおっ!」
しかし、そんな人間達のやり取りを全く気にした様子もなく、行動に移る者がいた。
大剣を手にしたガガが、雄叫びを上げながらザリガニに向かって突っ込んでいったのだ。
ザリガニは、唯一残っている方のハサミを使ってガガの放った大剣の一撃を受ける。
ガガはレイやエレーナ、ヴィヘラといった面々と比べると弱いが、それは比べる相手が悪いだけだ。
この世界に転移してくる前は王子ということもあって、その実力は高く評価されていた。
それは王子だからというだけではなく、実際に高い実力を持っていたからこそだ。
一緒に転移してきたリザードマン達がガガに心酔しているのを見れば、その辺は明らかだろう。
そういう意味では、模擬戦とはいえそんなガガに勝利するレイ達が異常なのかもしれないが。
ともあれ、ガガはその巨体に見合う腕力と手にした大剣……身長三m程の巨体を持つガガの手にあっても、それでも大剣という表現が相応しいその武器を使う、典型的なパワーファイターだ。
そんな一撃ではあったが……ザリガニのハサミに命中した瞬間、周囲に響き渡る程の甲高い金属音を立てて、弾かれる。
「な……うおっ!」
まさか、自分の一撃を食らっても特に問題ないとは思わなかったのか、驚きの声を上げるガガ。
しかし、次の瞬間にはそのハサミが横薙ぎに振るわれ、ガガは慌てて後ろに下がって回避する。
その光景を見たリザードマン達は、例外なく驚く。
まさか、ガガが一時的にでも後退するとは思わなかったのだろう。
とはいえ、ガガは攻撃を回避したら再度前に出る。
これがセトであれば、関節を破壊したことで右のハサミを切断したように、左のハサミも同じようにして攻撃するだろう。
だが、ガガはザリガニのハサミが頑丈だからこそ、正面から破壊しようと考える。
ガガも絶対に自分の攻撃でハサミを破壊出来ないのであれば、ここまで攻撃に固執するといったことはせず、セトと同じようにもっと別の手段を選ぶだろう。
「うおおおおおっ!」
雄叫びと共に振るわれる大剣。
ザリガニはそんな一撃を再びハサミで受け止めようと……いや、寧ろガガを弾き飛ばそうとするが……
ピキッ、と。
微かにではあるが、確かにそんな音が周囲に響いた。
その音を聞いたレイは、手にしていたデスサイズをミスティリングに収納し、右手に黄昏の槍だけを持つ。
そうして狙うのは、ザリガニの頭部……ではなく、サソリのように反り返っている尻尾。
その尻尾の先端には毒針があり、いつ発射されるのかは分からない。
だが、最大の攻撃手段である左右のハサミを失ってしまった以上、今のザリガニに出来る攻撃手段は多くはない。
……正確には、左のハサミは甲殻にヒビこそ入っているものの、完全に壊れた訳ではない。
そうである以上、まだ十分に攻撃手段となりえるのだが、最も硬い状態でヒビを入れられたのだ。
当然ながら、そのまま連続して攻撃をされた場合、どうなるのかは考えるまでもないだろう。
だからこそ、ザリガニはハサミ以外の最大の武器……尻尾の毒針を使う筈だというのが、レイの予想だった。
「ギシャアアアアア!」
しかし、ザリガニがとった攻撃手段はレイが予想していたものとは違った。
頭部から生えている触角が、まるで鞭のように……いや、触手のように動いて、ガガに振るわれる。
「グルルルルゥ!」
そんなザリガニとガガの様子を見て、このままでは危険だと判断したのだろう。
セトは大きく鳴き声を上げつつ、パワークラッシュを発動させて、ザリガニの胴体を横から攻撃する。
『え?』
唖然とした声を上げたのは、それを見ていた学者や冒険者達、そしてガガの邪魔をしないようにと、離れていたリザードマン達だ。
当然だろう。セトは自分よりも圧倒的に大きなザリガニに横から攻撃し、その巨体……それこそ、具体的にどのくらいの体重があるのかも分からないザリガニを十m近く吹き飛ばしたのだ。
見ていた者が、自分達は幻でも見たのか? と、そう思うのも当然の話だった。