2626話
「これはまた……凄いな……」
祭りが終わった後、エグジニスに行くと決めたレイは、翌日ギルドの倉庫にやって来ていた。
いつものように扉の前で護衛していた冒険者と話し、そうして倉庫の中に入ったレイが見たのは巨狼の素材。
毛皮は綺麗に剥がされ、素材や肉の類もしっかりと分類されている。
巨狼に関しては、手持ちの道具では解体出来ないといったようなことを言っていたが、しっかりと専用の道具があれば、これだけ綺麗に解体出来るということなのだろう。
「おう、レイ。来たか。……どうだ?」
親方は自慢げに笑みを浮かべる。
これだけ解体が厄介だったモンスターを、こうも立派に解体したのだ。
このように自慢げな態度になるのは当然のことだろう。
レイはそんな親方に対し、頷きを返す。
「ああ、これは十分に凄いと思う。……で、素材についてだが……」
そう言い、レイは早速親方と素材の分け方に対して話をしていく。
基本的に素材の所有権はレイにあるので、当然だが交渉もレイが有利に進んでいく。
とはいえ、レイもその権利を使って素材の全てを自分の物にしようとは思わない。
ギルドとの関係は友好的にしておくにこしたことはないのだから。
また、マリーナが前ギルドマスターであるということや、ギルドからの依頼を受けて活動するということを考えれば、レイとしても多少は譲歩するしかない。
……これで、ギルドマスターが権力を笠に着て素材を安値で買い叩くような相手であれば、レイもまた遠慮するつもりはなかったのだが、ギルドマスターのワーカーはマリーナの教育のおかげか、その辺りはしっかりとしている。
そうである以上、レイとしても相応の配慮をする必要はある。
それでも、毛皮や牙といった有用な部位は譲ることはなかったし、爪も八割程はレイが貰った。
逆に内臓の類はあまり重要そうに見えなかったので、大半をギルドに渡す。
内臓は素材となることも多いが、何の役にも立たない部位の可能性も高い。
ただし、例外として巨狼の眼球は双方ともレイが貰う。
そして……肉に関しては、九割九分をレイが貰った。
地球では狼の肉は不味いという話を聞いたこともあるレイだったが、このエルジィンにおいて狼の肉というのは普通に食べられている。
ましてや、モンスターともなれば、ランクが上がるにつれて味も増していく。
そんな中で、ランクAモンスターたる巨狼の肉ともなれば……一体どれだけ美味いのかは、想像するしかない。
そんなレイとは違い、ギルドにしてみれば肉に関してはそこまで必要ではない。
勿論ある程度分析をするので、各部位を多少なりとも貰ってはいるのだが。
……実際には、レイが肉は絶対に譲らないといった態度をとったので、ギルドとしてもそこまで必要ではない以上最小限の肉で我慢したといったところか。
あるいは、これが交渉を得意とするようなギルド職員であれば、多少は交渉の余地があったのかもしれないが……親方は、その辺については特に気にしない。
正確には、レイが倒したモンスターなのだからと、レイの意見をほぼ取り入れた形だ。
「さて、これで終わりだな」
自分の分の素材を全てミスティリングに収納すると、レイはそう告げる。
そんなレイの言葉に、聞いていたギルド職員達は心の底から安堵した様子を見せた。
ワーカーに呼ばれ、自分達で望んだとはいえ、それでもやはり数日もの間倉庫から出られないというのは、それなりに厳しかった。
もっとも、モンスターを解体している時はそちらに集中出来たし、モンスターの解体が終わってしまえば、次にレイが来るまでずっと休憩をすることが出来たのだ。
扉の外にいる冒険者に頼めば、ある程度の物は差し入れて貰える。
ギルドで一日中……それどころか残業してまで書類仕事を片付けているギルド職員達にしてみれば、この倉庫での生活を知られれば血の涙や怨嗟の声と共に羨ましがられてもおかしくはない。
そんな生活をしていたギルド職員達だったが、それでもやはり倉庫の外に自由に出られるというのは嬉しい。
もっとも……それは、あくまでも今日だけだ。何しろ……
「じゃあ、今日はゆっくりと英気を養わせて貰うよ。何しろ、明日からはクリスタルドラゴンの解体をする必要があるからな」
そう、明日の祭りで公開されたクリスタルドラゴンの死体は、明日から再びここのギルド職員達の手によって解体されることになる。
「頑張ってくれ。頼りにしてるよ」
そう言うレイだったが、ふと今のままだと予定通りエグジニスに行くのは難しいのでは? と思う。
ドラゴンの素材は、強力な魔力を持っているだけあって、長時間放置しても腐敗したりはしにくい。
だが、それはあくまでも腐敗しにくいというだけの話で、腐敗しないという訳ではないのだ。
レイが具体的にいつまでエグジニスにいるのかは、まだ決めていない。
だが、ランクSモンスターの素材……それも新種のドラゴンの素材となると、二日か三日……どころか、一週間や二週間、半月……もしくは一ヶ月が経っても、レイと接触しようとする者はいるだろう。
場合によっては、冬になるまでレイはギルムに戻ってこられないといった可能性すらある。
……とはいえ、レイとしてはそんなに待つつもりはない。
そもそも、秋になればギルムにおいてはガメリオンの季節だ。
毎年恒例のガメリオンを、レイが見逃す筈もない。
もっとも、レイのミスティリングの中にはまだ大量のガメリオンの肉や、それどころか死体そのままというのもそれなりに収納されているのだが。
(ともあれ、クリスタルドラゴンの素材の件があるとなると、どうするか少し考えないといけないな)
いつまでもエグジニスにいる訳にもいかないし、かといってギルムにいる訳にもいかない。
その辺りは、レイにとってかなり難しいと考え……取りあえずどうすればいいのか、今夜にでも夕食の時に仲間に相談してみようと判断する。
「ともあれ、改めて今日はゆっくりとしていてくれ。そっちは明日から色々と忙しいだろうからな」
そう言い、レイはギルドの倉庫から出る。
背後では親方が他のギルド職員達に声を掛けているのを聞きながら、外に出たレイはギルドの前で多くの者に愛でられていたセトと合流し、次にローリー解体屋に向かう。
地下倉庫で素材や魔石、肉といった諸々を受け取り……
「よし、セト。今日はトレントの森に行くぞ。まずは湖だ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
セトにしてみれば、自由に空を飛べるというのは非常に嬉しい。
……とはいえ、ギルムからトレントの森や湖、生誕の塔といった場所までは、セトの翼であれば数分掛かるかどうかといった程度の距離でしかない。
直接歩いて移動すると、それなりに時間が掛かるのだが。
セトの機動性の高さを、改めてレイは感心するのだった。
空を飛んでいるセトの背の上で、レイは視線の先にある湖を見る。
この湖に来るのは、そこまで久しぶりという訳ではない。
だが、それでもこうして湖を改めて見ると、随分と久しぶりにやって来た……といったように思う。
レイにしてみれば、この湖そのものにはそこまで思い入れがある訳でもないのだが。
(あ、でも夜の光るクラゲとか、かなり綺麗だったな。それを考えれば、思い入れはあると言ってもいいのか? ……それよりも、あのスライムをどうにかしたいけど)
湖が見えたということは、当然ながら湖の側で未だに燃え続けている巨大なスライムの姿がある。
レイとしては、いつまでもスライムを燃え続けさせている訳にはいかないだろうと思う。
とはいえ、レイの魔法で燃え続けている以上、その魔法を使った本人が迂闊にちょっかいを出す訳にもいかない。
もしそのような真似をすれば、場合によってはスライムが妙な行動を起こしそうな気もする。
あるいは、スライムに魔石があればレイとしてももう少し真剣にスライムをどうにかしようと考えただろう。
だが、異世界から転移してきた湖のモンスターには、魔石が存在しない。
だからこそ、魔獣術を使うレイとしては湖のモンスターにはどうしても興味を持てなかったのだ。
これが現在も頻繁に湖で行動している学者の類にしてみれば、異世界の湖というのは強い興味を持つに十分だったのだが。
実際、レイの目でも現在湖の周辺を動き回っている人影と思しき存在を幾つも捉えている。
レイの目でもそうである以上、レイよりも鋭い五感を持つセトは、当然のようにレイよりも詳細な光景を目にしているだろう。
「グルルルゥ!」
と、不意にセトが喉を鳴らす。
嬉しそうに鳴き声を上げていた訳ではなく、その鳴き声には警戒の色が強い。
どうした?
そんな思いで湖を見ると……不意に湖の中……それこそ中心部分から岸に向かって進んでいる巨大な何らかの生物の影に気が付く。
空から見ただけでは、そのモンスター……もしくは魚のような存在なのかもしれないが、ともあれその影が具体的にどのような存在なのかは分からない。
しかし、今の状況を考えるとそれは明らかに危険だ。
何しろ、未だに湖の側で活動している学者達が近付いてくる影に気が付いている様子はない。
護衛としているだろう冒険者達も同様だ。
レイとセトがその影に一足早く気が付いたのは、あくまでもセトに乗って空を飛んでいるからこそだ。
「セト、地上に急いでくれ。あの影が本当に岸の方までやってくるかは分からないけど、あの影が岸にやってくれば危ない」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは鋭く鳴いて翼を羽ばたかせて地上に向かって降下していく。
(あれだけ巨大な影だ。そうである以上、浅瀬になっている場所では動けなくなってもおかしくはないけど……スライムのように浅瀬でも問題なく移動出来る手段があると、厄介だ)
スライムの場合は、その身体が半ば液体に近い性質をしているので、それこそ浅瀬だろうがどこだろうが、普通に通ることが出来る。
……これがこの世界のスライムであれば、身体が半ば液体状であっても、魔石が通れないような場所は移動出来ない。
しかし、異世界から来た湖に棲息するモンスターは、魔石を持っていないのだ。
つまり、理論上ではあるが針の穴程の隙間があれば、燃え続けているような巨大なスライムであっても通ることは出来るのだ。
実際にはそのような場所を移動しているとなると、当然質量分だけ時間が掛かる。
そうである以上、移動している途中でほぼ間違いなく見つかるだろうが。
ともあれ、湖のモンスターは魔石がない以上、現在水中を移動している影もスライムと同じように移動してくる可能性は高い。
(とはいえ、見た感じだと魚影……って訳じゃないけど、スライムのような不定形の存在には見えないな)
空から見た印象ではあるが、恐らく間違っていないだろうと思う。
「セト、下に向かってくれ。岸に上げて迎え撃つ」
「グルルゥ? グルゥ」
このまま戦うんじゃないの? と、地上に向かいながら尋ねるセト。
実際、セトに乗っていれば空中から自由に攻撃を出来るし、レイの魔法や槍の投擲といった手段があれば、水中にいるモンスターと思しき相手に対処するのも難しくはない。
難しくはないのだが、それでも敵が水中にいる以上は水が防壁の役割をするのは間違いなく、それが攻撃の威力を弱めるだろう。
であれば、そのような水中にいる敵ではなく、陸に上げてから戦えばいいのだ。
敵は魚のような完全に水中でしか身動き出来ないようなモンスターの可能性もあるが、その場合、それはそれで対処出来ない訳でもない。
いや、寧ろそのような場合は対処する必要もなくなるのかもしれないが。
ともあれ、今の状況を考えればあの影が地上でも活動出来ると、最悪の可能性を考えておいた方がいい。
あの湖については、本当にまだ何も分かっていないのだ。
つまり、何があってもおかしくはない。
それだけに、レイとしては慎重になりすぎるといったことはないと判断し……そのタイミングで、セトが地上に着地する。
「レイ!? セト!?」
学者の護衛をしていた冒険者が、いきなり上空から下りてきたレイとセトを見て、驚きの声を発した。
最初は敵かと思って武器を構えたのは、ギルドから信頼されてこの場所の護衛を任されるだけの腕利きというだけのことはあるのだろう。
そしてすぐにレイとセトだと判断し、武器を下ろした判断力も。
……これが、冷静ではない冒険者の場合、落下してきたと判断した時点で敵と認識し、半ば反射的に武器を振るっていてもおかしくはないのだから。
そんな冒険者に対し、レイは鋭く告げる。
「敵だ! 湖から巨大な敵が来るぞ!」
その声は、周囲に響き渡るのだった。