2623話
「こちらにどうぞ」
「悪いな」
レイはエッグ達の拠点の一つである酒場の奥に通される。
出来ればレイをこの場所に連れて来たくはなかったのだが、先程の騒動のせいでレイは酒場中から注目を浴びており、そのような場所で話をする訳にもいかないと判断した為だ。
レイも、これ以上自分のせいで他の客に迷惑を掛けるのは避けたかったので、大人しく店の奥に向かった。
店の奥にいた店員達……エッグの部下達にしてみれば、ここはギルムを守る上で非常に重要な場所で、部外者に見せられない情報が書かれている書類の類も多数ある。
それでもこうしてレイを通したのは、レイがエッグと知り合いで……ギルムという街を守るのに、大きな戦力となると理解しているからだろう。
レイにしてみれば、自分の知っている情報は既にもう話してある。
これ以上の情報はない以上、ここに連れてこられても提供出来るものはなにもないのだが……それでも、今の状況を思えば結果がどうなったのかといったことくらいは知っておきたかった。
とはいえ、レイの予想では屋台の店主はレイを見た時点で危険を察知し、そのまま逃げ出した可能性が高かったが。
幾らエッグ達とはいえ、現在のこのギルムに集まってきている人数を考えれば、とてもではないがその中から一人を探すことは出来ない。
いや、本当にやろうと思えば出来るだろうが、その場合は同時進行で行われている様々な作業の多くが滞ってしまうだろう。
ギルムの裏……いわゆる諜報を任されているエッグにしてみれば、多くの仕事を同時進行するのは当然なのだ。
ましてや、現在のギルムには多くの人員が集まってきている。
そんな中からスパイを探し出し、危険な相手であれば捕らえたり……最悪、殺して処理をするといったような真似をする必要もあるし、そこまで危険ではなかったり、何かに利用が出来るのなら泳がせたりといったような真似をしてもおかしくはない。
そういう意味で、エッグ達は増築工事が始まって以降、ギルドや領主のダスカーとはまた違った意味で忙しい日々を送っていた。
「レイは取りあえずこれでも食っててくれ。こういう料理、好きだろう?」
「へぇ……」
この店で作ったのか、それとも別の店で買ってきたのかは分からないが、レイの前には焼きうどんが置かれる。
普通、焼きうどんといえば肉や野菜が入っているのが普通なのだが、レイの前にある焼きうどんは魚の切り身と野菜で作られた焼きうどんであった。
それも保存用に干したり塩漬けにされた魚ではなく、生の身を炒めたのだろう魚の身が。
魚の身というのは、肉と違って炒めるのが難しい。
炒めている時、下手に身を弄りすぎると、その身が崩れてしまうのだ。
そうならないようにするには、相応の炒める技術が必要となる。
(魚……それも干したり塩漬けじゃなくて生身となると、何らかの手段で海から持ってきた訳ではない限り、ギルムの近くの川で獲れた奴だろうな。……魚か、あの湖で獲れた魚も普通に食えるみたいだし、いずれは普通に食材として売られるのかもしれないな)
湖のことを思い出しながら、レイはフォークで焼きうどんを口の中に運ぶ。
すると、魚を見た時と同じか、あるいはそれ以上にレイは驚く。
今までレイが食べた焼きうどんというのは、ソースがこってりとしたものが大半だった。
しかし、この焼きうどんは川魚の味を活かす為だろう。こってりとしたソースではなく、さっぱりとしたソースの味付けになっている。
そして、何らかの果実を使っているのか、口の中には微かな酸味が残っていた。
その酸味が、淡泊な川魚の身の味を引き立て、香ばしく焼かれたうどんと非常に相性がいい。
とはいえ、少し残念なのは料理が既に冷めかけているといったところか。
やはり料理というのは、出来たてを食べるのが一番なのだ。
「これは……美味いな。どこの店の焼きうどんだ?」
「最近噂の屋台ですよ。ただ、その日によって屋台を出す場所が違うので、買おうと思っても買えないんですけどね。今日はこの酒場からそう離れていない場所に出てたので」
その言葉に興味を抱き、レイは屋台のある場所を詳しく聞く。
そうして話をしながら焼きうどんを食べていると……誰かが走ってくる音が、扉の向こうから聞こえてきた。
「駄目だ! レイから聞いた場所に行ったけど、もうそんな屋台はどこにもなかった! 一応周辺も探してみたけど、そういう奴はどこにもいなかったし、情報もなかった」
そう言いながら、一人の男が部屋の中に入ってくる。
どうやら、自分が教えた場所に向かっていた人物が戻ってきたのだと理解したレイは、焼きうどんの最後の一口を味わいながらも、だろうなと納得した。
レイが見た男は、間違いなく一流だった。
それが何の一流なのかは、正確ではないが。
ただし、危険な人物であるというのはその目つきから想像出来た。
「参ったな。そうなると、また調べる相手が一人増えたか。この件の情報を、他の場所に回せ」
少し離れた場所で何かを考えていた男は、報告をしてきた相手にそう指示する。
そうしながらも、本当に困ったといった様子を見せた。
男にしてみれば、レイの持ってきた情報は非常に助かるものではあった。
ものではあったのだが、それと同時に忙しくなってしまうというのも間違いないのが悩みどころとなる。
「そんなに忙しいのか? いやまぁ、忙しいとは思ってたけど、それでも俺が予想していたよりも忙しそうだったから」
そんな男に対し、尋ねるレイ。
自分で口にしたように、エッグ達が現在忙しいというのは予想出来ていたのだが、今の様子を見る限りでは、そんなレイが予想していた以上に忙しそうに見えたのだ。
レイにしてみれば、それが少しだけ予想外だったのだろう。
「ああ。今は色々な勢力がギルムに人を送り込んでいるからな。そんな中で、俺達は色々と動いている訳だ。人数に限りがある以上、どうしても振り分けられる人数に限りがあるんだよ。……ああ、勘違いするなよ。俺は別にレイが今回の件を知らせてくれたことには感謝してるぞ」
エッグの部下達にしてみれば、自分達が把握していなかった危険人物を教えて貰ったのだ。
そうである以上、その件を知らせてきたレイに対し、感謝こそすれ不満を抱くといったようなことをするつもりはない。
そうである以上、レイに対して不満を何も言える筈もない。
「そう言って貰えると、俺としても助かるよ。……じゃあ、あの男の件は任せてもいいんだよな?」
「ああ、任せてくれ。それがこっちの仕事だからな。レイは祭りを十分に楽しんでくれればいいよ。……もっとも、当日はそれどころじゃないだろうが」
祭りで何をやるのか、ここにいる者達には知らされているのだろう。
クリスタルドラゴンの死体の公開で、その素材を盗もうと狙っている者がいる以上、それも当然なのかもしれないが。
「そうだな。でも、忙しいのが終われば俺としてもある程度は自由になるから、その時は祭りを楽しむよ」
レイの希望的な予想に対し、部屋の中にいた男達の多くが出来ればいいなといったような視線を向ける。
単純にランクA冒険者になっただけなら、人数はかなり少ないものの、ギルムにもそれなりにいる。
それだけなら、レイに対しても特に何かがあるといったようなことはないだろう。
だが……今回の場合は、レイがランクSモンスターのドラゴンを、それも魔の森に棲息する新種を倒したのだ。
そうなると、ドラゴンスレイヤーとなったレイとお近づきになりたいと思う者は多数いるだろうし、何よりレイと交渉してクリスタルドラゴンの素材を少しでもいいので譲って欲しいと思ってもおかしくはない。
その光景が予想出来ているからこそ、男達は祭りの日に……いや、それ以降も暫くは多くの者が会いに来るだろうと、そう思っていた。
レイはまさか自分がそんな風に思われているとは思いもよらず、首を傾げるだけだ。
「ともあれ、あの男の件を任せてもいいのなら、俺はそろそろ行くよ。……ちなみに、本当にちなみにの話だが、もしまた街中で俺が見つけた男と遭遇したら、捕らえた方がいいのか?」
尋ねるレイに、男達は難しい表情を浮かべる。
レイが危険だと判断した相手である以上、間違いなく何らかの企みを持っている人物だろう。
だが、そのように怪しい人物ではあっても、今はまだ何もしていない相手なのだ。
そのような相手である以上、ただ遭遇したという理由だけでレイが怪しい相手を捕らえるといったような真似は、色々と問題がある。
ましてや、レイはギルムでも有名な人物なのだから。
これがエッグ達のように諜報を担当している者であれば、裏から手を回して……といったような真似をしてもおかしくはない。
そうである以上、レイの質問に対して素直に頷くような真似は出来なかった。
「いや、止めてくれ。レイがそういう真似をすると、問題になる。もし見つけたら、俺達に教えてくれれば、こっちで手を打つ」
「分かった。見つけたらそうさせて貰うよ」
そう言い、レイは酒場から……正確には酒場の奥から外に出る。
店の方から外に出なかったのは、店の方にレイが出ると、先程のようにまた問題になると思えた為だ。
そうである以上、レイとしては余計な騒動を起こしたくないので、酒場の奥から外に出たのだ。
そして外に出ると、周囲はいつも通りの様子だった。
「ふぅ。予想外に時間が取られたな。……どこに行くかな」
今の状況ではレイは特に何かやるべきことはない。
本来ならトレントの森に向かったりといったように、やるべき事はあるのだが、セトがいない今の状況では、そのような真似は出来なかった。
「屋台を見て回るか? ……そうした方がいいか」
呟き、特に急いでやるべきこともないので、屋台を……もしくは、それ以外にも幾つかの店を見て回ることにする。
レイはギルムを拠点として活動を始めてから数年になるが、それでもギルムの全てを知ってる訳ではない。
街という規模とは思えないような、そんなギルムだから当然だろう。
そんなギルムが、現在は更に広くしようと増築工事をしているのだ。
それこそ、ギルムで暮らしている住人であっても、迷子になるといったようなことになってもおかしくはなかった。
そうして今まであまり通ったことがない場所を見て歩き、一軒の武器屋を見つける。
特に流行っている訳でもなく、客が少ない訳でもない、その辺に多数ある武器屋。
珍しいのは、安い武器が多いといったところか。
「これ、随分と安いな。……その分、品質は悪そうだけど」
そう、その店で売られていた武器は、どれもかなり安かった。
表通りで売ってる武器の半額……安ければ八割引きという武器すらある。
ただし、当然だがそのように武器が安いのには理由があり……
「しょうがないだろ。鍛冶師の見習いが打った武器なんだからね」
レイの言葉が聞こえたのか、中年の女がカウンターの向こう側から面白くなさそうに言う。
だが、すぐに何かに気が付いたようで、目を大きく見開いた。
「こりゃ、驚いた。あんたもしかしてレイかい?」
「そうだけど、よく分かったな」
店員の女が驚いたように、レイもまた驚く。
セトを連れている訳でもなく、現在はドラゴンローブのフードを脱いでいる訳でもない。
そうである以上、今の自分を見てレイだと認識出来るということは、以前にどこかで会ったことがあるか、もしくは何らかの理由でレイのことを知っていたといったようなことになる。
「ああ、セトとは時々遊んでるからね。その時に見たことがあったんだよ」
それはレイを納得させるに十分な説明だ。
とはいえ、基本的にセトと遊ぶというのは子供だったり若い者が大半で、レイと話しているような中年の女となると……いない訳ではないが、数はかなり少ない。
そうである以上、レイも相手に見覚えがあってもおかしくはなかったのだが、生憎とレイは女に見覚えがない。
とはいえ、レイも全員の顔を覚えている訳でもないので、そういうこともあるだろうと判断して、会話を続ける。
「それで、この武器屋はどういう店なんだ? さっき、鍛冶師の見習いが武器を持ってくるって言ってたけど」
「そのままの意味よ。鍛冶師の見習いは、自分の打った武器を売って金にする。……勿論、師匠がそれを許可しないから、基本的にはこっそりとだけどね。どのみち見習いが打った武器はきちんと使える例外を除いて廃棄されるんだから、ここで換金した方がいいのよ」
「……そういう武器が、売れるのか? いやまぁ、売れるからこういう風に店を出してるんだろうけど」
「本職の冒険者が買っていくということは、滅多にないわね。ただ、見た目だけとか、取りあえず武器が欲しいとか、そういう連中には売れるのよ」
店員のその言葉に、そういうものか? と思いつつ、レイはどうせならと槍を適当に十数本、安い順に纏めて買うのだった。