2619話
皆でステーキを食べた翌日……レイは朝食を終えたらダスカーに会いに行こうと思っていたのだが、その前に馬車がマリーナの家にやって来た。
ダスカーからレイを連れてくるように言われたという御者の言葉に、レイはそれならばということで、馬車に乗る。
セトをどうするか迷ったのだが、イエロと遊んでいたいとセトが主張するので、結局レイは一人だけで領主の館に向かうことになった。
いつもなら、領主の館に行けばセトは料理人から料理を貰えるので、喜んでレイと一緒に行くのだが……イエロと一緒に遊ぶのが、それだけセトにとっても魅力的だったのだろう。
ここ最近はイエロと遊べていなかったというのも、あるのかもしれないが。
ともあれ、そうしてやってきたレイはいつものように領主の館にある、ダスカーの執務室に通される。
本来なら、ギルムの領主たるダスカーとはそう簡単に会えるものではない。
だが、レイの場合は特に約束がない状態でやってきても、基本的には普通に会える。
レイが来た時に、ダスカーが別の誰かと会っていたりすれば、また話は別だっただろうが。
そういう意味でも、レイはダスカーに信頼され、重用されているということなのだろう。
「来たか、そっちに座ってくれ」
執務室に入ると、朝早く――それでも午前八時すぎだが――にも関わらず、既にダスカーは書類仕事を行っていた。
元々が書類仕事で忙しかったところに、急に祭りをねじ込んだのだ。
その分だけ書類仕事が増えるのは、当然のことだろう。
レイとしては、そこまでやらなくても……と思わないでもなかったが、ダスカーが祭りを開くのは、別に自分の為だけではないと知っているので、止めるようにと言うことは出来ない。
ダスカーの勧めに従っていつものソファに座ると、ダスカーも読んでいた書類にサインをしてから、レイの前にやってくる。
「さて、本来なら色々と話したいところだが、時間に余裕がある訳でもない。特に今日は色々と忙しいしな。そんな訳で本題だ。祭りの件だが、明後日行うことになった。レイもそのつもりでいてくれ」
「明後日ですか?」
「うむ。近いうちにと言っておいただろう? レイの昇格試験の発表の件もある。そうである以上、出来るだけ早く……それこそ、本来なら今日にしたかったのだが、さすがにそれは無理だった」
「……でしょうね」
レイとしても、祭りの準備の大切さについては知っている。
寧ろ、明後日いきなり祭りをやるという時点で、十分早いと思えた。
「そうだ。もっとも、祭りとは以前も言ったように大々的にやるような祭りではない。それこそ皆が気楽に楽しめる祭りにするつもりだ。……ただ、皆には気楽に楽しんで貰えるが、レイに限ってはそうはいかないぞ」
「分かっています」
明後日に行われる祭りは、名目はともかくとして、実際にはレイが昇格試験に合格したことと、そのレイが魔の森で倒してきたクリスタルドラゴンの死体を公開する為のものだ。
そうである以上、レイは他の者達のように純粋に祭りを楽しむといったような真似は出来ない。
あるいは楽しめたとしても、短い時間となるだろう。
それは残念に思うが、まさかこの状況でそんなことを口に出来る筈もない。
「それで、俺はどうすればいいんです? クリスタルドラゴンの死体を公開するとなると、間違いなく妙なことを考える奴が出て来ると思いますけど」
普通に考えれば、クリスタルドラゴンの素材を盗もうとするのは無理だと、そう理解出来るだろう。
だが、そんな常識を吹き飛ばしてしまう程に、クリスタルドラゴンの死体というのは魅力的なのだ。
それこそ死体そのものとは言わずとも、一部……鱗の一枚だけであろうとも、肉の一欠片であろうとも、体毛の一本であろうとも、その価値は非常に高い。
ましてや、間違いなくクリスタルドラゴンの死体を見る為に多くの者が集まってきている中で、警備の類も決して万全といった訳にはいかないだろう。
あるいは、どこかの貴族の命令に逆らえずに破れかぶれといったように行動に出る可能性も否定は出来ない。
それだけの魅力が、クリスタルドラゴンの死体にはあった。
「ギルドの方に、護衛の依頼を出してある。また、こちらからも騎士を出す。……それでも完全に安心出来ないのが、ギルムなのだがな」
「確かに」
ダスカーの言葉に、レイはしみじみと納得してしまう。
こういう時は、腕利きの冒険者が多数いるというのは、やりにくい一面がある。
「マリーナ辺りに協力を頼みますか? マリーナの精霊魔法なら、色々と便利そうですし」
「ぐ……マリーナか……」
レイの提案に、ダスカーは悩ましげな表情を浮かべる。
自分の黒歴史を知っているマリーナだけに、もし何かを頼めばまたからかわれるような気がするのだろう。
だが、十分考えに考えた上……やがて、ダスカーは不承不承ながら頷く。
自分の黒歴史の件でマリーナの精霊魔法を使うことが出来るのなら、そのくらいのことは受け入れようと判断して。
「分かった。では、マリーナには後でこちらから連絡をしておく」
「俺はこれから特に用事はギルドやローリー解体屋に行く程度のことしかないので、マリーナがいる診療所に行って、その件を話してきましょうか?」
「頼む。少し待ってくれ。手紙を書くから、それを持っていって欲しい」
そう言い、執務机の方に戻るダスカー。
レイはそれを見送り、話している途中でメイドが持ってきてくれた紅茶を味わう。
話している時間がそれなりに長かったので、多少冷めてはいるものの、紅茶を淹れた者の腕だろう。
十分に美味いと、そのように思える。
そして数分……素早く手紙を書き終えたダスカーは、レイに手紙を持ってくる。
「この手紙を頼む」
「分かりました。明後日、俺はどうすればいいんですか? 領主の館に来ればいいのか、ギルドに向かえばいいのか」
「領主の館に来てくれ。クリスタルドラゴンの死体はギルドで公開するが、早い時間にそのような真似をすると、さっきもレイが言ったように妙なことを考える奴が出ないとも限らないからな」
マリーナに精霊魔法で守ってもらい、ギルドの雇った冒険者やダスカーの配下の騎士や兵士達が護衛をするとはいえ、当然だが狙われる原因となるクリスタルドラゴンの死体がなければ、騒動が起きることはない。
そうである以上、一番確実なのは死体を公開するまでレイのミスティリングの中に収納しておくということになる。
「何なら、今日のようにマリーナの家に迎えをやってもいいが、どうする?」
「いえ、祭りとなればセトも一緒に来たいでしょうし、迎えはいりません」
そうして言葉を交わし、レイは手紙をミスティリングに収納してからダスカーの執務室から出るのだった。
「うわぁ……」
領主の館を出て診療所までやって来たレイは、まだ朝だというのに既に診療所の中に結構な人数の怪我人がいるのを見て、そんな声を漏らす。
一瞬何か大きな事故でもあったのか? と思ったが、怪我人達の様子を見る限りでは、大半が殴られた傷だ。
つまり、これは事故ではなく喧嘩……もしくは乱闘が原因で負った傷となる。
(祭りの件で喧嘩っ早くなっている奴が多いって言ってたけど、本当だったんだな。後は、夏ってのも関係してるのかもしれないか)
夏になると、その暑さから苛つく者が増え、それによって喧嘩騒ぎが多くなる。
そう思ったレイだったが、今はまだ午前中で、日差しもそこまで強くはない。
それでも気温は十分に高いのだが。
「レイ? どうしたの?」
聞こえてきた声に、視線を向ける。
するとそこには、相変わらず診療所には似つかわしくないパーティドレスに身を包んだマリーナの姿があった。
それでもマリーナのような絶世の美女という表現が相応しい女が着ていれば、診療所であっても違和感はない。
いや、正確には違和感はあるのだが、その違和感が気にならなくなってしまうというのが正しい。
それこそ、診療所にいる多くの者がそんなマリーナに目を奪われていたが、レイはそんな周囲の様子を気にせず、口を開く。
「マリーナ、ちょうどよかった。ちょっといいか? ……って言っても、今のこの状況を思えば忙しいか」
「あら、そうでもないわよ。ここにいる人達は、怪我はしてるけど軽傷が大半だし。私が特に何かやる必要もないでしょう」
そう告げる様子から、マリーナも現在の診療所の状況を面白く思っていないことは明らかだ。
……当然だろう。本来なら、この診療所はあくまでも増築工事で怪我をした者を対象にして運営されているのだ。
だというのに、祭りの興奮か、もしくは暑さからの苛立ちか、こうして多くの者が喧嘩騒ぎを起こして診療所にやって来ているのだから。
真面目に治療している方にしてみれば、ふざけるなと言いたくなるのも当然だろう。
「なら、少しいいか? ちょっとマリーナに用事があるんだが」
「構わないわ。今の状況を思えば、そうした方がいいでしょうから」
ここにいる者は大半が喧嘩騒ぎでやって来たのだが、そのような中には、今度の祭りでマリーナを誘おうと考えている者もいる。
もっとも、大半の者はマリーナが元ギルドマスターで、現在はレイの仲間……正確にはレイの女という認識なので、マリーナを誘うと考えているのはその辺の事情を知らない、最近ギルムに来た者達なのだが。
ただ、そのような者達もマリーナの美貌と強烈なまでの女の艶によって、迂闊に声を掛けるような真似は出来ない。
そんなマリーナと普通に会話をしているレイに対して、マリーナを誘おうと思っていた者の多くは尊敬の視線を向けるのだった。
診療所から出て、建物の陰に移動したレイは、マリーナに手紙を渡す。
「これは? ……ダスカーからの手紙ね」
封蝋でダスカーからの手紙だと理解したマリーナだったが、何故わざわざ手紙を? と疑問を抱く。
それでも手紙を渡された以上はそれを読まないという訳にもいかない。
手紙の内容は短く、用件のみが書かれている。
それこそ三十秒程度で読める程度の短い文面。
「全く、ダスカーも貴族なら貴族らしい文章を書けばいいのに」
「そうなると、妙に長ったらしくなるんだろう?」
貴族の書いた文章となると、それこそ挨拶を含めて長い前置きが存在し、本題に入るまでに結構な長さが必要となる。
そういう意味では、この手紙はダスカーの率直さを示しているのだろう。
「それにしても、護衛ね。レイの倒してきたクリスタルドラゴンを間近で見られるというのは、私にとっても大きいわね。……祭りに参加出来ないことは残念だけど」
そう言い、少し考え……やがてマリーナは頷く。
「分かったわ。折角レイが倒したクリスタルドラゴンが、見ず知らずの相手に素材を盗まれるとかなったら、つまらないもの。それを防ぐという意味でも、私が護衛に回った方がいいなら、そうさせて貰うわね。……ただ、少しくらいお礼が欲しいんだけど?」
「お礼って言われてもな。……何が欲しいんだ?」
「あら、女に言わせる気? 祭りの最中は無理でも、それが終わったら少しは暇になるんでしょう? なら、その時に私をどこかに連れていくこと。……いいわね?」
それは要するに、デートの誘いだった。
それくらいはレイも理解出来たのだが、だからといってデートでどこに行けばいいのかというのは、迷う。
ここが日本であれば、映画館かどこかにでも行けばいいような気もするが。
(湖とか? ……いや、駄目だな)
湖と思い浮かべ、真っ先に思いついたのは、トレントの森の隣に転移してきた湖だ。
だが、その湖の側にはリザードマン達が住んでいるし、冒険者達も何かあった時の為にリザードマンの護衛としてそれなりの人数が待機している。
他にも、未だにレイの魔法によってスライムが燃え続けている筈だった。
そのような場所は、とてもではないがデートする場所としては考えられないだろう。
(いや、夜になればスライムが燃えてるって光景は、意外と幻想的なのかも?)
そう思わないでもなかったが、レイはすぐに却下しておく。
「分かった。どこに行くのかは後で相談するとして、デートは俺も問題ない」
「あら、そう? なら、クリスタルドラゴンの死体の護衛も頑張らせて貰おうかしら」
レイの言葉に、マリーナは満面の笑みを浮かべてそう告げる。
マリーナにしてみれば、レイとデート出来たらラッキー程度のつもりで誘ったのだが、レイがこうしてあっさりと頷くというのは予想外だった。
もっとも、レイにしてみれば嫌いな相手からの誘いならまだしも、マリーナという好意を持つ相手からの誘いだ。
それを断る筈がなかった。