2615話
「ありがとうございました!」
店員に深々と一礼をされながら、レイは店を出る。
ローリーに確認したところ、今はやはりギルドの方が忙しくて解体の仕事を基本的に引き受けていないということもあり、ローリー解体屋も普段よりも忙しくなっている。
それでも、ローリー解体屋は仕事の技量は高いが、同時に料金も高いので、他のもっと一般的な店よりも忙しさはマシだったのだが。
レイがローリーから聞いた話によると、料金を安くして、数で稼ぐような店は、それこそ休む暇もないくらいに忙しいらしいし。
特にその手の店は抱えている職人も素人に毛が生えた程度……どころか、解体に慣れた冒険者に依頼をして解体職人として働いて貰っているといったような真似すらもしているとか。
レイにしてみれば、どうせならそのような店に雇われるのではなく、自分から積極的に解体の依頼を受けるといったような真似をすればいいのにと思うのだが、そのような依頼を受ける側にもそれなりの理由があった。
具体的には、自分で依頼主を探さなくてもいいという点。
ギルドに解体の依頼を受けますといったようなことをしても、当然ながらそう簡単には依頼は来ない。
何しろ、その依頼を出しているのがある程度性格を知られているような有名人ならともかく、そこまで有名な相手ではない場合、信用出来るかといった問題があるからだ。
だが、解体屋に雇われて仕事をするのなら、報酬の方はそう大したものではないが、仕事に困るようなことはない。
(なら、いっそ冒険者で臨時の解体屋をやるとか……いや、そもそも、モンスターの解体をするには、広い空間が必要となる。そう考えると、やはりすぐに用意するってのは難しいか? ギルムの外でそういう真似をするにしても、血の臭いでモンスターや動物を呼び寄せるといったようなことになりかねないし)
ともあれ、そんな訳でローリー解体屋も他の解体屋程ではないにしろ忙しく、結局のところ解体出来ると言われたのは四十匹くらいだった。
勿論四十匹と言ってもモンスターというのは多種多様だ。
それこそ家くらいの大きさを持つモンスターと、ゴブリンのような小さなモンスターを同じ一匹として数えるのは、色々な意味で間違っている。
結局レイは再度ローリーと共に地下倉庫に向かい、魔の森で倒したモンスターを色々と出して、それにより四十匹の解体を頼むことになったのだ。
「グルルルルゥ」
何度もローリー解体屋の近くで待っていたセトの前を通りすぎたことで、最初は少し残念そうにしていたセトだったが、レイが解体して貰った牛肉を見せると、すぐに機嫌がよくなる。
それだけ、牛肉は美味かったという思い出がセトにも強く残っていたのだろう。
(香辛料があるんだし、どうにかしてカレーを作れればな。いやまぁ、コメの類もないから、カレーが出来てもパンとか……いや、ナンだったか? ともあれ、ビーフカレーは是非とも食べたい。もしくは、ハヤシライスか。だから米がない以上は、ライスじゃなくて……ハヤシ? いや、ハヤシソースだな)
米がない以上、もしハヤシソースを作っても、レイが満足は出来ないだろう。
レイの中で、ハヤシといえばやはりライスなのだ。
もしくは、翌日に残ったハヤシソースをパスタのソースとして使ったり。
(パスタ……この世界にないしな。いや、もしかしたらどこかにあるのかもしれないけど)
パスタに似ている食材となると、レイが知ってるのはうどんだけとなる。
正直なところ、レイにはパスタとうどんの違いが分からない。
いや、料理として違うのは分かるが、パスタもうどんも両方ともが小麦粉と塩と水で作るといったイメージしかないのだ。
そういう意味では、中華麺の類も同じようなものなのだが、中華麺の場合は卵を使っているというのを、料理漫画か何かで見た記憶があった。
実際には、パスタは小麦粉の中でも強力粉を、うどんは中力粉を使うという、大きな違いがあるのだが。
また、パスタを作る強力粉はその殆どがデュラム小麦を粗挽きにしたデュラムセモリナ粉が使われている。
とはいえ、レイはその辺については知らなかったが。
(カレーなら、カレーうどんという手段があるけど、ハヤシソースでうどんは……まぁ、やってみれば意外と美味いのかもしれないけど)
そんな風に考えつつ、レイはセトと共に貴族街に向かって進む。
ローリー解体屋の中で色々とやっていたおかげで、既に夕方の一番忙しいピークの時間はすぎている。
夕陽も既に半ば以上沈みつつあり、街中には酔っ払いがそれなりの数、増えている。
皆、今日の仕事が無事に終わったことで安堵し、明日の仕事に向けて英気を養っているのだろう。
それはレイも分かるのだが、酔っ払いというのは大半が自制心をなくす……もしくは緩くなっており、何人かがレイやセトに絡もうとしてくるのが面倒だった。
今はまだ夜になりかけなので、そこまで深く酔っ払っている者はいないが、これがもっと時間が経てば深酔いをする者も出て来るだろう。
そのような相手に絡まれるよりも前に、レイとしてはさっさとマリーナの家に帰りたかった。
……それでいながら、夜になったことによって営業を始める店や屋台の類もある。
そういう店でも美味い料理を出すのは間違いないので、レイとしてはそちらにも興味があったのだが……そんな欲望を我慢しながら、マリーナの家に向かう。
ローリー解体屋で解体して貰った、牛肉。
どうせなら、この肉を焼いて食べたいと思うのは当然だろう。
「グルゥ……」
街中を歩いていると、漂ってくる空腹を刺激する匂い。
そんな匂いを嗅ぎつつ、セトもまたレイと同様に牛肉を食べたいと思って我慢する。
「てめえっ! ぶつかっておいて、謝りもしねえのか!」
「ふざけるな! そっちからぶつかってきたんだろうが!」
貴族街に向かって歩いていると、そんな声が聞こえてきた。
とはいえ、夜であることを考えれば、このような喧嘩騒ぎは珍しいことではない。
普段は大人しい者であっても、酒を飲めば気が大きくなることは珍しくない。
あるいは、元々気の強い者が酒を飲んで喧嘩騒ぎを起こすというのも、またギルムでは頻繁にあることだった。
特に現在は、増築工事で仕事を求めて多くの者がギルムにいる。
そんな中には当然喧嘩っ早い者も多い。
「グルルゥ?」
どうするの? とセトがレイに向かい、喉を鳴らす。
だが、喧嘩騒ぎは頻繁にあることである以上、それこそレイがここで何かをしなくても、警備兵やその補佐として街中を見回っている冒険者がどうにかする筈だった。
勿論、その喧嘩がレイやセトに対して何か不利益を与えるようなものであれば、介入することも避けるつもりはなかったが。
「きゃあああああっ!」
そんな風に思った瞬間、聞こえてくる悲鳴。
これが先程の叫んでいた男達の悲鳴なら、レイも気にするようなことはなかっただろう。
だが、女の悲鳴となると、ここで自分がどうにかするだけの力があるのに、面倒だからと見すごすような真似は後味が悪い。
それに何より……悲鳴が聞こえてくるとの同時に、強く漂ってくる食欲を刺激する匂い。
その匂いは、屋台や店から漂ってくるものではないのは、先程の悲鳴から想像出来た。
つまり……
「喧嘩して、屋台を破壊したな? その上でスープの入ってる鍋を引っ繰り返したか」
「グルルゥ!」
レイの言葉にセトも同意だったのか、憤りを込めて喉を鳴らす。
セトにしてみれば、美味しいスープを零すような真似をする相手は、到底許すことが出来なかった。
「セト、行くぞ」
「グルゥ!」
そうして喧嘩をしていた者達は、自分の行いによって我知らずレイとセトという最悪の相手を呼び寄せる結果となる。
レイとセトは、人に当たらないようにしながら、道を進む。
体長三mオーバーのセトは、どうしてもその身体の大きさから人に当たりやすくなるが、それでもどうにかするのがセトらしいところだろう。
……実際には、微妙にサイズ変更のスキルを使っていたりしたのだが、それによって変えられたサイズは僅かなので、それに気が付く者はいない。
ただでさえ夜となっており、明かりは多少あれども昼よりは暗く、更には酔っ払いも多い。
そんな中で、微かにサイズ変更されたセトの身体の大きさをしっかり見分けるのは難しい。
……不可能ではなく難しいなのは、ここがギルムで高ランク冒険者が多い為だ。
高ランク冒険者の中には、酔っ払っていてもセトのサイズ変更に気が付く者がいてもおかしくはない。
そうして到着した場所では、予想通り……いや、予想よりも酷い光景が広がっていた。
何しろ、屋台が一つ完全に駄目になっている状態だったのだから。
その屋台で売っていたのだろうスープの鍋は地面に散らばり、それ以外の惣菜もまた地面に散らばって、喧嘩をしている男達によって踏みにじられていた。
そんな光景を見れば、当然ながらレイとしては……そしてセトもまた許すことは出来ない。
「セト」
「グルゥ」
レイの言葉にセトは喉を鳴らし、そんな一人と一匹は喧嘩をしている男達の様子を見ている見物人達の中から前に出る。
当然そのような行動をする者がいれば、目立つ。
特にそうやって前に出たのがレイとセトという、ギルムでも有名な者達であれば尚更だろう。
事実、喧嘩をしている二人の男はそちらに夢中で気が付いている様子はないが、その二人の連れと思われる、それぞれの男達は、レイとセトの姿を見て顔を引き攣らせていた。
ドラゴンローブのフードを被っているし、既に夜ということもあり、そこまで明かりもないので、レイの表情は分からない。
だが、レイと一緒に姿を現したセトは、明らかに不機嫌そうに喉を鳴らしている。
ランクCやD冒険者として、それなりに自分の腕には自信のある男達だったが、それでもレイやセトを相手にどうにか出来るとは思っていない。
ましてや、最初の殴り合いはともかく、こうして屋台を壊すというのはやりすぎだと思っていた以上、この状況で自分達がどうするべきかを考え……その中でも素早い行動に自信のある者は、即座に逃げようとし……不意にその足が止まる。
逃げようとした相手に、レイが視線を向けた為だ。
特に殺気の類が込められている訳でもなく、あるいは魔法やスキルの類を使われている訳ではない。
本当にただ視線を向けられただけなのだが、それでも逃げようとした者達は足を止めてしまった。
一体何がどうなって身体が動かなくなったのかは、本人も分からない。
分からないが、無理に身体を動かそうとしても悲惨な目に遭うだけだと判断し、そのまま動かない。
そうして関係者が逃げないようにしてから、レイは未だに自分の存在に気が付かず、殴り合っている二人の男達に向かう。
多少酒は入っているのだろうが、それなりのランクの冒険者の為か、殴り合いの技量はチンピラの喧嘩とは比べものにならない程に高レベルなものだ。
せめてもの自重は、お互いがあくまでも素手で殴り合って――蹴りの類も使われているが――いることで、武器の類は抜いていないことだろう。
最低限の判断は出来ているという証だった。
(それなら、周囲にいる他の奴にも迷惑を掛けなければいいのにな)
呆れたように考えつつ、レイはセトを引き連れて喧嘩をしている二人の男に近付いていく。
「セト、お前はそっちの男を頼む。……多少の怪我はさせてもいいけど、重傷は止めておけよ」
「グルゥ」
レイの言葉に、不満そうに喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、食べ物を粗末にする相手に対し、そこまで手加減をするというのは面白くなかった為だ。
また、それ以上にセトが不満に思った理由は、屋台の店主と思われる女が顔見知りの……今まで、何度も自分を可愛がってくれて、食べ物をくれた相手だったから、というのもある。
セトにとっては、それだけで男達を許したくないと思うのだが……
「セト」
改めてレイに言われれば、セトも不承不承ではあるが頷くことしか出来ない。
セトの首に掛かっているのは、従魔の首飾りという代物で、セトが誰かの従魔であるということを意味している。
そんなセトがもし問題行動を起こした場合、それはレイが責任を取ることになる。
とはいえ、それはあくまでもセトが問題行動を起こした場合であり、今回のように問題行動を起こした相手を止めるという意味では、問題にはならない。
……ただし、その際にセトが意図的に相手に重傷を負わせるような真似をした場合は、問題になる可能性もあったが。
そういう訳で、レイはセトにやりすぎないようにと注意したのだ。
そうして、レイとセトは喧嘩をしている者達を止めるべく、行動を起こすのだった。