2606話
「美味っ! これもの凄く美味いっすよ!」
倉庫の中にいたギルド職員の中でも、一番若い男がそう叫ぶ。
その手にあるのは、肉や野菜がたっぷりと入ったスープだ。
それこそ食事の添え物としてのスープではなく、メインのおかずとして……いや、場合によってはこのスープだけで腹一杯になってもおかしくはないだけの、大量の具材が入っているスープ。
その具材の味がスープにも溶け出しており、具材だけでははくスープそのものも複雑な味わいで、起きたばかりで空腹のギルド職員達の胃袋を刺激する。
(言ってみれば、豚汁の豪華バージョン的な……そんな感じか? オーク肉も入ってるし。けど、起きたばかりで豚汁を貪るように食べるってのは凄いな。いやまぁ、俺も起きたばかりで肉を食うのは平気だけど)
朝食は食べないという主義の者もいれば、朝は大量に食べるという者もいる。
その辺は人それぞれだったが、こうして見る限りではギルド職員達は全員がしっかりと食べる派だったらしい。
よほど空腹だったのか、鍋にあるスープは次々とその量を減らしていく。
「ギルドの方から、食事の差し入れはなかったのか?」
「いや、あった。あったが、あれだけだと足りなかった」
ギルド職員の一人が、キャベツに似た葉野菜を食べながらそう告げてくる。
「そうなのか? ギルドの方でも、食事はたっぷりと用意してもおかしくはないと思うけど」
この倉庫で行われているのは、ランクAモンスターの解体だ。
それも未知のモンスターの。
そうである以上、その情報はギルドにとって非常に大きな利益となるし、素材の類も半分はギルドで取り扱うことになっている。
それらは、直接ギルドの収入になる以上、ここでギルドが差し入れする食事を少なくするなどといったようなことをしても、意味はない。
いや、意味がないどころかギルドにとって大きな不利益とすらなるだろう。
そう考えれば、やはり現状は理解出来ない。
「差し入れされた食事の量は普通だったが、その辺の手配は事情を知らない奴がやったんだろうな。俺達は仕事も大変な分、しっかりと食うんだよ。それこそここにいる全員が一般的に見れば大食いと言われてもおかしくはないくらいに食う」
その言葉で、ようやくレイは納得する。
レイもまた、その小柄な外見に似合わず大食いだ。
もしレイが食事をするとして、普通の人が食べる一食分を持ってくるようなことがあれば、間違いなく物足りないだろう。
この倉庫で行われているのは、そういうことだった。
「そうすると、もっと料理を置いていった方がいいか?」
「いや、そこまで心配はしなくていい。ギルドも別に俺達を空腹で働かせようとしている訳じゃねえ。次からはしっかりと俺達が腹一杯になる分の量は持ってくるって言ってたからな」
そう言われ、レイもそれならばと納得する。
そうして話をしている間も食事は続けられ……やがて、鍋の中身が空っぽになったところで、食事は終わる。
「よし、それじゃあ仕事に戻るぞ。……レイ、素材は半分だけ持っていくってことでいいんだな?」
確認の意味を込めて尋ねてくる親方に、レイは頷く。
すると、親方は早速素材を半分になるように分けていき、それを書類に纏めていく。
「レイ、この木の本体を切ってくれないか? 半分ってことになると、これをどうにかする必要があるからな」
ギルド職員の一人に頼まれ、レイはデスサイズを取り出すとあっさり一振りし、木を切断する。
それを見ても、ギルド職員達は驚いた様子はない。
……当然だろう。レイは昨日、クリスタルドラゴンの皮膚を切り裂くといったような真似をしたのだ。
それこそ、解体を専門にしているギルド職員達ですら、自分の道具ではどうしようもなく、特別な道具が必要だと判断したクリスタルドラゴンの皮膚を。
そんなレイを見ているのだから、闇の世界樹の身体を切断するのを見ても、驚く様子はなく、寧ろ当然だと認識する。
レイが闇の世界樹を切断すると、ギルド職員達はその素材もそれぞれ分けていく。
(へぇ)
そんなギルド職員を見て、レイは少しだけ驚きの声を上げた。
何しろ、レイの分として纏められている素材の方には、闇の世界樹の素材のうち、状態のいい物の方だった為だ。
ギルドとしては、闇の世界樹は初めて扱うモンスターだ。
その分析の為には、当然ながら状態のいい方がやりやすい筈だった。
にも関わらず、こうしてレイの方に優先的に状態のいい部位を譲ってくれるということは、それだけレイを重要視しているということだろう。
レイもどうせなら状態のいい素材の方が助かるのは間違いない。
……とはいえ、この素材がどのようなことに使えるのかといったようなことを考えると、それこそギルドと同じく自分で――正確にはその知識がある者が――調べなければならないのだが。
ともあれ、親方達が状態のいい部分を素材としてレイに譲ってくれたことだけは明らかだった。
「ああ、これでいい。……ありがとう」
「ふんっ、いいからとっととアイテムボックスに収納して次のモンスターを出せ。蜂系のモンスターはそれなりに多いから、解体するのもそう難しくはないはずだ」
親方はレイに向かってそう告げると、乱暴にそう言ってくる。
一瞬、不機嫌なのか? と思ったレイだったが、これが素なのだろうと判断して素材をミスティリングに収納した。
「こっちの素材はどうするんだ? 女王蜂の解体をするにも、邪魔だろ?」
「そっちは後で冒険者が来て持っていくから、気にするな」
この冒険者も、当然ながらギルドからの信頼が厚い者達で、素材を運ぶ際に少しだけ……といった具合に盗んだりといった真似はしない。
もっとも、そのような真似をしようとしても、ギルド側でも職員を派遣して監視しているので、盗み出すのはまず無理だろうが。
「そっちの素材は気にしなくてもいいから、次のモンスターを出せ」
親方にそう促され、レイは頷く。
闇の世界樹の素材が邪魔なのは事実だが、それでも身動きが出来ない程に邪魔という訳ではない。
ギルド職員達が、運び出しやすいようにだろう。扉の側まで闇の世界樹の素材を運んでいた。
それを一瞥し、レイはミスティリングから女王蜂を取り出す。
『おお』
素材を運んでいた者や、手の空いている者達の口から驚愕の声が出る。
ギルド職員達は、当然ながら昨日女王蜂の姿は見ていた。
しかし、昨日見た時は次々とランクAモンスターの死体が出て来ては消えていき、最終的にはランクSモンスターのクリスタルドラゴンが出たこともあり、ギルド職員達の印象は完全にそちらに持っていかれてしまったのだ。
それでも闇の世界樹は、自分達でこうして解体をしたので、ある程度印象に残っていたのだが……そんな中で女王蜂の死体が出て来たのだから、それで驚くなという方が無理だった。
巨大な……本当にモンスターらしいモンスター。
実際には闇の世界樹も生首の生えた触手が無数に生えていたりと、そういう意味ではモンスターらしいモンスターだったのだが、戦いの中でその辺りは燃えつきており、残っているのは木の部分だけだった。
そういう意味では、ギルド職員達がやったのはモンスターの解体というよりは、樵の真似事のようなものだったのだろう。
だからこそ、女王蜂を見てこうして驚きの声を上げたのだ。
「よし、準備はいいな! 下らねえミスをしたら、どうなるか分かってるな!」
親方の声が倉庫の中に響く。
これがその辺にいるモンスターであれば、多少なりともミスをしたところで、そこまで怒られるといったことはない。
しかし、今回解体するのはランクAモンスターの女王蜂だ。
当然、こちらも今までギルドには情報がなかった、未知のモンスターとなる。
それだけに、解体に失敗するというのは、親方にしてみれば有り得ないことだった。
出来るだけ多くの情報を入手する為にも、しっかりと解体する必要がある。
「それで、次はいつくればいい? やっぱり明日か?」
「いや……さっきも言ったが、蜂系のモンスターというのはそれなりに解体に慣れている。その経験からすれば、夕方くらいには解体は終わる筈だ」
だから、そのくらいの時間に来てくれ。
そう言われたレイだったが、少し迷う。
夕方というのは、ギルドの中でも朝と並んで一番混雑する時間だ。
幸いにも、この倉庫に来るにはギルドの中を通らなくてもいいので、そういう意味では楽なのだが。
そうして少し考え、頷く。
「分かった。夕方くらいに戻ってくるよ。……ああ、そう言えば昨日から倉庫の中にいたってことは、祭りの件は聞いてるか?」
倉庫から出ようとしたレイは、ふと疑問を抱いてそう尋ねる。
祭りを行うと決めたのは、昨日……それもレイがこの倉庫から出て領主の館に行ってからだ。
そしてこの様子から考えると、親方達は昨日からずっとこの倉庫の中にいた筈だ。
トイレや水場、簡単な台所といったように、この倉庫の中はそれなりに快適に生活出来るようになっている。
時間の掛かる食事の準備も、外から運ばれてくるのだから問題はない。
だとすれば、祭りのことを知らないのではないか。
あるいは、食事を持ってきた者達から聞いてるかもしれないが。
そんな思いで尋ねたレイだったが……
「何? 祭りだ? 何の祭りだ?」
親方が不思議そうな様子でそう尋ねてくる。
祭りという言葉は、女王蜂の死体を見ていた者達も気になったのか、他のギルド職員達もレイに視線を向けてきた。
やっぱり知らなかった。
そう思いながら、レイは事情を説明し……
「むぅ……そうか」
若干不満そうに親方が呟く。
親方にしてみれば、クリスタルドラゴンは出来るだけ早く自分達で解体したいと思っていた。
現在この倉庫にいるギルド職員は、誰もが一定以上の解体技術を持っている者達だ。
そのような者達ですら、クリスタルドラゴンを解体するとなれば、緊張して実力を発揮出来ない可能性があった。
そんなクリスタルドラゴンを公開するような真似をした場合、それこそ自分達だけで解体をするというのは、まず不可能になるだろう。
親方としては、解体技術の未熟な者達にクリスタルドラゴンの解体に関わって欲しくはなかった。
それこそ、下手をすればクリスタルドラゴンの素材に意味もなく傷を付けてしまう可能性があったのだから。
しかし、領主のダスカーがそう決めてしまった以上、親方にそれを覆すようなことは出来ない。
その為、結局は祭りの件は受け入れるしかなかった。
「しかし、そうか。祭りか。……具体的にはいつ行われるんだ?」
「さぁ? ダスカー様は近いうちにって言ってたし、祭りは祭りでも準備期間が短期間である以上、そこまで大々的な祭りにはならないと思うけど。そう考えると、数日後ってところだと思う」
「ふむ、そうか。そうなると……出来ればレイの倒してきたランクAモンスターの解体はそれまでに終わらせておきたいところだな。しかし、速度を重視するあまり、解体が雑になっては意味がない」
クリスタルドラゴンには及ばなくても、どれもがランクAモンスター……それも未知のモンスターなのだ。
とてもではないが、粗雑に解体するつもりはなかった。
もっとも、親方の性格からして、仕事で解体するモンスターはどのようなモンスターであっても、丁寧に解体するというものだったが。
「そうか。なら、頑張って解体してくれ。そうなると……そうだな、取りあえずこれでも置いていくか。腹が減ったら食えるようにな」
そう言い、レイはミスティリングから干した果実を複数取り出す。
最初は冷えた果実や果実水でも……と思ったのだが、時間が経てば温くなってしまう。
であれば、そういう温度に関係なく摘まめる何かを置いていった方がいいだろうと判断したのだ。
……勿論、それでも夏の気温で何日も出しっぱなしにしていれば、悪くなる可能性は十分にあったが、今日のうちに食べれば問題ないだろう。
「おう、助かる。休憩の時にはそういう甘いのもあってもいいしな」
親方がそう言い、他のギルド職員……特に甘い物が好物の者達からは、本気で嬉しそうな視線がレイに向けられる。
甘い食べ物というのは、それなりに貴重だ。
それをこうもあっさりと置いていってくれるのだから、ギルド職員達がそれを嬉しく思わない訳がない。
「色々と大変かもしれないけど、頑張ってくれ」
「おう、任せろ。こうして未知のモンスターを解体するってのは、俺達にとっても嬉しいことだからな」
男臭い笑みを浮かべる親方を頼もしく思いつつ、レイは倉庫から出ていくのだった。