2604話
「ん……んん……」
カーテンの向こう側から降り注ぐ太陽の光に、レイは起き上がって呻き声を上げる。
ベッドの上で上半身を起こし、周囲の様子を眺める。
自分は今、どこにいるのか。
そんなことをぼんやりと考えるも、レイは自分がどこにいるのかといったことすら、よく思い出せない。
そのまま十分程が経過し、やがて時間が経過するごとに頭の中がはっきりとしてきて、現在自分がどこにいるのかを思い出す。
「ああ、そう言えば……魔の森から帰ってきたんだったな」
魔の森の中……いや、そうでなくてもギルムの外にいる時は、目が覚めればすぐにでも行動出来る状態になるのだが、レイは本能でここが安全な場所だと理解しているのだろう。
その為、こうして寝起きは寝惚けていられる時間が十分にあった。
「太陽の光が、随分と高いな」
カーテン越しではあっても、太陽の光がどのくらいの高さにあるのかというのは十分に理解出来る。
マリーナの家ではそれなりに寝泊まりしているので、部屋の中からでも太陽のある位置で大体の時間を理解出来た。
詳細な時間を知りたいのなら、ミスティリングの中から懐中時計を取り出せばいいのだが……今は別にそこまでする必要はなく、大体の時間が理解出来ればそれでよかった。
「午前十時……いや、十一時くらいか?」
朝と呼ぶ時間はとっくにすぎているが、昼と呼ぶにはまだ早い。
そんな時間だろうと判断しながら、まだ起きたばかりで残っている眠りの残滓を感じつつ、ぼけっとする。
魔の森での話は、強敵との戦いを好むヴィヘラだけではなく、他の者達にも人気が高かった。
それこそ普段は殆ど表情を変えるようなことがないビューネですら、少しだけではあるが興味深そうにしていたというのを思えば、どれだけ皆の食いつきがよかったのかが分かりやすいだろう。
それだけに、レイは何だかんだと結構遅い時間まで話をすることになったのだが。
ただ、レイが一番困ったのはやはりゼパイル一門の隠れ家や、川の源流にあった結界で覆われていた空間といったような場所についての説明だったが。
レイの事情を知っている者だけならまだしも、知らない者もいる以上は、その辺についての話をすることは出来ない。
結果として、レイはその辺りについては誤魔化すことにしたのだが……それで話の辻褄を合わせるのが、一番大変だった。
とはいえ、日本では漫画や小説、ゲームといった諸々を楽しんでいたレイだ。
その時の知識で、ある程度誤魔化すといったようなことが出来た。
そうして夕食……というよりは時間的に夜食と呼ぶのが相応しくなった時間に話は終わり、レイは寝た。
日付が変わるかどうかといったくらいの時間だったことを思えば、十時間以上は眠っていたことになるのだろう。
そうしてぐっすりと眠ったおかげで、レイの頭の中はすっきりし、精神的な疲労も今はもうない。
「さて……後はこれからどうするかだな」
そう言い、レイは部屋から出て……
「うおっ!」
リビングに出たところで、普段はこの家にいないだろう人数がそこにいるのを見て、驚く。
十人を超える人数の者達が、そこにはいた。
とはいえ、敵意の類はない。
もし敵意の類があれば、精霊によって敷地内に入ることは出来ないのだから。
「あ、レイ殿。おはようございます」
レイの側を通りかかったアーラが、レイに向かって挨拶をすると頭を下げてくる。
レイもまた、アーラにおはようと言おうとしたのだが……それよりも前に、アーラは急いでその場から立ち去った。
(何があったんだ?)
そんなアーラの後ろ姿を見ながら、レイは疑問を感じる。
とはいえ、リビングにこれだけの人数が集まっているというのは、落ち着かない。
なら、中庭にでも出るか。
そう判断し、レイはリビングを抜けて中庭に向かう。
その途中、リビングにいた何人かはレイの存在に気が付いたようだったが、そのような者達が近付いてくるよりも前に、レイは中庭に出る。
レイの存在に気が付いた者の何人かが、レイに声を掛けようとしていたが、中庭に出てしまうと追うような真似も出来ない。
まさか他人の家に来て、勝手に庭に出るといったような真似が出来る筈もない。
子供であれば、そのような真似も出来るのかもしれないが……生憎と、リビングにいたのは全員がきちんとした大人だ。
そんな訳で、追うことが出来ない者達をその場に残してレイは中庭に出る。
その際、リビングでエレーナが忙しそうに何らかの書類にサインをしている光景が見えたが、取りあえず自分には関係のないものだと判断しておく。
(とはいえ、何だって急にこんなに忙しくなってるんだ? 俺が帰ってきたことと関係あるのか? いや、思いつくのはそれしかないから、多分それが理由なんだろうけど……けど、何の為に?)
そんな疑問を感じつつ、レイは中庭を見る。
既に昼近い時間である以上、当然ながらそこに誰もいない。
いや、セトとイエロが中庭を走り回って遊んでいたので、誰もいないという訳ではないのだろうが。
そしていつも食事をしているテーブルの上には、マリーナが用意したのだろう。朝食が置かれている。
(セトやイエロに食べられなかったのは運がよかったな)
そんな風に思いつつ、早速朝食――というには少し遅いが――を食べる。
朝食ということで、そんなに豪華な食事ではない。
パンにチーズ、ハム、サラダ、スープ、果実……といった、典型的な朝食。
ただし、どれも十分に美味い料理の数々だったのは間違いない。
「まぁ、朝にはもっと美味かったんだろうけど」
パンは冷めていても美味いが、それでも焼きたてのパンには及ばない。
チーズやハム、果実といったものはそのまま出されているので味は変わらないが、サラダは時間が経ったことで水分が出て若干水っぽくなっている。
スープも冷えており、温かい時に比べれば味は落ちていた。
冷めてもこれだけ美味いのだから、出来れば出来たてを食べたかった。
そう思うレイだったが、疲れていたのを思えばこの結果は当然のものなのだろう。
そうして食事を終えると、それを待っていたかのようにセトがやってくる。
レイがこれからどうするのか、それを理解した上での行動なのだろう。
(昨日、ギルドの前で色々な食べ物を貰っていたしな)
セトが魔の森に行ったということで、心配していた者も多かったのだろう。
あるいは、ヨハンナのように重度のセト愛好家で数日であっても耐えられなかったのか。
ともあれ、昨日はセトにとって決して悪い日ではなかった。
今日も昨日と同じように、大勢から食べ物を貰えるかもしれないと、そう思うのはセトとしては当然だろう。
なお、レイにギルドに行かないという選択肢は存在しない。
昨日は闇の世界樹を置いてきたが、その解体は終わっている筈だ。
闇の世界樹の魔石で一体どのようなスキルを習得出来るのかは分からないが、出来るだけ早く次のモンスター……女王蜂の死体を置いていくる必要があった。
(というか、闇の世界樹……本当にどんなスキルが習得出来るんだろうな?)
レイにとって、闇の世界樹というのは決していい印象がある訳ではない。
何しろ、モンスターを誘き寄せてその体内に種を植え、生首を自分の蔦としてつかうなどといったような、とんでもない悪趣味なことをしていたのだから。
もしセトが闇の世界樹の魔石を使った結果、同じようなスキルを習得したらどうなるか。
レイとしては、出来ればそんな光景は見たくない。
(となると、セトじゃなくてデスサイズに使った方がいいかもしれないな。……まぁ、あの蔦関係じゃなくて、再生能力の方の特徴が出る可能性もあるし)
とはいえ、再生能力に関するスキルというのは、レイにとってはそこまで美味しいスキルではない。
元々レイもセトも敵の攻撃は耐えるのではなく回避するという戦闘スタイルだし、防具という点でもセトは自前の毛や羽毛が下手な鎧よりも強く、レイにはドラゴンローブがある。
もし、攻撃を食らったとしてもレイのミスティリングの中には効果の高いポーションがたくさん収納してある。
魔の森でクリスタルドラゴンとの戦いに使ったように。
そう考えれば、レイとセトの場合は回復系のスキルはあまり使わない。
ましてや、今は回復魔法を使えるマリーナとパーティを組んでいるのだから、余計に使用回数は減るだろう。
(だとすれば……そうだな、蔦とは言わないまでも、植物を操る系のスキルとか? そっちなら結構使い道がありそうだけど)
そんな風に考えるレイは、不意に中庭に出て来た人物の姿を見つける。
誰だ? と疑問に思ったレイだったが、よく見ればそれはアーラだ。
エレーナに会いに来た客がレイとの面識を得たいと思って行動したのではないかと思ったのだが、アーラなら特に問題はないだろうと思い……それどころか、何故急にこれだけの者達が集まっているのを聞けるかもしれないと、寧ろ好都合だと判断する。
「おはようございます、レイ殿」
「ああ、おはよう。それにしても、部屋から出たらいきなりあんな感じで人が大勢いたから、驚いたよ。……実は、もしかしてこれが普通だったりするのか?」
それだと嫌だな。
そんな風に思いつつ尋ねるレイに、アーラは勿論違うと首を横に振る。
「あの方々がやって来たのは……ある意味、レイ殿にも関係はありますね」
アーラのその言葉にレイが感じたのは、何故? というものではなく、やっぱりというものだ。
昨日の今日で何かがあったとなれば、やはりレイの件だろう。
ここがギルムである以上、レイの件以外にも色々とあってもおかしくはないし、実際に起きているだろう。
だが、それでも今の状況を考えると、やはり自分のことだろうなと予想するのは難しくはなかった。
「祭りの件か?」
「ええ、そっちの件も多いです」
そっちの件もと口にすることは、それ以外の件もあるということなのだろう。
「他にもあるのか?」
「レイ殿はあまり実感がないようですが、ここは辺境のギルムで、そんなギルムの冒険者であっても容易に手を出すことが出来ないのが、魔の森です。レイ殿はそんな魔の森で二泊三日をすごし、その上でランクAモンスターを二匹以上倒してきました。……まぁ、実際にはランクSモンスターなどという、とてつもない相手も倒している訳ですが、この件はまだ知られていません」
「だろうな」
クリスタルドラゴンの件について情報が広まっていないのは、レイにも納得出来た。
ダスカーの祭りの目的を聞けば、クリスタルドラゴンの存在は知る者が少なければそれだけいいのだから。
「というか、クリスタルドラゴンの件が知られていないのはいいけど、ランクAモンスターの件が知られてるってのは、どうなんだ? ランクAモンスターの件を知ってる者は当然クリスタルドラゴンの件も知ってる訳で……そう考えると、少し疑問を感じる」
クリスタルドラゴンやランクAモンスターの件を知ってるのは、それこそ直接見たワーカーと解体を担当するギルド職員達、そしてレイが説明したダスカーと、昨日この中庭で話した面々だけだ。
話した者達の中で一番情報を漏らしそうなのは、ギルド職員達だ。
だが、そのギルド職員達は昨日から闇の世界樹の解体を行っているだろうし、ワーカーが選んだギルド職員である以上、軽々しく情報を漏らすとも思えない。
しかし、そうなると残るのはワーカー、ダスカー、昨日ここにいた面々だ。
その誰もが容易に情報を漏らすとは思えなかった。
そんなレイの疑問を、アーラはあっさりと解決する。
「誰から聞いた訳でもなく、レイ殿が戻ってきたという件を聞いての予想でしょうね」
「予想?」
「はい。魔の森から戻ってきて、怪我の一つもしていない。そんなレイ殿を見たという情報があれば、昇格試験を無事終わらせて戻ってきたと考えてもおかしくはないかと」
そう言われればレイとしても納得せざるをえないのだが、それでも疑問はある。
「俺が昇格試験に合格したんじゃなくて、魔の森で怪我をする前に逃げてきた……とか、そんな風に思ったりはしないのか?」
普通ならそう考えてもおかしくはない。
そう告げるレイに、アーラは一瞬意表を突かれ……そして我慢出来ないといったように笑い、その衝動が収まったところで口を開く。
「レイ殿の実力は広く知れ渡っています。特に今日来られている方々は、ギルムの情報収集を任されている方々ですから。それを考えれば、レイ殿が魔の森から逃げてきたなどとは思いもしませんよ」
そんなアーラの言葉に、レイは期待が重いと感じつつも、そういうものかと納得してしまうという、妙な感じになるのだった。