2599話
「おわっ!」
ギルドから出たレイは、視線の先に存在する光景を見て思わず声を上げる。
ランクA冒険者――まだ正式には公表されていないが――のレイを、見ただけで驚かせるというのだから、その様子は驚くべきものなのは間違いない。
何しろ、ギルドの側で待機していたセトの周囲には、多くの者達が集まっていたからだ。
それが何なのかは、レイにも容易に想像出来た。
今はこの光景を見て驚きはしたが、それでもこのような光景はこれが初めてという訳ではないのだから。
セト愛好家の面々が、魔の森から戻ってきたセトを心配して集まってきたのだろう。
(心配した以外にも、セトがいなかった期間の分、セトを愛でたいと思ったのかもしれないけど)
どちらが正解という訳ではなく、そのどちらもが正解といったところなのだろう。
「そっちの方、行列からはみ出ないでくださーい。道を通る人の迷惑になります。……こらっ、そこ! 列に割り込まない! セトちゃんはそういう真似をする人は嫌いますよ!」
ふと聞こえてきた声に視線を向けると、そこではセトを愛でる者達の行列を整理している者がいた。
実際、セトがいるのはギルドのすぐ近くだ。
無秩序に人が集まるといったようなことになれば、それこそギルドの用事のある者達と諍いが起きてもおかしくはないだろう。
ましては、今は夏で非常に暑い。……いや、場合によっては熱いという表現の方が相応しいだろう。
レイは簡易エアコンの効果があるドラゴンローブを着ているので問題はないが、仕事が終わってギルドに報告に来たり、仕事をする為にギルドにやって来た者達にしてみれば、この暑い中でギルドの前に人がいて中に入れないといったことになれば、間違いなく騒動が起きる。
だからこそ、セト愛好家の面々はそのようなことをしないようにする為にも、こうして行列の整理をしているのだろう。
「あれ?」
行列の整理をしている者の顔に見覚えがあり、レイはそんな呟きを漏らす。
そんなレイの呟きが聞こえた訳でもないだろうが、向こうもレイの方を見る。
「あ、レイ隊長」
レイの顔を見るなり、そんなことを言う二十代半ば程の女。
自分のことを隊長と呼ぶことだけで、それが誰なのか……そして、レイにも見覚えがあったのかを理解する。
「隊長は止めろ。遊撃隊はもう解散したんだからな」
そう、そこにいたのは以前ベスティア帝国で行った内乱の際に、レイと一緒に遊撃隊として動き、内乱が終了した後はレイを慕って……いや、正確にはレイと敵対したくないという理由からギルムに移住してきた者達の一人だ。
現在は同じく移住してきた元遊撃隊の面々と大きな屋敷を借りて、全員で生活している筈だった。
そして、そのような者がこうして列の整理をしているということは……
「ヨハンナは中か?」
「はい」
やっぱりか。
あっさりと頷いた女の言葉に、レイはそう納得する。
ヨハンナというのは、元遊撃隊の一人で、ギルムに移住してきた遊撃隊のリーダー格であり……同時に、ギルムでもミレイヌと同じくらいにセトを愛でている女だ。
それだけに、ヨハンナが久しぶりにギルムに戻ってきたセトを愛でているというのは、レイにとっても十分に納得出来ることだった。
「一応聞いておくけど、ミレイヌは来てないよな?」
「はい。幸いなことに」
レイの言葉に、女は真剣な様子でそう告げる。
ミレイヌとヨハンナは、共にセト愛好家ではある。
だが、そうして同じような嗜好をしている為か、決して友好的な関係という訳ではない。
……それでも、嫌いあっているのは表面だけで、実際には相手をそれなりに認めているのだろうというのがレイの予想ではあったが。
ともあれ、ミレイヌとヨハンナが揃うと面倒なことになるので、そういう意味ではここにいるのがヨハンナだけでよかったというのは、レイの正直な気持ちだ。
「そうか。ならいい。……けど、悪いがいつまでもこのままにしておくといったことも出来ないんだ。領主の館に行く必要があるからな」
「分かりました。少し待っていて下さいね」
そう言い、女は列に並んでいる者達に向かって大きく声を張り上げる。
「しゅーりょー! 終了です。セトを愛でる会は、ひとまずこれで終了となります! セトはこれから、レイさんと一緒に領主の館にいかなければならないそうです!」
えー……と、そんな女の声を聞いた者達は残念そうな声を発するが、それでも全員が列から離れて自分のやるべき仕事に戻っていく。
セトを可愛がるのはいいが、それはあくまでもセトの迷惑にならない限りでと、そう決まっている為だ。
「残念ですけど、しょうがないですね」
そして、セトの側にいたヨハンナもまた、今の仲間の声をしっかりと聞いており、セトを困らせないようにと、離れる。
「グルルルゥ」
セトはそんなヨハンナや他の者達に遊んでくれてありがとうと喉を鳴らし、立ち上がる。
何人かは、未だに残念そうな表情を浮かべてはいたが、それでもここでセトの邪魔をするような真似をする者はいない。
「悪いな、ヨハンナ。また街中でセトを見つけたら遊んでやってくれ」
「はい、勿論です」
レイの言葉に、一瞬の躊躇なく頷くヨハンナ。
そんなヨハンナの様子に若干呆れつつ、それでもセトを可愛がってくれるのだからと、笑みを浮かべて軽く手を振り、セトと共にその場から立ち去る。
「セト、お前……随分といい物を食べたみたいだな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
実際、セトはヨハンナを始めとする面々から、色々な食べ物を貰った。
干し肉や果実、パン、串焼き……それ以外にも、幾つかの料理を。
だからこそ、こうして機嫌がいいという一面もあるのだろう。
「これからダスカー様に会いに領主の館に行くけど、大丈夫だよな? いや、セトだから大丈夫か」
この場合の大丈夫というのは、セトが領主の館で料理人から何か料理を貰っても食べられるか? といった意味での大丈夫か? だ。
だが、セトの胃袋はかなり大きい。
ギルドの前でご馳走になったくらいであれば、何の問題もなく食べることが出来る。
レイもそんなセトの状態を知っていたからこそ、自分で尋ねておきながら、すぐに大丈夫だと判断したのだろう。
「やっぱりいつもより見られてるな」
「グルゥ」
街中歩きながら、レイは改めて自分が周囲の視線を集めているのを理解し、そう呟く。
セトもまた、そんな周囲の視線を感じているのか、喉を鳴らす。
セトが視線を集めるのは、そう珍しいことではない。
ギルム以外の場所であれば、グリフォンというランクAモンスターがいるということで視線を集めるし、ギルムにいればマスコットキャラ的な意味で視線を集めることが多い。
だが、今日はいつもとはまた違った意味で視線を集めていた。
セトもそれが分かるのか、少しだけ居心地を悪そうにしている。
それでも幸いだったのは、昇格試験がどうしたといったように聞いてくるような者がいなかったことか。
もしいても、レイはそれを教えるつもりはなかったが。
しかし、そのような状況である為に、いつものように屋台に寄って何かを買うといったようなことは出来ない。
いや、正確にはやろうと思えば出来るだろうが、そうなればレイと話したということで、屋台の店主に迷惑が掛かる可能性が高かった。
……もっとも、レイと話したということを売りにして、屋台で買ってくれた相手には口を滑らせるかもといったように、意味ありげな態度で客寄せをするような者もいるかもしれないが。
ともあれ、それで面倒に巻き込まれても面白くはないので、レイはいつものように屋台に寄らず、領主の館に向かう。
セトは、屋台に寄らないことを残念そうにしていたが。
領主の館が近付くと、当然ながら屋台もなくなっていく。
ダスカーや領主の館に何らかの用事があった者達が帰ってくる途中でレイやセトとすれ違うものの、そのような者達もレイにやセトに視線を向けつつも話し掛けてくる様子はない。
そうして特に騒動もなく領主の館に到着する。
「おお、レイ! 無事だったか!」
門番のうち、一人がレイとセトの姿を見ると、そう叫ぶ。
嬉しそうな様子は、純粋にレイが戻ってきた……というのを喜んでいるというのもあるだろうが、同時に賭けに勝ったという確信からの言葉だ。
実際には、レイが昇格試験に合格したのかどうか、まだ分からないのだが。
それでもレイの実力を知っているだけに、こうして無事に戻ってきた以上は昇格試験に合格したと、そう判断したのだろう。
そんな門番に、レイは他の者達に対するのと同じように自分の昇格試験の合否については何も言わず、頷く。
「ああ、それなりに大変だったけどな。その件でダスカー様と会いたいんだけど、出来るか?」
「今日は来客がそこまで多くないから、問題ないとは思うけど……そうだな、ちょっと待っててくれ」
これが見ず知らず……とまではいかなくても、何度か顔を合わせたような相手であれば、門番もこう素早くダスカーに会いに来たといったように伝えに行ったりはしなかっただろう。
これは、会いに来たのがレイだからこそ、こうもあっさりと知らせに行ったのだ。
レイがこれまでギルムの為に行ってきた諸々の成果が出ている形だ。
そうして一人がいなくなり、もう一人の門番とレイだけがここに残される。
「魔の森ってどういう場所だった?」
暇潰し……というよりは、純粋に自分の疑問をレイに向ける門番。
レイも、昇格試験の合否でなければいいかと、当たり障りのないこと――隠れ家や結界で隠された川の源流、黒蛇の存在等――を話さなければいいだろうと判断し、口を開く。
「そうだな。まず当然だけど、魔の森の外とは棲息しているモンスターの強さが全然違った」
「そんなにか?」
「ああ。辺境のギルムで、この周辺には結構強力なモンスターもいるけど、それでもだな」
少なくても、ギルム周辺では適当に歩いているだけでランクAモンスターとそれなりに頻繁に遭遇するといったことはないし、モンスターの死体の臭いに引き寄せられてランクSモンスターが姿を現すということもない。
正確には、ランクAモンスターなら遭遇することもあるかもしれないが、それでも魔の森のように頻繁に姿を現すといったことは、まずなかった。
また、ランクAモンスター程ではなくても、それ以外にかなり頻繁に現れるモンスターも、魔の森の外にいる敵と比べると強いモンスターが多い。
「へぇ、やっぱり魔の森って呼ばれるだけはあるのか。他には?」
「そうだな。魔の森の外だと、セトの存在を察知すれば逃げるモンスターが多かったけど、魔の森の場合はセトがいても逃げるモンスターは殆どいなかったな。それどころか、明らかにセトよりも弱いのに、セトに襲い掛かってくるモンスターが大半だった」
レイとしては、敵に逃げられるといったことがなかったので助かったが、もし魔の森に入ったのがレイでなかった場合、あの好戦的な相手は厄介な存在になるだろう。
……もっとも、魔の森に入るというのにはダスカーの許可がいるし、許可を取らないで入るような者は大半が無駄死にすることになるだろう。
そんな風に数分の間話していると、やがて先程レイが来たのを知らせに向かった門番が戻ってくる。
「すぐに来て欲しいそうだ。今は特に誰もダスカー様と会ってる奴がいなかったから、というのもあるんだろうが、運がよかったな」
「そうだな」
運がよかったという言葉は、素直にレイもそう思う。
ダスカーの仕事の忙しさを考えれば、それこそ仕事で手が離せなくてもおかしくはない。
ただ、レイが戻ってきたという報告を聞けば、多少の無理をしてでもレイと会うことに決めただろうが。
レイの昇格試験の一件は、それだけダスカーにとっても重要なことと認識していてもおかしくはない。
レイはいつものようにセトと別れる。
セトはギルドの前で色々と食べたにも関わらず、また領主の館の料理人から何か料理を貰えるかもしれないと、嬉しそうにしながら歩いていった。
レイにしてみれば、どれだけ食べても腹一杯にならないというセトは羨ましい。
正確には、セトであっても本当の意味で食べ続けていれば、そのうち腹一杯にはなるのだろうが。
「お久しぶりです、レイ様」
領主の館の中に入ったレイに、執事が深々と一礼してそう言ってくる。
何度も領主の館に来ているので、レイもその執事の顔は覚えていた。
「ああ、久しぶり。……じゃあ、案内を頼む」
「かしこまりました。とはいえ、執務室なのでレイ様にとっては慣れた場所でしょうけどね」
笑みを浮かべながらそう言ってくる執事に、レイもまた笑みを浮かべて頷くのだった。




