2575話
スキルの確認を終えると、レイとセトは再び川岸を歩いて川を遡っていく。
魔の森はかなり……それこそトレントの森よりも広い。
そうである以上、この川の源流はこの魔の森の中にあるかもしれず、それを見てみたいという思いがあった。
とはいえ、当然だが源流となると魔の森の中でもかなり深い場所にある筈であり、そのような場所に行けばクリスタルドラゴンと同格の強さを持つモンスターが出て来ないとも限らない。
そう思えば、レイとしては源流を見たいと思う気持ちが急速に薄れていく。
「そうだな。もう二時間くらい進んだら、戻るか。今日中に魔の森から出る必要があるんだし、迷子になったりしたら洒落にならないだろうから」
「グルルゥ」
レイを背中に乗せているセトは、その言葉に異論ないといったように喉を鳴らす。
そうして喉を鳴らしたところで、不意に足を止めた。
「セト?」
「グルルルルルゥ」
またか。
セトの警戒する鳴き声を聞きながら、そんな風に思うレイ。
とはいえ、ここが魔の森である以上はモンスターが大量に出て来てもおかしくはない。
幸い、セトの様子から考えて敵がいるのは間違いないが、すぐに襲い掛かってくる様子ではない。
レイはセトの背から下りると、デスサイズと黄昏の槍を手に周囲を警戒し……セトの見ている方が川ではなく森の方だというのを確認し、そちらに視線を向ける。
すると……やがて、周囲の木々をへし折りながら、巨大な猿が姿を現す。
ただし、当然ながらこのような場所に姿を現す以上はただの猿ではない。
三m近い大きさで、筋骨隆々……猿というよりはゴリラと表現した方が相応しいだろう相手。
そして何よりも異様なのは額に縦に割れた目が一つあり、両肩に目があることだろう。
本来の位置にあるものを含めて、五つの目を持つ巨大な猿……巨猿は、レイとセトを見つけると鋭い牙の生えた口で獰猛な笑みを浮かべる。
「ギイイイイイイ!」
そして、叫び声を上げながら地面を蹴り、セトに向かって突っ込んでいく。
巨猿にしてみれば、レイよりもセトの方が大きかったので食い応えがあると判断したのだろう。
それは間違っていない。間違っていないが、同時にそれはセトを明らかに甘く見ていたし、何よりもレイを無視していた。
「させるかよ! 飛斬!」
セトに向かって突っ込んできた巨猿に向かい、飛斬を放つ。
斬撃が飛び、巨猿に命中しようとした瞬間、巨猿の右肩にある目が光ると、斬撃が消滅する。
驚きの光景ではあるが、レイはそれを見ても動きを止めるようなことはない。
ここは魔の森なのだ。
レイにとって予想外の光景は、それこそありふれていてもおかしくない。
ましてや、敵の巨猿は明らかに高ランクモンスターだ。
ランクAモンスターには届かないが、ランクBモンスターの上位といったところか。
一目見ただけでそれが分かった為に、レイはそんな相手に躊躇などすることなく黄昏の槍を投擲する。
「食らえ!」
一瞬、飛斬のように黄昏の槍が消滅したらどうするかと思わないでもなかったが、飛斬と黄昏の槍では、攻撃の格が違いすぎる。
そして実際、巨猿の右肩の目が光るが、それで黄昏の槍がどうこうなったりはしなかった。
巨猿も黄昏の槍の攻撃が危険なものだと判断したのだろう。
セトに襲い掛かろうとしていた足を一度止め、左肩の目を光らせる。
次の瞬間、飛んでいた黄昏の槍は不意に何らかの攻撃を受けたかのように、軌道が変わった。
それも一度だけではなく、何度も。
一度の衝撃はそこまで強いものではなかったようだが、それが何度も続くとなれば、話は変わってくる。
何度も攻撃されたことにより黄昏の槍は巨猿から逸れ、森の中に入っていく。
(衝撃の魔眼か)
セトの持つスキルだけに、レイもまた巨猿が何をしたのかを理解する。
勿論それは、あくまでもレイがそうではないかと予想してるだけであって、実際には違う可能性もあったが。
だがレイの感触としては、多分間違いないだろうと判断し、黄昏の槍を手元に戻す。
「ウホっ!?」
猿というよりはゴリラらしい驚きの声を上げ、巨猿はいきなりレイの手元に現れた黄昏の槍を見て驚く。
先程自分が攻撃を回避して、森の奥に行った筈なのに……と。
そんな思いが巨猿にはあったのだろうが、黄昏の槍の手元に戻す能力がある以上、その辺は問題にならない。
「俺だけを見ててもいいのか?」
自分の言葉が理解出来ているのかどうかはレイにも分からなかったが、そう呟く。
だが、そんなレイの言葉に何かを感じただろう。
巨猿は素早く警戒し……
「グルルルルルルルゥ!」
「ギギギィ!」
横から放ったセトの前足の一撃に、巨猿は吹き飛ぶ。
重量だけなら、セトと巨猿はそう変わらない。……いや、巨猿の方が上だろう。
にも関わらず、セトの一撃は巨猿を真横に思い切り吹き飛ばしたのだ。
その一撃は、巨猿の腕の骨を折るだけの威力を持っていた。
そうして吹き飛んだ巨猿に向け、レイは黄昏の槍を投擲する。
吹き飛ばされている最中の巨猿に対して、投擲した槍を命中させるのは難しい。
だが、今まで多数の戦いの中で槍の投擲を使ってきたレイは、少しの狂いもなく黄昏の槍を巨猿に向かって命中させる。
本来なら、先程と同様に魔眼を使って黄昏の槍の軌道を逸らすといったような真似をしたのだろうが、さすがに巨猿も吹き飛ばされた状態のままでそのような真似は出来ない。
結果として、黄昏の槍は巨猿の胴体を貫く。
「ギ……ギギィ……」
木にぶつかり、その幹をへし折りながらようやく動きを止めた巨猿だったが、その口から出るのは先程のような好戦的なものではなく、哀れみを感じるような声だ。
胴体を貫かれたのだから、そのような声が出るのも当然だろう。
少なくても、内臓の幾らかは間違いなく損傷している筈だ。
勿論、魔の森に棲息し、集団ではなく単独で動くモンスターだ。
その能力は間違いなく高いだろうし、あるいは闇の世界樹やクリスタルドラゴン程ではないにしろ、再生能力の類を持っている可能性もある。
しかし、それでも内臓を損傷し、セトの一撃で腕の骨をへし折られ、勢いよく木に叩き付けられた衝撃を考えれば、絶望してもおかしくはない。
最初こそ大きなセトを見て食べ応えのある敵だと判断して襲ったのだが、それが巨猿にとって最大のミスだった。
普通の場所であれば、セトの気配を察すれば大抵のモンスターは逃げていくというのに、この魔の森では殆どのモンスターは寧ろ襲ってくる。
勿論全てのモンスターがという訳ではなく、セトの姿を見て逃げ出すモンスターも存在するのだが。
その辺りも、普通のモンスターと魔の森のモンスターの違いといったところか。
黄昏の槍を手元に戻したレイはデスサイズを手に口を開く。
「眠れ」
その一言と共に、レイはデスサイズで巨猿の頭部を切断する。
何の抵抗もなく切断された頭部は、地面に落ちて首からは血が噴き出す。
巨猿の身体が大きい為に、首から吹き出る血もかなりの量だ。
地面を流れた血は、そのまま川の方へと流れていき……やがて川に巨猿の血が混ざる。
(あれ? これってもしかして……危ないんじゃないか?)
日本にいる時に得た知識だが、鮫というのは一km先で垂らされた一滴の血の臭いすらも嗅ぎ分けることが出来る、というものがあった。
もっとも、中にはそれは単なるデマで、鮫の嗅覚は鋭いもののそこまでではないという話もあったのだが。
ともあれ、一滴の血の話が真実かどうかはレイにも正確には分からなかったが、それでも鮫の嗅覚が鋭いのは間違いない。
そして現在川に流れ込んでいる巨猿の血は、一滴どころかコップで数杯といった量であり、今もどんどん流れ続けている。
勿論、ここは川である以上は鮫がいるとは思えないが、鮫の代わりに身体から髪の毛が生えた魚のようなモンスターがいる。
そんなモンスターの中には、鮫以上に鋭い嗅覚をもっているような個体がいてもおかしくはなかった。
「セト、この巨猿の魔石だけ取り出して、すぐに移動するぞ。こんなに大量に血を流しているとなると、血の臭いに惹かれてやってくるモンスターは間違いなくいる筈だ」
「グルゥ」
レイの言葉にセトは頷く。
それを見ながら、取りあえずレイはこれ以上巨猿の血が川に流れ込まないように死体の向きを変えて首を川とは正反対の方に向け、胴体を斬り裂く。
そこから魔石を取り出すと、巨猿の死体をミスティリングに収納し、川に流れた血で妙なモンスターがやってきていないことを確認しつつ、川の水で魔石を洗ってセトの背に跨がる。
「よし、セト。ここから離れるぞ」
「グルゥ!」
そうして、レイとセトはその場から素早く離れるのだった。
「さて、このくらい離れれば問題ないだろ」
巨猿と戦った場所から、十分程の距離。
ただし、その十分というのはセトが走っての十分である以上、結構な距離となる。
それだけに、もし巨猿の血に惹かれてやって来たモンスターがいたとしても、そこで行われるだろう戦いに巻き込まれる心配はなかった。
「グルルルゥ?」
安心しているレイを見て、セトは魔石をどうするの? と尋ねる。
セトとしては、出来れば巨猿の魔石は自分が欲しかったのだろう。
その理由は、レイも理解していた。
セトが興味を持ったのは、巨猿が使った衝撃の魔眼だろう。
使おうと思った瞬間に発動出来て、予備動作の類は必要がないという点ではセトの持つスキルの中でも非常に使えるスキルではある。
しかし、発動速度と比例するように衝撃の魔眼の威力は弱い。
相手の不意を突ければ驚かせることは出来るが、致命傷を与えるといった真似は出来ない。
現在レベル二のセトが使う衝撃の魔眼は、木の幹に傷を付ける程度の威力しかないのだから。
だが……巨猿は衝撃の魔眼を使って黄昏の槍の軌道を逸らすといったような真似までした。
つまり、巨猿の使った衝撃の魔眼は間違いなく強力な攻撃手段として使える威力だったのだ。
……勿論それは、巨猿の使ったのがあくまでも衝撃の魔眼と類似のスキルであればの話だが。
もしかしたら、結果としては似たようなものであっても過程は全く違うといった可能性も否定は出来ない。
何よりも、巨猿には両肩と額にも目があったのだ。
習得出来るスキルが魔眼系のものであったとしても、もしかしたらもっと別のスキルを習得してしまうかもしれない。
レイもそれは理解していたが、今の状況を考えればやはり巨猿の魔石を使うのならセトだろうと考える。
(まぁ、デスサイズに巨猿の魔石を使ったところで、どういうスキルを習得出来るのか試してみたいという思いはあるけどな)
大鎌のデスサイズに巨猿の魔石を使って魔眼系のスキルを習得した場合、デスサイズに魔眼を使う為の眼球が出来るのか。
それともデスサイズを振るうことで、魔眼の効果を発揮するのか。
その辺に興味がない訳でもなかったが、ここはやはりセトが使いたいのならそうした方がいいだろうと判断する。
微妙に巨猿の攻撃方法を考えると、またパワースラッシュのレベルが上がりそうだという思いもないではなかったが。
「ほら、セト。この魔石はお前が使え。……ただし、分かってるとは思うけど、この魔石を使ったからといって衝撃の魔眼のレベルが上がらないで、別のスキルを習得する可能性もある。巨猿の能力を考えると、セトの場合はパワークラッシュやパワーアタックみたいにな」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らしてレイの差し出した魔石を咥え……飲み込む。
【セトは『衝撃の魔眼 Lv.三』のスキルを習得した】
脳裏に響くアナウンスメッセージ。
「よし! やったな、セト!」
「グルルルルルゥ!」
レイの言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、出来れば衝撃の魔眼のレベルが上がって欲しかったのは間違いないが、それでも巨猿の能力を考えるとそう簡単にはいかないだろうという思いもあったのだ。
だが、結果として目的通りに衝撃の魔眼のスキルを強化することが出来た。
これで、セトが嬉しくない訳がなかった。
数分の間、レイとセトはそれぞれ喜び……そして次に、レベル三になった衝撃の魔眼の威力がどれだけのものなのかを確認してみることにする。
「レベル二の時は木の幹に傷を付ける程度だったな。そうなると、レベル三は……何だ? 岩?」
近くには他に試せそうなものはないので、レイは少し離れた岩に使ってみてはどうかとセトに言う。
セトもまたそんなレイの言葉に異論はなかったのか、岩を睨みながら衝撃の魔眼のスキルを発動した。
「グルルルルゥ!」
次の瞬間、セトが睨んでいた岩には衝撃によって傷が刻まれるのだった。
【セト】
『水球 Lv.五』『ファイアブレス Lv.四』『ウィンドアロー Lv.四』『王の威圧 Lv.四』『毒の爪 Lv.六』『サイズ変更 Lv.二』『トルネード Lv.四』『アイスアロー Lv.五』『光学迷彩 Lv.六』『衝撃の魔眼 Lv.三』new『パワークラッシュ Lv.六』『嗅覚上昇 Lv.五』『バブルブレス Lv.三』『クリスタルブレス Lv.一』『アースアロー Lv.二』『パワーアタック Lv.一』『魔法反射 Lv.一』『アシッドブレス Lv.一』『翼刃 Lv.一』『地中潜行 Lv.一』
衝撃の魔眼:発動した瞬間に視線を向けている場所へと衝撃によるダメージを与える。ただし、セトと対象の距離によって威力が変わる。遠くなればなる程、威力が落ちる。レベル一では最高威力でも木の表面を弾く程度。レベル二では木の幹にも傷を与える。レベル三では岩に傷をつけられる程度。ただし、スキルを発動してから実際に威力が発揮されるまでが一瞬という長所を持つ。