2573話
「よし、これでラスト!」
その言葉と共に、デスサイズがヤドカリを岩に擬態した貝殻ごと切断する。
これでこの場にいたヤドカリは全て倒すことが出来たが、戦いそのものはまだ続いていた。
「グルルルゥ!」
戦いが終わったところで、セトは鋭い鳴き声を発しながら少し離れた場所にあるヤドカリの死体に向かう。
だが、セトが動き始めた瞬間には地中から伸びた髪の毛がヤドカリの死体に絡みつき、そのまま地中に向かって引きずり込む。
「グルルルルルルルゥ!」
またヤドカリの死体を奪われたことに対し、苛立たしげに唸るセト。
ヤドカリとの戦いの最中、何度か地中から伸びてきた髪の毛がヤドカリの死体を奪っていったのだ。
その度にセトはそれを阻止しようとしたのだが、セトの感覚であっても地中にいる魚を察知するのは難しいらしく、実際に地中から髪の毛が姿を現した時でなければ、その気配を見つけることは出来ない。
「厄介だな。けど、厄介な相手なら、それなりに戦いようはある。ようは、魚が奪おうとするヤドカリの死体が一つならいいんだよな」
複数の死体が転がっているからこそ、その死体の全てを守るといったようことは出来ない。
なら、守る死体を一つにすればいい。
勿論、そうやって言うことは簡単だが、普通ならそのような真似は出来ない。
例えば死体を一纏めにしておいても、その死体の中央付近……外側からは見えない場所から死体を地中に引きずり込むといったような真似をすれば、そもそも死体を奪われたことにすら気が付かないのだから。
だが……それはあくまでも普通ならの話だ。
ここにいるレイとセトは、とてもではないが普通と呼ぶことは出来ない相手であり……そして実際、ミスティリングを持つレイにしてみれば、ヤドカリの死体を一つだけ残してそれ以外は全て収納するといったことは難しくない。
そうして少し大きめのヤドカリの死体を一つだけ残し、それ以外は全て収納し終わるとレイとセトはヤドカリの死体から少し離れ、それでも何かあったら即座にその場所に到着出来る準備を整える。
そして一分程が経過するが、その間に髪の毛が地中から伸びてくる様子はない。
(何だ? 地上での戦いが終わったと、それを察知したのか? 例えば地面の震動とかで)
普通なら考えられないようなことではあるが、そもそもモンスターの外見からして、胴体から無数の髪の毛が生えていて、その上で地中を水中と同じように泳ぐことが出来るといったような相手なのだ。
何らかの特殊な能力を持っていても、レイは全く驚かない。
それでも地上での騒動がなくなり、少しでも時間が経てば……あるいは様子を見る為に、地中から姿を現すかもしれない。
そう判断して待ち続け……やがて十分程が経過する。
先程まではここで大規模な戦いがあったのだが、今となってはここでそんな戦いがあったとは到底思えない。
そして……やがて、唯一残ったヤドカリの死体の側の地中から、髪の毛が伸びてくるのが見えた。
(まだだ。まだ。今は、とにかく餌に食いつくのを待って……)
釣りと一緒だ。
そう自分に言い聞かせるレイの視線の先で、地中から伸びた髪の毛がヤドカリの死体に巻き付くのを見た瞬間、レイは走る。
そんなレイの動きと同時に、セトもまた走り出す。
地面を蹴る音が聞こえたのか、それとももっと別の手段で地上の様子を探っているのか。
生憎とレイにその辺は分からなかったが、今はとにかく魚を地中から引きずり出すことが先決だった。
(切れるなよ)
ヤドカリの死体に絡みついている髪の毛を掴み、レイはそう思いながら引っ張る。
髪の毛というのは、意外に切れやすい。
そうである以上、こうして引っ張っている時に切れるといったようなことがないようにと祈りつつ、レイは髪の毛を引く。
当然、魚も自分の髪の毛が引っ張られているというのに気が付いてはいるのだろう。
だがその髪の毛を自分で自由に切断したりといったような真似は出来ないようで、そういう意味ではレイにとって幸運だった。
「グルルルルルルゥ!」
そうしてレイが髪の毛を手に踏ん張っていると、すぐにセトも到着する。
そしてレイが握っているのとは別の髪の毛をクチバシで咥え、引っ張り始めた。
セトのクチバシは、まさに凶器と呼ぶに相応しい鋭さを持っている。
しかし、その辺はセトも自分で調整出来るらしく、咥えている髪の毛を切断するといったようなことはなかった。
そうして髪の毛を引っ張り続け……セトが加わったことで力の均衡が崩れる。
少しずつだが確実に、魚を地上に向かって引き上げていくレイとセト。
魚は自分にとっての完全に安全な場所である地中から引っ張り出されるのを嫌がり、暴れる。
それに対して、レイとセトは倒す為に魚を引っ張り上げる必要があるので、引き上げていく。
釣り……というのは、日本にいる時に小さい頃から何度もやって来た。
そんな釣りに比べると、現在の魚の引きはかなり強力なものだ。
……そもそも、釣りといっても釣り竿を使っている訳でもなく、魚から伸びている髪の毛を引っ張って手繰り寄せているので、釣りという表現が相応しいかどうかは微妙なところではあるが。
「セト、息を合わせるぞ」
「グルゥ!」
綱引きもそうだが、幾ら力自慢の者達が集まっていても、それぞれがバラバラに力を入れてもそこまで大きな力を発揮出来ない。
タイミングを合わせ、同時に力を入れることによって大きな力を発揮させる。
勿論、何にでも例外は存在する。
多数の人数でタイミングを合わせて引っ張っても、それがレイやセトであれば一人や一匹で対抗するのも不可能ではない。
そんなレイやセトがタイミングを合わせて髪の毛を引っ張るのだ。
魚はそんなレイやセトの力に抗うことが出来ず……次の瞬間、魚は強引に地中から引っ張り出された。
当然だが、魚はこのような状況では自分の身が危険だと判断したので、再度地中に戻ろうとするが……せっかく地上にまで引き上げた以上、レイがそれを逃すような真似は出来る筈もない。
「逃がすか!」
地中に向かって再度潜ろうとした魚に向かい、素早く手に取ったデスサイズで掬い上げるような一撃を放ちつつ、もう片方の手で黄昏の槍を放つ。
そんなレイとタイミングを合わせるように、セトも前足の一撃を放つ。
魚は危険を察して回避しようとしたものの、それよりもレイとセトの攻撃の方が速い。
魚が特殊だったのは、あくまでも地中に潜るといったような特殊な能力があった為だ。
髪の毛を触手のように使うといったようなことも特殊ではあったが、それは髪の毛と触手というのを考えればそこまで驚くようなことではない。
地中にいる間はレイ達から一切の攻撃が出来ない。
それが厄介な能力だったのは間違いないが、それだけにこうして地中から引き上げてしまえば、身体中から生えている髪の毛こそ不気味なものの、対処するのは難しい話ではない。
レイの振るったデスサイズは魚の身体を大きく斬り裂き、黄昏の槍の一撃は魚の身体を貫く。
そしてセトの振るった前足の一撃は、魚の身体に大きなダメージを与えるには十分な一撃だった。
「ギュピィ!」
とても外見には相応しくないような悲鳴を上げつつ、地面にその巨体を叩き付けられる魚。
それぞれスキルを使った訳ではないが、それでもレイとセトの一撃をまともに食らった魚は半死半生といった状態になっていた。
今の状態では、とてもではないがレイとセトから逃げるようなことは出来ないだろう。
「セト、仕留める!」
ただし、地中に潜る能力がある以上、出来るだけ早く倒す必要があった。
半死半生の今の状況でも、地中に潜られてしまえば、レイもセトも手を出すことは出来なくなってしまう。
その後に魚が無事に回復するのか、もしくは地中で死んでしまうのか。
それはレイにも分からなかったが、それでも魔石が入手出来なくなるというのは、間違いのない事実だ。
そうである以上、レイとしてはここで絶対に魚を殺しておきたかった。
何よりも、この特殊な魚の持つ地中に潜るという能力。
それが、もしかしたら魔石から得られるかもしれないのだから。
そんな……ある意味で物欲に塗れたレイの振るったデスサイズの一撃は、魚の頭部を半ばから切断することに成功する。
セトはもしレイの一撃を受けても何とか生き延び、地中に逃げようとした場合は即座にそれを阻止するつもりだったものの、その必要がなかったことにほっとして……先程髪の毛を咥えたクチバシが気になるのか、魚が死んだのを確認すると川に向かう。
そんなセトの様子を見送ると、レイは死体となった魚を改めて見る。
(やっぱり、食欲は湧かないよな。……妙な話だけど)
今まで、レイは色々なモンスターを食べてきた。
だというのに、この魚に対して食欲が湧かないというのは自分でも不思議だ。
「取りあえず魔石……の前に、胃の中を探しておくか」
希少種の青いヤドカリは、この魚によって……より正確には、魚から生えている髪の毛によって、地中に引きずり込まれた。
その結果としてどうなったのかは分からないが、普通に考えればこの魚に食われたことになるだろう。
そして青いヤドカリが地中に引きずり込まれてから死ぬまでの時間を考えると、まだ胃の中に死体が残っている可能性がある。
既に青いヤドカリとレイは戦闘を行っている以上、魔獣術の条件は整えられている。
つまり、魚の胃の中に青いヤドカリの死体……より正確には、魔石さえ残っていればスキルを習得出来るのだが……
「どうなっている?」
腹を切り裂き、そこから出て来た胃を切断したレイだったが、そこには何もない。
胃の中は完全に空っぽだったのだ。
(もしかして、地中に引きずり込んだ青いヤドカリを食ってないのか? もしくは、この魚が吸収する速度は異常なくらいに早く、もう胃の中にあるヤドカリは吸収された? ……どのみち、諦めるしかないか)
地中に引きずり込んでおきながら、実はまだ青いヤドカリを食べておらず、後で食べるように地中のどこかに保存しておいた……といった可能性はある。
動物の類でも、食べ物を埋めて保存しておくといった種類はそれなりにある。
例えばリスの類だ。
どんぐりの類を地面に埋めて保存しておくというのを、レイは日本にいる時にTVで見て知っている。
もっとも、レイが見た番組によると、リスは自分で埋めた食料の位置が分からなくなることも多々ある、ということだったが。
そうして埋められたドングリやそれ以外の木の実や種といったものが発芽して、林や森の木々になっていくといったいったオチまでついていた。
とはいえ、地中に潜る能力を持つ魚は既に死んでしまった以上、もう地中に青いヤドカリの死体があっても、それを見つけることは出来ないのだが。
もし本気で探すとなると、それこそこの辺り一帯の土を全て掘り起こす必要がある。
デスサイズの地形操作があるので、やろうと思えば出来るだろうが……現在の地形操作で掘ることが出来るのは、深さ五mまでだ。
魚の大きさを考えれば、五mどころか十m……あるいはもっと深くまで潜っていてもおかしくはない。
それを探すというのは、無理とは言わないが時間的にそこまで余裕がある訳でもない以上、レイとしては惜しいとは思うが諦めるしかなかった。
「グルルルルゥ?」
クチバシを川の水で洗い、ついでに捕まえたのか魚を食べながら戻ってきたセトが、その魚を飲み込んでからどうしたの? と尋ねてくる。
「青いヤドカリの死体が魚の胃の中にでも入っていればと思ったんだけど、死体も何もなかった。どうやら、まだ食べないで地中のどこかに置いてきたらしいな」
「グルゥ……」
セトもまた、青いヤドカリがレイにウォーターブレスを放っていたのを見ていただけに、レイの説明に残念そうな表情を浮かべる。
「どこにあるのか分からない物より、目の前の死体だよな」
セトに言うのではなく、自分に言い聞かせるように呟くと、レイは魚の死体から魔石を抜き取る。
「さて、デスサイズとセトのどちらにこの魔石を使うかだが……」
「グルルルルゥ」
レイの言葉に、セトも微妙な様子を見せる。
当然だろう。上手く行けば地中を潜るといったようなスキルを習得出来るかもしれないが、魚の特徴はもう一つある。
……いや、寧ろ魚の特徴としては地中を潜るといったものよりも、その身体中から生えている髪の毛の方が大きいだろう。
つまり、もしセトが魚の魔石を使った場合、最悪セトの身体から髪の毛が生えるといったスキルを習得する可能性もあり、セトとしてはそれは嫌だったのだろう。
こうして、レイとセトは魚の魔石をどうするのかで悩むのだった。