2572話
レイとセトの食欲の視線に一部怯えたヤドカリだったが、それはあくまでも一部だ。
それ以外のヤドカリは、一斉にレイとセトに向かって襲い掛かってくる。
「速いな!?」
ヤドカリが多数の足を使って地面を走る速度は、レイが想像していた数倍は速い。
勿論、目にも留まらぬ速度だったり、残像が生まれるような速度といったわけではないのだが、少なくてもレイが知っているヤドカリとは比べものにならないだけの速度だ。
もっとも、襲ってきたのは普通のヤドカリではなく、あくまでもヤドカリのモンスターだ。
そうである以上、ヤドカリよりも高い身体能力を持っていてもおかしくはない。
「グルルルルルゥ!」
「ギシャアアア!」
セトに向かい、襲ってきたヤドカリの中でも最も大きな、岩の大きさが二m程の個体が戦いを挑む。
それだけ大きなヤドカリだけに、当然ハサミも大きい。
その上で四本のハサミを持っているのだから、攻撃手段としてはかなり有利だった。
……ただし、それはあくまでも今までヤドカリが戦ってきた相手に対しての話だ。
「グルルルゥ!」
四本のハサミのうち二本の攻撃を回避したセトは、そのまま岩に擬態した貝殻の後ろに回り込む。
ヤドカリは貝を……それも自分の身体を完全に収納することが出来る貝を背負っているだけに、当然ながらその貝の後ろに回られると完全に死角になるし、攻撃の手段もない。
ただし、それはあくまでもヤドカリが一匹だけの場合であり、ここには多数のヤドカリが集まっていた。
そしてこのヤドカリの移動速度はレイが知っているよりも明らかに速く……だからこそ、このヤドカリ達は仲間の背後に回り込んだセトに向かい、別のヤドカリがハサミを振るおうとする。
だが、そのような動きよりもセトは素早く、後ろ足で背後から攻撃しようとしたヤドカリを蹴り飛ばし……
「グルルルルゥ!」
前足の一撃……マジックアイテムの剛力の腕輪やパワークラッシュといったスキルを使っている訳でもない素の一撃だったが、その一撃はあっさりと岩に擬態した貝殻を破壊する。
「ギシャアアアアアア!」
その一撃は、貝殻だけではなく……その貝殻に覆われているヤドカリの胴体にもダメージを与えたのか、ヤドカリの口からは悲鳴が上がる。
だが、それでも貝殻の防御力がセトの攻撃の威力を多少なりとも減らしていたのか、その一撃でヤドカリが死ぬようなことはなかった。
その場でハサミの一本を地面に突き刺し、それを支点にして回転。
セトに破壊された貝の破片を周囲に撒き散らかしながら、後ろを向く。
その遠心力を利用して、ハサミの一本をセトに叩き付けようとしていったのだが……
「グルゥ!」
セトの前足は、そのハサミを叩き落とす。
一撃の威力に耐えられなかったのか、ヤドカリのハサミの一本は半ばから千切れて地面に叩き付けられたのだ。
ヤドカリは、一瞬何が起きたのか理解出来なかった。
今まで多くの獲物を殺してきた自分のハサミが、まさかこうもあっさり切断されるとは思ってもいなかったのだろう。
とはいえ、セトにしてみればこの程度の攻撃は今まで何度も見てきたようなものでしかない。
ましてや、この魔の森に入ってからは複数のランクAモンスターや……ランクSモンスターのクリスタルドラゴンとすらも、戦っているのだ。
そんなセトにしてみれば、今の一撃に対処するのは難しい話ではない。
次の瞬間にはクチバシがヤドカリの顔を貫くのだった。
セトが一番大きなヤドカリと戦っている頃、当然だがレイもそれをただ眺めていた訳ではない。
レイの振るうデスサイズの一撃は、岩に擬態した貝殻を中身諸共あっさりと切断する。
黄昏の槍の一撃は貝殻を貫き、そこの収まっている中身にも致命的なダメージを与えた。
ヤドカリの移動速度は速いが、それでもレイにしてみれば対処出来ない程ではない。
次々に振るわれる攻撃は、多くのヤドカリを殺していくが……
「何っ!?」
ヤドカリの群れを相手に、踊るように攻撃をしていたレイは風を切る音を聞いた瞬間には危険を感じ、そちらにデスサイズを振るっていた。
そうして放たれた何かをレイは切断し……空中に水飛沫が浮かぶのを見て、どのような攻撃をされたのかを理解する。
「ウォーターブレス!?」
水を圧縮して放たれた一撃。
そのような攻撃が行われたことに驚き、同時にそのような攻撃をしてきた相手の存在に視線を向ける。
「希少種か!」
そう叫ぶレイの声には、驚愕と共に喜びの色があった。
青色の岩に擬態した貝殻を背負ったヤドカリを見ての叫び。
このヤドカリ達の持つ魔石から、スキルを習得出来るとは限らない。
勿論魔の森のモンスターということを考えれば、恐らくは習得出来るだろうという思いはあったが、それでも絶対ではなかった。
しかし、今までの経験から考えると希少種の魔石からは基本的にスキルを習得出来る筈だった。
だからこそ、レイは喜んだのだ。
……もっとも、当然だが希少種というのは通常のモンスターと比べれば一段上の扱いを受ける。
このヤドカリ達がランクCモンスターであれば、希少種はランクBモンスターといった具合に。
本来ならランクAモンスターのグリフォンであるセトが、ランクS相当といった扱いになっているのは、魔獣術のことを知らないギルドがセトをグリフォンの希少種と認識している為だ。
今となっては元ギルドマスターのマリーナもレイやセトの事情についても知っているのだが、愛する男の秘密……それも世間に知られれば絶対に大きな騒動となる秘密である以上、マリーナがそれを他人に漏らすことはない。
それはエレーナやヴィヘラといった面々も同様だ。
ともあれ、希少種というのはそのように特殊な存在であり、当然だがレイは青い貝殻のヤドカリを見逃すつもりはない。
他のヤドカリ達を倒しつつ、青いヤドカリとの距離を詰めていき……
「来た!」
仲間を殺しながら自分に近付いてくるレイを危険な存在と判断したのか、青いヤドカリは再度ウォーターブレスを放つ。
だが、不意を打っての一撃であってもレイはウォーターブレスを防ぐことが出来たのだ。
そうである以上、来ると分かっている攻撃を防ぐのは難しい話ではない。
デスサイズで放たれたウォーターブレスを斬り裂きながら、一気に青いヤドカリとの間合いを詰め……
「っ!?」
瞬間、ぞくりとした何かを感じて後方に跳躍する。
いきなり自分の近くにやってきたレイに、近くにいたヤドカリがハサミを棍棒のように叩き付けようとするが、レイはそんな相手の姿を見ることもなくデスサイズを振るって巨大な貝殻ごと切断する。
そして……レイの視線の先では、不意に青いヤドカリの後ろにある川が爆発したように水飛沫を上げ、巨大な何かが飛び出してきた。
「嘘だろ!?」
レイは、水中から飛び出してきた存在を見て、思わずといった様子で叫ぶ。
当然だろう。この川はそこまで深くはない。
それこそ一mくらいの深さしかないのだ。
勿論自然の川である以上、唐突に二mくらいの深さになっている場所もある。
だが、それはあくまでも本当に狭い場所だけでしかない。
だというのに、水中から飛び出してきた存在……魚は、全長が三m近くにもなる程の巨大さを持つ。
いや、本当に正確な大きさは、レイにも分からなかったが。
何故なら、その魚の身体からは大量の毛、髪の毛のようなものが生えていた為だ。
だからこそ、魚の尻尾の先まではしっかりと見えず、全長三m程というのも、あくまでもレイの予想でしかない。
そんな奇妙な魚は、水中から飛び出すとそのまま川岸に向かって落下してくる。
は? と、レイはそんな魚の様子に疑問を抱く。
てっきり自分に向かって何らかの攻撃をしてくるか、もしくはヤドカリ達に襲い掛かるのかと思っていたのだから。
だが、誰に攻撃するでもなく川岸に落下するというのは、レイにとっても予想外でしかない。
しかし……本当の意味での予想外は、次の瞬間にレイの目の前で繰り広げられた。
本来なら、飛び出した魚は川岸に……地面や石にぶつかる筈だった。
ダメージを受けるかどうかはともかくとして、魚である以上は地上での身動きは苦手だろう。
そう思っていたのだが、レイが見たのは……地面に突っ込む魚の姿だった。
地面にぶつかるという意味での突っ込むではなく、川ではない地面に対して、そこが水であるかのように潜っていったのだ。
勿論モグラのように地面を掘ってといった訳ではなく、本当に水面と同じ感じで地面に潜ったのだ。
それだけでも驚きだったのが、魚は身体から生えている髪の毛を青いヤドカリの身体に絡ませ、そのまま一緒に地面に潜る。
「って、おい!」
予想外すぎる展開の連続に唖然とした様子のレイだったが、それでも数秒で我に返る。
運が悪ければ、その数秒で周囲にいたヤドカリに攻撃されていたのかもしれなかったが、ヤドカリ達にとっても今のは予想外の光景だったのか、もしくはレイに攻撃をしても反撃されると判断したのか、ともあれ攻撃をするような真似はしなかった。
「グルルルルゥ!」
だが、そんなレイの様子を危険と判断したのか、セトはパワーアタックのスキルを発動しながらレイの側までやってくる。
まだレベル一のパワーアタックだが、元々セトの高い身体能力もあってか、セトにぶつかったヤドカリ達は全てが吹き飛ばされていた。
そんなセトがレイの隣にやって来ると、周囲の様子を確認する。
先程の魚の存在は、セトにも察知出来なかったのだろう。
あるいは察知出来たとしても、戦闘の途中なので警戒の声を発することが出来なかったのか。
ともあれ、レイやセトにとってあの魚はヤドカリよりも圧倒的に厄介な相手なのは間違いない。
何よりも厄介なのは、やはり地面に潜るといったような真似が出来ることだろう。
髪の毛を触手のように使うというのも厄介だったが、そちらの方はデスサイズや黄昏の槍を使えばどうとでもなる。
だが、地中に潜られている状況ではそもそもダメージを与えることが出来ない。
(いや、浮上してくる時に、偶然そこに攻撃をするような真似が出来ればダメージを与えるようなことも出来るだろうが……それを期待するような真似は不可能に近いか。それよりも、何とかして地中から出て来るのを待って、そこに攻撃するとかの方が手っ取り早いか)
幸いにも、レイの側には鋭い五感や第六感、魔力を感知する能力を持つセトがいる。
そんなセトがいるのなら、地中から魚が姿を現すのが直前になってからだろうが、分かるかもしれない。
「セト、あの魚が出て来るタイミング、分かるか?」
「グルルゥ……」
レイの言葉に、申し訳なさそうに喉を鳴らすセト。
……それでいながら、前足を振るっては自分達に近付いてくるヤドカリを倒しているので、慣れているレイはともかく、何も知らない者が見ればある意味でシュールな光景に見えただろう。
「そうか、セトでも難しいか。……あの魚も、持っていくのなら希少種じゃなくて普通のヤドカリを持っていけよな」
苛立ち混じりにレイが呟く。
一匹しかいない希少種を持っていかれたのだから、当然だろう。
もしこれで、魚の髪の毛が絡みついた相手が希少種ではなく普通のヤドカリであれば、レイもここまで苛立つことはなかった筈だ。
「希少種を奪われた以上、出来ればあの魚は倒したい」
レイの最善としては、魚を倒した上で希少種の死体も入手することがだ。
既に希少種とレイは戦っているので、魔獣術の条件は満たしている。
そうである以上、レイとしては可能なら希少種の死体を入手したいと思ってはいたが、あのようにして地中に持っていかれた以上、希少種の青いヤドカリの死体を入手するのは諦めた方がいいと判断した。
そうである以上、せめてあの魚だけは何としても倒したい。
(ランクAモンスター……とまではいかないだろうけど、ランクBくらいはあってもおかしくはない迫力だった。能力もかなり特殊だしな。問題なのは、あの魚はちょっと食べたくないといったところか)
元々レイとセトが川沿いを上流に向かって進んでいたのは、魚を確保したいという思いがあったからだ。
だが、あのように身体中から髪の毛の生えた魚というのは、さすがにレイも食欲が湧かない。
高ランクモンスターである以上、食べれば美味いだろうと予想は出来るのだが。
(オークとかは普通に食えるのに、髪の毛の生えた魚は食べられないか。我ながら自分の感覚がどうなってるのか、少し疑問だな)
そんな風に考えつつ、レイはヤドカリと戦いながら魚が地面から飛び出してくるのを待つのだった。