2566話
クリスタルブレスを強引に中断させられたクリスタルドラゴンが次に打ってきた手は、当然ではあるが生身での一撃だった。
その巨体とは思えない程の速度で、一気に飛んでいるセトとの間合いを詰める。
そんなクリスタルドラゴンにセトは驚き、一瞬動きを止めてしまい……
「セト!」
セトが動きを止めたのは一瞬だったが、その一瞬はクリスタルドラゴンにしてみれば攻撃するに十分な時間。
翼で飛ぶのではなく、足で地面を蹴り、尻尾で地面を叩いて跳躍――レイにしてみれば、発射という表現の方が相応しいと思ったが――してきたクリスタルドラゴンは、前足の一撃をセトに向かって振るう。
跳躍したのがセトよりも上空であった以上、その一撃はセトに振るうのではなく、セトの背に乗っているレイに向かって振るう一撃に近い。
レイはそんな前足の一撃にマジックシールドを動かして対抗する。
「ぐ……うおっ!」
「グルゥ!?」
マジックシールドは、クリスタルドラゴンの一撃を防いだ。
それは間違いない。
だが一撃は防いだものの、その衝撃を完全に殺すような真似は出来ず、レイとセトは一撃の衝撃によって地面に向かって叩き落とされる。
「グルルルルルルゥ!」
地面に向かって突っ込む速度を少しでも殺そうと、セトは翼を大きく羽ばたかせる。
そんなセトの必死の行動は実を結び……
「グルゥ!」
どんっ、と。
激しい衝撃がセトの両足に掛かったものの、それでも地面に叩き付けられるといったようなことはなく、何とか着地に成功する。
「セト! まだだ!」
「グルルルゥ!?」
少しでもセトの負担にならないようにセトの背から転げ降りながら、レイが叫ぶ。
レイが叫んだ理由は、跳躍したクリスタルドラゴンが地上に向かって降下してきたからだ。
それも、クリスタルの翼を羽ばたかせ、速度を増しながら。
レイの叫び声で危険に気が付いたセトは、そのまま猫科の俊敏性を活かしてその場から大きく跳ぶ。
ただしそうして跳んだところで、相手が普通の……それこそセトと同じくらいの大きさのモンスターであれば、そこまで気にする必要もなかったのだろうが、クリスタルドラゴンはセトに比べて圧倒的な巨体を誇っている。
それだけに、セトは跳躍して素早く距離を取り……そしてレイもまた、セトの背から転がり降りると、地面を蹴って素早くその場から離れた。
轟っ!
そんな音と共に、周囲に響き渡る轟音。
クリスタルドラゴンは、それこそその巨体とは思えないくらいの速度で動き回っていたというのに、落下した時の音はその重量がどれだけあるのかを示していた。
「厄介な!」
自分の重量を考えて動け!
そう叫びたいのを我慢しつつ、レイはクリスタルドラゴンから距離を取る。
だが、クリスタルドラゴン程の重量を持つ存在が、翼を羽ばたかせて地上に降下してきたのだ。
当然ながらその一撃によって周囲には土埃が吹き荒れ、クリスタルドラゴンがどのような行動をするのかが分からず……そして、音がしたと思った瞬間、不意に強烈な衝撃と共にレイは吹き飛ばされる。
「ぐああああっ!」
何が起きたのかは、レイも分からない。
だが、何かが迫っていると判断した瞬間、本能的にデスサイズと黄昏の槍を構え、それが盾代わりになったのはレイがもつ戦いの才能によるものだろう。
だが、デスサイズと黄昏の槍を盾にしたにも関わらず、レイを襲った衝撃は並大抵のものではない。
吹き飛ばされながらレイに出来たのは、何とか空中で体勢を整える……いや、整えようとしただけだった。
レイ本人は分からなかったが、もしそのような微かな動きであってもしていなければ、レイは頭部から木にぶつかっていただろう。
もしレイがそのまま木に頭部からぶつかっていれば、首の骨が折れるか、もしくは頭部が砕けるかといったようなことになっていてもおかしくはなかった。
「ぐ……が……」
頭から木にぶつかることは避けられたが、それでも身体の向きを変えるだけで精一杯だったレイは、腹部を木の幹にぶつけることで、ようやく動きを止める。
レイにとって幸いだったのは、あくまでも木にぶつけたのは腹部であったことだろう。
もう少し当たる場所がずれていれば、腹部の代わりに肋骨が木の幹にぶつかってへし折れていただろう。
そしてレイにとって不幸なことは、腹部を思い切りぶつけたことによる衝撃で、胃の中の物を全て吐き出してしまったことか。
それも、クリスタルドラゴンの前でだ。
「ごふっ、げふ……」
「グルルルゥ!」
胃の中の物を吐き出しているレイに向かい、クリスタルドラゴンの前足が振り下ろされようとした瞬間、セトが素早く飛んできて前足でドラゴンローブを掴み、素早く移動する。
もしセトがいなければ、レイはクリスタルドラゴンの前足の一撃に踏み潰されていただろう。
セトがクリスタルドラゴンから距離を取ったところで、前足で掴んでいたレイを地面に落とす。
「グルルゥ……」
心の底から心配そうに、それでいながらクリスタルドラゴンから一切目を離す様子もなく、セトはレイに大丈夫? と喉を鳴らす。
そんなセトの隣で、レイはようやく胃の中が空になったのか、吐き出すのを止めて立ち上がる。
肋骨は折れておらず、幸いにも内臓も特に損傷した様子はない。
そのことに安堵しながら、レイはデスサイズの石突きを地面に突き刺しつつ、クリスタルドラゴンを見る。
レイに視線を向けられたクリスタルドラゴンは、自分が踏み潰した筈なのに全くその感覚がなかったことを不思議に思いながら、周囲を見回し……そこで、離れた場所にいるレイとセトの姿を見つけた。
「グゴオオオオ……」
自分の攻撃を回避したことが、面白くなかったのだろう。
クリスタルドラゴンは、不機嫌そうな様子を見せつつ喉を鳴らす。
クリスタルで出来たその身体が、どうやってそのような鳴き声を発しているのかはレイにも分からない。
それでも今の状況を思えば、そのようなことを考えるよりもクリスタルドラゴンをどうやって倒すのかを考える必要があった。
(せめてもの救いは、デスサイズも黄昏の槍も攻撃が通じるといったところか。傷は回復されるけど、闇の世界樹に比べれば再生能力は圧倒的に劣っているし)
それはクリスタルドラゴンの再生能力が劣っているのではなく、闇の世界樹の再生能力が高すぎるというだけなのだが、レイにしてみれば高い再生能力を持っている基準が闇の世界樹である以上、その差異は幸運であるという思いの方が強い。
そして攻撃が通じる以上、レイには奥の手がある。
「出来れば使いたくなかったんだけどな。……そうも言ってられないか。セト、悪いけど少し時間稼ぎを頼む。数分……いや、一分程度だ」
クリスタルドラゴンを相手に、一分の時間稼ぎ。
もし普通の人がそれを聞けば、死んでこいと言われているようにしか思えないだろう。
だが、セトは違う。
レイを信じていて、その一分をどうにかすればレイがクリスタルドラゴンに対して有効な攻撃をしてくれると、そう信じているのだ。
また、それだけではなくセトもクリスタルドラゴンと渡り合えるだけの自信がある。
倒すとなると、難しい……というか、現状ではほぼ不可能だろう。
セトもまたランクS相当という扱いを受けているが、クリスタルドラゴンはランクS相当といったものではなく、ランクSモンスターなのだ。
それもランクSモンスターの中でも明らかに上位に位置するだけの実力を持っているのは間違いない。
そんな相手と戦って勝つのは無理だが、時間稼ぎ……それも一分程度の時間稼ぎであれば、それに対処するのは難しい話ではない筈だった。
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せて! と鳴き声を上げる。
レイとセトを睨み付けていたクリスタルドラゴンは、そんなセトの鳴き声を聞き、レイとセトではなく、セトだけに視線を向けた。
セトはクリスタルドラゴンの威圧感に満ちた視線を向けられても、最初のように震えたりはしない。
それどころか、寧ろ戦意を高揚させるように、改めて雄叫びを上げる。
「グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルゥ!」
それは王の威圧といったスキルではなく、純粋に自分という存在を相手に知らしめるための、自分がお前の相手になるといった意味の雄叫び。
……そもそも、王の威圧を使っても相手のクリスタルドラゴンは明らかにセトより格上である以上、効果はまず望めないだろう。
セトもそれを察したからこそ、意味のないスキルを使ったりせず、純粋に自分の戦意を掻き立てる為に雄叫びを上げたのだ。
そうして、セトは一気に前に走り出す。
本来なら、先制攻撃という意味でクリスタルドラゴンに向かって現在最強の遠距離攻撃の手段たるアイスアローを使おうかとも思った。
しかし、アイスアローを使われた場合にクリスタルドラゴンが一体どのような対処をするのか分からなかった以上、迂闊に使えない。
セトもアイスアローがクリスタルドラゴンにダメージを与えることが出来るとは思っていない。
それこそクリスタルドラゴンが特に何もしなくても、装甲に当たって弾かれて終わりだろうと思う。
だが……だからといって、クリスタルドラゴンが大人しくセトの放った氷の矢を受けるとは限らない。
もし先程のようなクリスタルブレスを使われた場合、その効果範囲は広範囲に及ぶ。
レイが何をしようとしているのかは、当然セトも知っていた。
レイと長い間一緒にいるのだから、当然だろう。
レイが多少なりとも時間を必要となると、そのような真似をして何をするか……それは、レイにとって奥の手とも言えるスキル、炎帝の紅鎧だろう。
それが発動すれば、間違いなくレイはクリスタルドラゴンと戦える。
なら、レイが炎帝の紅鎧を発動するまでの時間、セトは何としてもクリスタルドラゴンを抑えておく必要があった。
「グルルルルルルゥ!」
その鳴き声と共に、セトは一気に跳躍して前足を振るう。
使ったスキルは、パワークラッシュ。
セトが持つスキルの中でも、数少ないレベル六に達しているスキルだ。
本来なら、セトも正面からクリスタルドラゴンに向かって突っ込むといったような真似はしたくないので、こちらも同じく光学迷彩を使って姿を消したいところだったが。
だが、この状況でセトの姿が消えれば、当然だがクリスタルドラゴンの注意はセトではなく炎帝の紅鎧を発動させる為に魔力の密度を高めているレイに向かう。
ただでさえ、相手はクリスタルドラゴンというランクSモンスターである以上、当然周囲の異変に気が付いたりといったようなことはするだろう。
……あるいは、自分がモンスターの頂点に立つ種族の一つである以上、レイが何をしようとも効果はないと判断して、無視するといった可能性もあったが。
そのような可能性に賭けたいとは、少なくてもセトは思わなかった。
だからこそ、正々堂々と目立つようにクリスタルドラゴンに向かっていったのだ。
セトも、長時間そのような真似が出来るとは思っていない。
だが、レイが炎帝の紅鎧を発動させるまでの時間だけなら、何とかなると判断したのだろう。
「グガアアアアアアアアア!」
そんなセトの考えなど気にした様子もなく、クリスタルドラゴンは自分に向かって真っ正面から攻撃をしてきた相手に前足の一撃を放つ。
だが、セトは跳躍した状態で翼を羽ばたかせることによって強引に進行方向を変え……
「グルルルルルルゥ!」
マジックアイテムの剛力の腕輪を発動させた上で放たれたパワークラッシュの一撃をクリスタルドラゴンの身体に叩き込む。
「グガァ!?」
その一撃は、さすがレベル六と言うべきか。
クリスタルドラゴンの肩の辺りに放たれたパワークラッシュは、その巨体をよろめかせたのだ。
セトとクリスタルドラゴンの間にある大きさの差は、数倍程度ではなく、十倍でも足りないだろう。
数十倍……あるいはもっとか。
それだけの差があるにも関わらず、セトの放った一撃はクリスタルドラゴンをよろめかせたのだから、一体その一撃がどれだけの威力があったのかというのを示していた。
もっとも、その一撃を放った反動でセトもまたクリスタルドラゴンから弾かれるようにして、距離をとってしまったが。
それでもプラスマイナスで考えれば、それは間違いなくプラスだった。
クリスタルドラゴンはよろめき、セトはその隙に体勢を立て直すと再度クリスタルドラゴンに突っ込んでいく。
次に放ったのは、先程同様に剛力の腕輪を発動させた上で放たれたパワークラッシュ。
その一撃を食らったクリスタルドラゴンは、体勢を立て直す間もなく……そのまま、地面に倒れるのだった。