2562話
ヴァンパイアの黒い霧は、レイの魔法によって燃える。
半ば思いつきでこうして霧を燃やすということを考えたが、今更になってそれが正解だったのか? といった風に考える。
勿論、霧そのものを燃やすというのが最善の手段というのは、レイも間違っているとは思わない。
だが、問題なのは燃やしつくしてしまった灰となった場合、それがヴァンパイアであるとギルドで認識されるのかといった思いがあった。
……いや、認められないのなら、それはそれで構わない。
明日一日という時間がまだ残っているのだから。
だが、最大の問題は死体云々ではなく、ヴァンパイアの魔石だ。
これだけは、レイとしてはどうしても入手したかった。
そう思い、燃えている霧を見ていたのだが……やがて燃えつきたのか、炎が消え……
「よし!」
レイの口から、喜びの声が上がる。
その理由は、レイの視線の先にあった。
地面にあるのは、ヴァンパイアが燃やしつくされた灰。
そして、灰の上に置かれている魔石。
取りあえず、最大の目的だった魔石を入手出来たことは、レイにとって幸運だった。
「問題は、この灰だな。……取りあえず持っていくだけ持っていってみるか。ギルドなら、この灰がヴァンパイアの燃えた灰だと判断してくれるかもしれないし」
レイの目からはただの灰にしか見えないが、ギルドならあるいは。
そう考え、ミスティリングの中から空き瓶を取り出すと、そこに灰を詰めてミスティリングに収納する。
「グルルルゥ」
魔石はどうするの? と喉を鳴らすセトだったが、レイはそんなセトに対して首を横に振る。
「この灰がヴァンパイアだと認められれば、魔石も必要になる筈だ。……ランクAモンスターの魔石は勿体ないけど、取りあえず収納だな。にしても、灰だと素材も何もとれないな」
苦労してヴァンパイアを倒したのに、その素材を入手することが出来なかったのは、レイにとっても非常に残念だ。
ランクAモンスターである以上、間違いなくその素材は大きな意味を持った筈だ。
何よりもヴァンパイアという、非常にメジャーな存在の素材だけに、それこそ使い道は幾らでもあっただろう。
(取りあえず、入手出来たのはこの灰だけか。この灰がギルドの方でヴァンパイアと認識されるかどうかは、半ば賭けに等しいけど。後は、これを素材として使えるかどうか、か)
ともあれ、レイはセトと共に強敵と呼ぶに相応しい実力を持っていたヴァンパイアを倒すことに成功はしたのだから、今はこれ以上考えるのが面倒だと判断する。
「グルルルゥ?」
と、不意にセトが心配そうに自分を見ているのに気が付く。
その視線が向けられているのは、レイの顔……その中でも、先程ヴァンパイアの一撃によって傷を付けられた頬だ。
それなりに深い傷だったのか、こうしている今も血が流れ続けている。
セトはそんなレイの傷を心配したのだと理解したレイは、ミスティリングからポーションを取り出して傷口を癒やす。
元々レイの身体は高い治癒能力を持っているので、こんな傷もすぐに血が止まるだろうし、数日もすれば傷は完全に癒えるのは間違いない。
それでもポーションを使ったのは、傷をそのままにしておけばセトが心配に思うからというのも大きいだろう。
今回のヴァンパイアとの戦い、セトはレイのあしを引っ張ってしまった。
まさかセトも、自分の前足の一撃を受け止められ、それで投げられるとは思ってもいなかったのだ。
結果として、自分が投げられたことによってレイは自分を受け止めるという真似をし、背中から血のレイピアで刺された。
幸い、レイはドラゴンローブを着ていたので背中から貫かれるといったことはなかったが、それは偶然でしかない。
そういう意味で、セトは自分の失敗をかなり気にしていたのだ。
レイにしてみれば、今回のセトの失敗はそこまで気にするような必要はないと思うのだが。
戦い……それも、その辺の雑魚を相手にした戦いではなく、ヴァンパイアという高ランクモンスターを相手にしての戦いだ。
その上で高い知恵を持つ相手なのだから、レイにしてみれば苦戦するのを前提としての戦いだった。
「ほら、もう傷も消えただろ? だから安心しろ」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトは傷跡のあった場所をじっと見て、そこに傷跡がないのを確認すると、納得したように喉を鳴らしてレイに頭を擦りつける。
そんなセトの頭を撫でながら、レイはこれからどうするべきかを考え……やがて、口を開く。
「今日はもう、隠れ家に戻るか」
「グルルルゥ?」
いいの? と喉を鳴らすセト。
レイが夜の森でモンスターを狩るのを楽しみにしていたのを、理解していたからだ。
明日の夜も魔の森に泊まるのなら、まだ明日の夜もあるから今日は戻るといったように考えてもおかしくはない。
だが、明日中には魔の森を出る必要がある。
……それでも夜になってから魔の森を出るといったことも出来るので、一応夜にもモンスターを探したりといった真似は出来なくもないのだが、そちらに集中しすぎて日付が変わる前に魔の森を出られなくなってしまえば、昇格試験は失格となってしまう。
であれば、当然ながら夜はそれなりに魔の森の中を探索出来るが、ある程度の余裕を持って移動する必要があった。
「ああ。ヴァンパイアを倒せたしな。それに……明日の日中は、森の奥深い場所に向かう。そこで高ランクモンスターを出来るだけ倒して、夕方くらいになったら魔の森の外に向かって、出口が見えてきたところで夜を待ってモンスターを狩る。で、日付が変わる前には魔の森を出る」
「グルルルゥ?」
予定通りに行くの? と喉を鳴らすセト。
レイもそんなセトの様子から何を考えているのかは理解したので、特に気にした様子もなく言葉を続ける。
「予定は未定って言われるしな。あくまでも大まかな予定でしかない。何か特別なことがあったら、予定を変えるということは十分に考えられるし」
例えば、ヴァンパイアのように強力なモンスターと戦闘になった場合、連戦をするのは厳しい。
無理ではなくあくまでも厳しいといった程度なのだが。
そもそも、レイとしては明日の日中には魔の森の奥まで進み、そこで高ランクモンスター……ランクAモンスターか、場合によってはランクSモンスターを倒すつもりでいる。
それを考えれば、一度強敵と戦った程度で限界になってそれ以上は戦えないといったようなことになったら、そもそも魔の森で生き抜くような真似は出来ないだろう。
「じゃあ、隠れ家に帰るか。……勿論、途中でモンスターが襲ってきたら倒すけどな」
これは当然のことだ。
ヴァンパイアとの戦いでそれなりに疲れているとはいえ、わざわざ向こうから襲ってきたモンスターがいるのなら、それを逃がすといった選択肢はレイとセトには存在しない。
そうして、レイとセトは隠れ家に向かって進み始めたのだが……
「襲ってこないな」
「グルゥ」
意外そうに呟くレイに、セトも同意する。
ヴァンパイアと戦った広場の周辺でモンスターが出て来ないのは、まだ分かる。
だが、広場からそれなりの距離が離れてもモンスターが襲ってくる様子はない。
このような状況になっている以上、絶対に何らかの理由があるのは間違いない。
その理由が分からない以上、レイとしてはどうすることも出来なかった。
ヴァンパイアとの戦いで疲れていたので、余計な戦いをしないですんだのは助かったのだが。
もしレイとセトがヴァンパイアとの戦いで疲労していなければ……いや、恐らくそれでも気が付くかどうかは微妙なところだっただろうが、少し離れた場所で姿を消している黒蛇の姿に気が付いたかもしれない。
実は、黒蛇はレイと闇の世界樹の戦い時からその姿を見守っていた。
闇の世界樹の周辺には、モンスターどころか動物や鳥ですら近付かなかったのだが、黒蛇は問題なく近づける。
そしてレイとセトが闇の世界樹を倒すのを見て満足し……だが、夜になったらヴァンパイアが姿を現すことを知っていたので、そちらは黒蛇が自分で倒そうと思っていたのだ。
しかし、何故かヴァンパイアの現れる頃にレイとセトが再び同じ場所にやってきて、戦いとなった。
危なくなったら助けに入ろうと思っていたものの、レイとセトはヴァンパイアを圧倒。
……レイやセトにしてみればそれなりに苦戦したという思いがあったのだが、客観的に見た場合、ランクAモンスターを相手に頬の傷だけしか負傷しない――正確には背中を血のレイピアで刺されたのだが、こちらはドラゴンローブで怪我をしていない――で勝ったのだから、一般的には圧倒したとなる。
そんなレイとセトが隠れ家の方に戻ろうとしたので、黒蛇はそんなレイとセトが邪魔をされないようにと、モンスターに襲撃されないようにしたのだ。
レイやセトにしてみれば、未知のモンスターの魔石は欲しいところなので、黒蛇の行動は少し過保護なものだったのだが、そもそもレイもセトも黒蛇の存在に気が付いていなかったので、それに不満を言うようなことは出来ない。
そうして黒蛇に守られつつ、レイとセトは隠れ家に到着した。
「……結局一匹のモンスターにも襲われなかったな」
「グルルゥ」
心の底から不思議そうに呟くレイと、それに同意するように疑問を抱くセト。
だが、自分達が特に何かした訳ではない以上、何故そのようなことになったのかは、レイにも分からない。
(ヴァンパイアを倒したからか? いや、けど今までにもランクAモンスターは倒しているけど、こういうことはなかった筈だ。あるいはランクAモンスターじゃなくてヴァンパイアだからとか?)
ギルドに戻ったら、レノラ辺りに聞いてみるか。
そんな風に思いながら、レイとセトは隠れ家の結界に入る。
結界の外側では、幾ら敵が見えなくても、いつどこから襲ってくるのか分からない。
そうである以上、何かあった時は即座に対処するようにする必要があるのだが、この結界の内部に入ればそのようなことを心配する必要は全くない。
そういう意味でも、まさにこの結界の中は魔の森において唯一絶対の安住の地と呼ぶべき場所だ。
「さて、取りあえず今日はもう寝るか。……魔の森を歩き回っても、モンスターが全く出て来ないような気がするし」
「グルルルゥ」
レイの言葉に頷きながらも。セトはお腹が減った! とレイに主張する。
セトにしてみれば、寝る前にしっかりと運動した分、栄養を補給しておきたかった。
もし女の冒険者が寝る前に腹一杯に食べたいといったようなことをセトが言ってると聞けば、一体どんな反応になるんだろう。
そんな風に思いつつ、レイはミスティリングの中から猪のブロック肉を取り出す。
「どうする? 焼くか? それとも生で食べるか?」
この肉はミスティリングに入っていたので、当然のように非常に新鮮だ。
それでも普通なら生で食べるといったことをする者は少ないのだが、セトの場合は火を通しても生でもどちらでも食べられる。
「グルルルゥ」
生で食べる、と喉を鳴らすセト。
新鮮な肉の塊を前にして、非常に嬉しそうだ。
(まぁ、セトの場合は最悪ファイアブレスで表面を焼いたり出来るしな。最初は生で味わって、表面を炙って食べて、最後にしっかりと焼いて食べる。そんな風にしてもおかしくはないか)
そう納得すると、レイはセトの前に猪のブロック肉を置くと、セトを撫でる。
「じゃあ、俺は寝るよ。セトもそれを食べたらしっかりと休めよ」
レイの言葉に、セトは早速肉を食べながら喉を鳴らして了解の意を示す。
そんなセトの様子を微笑ましく眺めつつ、レイは隠れ家の中に入る。
当然の話だが、この隠れ家にはレイとセト以外に誰かが入った様子はなく、何の問題もなく部屋に戻れた。
そうして身軽な格好になると、そのままベッドに寝転がる。
グリムにヴァンパイアについての話を聞こうと思って対のオーブで連絡を取ろうとしたのだが、生憎と対のオーブに反応はない。
恐らく研究の方に集中しているのだろうと判断し、エレーナの対のオーブを使う。
『レイ? どうしたのだ? 何かあったのか?』
昇格試験中に対のオーブで連絡してきたので、もしかしたら何かあったのでは? と思ったのだろう。
慌てたように尋ねてくるエレーナだったが、寧ろレイはこの時間にまだ起きていたということに驚く。
連絡をして向こうが反応しなかったら、そのまま寝ようかと思っていたのだ。
「いや、何でもない。ちょっとエレーナの顔を見たくなってな」
『そ、そうか。……それで、そちらの様子はどうだ? 魔の森にいるのだろう?』
「そうだ。けど、魔の森にはゼパイル一門の隠れ家があるからな。そこにいれば全く心配はないよ」
そう言いながら、レイは少しエレーナとの会話を楽しむのだった。