2558話
広場に入ったレイは、微かに眉を顰める。
広場の中央……昼間には木が生えていた場所にいる人影から、強烈な気配を感じたからだ。
それこそ、巨狼や木に等しい……いや、あるいはそれを上回るのでないかと思える程の、圧倒的な存在感。
(なるほど。こんな奴がいて、この気配を放っていれば、虫や動物、鳥、モンスターといった者達もここに近付きたいとは思わないだろうな。にしても……マント?)
レイから見えるのは、人影の後ろ姿だ。
だが、その後ろ姿に見えるのは、毛皮でも羽毛でもなく、マント。
そう、明らかに生身ではない存在だった。
「ようやく来たかね?」
「っ!?」
言葉を発した。
それに驚いたのは事実だが、マントを着ている以上、言葉を話すくらいはしてもおかしくはない。
だが、視線の先にいる人物は、間違いなくモンスターなのだと、レイもセトも本能的に理解している。
あるいは、獣人のような亜人の一種なのでは? と思わないこともなかったのだが、目の前にいる相手の気配から考えれば、間違いなく敵だ。
「お前は……誰だ? ようやくってことは、俺達が近付いてくるのを察知してたのか?」
そう尋ねつつも、レイはミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
そんなレイに、相手はここでようやく振り向き……その顔がエレーナ達のような美形慣れしていても、十分に顔立ちが整っていると表現出来る程に美男子と呼ぶに相応しい相手だと理解する。
だが、相手はそんなレイの驚きを目にしても特に気にした様子がなく……寧ろ、レイの持っている武器に興味深そうな視線を向けるだけだ。
「アイテムボックスかね。これはまた、珍しい。……ふむ。私の実験作を破壊したことについては、面白く思えないが……アイテムボックス持ちがいたのを考えると、結果的には悪くはないのかな?」
その相手の言葉に、レイは色々と気になるところはあったが、そんな中でも一番気になったのは……
「実験作?」
そう、実験作という言葉。
現在の状況から考えると、日中にレイがこの場所で倒したあの巨大な木は、この目の前の男が何らかの干渉を行った結果、あのようなことになったのだろうと予想出来た。
そんな風に思うレイだったが、男はレイの口から出た実験作という言葉に、笑みを浮かべて口を開く。
「うむ。君は世界樹……というのを知ってるかね?」
「まぁ、人並みには」
実際には、マリーナの故郷に世界樹が存在し、その世界樹に関係する騒動に巻き込まれたことがある。
また、そのマリーナは世界樹の巫女と呼ばれる存在で、そういう意味ではレイは世界樹との関係はかなり強いものがあるのは間違いなかった。
だが、それをここで口に出した場合は色々と不味いことになる。
そう判断したレイは、相手に対して適当に話を合わせ……同時に、ここに生えていた木の存在がどのような存在なのか予想出来た。
実験、世界樹。
これらを考えれば、その答えに行き着くのはそう難しくはないのだから当然だろう。
そして、実際に次の瞬間に男の口から出たのはレイが予想していた通りの言葉だった。
「うむ。私がこの地で育てていたのは、世界樹だ。……正確には、世界樹と同じ能力を持ち、それを私にとって大きな利益となるように調整した世界樹……といった表現が正しいがね。私は闇の世界樹と呼んでいる」
「世界樹を……調整?」
まるで研究者のような真似をする。
そう思ったレイだったが、改めて考えてみれば、レイにはグリムという研究を趣味にしているアンデッドの知り合いもいる。
また、レイが知っている錬金術師達は、自分の研究の為なら魔の森に向かうといったようなことを行ってもおかしくはない。
であれば、魔の森でこのような研究をしていてもおかしくはないだろう、と。
(それに……)
レイは二十代くらいの端正な顔立ちの男を見ながら、何故グリムを思い浮かべたのかを納得する。
気分よく自分に向かって闇の世界樹について説明していた男は、外見だけなら普通の人間に思えた。
勿論、魔の森に……それもモンスターが比較的大人しい日中ではなく、活発に動き出す夜の魔の森にいるのだから、とてもではないが普通の人間といったことはないだろう。
それを示すかのように、闇の世界樹について説明する男の牙は、鋭く尖っていた。
マントを背負っており、夜の魔の森にいる人型で、牙の生えている美形の男。
ここまで要素が揃っていれば、レイにも目の前の男がどのような存在なのかは理解出来た。
(ヴァンパイア、か)
アンデッドがいて、ファンタジー世界である以上、ヴァンパイアの類がいてもおかしくはない。
実際、レイの持つモンスター辞典にもヴァンパイアは載っている。
ただし、ヴァンパイアというのは他のモンスターとは違う特徴がある。
ヴァンパイアになってからの年月、ヴァンパイアになった本人の資質、どうやってヴァンパイアになったのかといった具合で。
特に最後のどうやってヴァンパイアになったのかといったことは、そのヴァンパイアのランクを決める上で大きな意味を持つ。
他のヴァンパイアの手によって……具体的には相手の血を吸い、ヴァンパイアの血を与えるといった方法の場合は、親のヴァンパイアが強力な存在であればヴァンパイアになった当初からそれなりの強さを持つ。
……逆に親のヴァンパイアが弱ければ生まれたヴァンパイアもまた弱い。
また、そんなやり方とは違って儀式を行ってヴァンパイアになるという方法で生まれるヴァンパイアは、極めて強力な存在となる。
何しろ、それだけの儀式を行えるだけの知識を持ち、儀式に耐えられるだけの身体を持っているのだから。
同じように儀式を行ってアンデッドになったのがグリムなのだから、儀式を行って生き残ることがどれだけ特別な存在なのかは明らかだろう。
もちろん、グリムはゼパイル一門には及ばずとも天才と呼ばれるだけの才能を持っていたからこそ、あそこまで強力なアンデッドになることが出来たのだが。
そんな風にレイがモンスター辞典や人から聞いたヴァンパイアの知識について思い出している間にも、ヴァンパイアの男は説明を続ける。
「そうだ。闇の世界樹は私の数十年に渡る研究の結晶だったのだが、それがこうも見事に消失するとは思わなかった。……君はどう思うかね?」
そう尋ねてくるヴァンパイアは、興味深そうにレイを見る。
(何で俺を?)
レイとセトが並んでいる場合、普通ならレイではなくセトの方に興味を持つ。
何しろレイはあくまでも外見は普通の人間――女顔の美形という特徴はあるが――なのに対し、セトは高ランクモンスターとして有名なグリフォンなのだから、それは当然だろう。
だというのに、ヴァンパイアの男はレイを興味深そうに見ながら、そう尋ねてきたのだ。
「何でそれを俺に聞くんだ?」
「だって、君だろう? 闇の世界樹を倒したのは。……どうやってあれだけの巨体を破壊したのかは分からないが。いや、アイテムボックスの力かな?」
あっさりとそう告げるヴァンパイアに、レイは言葉に詰まる。
何故自分が木を……闇の世界樹を倒したというのを、知っているのか。
とはいえ、相手はブラフでも何でもなく、明確にレイが闇の世界樹を倒したと確信している。
そうである以上、ここで誤魔化すのは悪手と判断して口を開く。
「取りあえず、モンスターの生首が生えている蔦というのは気色悪いと思ったな」
「ふむ。そこが愛らしいと思うのだが」
レイの言葉が理解出来ないといった様子で首を傾げるヴァンパイアだったが、レイとしてはこのヴァンパイアの趣味が全く理解出来ない。
一体何をどうすれば、あのような気色悪い存在を愛らしいなどと思えるのか。
「趣味は人それぞれだからな」
「そうかね? まぁ、そうかもしれないね。では……ふむ、やはり君は面白い」
ヴァンパイアは、レイの言葉に面白そうな笑みを浮かべてそう告げる。
「何故? 普通なら俺じゃなくてセトの方を興味深く思うんじゃないのか?」
そう言いながら隣のグリフォンを見れば、ヴァンパイアもセトというのがグリフォンのことを示しているというのはすぐに理解したのか、気取った様子で頷く。
「普通ならそうかもしれないね。だが……生憎と、私は審美眼には自信がある」
「審美眼ときたか」
審美眼というのは、美しい物や価値のある物を見分ける能力を示す。
そういう意味では、レイはヴァンパイアに評価されたのだろうが……それが嬉しいかと言われれば、また別の話だ。
「それで? 俺に興味を持ったお前は、一体何をどうしたいんだ?」
レイとしては、このヴァンパイアとは平和的に話をして帰って欲しいところだ。
ヴァンパイアの魔石は欲しいし、こうして話している今も感じられる気配から、間違いなくランクAモンスターだろうというのは分かる。
だが、こうして会話が出来る相手ではあるし、何よりレイの知り合いにはグリムというアンデッドがいる。
同じアンデッドだけに、もしかしたらグリムの知り合いではないのかと、そのように思ったのも大きい。
「そうだね。闇の世界樹が倒されたのは残念だが……それよりも価値のある物を見つけた」
そう言い、笑みを浮かべるヴァンパイア。
だが、その言葉にレイは嫌な予感を覚える。
今までの話の流れからすると……
「そのアイテムボックスを置いていきたまえ。そうすれば、面白い物を見せてくれたことだし、君は見逃してあげよう」
やはり、か。
そうレイは言葉に出さずに思う。
レイがアイテムボックス……ミスティリングを持っているのを見た時から、ヴァンパイアはレイの右腕に嵌まっているそれに目を付けていた。
本来なら、アイテムボックスは使用者しか使えないようになっているのだが……ヴァンパイア、それも研究者ともなれば、その辺をどうにかする方法を知っていてもおかしくはない。
そもそも、その目処があるからこそミスティリングを寄越せと、そのように言ってるのだろう。
だが……そんなヴァンパイアに対して、レイの返事は決まっていた。
「断る」
「……何?」
ヴァンパイアは、まさかレイが断るとは思っていなかったのだろう。
あっさりとそう告げたレイに、数秒の沈黙の後でレイの言葉が理解出来ないといった様子を見せる。
だからこそ、レイは自分の意思が相手にしっかりと伝わるように、再び口を開く。
「断る。そう言ったんだ。悪いが、このアイテムボックス……ミスティリングを渡すことは出来ない」
そんなレイの言葉に、ヴァンパイアは不愉快そうに眉を顰める。
自分が欲しており、その対価として命も見逃す。
そのように言っているのに、こうもあっさり断ってくるとは思わなかったのだろう。
「本気かね? 私がどのような存在なのか、君なら当然分かってると思うのだが」
ヴァンパイアも高ランクモンスターだけあって、相手の実力を見抜く目はある。
そんなヴァンパイアから見て、レイとセトが強いというのは理解出来た。
だが……自分はヴァンパイアなのだ。
アンデッドの中でも最高峰の力を持つ種族。それがヴァンパイアだ。
そんな自分の言葉、それこそ慈悲といってもいいような言葉を発したのに、それを拒否するというのは、ヴァンパイアにしてみれば有り得ないことだった。
だからこそ、もしかして何かを勘違いしているのではないかと思い、本気か? と尋ねたのだが……
「ああ、このミスティリングは俺にとっては命綱だ。欲しいと言われたからって、はいどうぞと渡す訳にはいかない」
「それを渡さなければ、君もそちらのグリフォンも死ぬとしてもかね?」
「こっちから攻撃をするつもりはないが、もしそっちから攻撃を仕掛けてくるのなら、こっちも相応の対処を取らせて貰う。黙ってやられるような真似はしない。元々、俺とセトはこの魔の森で最低でも二匹以上のランクAモンスターを倒さないといけないんだ。木……闇の世界樹とやらは、お前が作ったせいなのか色々と厄介な存在ではあったけど、ランクAモンスターとして認められるかどうかは分からない」
正確には、圧倒的な再生能力を潰す為に燃やし続けたから、半ば炭や灰と化した闇の世界樹をギルドがランクAモンスターとして認めるかどうかは分からない、というのが正確なところなのだが。
「私に勝てると?」
「そうだな。勝てるとは思っている。……けど、戦う前に一つだけ聞いてもいいか?」
「構わんよ。君の死は既に決まっている。そのくらいの頼みは聞いてあげようではないか」
「俺からすれば、お前の死はもう決まっているんだけどな。……まぁ、いい。お前に聞きたいのは一つ。グリムというアンデッドを知ってるか?」
「グリム? いや、知らないな。どこのヴァンパイアだい?」
相手が惚けている訳ではないのは、その言葉でレイにもしっかりと分かった。
そして分かった以上、このヴァンパイアを倒してもグリムの知り合いを殺す……といったようなことは心配しなくてもすむと、安堵して首を横に振る。
「いや、知らないならそれでいい。じゃあ……始めるか!」
そう告げ、レイはデスサイズと黄昏の槍を手にヴァンパイアとの間合いを詰めるのだった。