2557話
「んん……夜か……」
目を覚ましたレイは、部屋の中が真っ暗なのを確認すると、そう呟く。
もっとも、レイがベッドから降りると何らかのセンサーでも働いたのか、部屋の中に明かりが点くが。
そんな人工の明かりの下で、レイは自分の身体の調子を確認する。
その様子には、いつものように寝惚けている様子は一切ない。
いつもであれば寝起きが決してよくないレイだったが、今夜は魔の森でモンスターを倒す予定であった為か、寝起きの悪さはない。
それだけに、素早く身支度を調えると部屋を出る。
廊下も当然のように暗かったのだが、レイが部屋から出ると寝室と同様に明るくなった。
そんな廊下を歩き、レイはやがて魔法陣のある部屋……セトが休んでいる部屋に到着する。
「グルゥ!」
そんなレイの姿を見つけたのか、セトは即座にレイの方に近付いてきた。
レイが見た限り、セトもまた少し前に起きていたのだろう。
元々、セトは本来なら数日は徹夜しても全く問題ない能力を持っている。
それでも寝ているのは、単純にセトが寝るのが好きだからこそだろう。
もっとも、今回眠っていたのは日中に倒した木との戦いでモンスターの顔が生えた触手という不気味な存在と……それも百本近くと戦った精神的な疲れを癒やす為という目的があったのだが。
セトにしてみれば、その程度で精神的に疲れるといったようなことはまずない。
それでもレイにしてみれば、セトのことを思うと休ませた方がいいと、そう判断せざるをえなかったのも事実。
そして数時間ぶりにセトに会ってみると、実際にセトは休む前よりも元気になっているように思えた。
「どうやら、しっかりと休憩出来たようだな。じゃあ、軽く食事をしてから外に向かうか。……夜の魔の森だ。それこそどんなモンスターがいるか分からない以上、気をつけるぞ」
「グルルゥ」
レイの言葉を聞き、セトも自分に気合いを入れるように喉を鳴らす。
セトにとっても、夜の魔の森というのはそれだけ注意をする必要がある場所だということなのだろう。
もっとも、そうして注意する必要があるということは、それだけ強いモンスターが存在するということでもあり、それは同時に未知のモンスターから魔石を入手出来るということも意味している。
そういう意味では、夜の森は決して悪い場所ではない。
そのように判断出来るのは、レイやセトのように魔の森の中でも生き抜くことが出来るだけの強さを持っているからこその話なのだが。
そうして、レイとセトはミスティリングから出した料理で軽い食事をすると、結界から外に出る。
「これは、また……分かっていたけど、随分と昼間とは違うな」
「グルゥ」
隠れ家の周辺の様子を眺めながら、レイが呟く。
するとそんなレイの言葉に同意するように、セトが喉を鳴らす。
セトもまた、このような夜の魔の森で行動することを楽しみにしていたのだろう。
(とはいえ、セトの場合だといつでも魔の森に戻ってこられるんだよな)
夜は基本的にマリーナの家で眠っているセトだったが、セトがその気になれば夜にギルムから飛び立ち、魔の森にやって来ることは可能だ。
地上を進んだ時は、二泊――そのうちの一泊は時間を調整する為のものだが――をして到着する場所だったが、空を飛ぶセトなら移動するのにもそこまで時間は掛からない。……あくまでも、道に迷わないで無事に到着出来れば、の話だが。
(うん、そうだな。夜に寝ていたらいきなりスキル習得のアナウンスメッセージが流れてきてもおかしくはないのかもしれないな)
今後のことを考えると、そんな予想がレイの中にはある。
一応、必要のない時は魔の森に近付かないようにと言っておく必要があるのだろうが、セトの場合は普通に魔の森まで移動出来る分だけ、注意しておく必要があった。
「よし、まずは隠れ家から少し離れて、適当に歩いてみるか。明日には魔の森を出ないといけないから、少しでも多くのモンスターと戦いたいところだな。……あ、でもその前に。あの木を倒したところに行ってみた方がいいか? 倒してから時間が経ってるし、何か変化があるかもしれない」
木を倒した日中であれば、精神的な疲れからそのようなことを思いつきはしなかっただろう。
あるいは、思いついても精神的に疲れている以上は、止めておこうと考えた筈だ。
だが、十分に睡眠を取り、そして美味い料理を食べたことによって精神的な疲れは大分癒やされている。
勿論、完全に精神的な疲労から回復した訳ではないが、それでも今は木を倒した場所に向かっても問題ない程度には大丈夫だった。
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトもまた異論はないのか、大丈夫と喉を鳴らす。
レイだけではなく、セトもゆっくりと休んだことで精神的に回復したのだろう。
そうしてレイとセトは森の中を進んでいたのだが……
「グルルルゥ!」
走っている最中、セトがスキルを使用する。
放たれた氷の矢は五本ほど。
アイスアローはレベル五で最大で五十本まで生み出すことが出来るのだが、常に最大数を生み出さなければならない訳ではない。
最大五十本ということは、それこそ一本であっても二十本であっても問題なく氷の矢を生み出すことが出来るということになる。
当然だが、氷の矢の本数を増やせば増やすだけ――それでも若干だが――時間が掛かることになるのだが、数本程度なら即座に生み出すことが可能だ。
それでいて、氷の矢の威力はレベル五のものなのだから、レベル五になったアイスアローはセトにとって非常に使いやすいスキルなのは間違いない。
そうして放たれた氷の矢は、夜の森を真っ直ぐに進み……
「グルゥ?」
氷の矢を放ったセトは、数秒経ってから疑問に喉を鳴らす。
「どうした? 敵を倒したんじゃないのか?」
セトの様子が気になってレイが尋ねてみるが、セトはそんなレイの言葉に困ったように首を傾げる。
「逃がしたのか?」
「ググルルゥ」
レイの言葉に、そんなことはないと首を横に振るセト。
そんなセトの様子に、レイは疑問を抱く。
敵を倒したのかと尋ねると、首を傾げる。
逃がしたのかと尋ねると、それは即座に否定する。
倒したのではなく、逃がしたのでもない。
だとすれば……と、レイは改めて口を開く。
「倒せていないけど、傷を負わせて氷の矢で木に射貫いて動きを止めている?」
二つの質問の間をとって尋ねてみるが、やはりセトは首を傾げるだけだ。
(どうなっている?)
そんなセトの様子が気になったレイは、先程放たれた氷の矢を探す。
セトが何に対して要領を得ないような行動をしているのか、レイには分からない。
であれば、セトが放った氷の矢を探せば、そこに答えがあるだろうと思ったのだ。
しかし……氷の矢は五本とも何本かの木の幹に突き刺さったり、貫いたりといった状態だったが、どの矢にも何らかのモンスターの血が付着しているということはない。
それはつまり、氷の矢は敵に命中していない可能性が高いということを意味していた。
(ゴースト系か? いや、でも氷の矢はスキルなんだから、魔力を纏っている。だとすれば、ゴーストのようなアンデッドにも多少なりとも効果がある筈だ)
何よりも、セトならゴーストの類を倒したのなら、倒したと分かる筈だ。
だが、セトは敵を倒したといった様子はない。
つまり、ゴースト系を倒した訳でもない。
「分からないな。分からないけど、周辺に何もいないというのは理解出来た。なら、これ以上気にしてもしょうがないし、木のいた場所に向かおう」
「グルルゥ、グルルルゥ」
レイの言葉に、セトは完全に納得した様子ではなかったが、それでもこれ以上ここで探しても意味はないと判断したのか、不承不承ではあったがレイの言葉に頷く。
そうしてレイとセトは、微妙に納得出来ないような後味の悪さを感じながらも、夜の森を進む。
本来なら謎を解明したいところだが、ここは魔の森だ。
それこそレイやセトにとって理解出来ないことの一つや二つあっても、おかしくはない。
いや、寧ろ魔の森として考えれば、そのような謎があって当然だろう。
それ以外にも、夜という時間は限られている。
レイもこうして今は活動しているものの、別に朝方まで魔の森の中でモンスターを探す訳ではない。
そのような真似をすれば、明日は寝不足で魔の森を動くことになるか、もしくはレイの身体が満足するまで眠り続けるといったようなことなってしまうだろう。
前者は問題外だが。
魔の森といったような場所で行動するのに、寝不足で行動するというのは有り得ない。
自分の命を意図的に危険に晒すような真似は、レイとしても絶対に避けたかった。
そうなると後者だが、折角魔の森に来ているのに寝てすごすというのは、魔獣術的に勿体ない。
そんな訳で、結局のところ夜の森を探索するのは数時間程度にしておくのが、レイにとっては最適なのだ。
だからこそ、訳の分からないことに構っているような暇はない。
そうして魔の森の中を進んでいくと、途中で何匹かのモンスターを見つけるのだが、レイとセトの姿を見るや否や、即座に逃げ出す。
「おかしいな。日中に遭遇したモンスターは、基本的に逃げるといったようなことはしなかったのに。夜になると、その辺が変わるのか? ……まぁ、分からないでもないけど」
夜というのは、モンスターが活発に動く時間帯だ。
そうなると、当然だが高ランクモンスターも森の中を動き回ることが多く、弱いモンスターにしてみれば、そのような存在にとっては餌でしかない。
だからこそ、自分に勝ち目がないと考えると即座に逃げ出すのではないか。
(けど、別に日中だって高ランクモンスターはいたんだから、ちょっと無理があるよな。というか、そもそも高ランクモンスターに遭遇しないというのが、そもそもおかしいし)
レイは周囲の様子を見ながら疑問を感じる。
とはいえ、先程のセトのアイスアローの一件もそうだが、疑問を感じたからといってそれを解決しているような余裕は存在しない。
であれば、まずはセトを見ても逃げないような高ランクモンスターを探すのを優先した方がいい。
そう思っていたのだが……
「何だか、覚えのある状況になってきたんだが」
森の中を進み、木と戦った場所に近付くに従って静かになっていく様子に、レイは嫌そうに……それはもう、本当に心の底から嫌そうに呟く。
当然だろう。このような状況になっているということは、それはつまり木のいた広場に何らかの強力なモンスターがいるということなのだから。
ましてや、夜の森というのは本来なら虫や獣、鳥、モンスターの立てる音でかなりうるさい。
にも関わらず、広場に近付くに連れて静かになっていくのだから、それが何を意味するのかというのはレイにとっても容易に想像出来た。
(つまり、木と同程度……かどうかは分からないが、少なくてもこういう感じに気配だけで虫や動物やモンスターを近づけさせないようなことを出来る奴があの広場にはいる訳か。想定外の展開ではあるけど、それでも俺としては悪くないか)
元々、ランクAモンスターを最低でももう一匹……可能ならもっと多数、そしてランクSモンスターをも倒そうとは思っていたのだ。
そういう意味では、広場に木と同ランク以上のモンスターが存在するというのは、悪い話ではない。
(まぁ、あの木と同程度ではあっても、同種のモンスターでなければいいんだけど)
モンスターを殺してその頭部を蔦とするような不気味さや、圧倒的な再生能力。
木の戦闘力そのものはそこまで強くはなかったのだが、それでも戦いにくい相手だったのは間違いない。
昼に倒す時はあれだけ苦労して倒したのに、広場に出てみたらまたあの巨大な木が生えているといったようなことになったら、それは少し洒落にならない。
せめて、あの木があっても昼に倒されたばかりなのだから、まだ若木であって欲しいとレイが思うのは当然だろう。
「セト、どう思う? いっそ、このまま広場に向かうのを止めるか? 別に、無理にあの木と戦う必要はないんだし。……魔獣術のことを考えると、倒したいという思いはあるけど」
今のところ、日中に倒した木は一匹だけである以上、当然魔石は一つしかない。
ランクAモンスターである以上、その魔石は出来れば二つ欲しいと思うのは当然だろう。
「グルルゥ」
レイの言葉にセトは喉を鳴らす。
それは広場に行こうと、そう言っていた。
「分かった。なら、そうするか。……行くぞ」
そうしてレイとセトはそのまま進み、やがて広場に到着する。
だが、広場にはどこにも木は存在せず……代わりに、人影が一つあったのだった。