2556話
燃えて地面に倒れた木は、当然の話だが周囲に強力な揺れを与える。
その揺れの威力は、それこそ眠っている者がいれば即座に起きるだろうという程の激しい揺れ。
もっとも、現在はまだ日中である以上、眠っているような者はいない……訳ではない。
特に夜行性の動物やモンスターにしてみれば、今この時間こそがゆっくりと睡眠をしている時間なのだから。
「そういう意味だと、この騒動で叩き起こされたモンスター達が不機嫌な様子で出て来てもおかしくはないな」
「グルゥ?」
倒れた木を見ながら呟くレイに、セトはどうしたの? と喉を鳴らす。
既に木が完全に死んだからだろう。レイが使った魔法によって生み出された炎も、完全に消えている。
周囲には木の燃えた臭いが漂っているが……幸いにして、木は炭となっているが、形は残したままで、魔石には期待出来るだろう。
「取りあえず、この木は収納しておくか。魔石を探すのは……一応、これがランクAモンスターだと認められた時の為にも止めておいた方がいいな。正直なところ、半ば炭、半ば灰のこの身体は持って帰っても信用されるかどうか分からないけど」
ランクAモンスター二匹の死体はレイにとって必須だ。
だが、この木……いや、炭がそうと認められるかは、難しいところだろう。
部位によっては既に灰となっているところも多々あり、一見すると本当にただの巨木にしか見えないのだから。
そういう意味では、本当に厄介な相手だと言ってもいいだろう。
戦ったレイとしては、ランクAモンスターであると確信しているのだが。
(そもそも、本来ならこれだけの大きさのモンスターなら、魔の森の外から見えていた筈だしな。それがなかったという時点で、このモンスターが魔の森にいたと証明するのは難しいし)
あるいは、魔の森の外でレイの昇格試験を見守っている者がいれば、この木の存在を証明出来たかもしれない。
だが、当然だがそのような者はいない以上、この木をランクAモンスターと証明するのは難しい。
それでもレイとしては、取りあえずこの木については魔石をまだ使わないようにしておく。
もしこれからの探索で他にランクAモンスターを見つけられなかった場合、巨狼に続いてこの木がレイの倒した二匹目のランクAモンスターという扱いになるかもしれないからだ。
魔石を使えないのは、かなり残念ではあるが。
また、レイがこの木の残骸を収納しようとしているのは、出来るだけ早くここから離れたいという思いもある。
幸い……本当に幸いではあったが、レイがこの木に上空から岩や槍、火炎鉱石を落として攻撃をしている時に、空にいるレイとセトに攻撃してくる敵はいなかった。
当時は、地上に向けて攻撃しているレイとセトに近付けば、自分達も死ぬと思ったのかもしれない。
だが、今となってはそれは違う。
戦いが一段落し、先程までは空を飛んでいるモンスター達も見えなかった木が地面に倒れているのだから、それを気にしない者はいないだろう。
(いや、そもそも空を飛んでいるモンスターは本当にこの木に気が付かなかったのか? 地上なら、周囲に生えている木が邪魔をしたりして、この木に近づけない奴とかもいただろうし、近付いても頭部を蔦にして使っていただろうけど……空は、近付くモンスターとかが多くてもおかしくないような気がする)
魔の森に棲息するモンスターである以上、全てのモンスターが気が付いたとは限らないが。それでもある程度のモンスターが気が付いてもおかしくはないだろう。
勿論、それはあくまでもレイがそのように思っているだけで、実はランクAモンスターの能力を最大限に発揮して空を飛ぶモンスターにも全く気が付かれていなかったという可能性は否定出来ないが。
だが、空を飛ぶモンスターである以上、周囲に生えているよりも圧倒的な巨木があって何も知らずに空を飛んでいれば、間違ってぶつかるといった可能性も否定は出来ない。
(あるいは、何も見えない場所でぶつかるようになって、それを学習した結果、この木の周辺には近付かなくなったとか?)
モンスターも当然のように知能はある。
それこそ、高ランクモンスターともなれば、下手な人間よりも頭がいいことも珍しくはない。
そうである以上、この魔の森で生きているようなモンスターであれば、この辺り一帯が危険だと学習してもおかしくはない。
それは鳥だけではなく地上のモンスターも同様で、だからこそこの木の周辺には敵が全くいなかったのかもしれない。
そんな風に思いながら、レイはセトに話し掛ける。
「取りあえずいつまでもこういう目立つ場所にいれば、敵が襲ってくるかもしれない。出来るだけ早くここを離れよう」
「グルルゥ」
木をミスティリングに収納してから話し掛けたレイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。
あれだけ巨大な木であるにも関わらず、あっさりとミスティリングの中に収納された光景は圧巻ですらあるのだが、レイもセトもその辺には慣れているのか特に気にした様子はない。
そうして木をミスティリングに収納してしまえば、レイの言葉通り出来るだけ早くここから立ち去るだけだった。
何しろ木の周辺は広場となっており、かなりの広さを持つ。
その上で木が消失してしまった以上、上空からは丸見えなのだ。
幸い、今は木の影響もあってか、モンスターの姿は見えない。
だが、それも時間が経てばモンスターが再びこの広場の上空を自由に飛ぶようになるのは間違いないだろう。
そして周囲に木が生えていないここは、空を飛ぶモンスターにとってはこれ以上ないくらい見晴らしのいい場所となる。
空を飛ぶモンスターにしてみれば、いい餌場となるだろう。
……もっとも、地上のモンスターも黙ってやられている訳ではない。
襲ってきた空のモンスターを逆に倒し、自分の餌とする者もいるだろう。
そういう意味で、この魔の森は平等ということなのだろう。
「まぁ、その辺は俺には関係ないけどな。好きにやってくれ。……ともあれ、隠れ家に戻るか。色々と疲れた」
木との戦いは、客観的に見ればそこまで疲れるようなものではなかった。
それこそ、レイとセトによって一方的に攻撃して勝利したようなものだ。
だが、それはあくまでも外から見ている者ならそう感じるというだけであって、実際に木と戦っていたレイにしてみれば、かなり精神的な疲労を感じている。
木は、実際戦闘力的な意味では、ランクAモンスターに相応しくないかもしれない。
しかし、その再生能力は普通のモンスターとは比べものにならないだけの強さがあった。
何しろ、デスサイズの攻撃で半ばまで切断されても、それが再生するのだから。
元々植物系のモンスターは再生能力が優れている傾向がある。
とはいえ、それはあくまでも傾向でしかない。
モンスターは千差万別である以上、植物系のモンスターの中にも再生能力がそこまで高くない個体もいる。
そんな植物系のモンスターだったが、今回レイが戦った木は非常に高い……それこそ、モンスター全体で見ても最高峰に近い再生能力を持っていた。
そんな圧倒的な再生能力を見てもレイやセトが混乱しなかったのは、単純にトレントの森に隣接している湖から出て来たスライムという、戦った木以上に高い再生能力を持つ存在を知っていたからだろう。
最初に木よりも凄い再生能力の持ち主を知っているのだから、木の再生能力には驚いても戸惑うようなことはなかった。……だからといって、精神的に疲れなかったのかと言われれば、その答えは否だが。
「お、早速寄ってきたみたいだな」
セトの背に乗って広場から離れたレイは、何気なく空を見る。
するとそこには、鳥型のモンスターの姿が幾つか確認出来た。
気が早いと思わないでもなかったが、それでもモンスター達にしてみれば魔の森で生き残る必要がある以上、確認しておきたいと思うのは当然だろう。
「そうなると、地上の方でも動いてる連中はいるのかもしれないな」
呟くレイだったが、空の状況は見上げれば理解出来るが、地上となると様々な場所に木々が生えており、茂みが存在する。
そうである以上、周囲の様子を確認するというのは不可能に近い。
いや、勿論こうして移動しながらではなく、その場に留まって偵察に集中すれば、もっと詳細に偵察をすることは出来るだろう。
しかし、今のレイはそのような真似をしようとは思わなかった。
現在の状況で必要なのは、少しでも早く木と戦った広場から離れることであり……隠れ家で休むことなのだから。
本来なら、まだ日中で活動出来る時間は十分にある。
それでも隠れ家で休むことにしたのは、木と戦って精神的に疲れたというのもあるし、何より今日は夜の森でモンスターを探そうと思っていたからだ。
(出来れば、ランクAモンスターを見つけたいところだよな)
一応、あの木はランクAモンスターなのは、間違いないと思うのだが、それはあくまでもレイがそのように感じているというだけでしかない。
そうである以上、しっかりとランクAモンスターに相応しい敵を見つけて倒し、その死体をギルドに提出する必要があった。
夜の魔の森というのは、それこそ余程の変わり者でもない限り、近付こうとは思わない場所だろう。
そういう意味だと、レイとセトも十分に変わり者なのだろう。
ギルムの住人に聞けば、大抵の者達はレイを変わり者だと断言するだろうが。
セトは、ミレイヌのようなセト愛好家の面々がいるので、そのような者達が庇い、レイと一緒にいたいからこそセトもそのように思われていると弁護するようなことになるだろう。
(俺は変わり者と言われても否定出来ないか)
今までの自分の行動を省みれば、そのように認識されてもおかしくはない。
レイもまた、それを否定するような真似はしないだろう。
「っと、見えてきたな」
セトもまた、少しでも早く休みたかったのだろう。
今まで以上の速度で魔の森を走り、その結果としてこうして隠れ家を守っている結界が見えてくる。
こうなると、この魔の森の中で隠れ家のある場所が本能的に分かるという、恐らくは隠れ家の持つ機能だろうそれは、レイやセトにとっては非常にありがたい機能だった。
「グルルルゥ」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
木の相手をする上で、セトもまた精神的な疲労が強かったのだろう。
(いや、俺が木の本体を相手にしている間、セトは蔦の相手をしていたんだ。寧ろ、俺よりも精神的に疲れてもおかしくはないか)
木から伸びているのは普通の蔦であればともかく、蔦の先端からはモンスターの頭部が生えているという不気味な外見だ。
その上で、そんな蔦が一本や二本ならともかく、百本近い。
そして蔦を破壊してもすぐに再生するというのだから、そのような蔦を相手にしたセトが精神的に消耗するのも当然だろう。
少なくても、レイがそのような真似をやりたいかと言われれば……どうしようもないのであればともかく、自分から進んでそのような真似をしたいとは思わない。
「黒蛇は……やっぱりいないか」
レイとセトを最初にこの隠れ家まで運んでくれた黒蛇の姿を探すも、どこにもその姿はない。
セトの持つ光学迷彩のように透明になるスキルを持っているのを確認しているので、もしかしたら透明になってその辺にいるといった可能性も否定は出来なかったが、恐らくレイはこの近くにはいないだろうと判断する。
特に何か証拠があってのものではなく、あくまでもそのように思えるといったような勘からくるものだ。
それに元々レイも黒蛇の姿を探すのは駄目で元々といった感じなので、特に残念そうな様子は見せない。
……寧ろ、レイが探している中でいきなり黒蛇が姿を現したりすれば、喜ぶよりも驚いてしまうだろう。
レイにしてみれば、出来れば黒蛇とはもう少し話をしたいのだが。
黒蛇は言葉を発することが出来る訳ではないので、正確には会話ではなく意思疎通といった表現の方が正しいのだろうが。
「いない以上、ここで探しても意味はないか。……セト、中に入るぞ」
「グルルルルゥ」
レイの言葉にセトが喉を鳴らし、結界の中に入る。
当然の話だが、そこには敵の姿は特にない。
この隠れ家の結界の中に入ってくるような相手がいれば、それこそレイにとっては絶対に倒すべき存在だろう。
何しろこの隠れ家は、魔獣術を行う為の魔法陣が残っている唯一の場所なのだから。
あるいは、もしかしたら他の場所にも同じような場所がある可能性もあるが、ゼパイルの記憶を一部しか継承していないレイには、残念ながらその辺は分からなかった。