2552話
セトが習得した……より正確には強化されたバブルブレスは、明確に放たれる泡がレベル一の時と比べると巨大になっていた。
以前は小さければ一cm、大きくても三cmといった泡だったのが、レベル二になった今では最小でも三cm、大きければ五cmにもなる。
当然だが、レベルが高くなって変わったのは、泡の大きさだけではない。
その泡が破裂して粘着性のある液体になるのだが、その粘着性に関しても明らかにレベル一の時よりも強くなっている。
「これは、なかなか使い勝手がいいスキルだな」
「グルゥ」
黒豹の死体をミスティリングに収納しながら呟くレイに、セトが同意するように頷く。
直接的な攻撃力は全くないが、相手を捕獲したり動きを鈍らせたりするという意味ではかなり役立つスキルだ。
このままスキルレベルを上げていけば、その粘着力もより強力になるだろう。
(レベル五になって一気に強化されたら、一体どうなることやらだな。……それ以前に、バブルブレスを使う敵を見つけるのがそもそも難しいし、見つけても今回の黒豹のように上手い具合にバブルブレスを強化出来るかは分からないけど)
魔獣術で強化されるのは、かなりランダム性が高い。
その魔石を持っていたモンスターの特色に相応しいスキルを習得したり強化したり出来るのは間違いないが、それはあくまでもそういう方向性であって、絶対にではない。
実際、今までセトやデスサイズがスキルを習得した時、何故そのスキルを習得する? といったような疑問を抱くスキルも十分に存在した。
あるいは、その魔石の持ち主がそのスキルを習得出来る才能があったが、習得出来ていなかった……といった可能性も否定は出来ないが。
「グルルルゥ、グルルゥ?」
と、魔の森を進んでいたセトが足を止め、戸惑ったように喉を鳴らしながら周囲の様子を見回す。
「どうした?」
そんなセトの動きに疑問を覚え、尋ねるレイ。
だが、セトはそんなレイの問いに戸惑ったように周囲を見回すだけだ。
レイはセトの様子に疑問を持って周囲を見回し……セトが足を止めた理由を察する。
「生き物が、いない?」
そう、この辺りには全く生き物の気配が存在しないのだ。
魔の森という名前ではあるが、当然そこにはモンスター以外にも多数の動物や鳥が存在している。
ましてや、虫ともなれば数え切れない程に存在していてもおかしくはない。
今までであれば、それこそ動物や鳥、虫の鳴き声が周囲に響いていた。
しかし、気が付けばこの周辺からは一切そのような音が聞こえなくなっていたのだ。
勿論、こうしている今もその手の音が全く聞こえない訳ではない。
だが、それはレイとセトがいるこの辺の生き物が鳴いているのではなく、離れた場所にいる生き物の鳴いている声が聞こえてくるといった表現が正しい。
「これは……また、妙な場所に入り込んでしまったみたいだな」
「グルルゥ?」
レイの言葉に、セトはどうするの? 自分の背に乗っているレイに尋ねる。
魔の森という場所でこのように周辺に生き物の気配がない場所となると、あからさまにあやしすぎる。
そうなると、つまりこの場所は何か特別な場所ということになるだろう。
もっとも、その特別な場所というのは、決してレイ達にとって利益があるという意味での特別ではない。
(いやまぁ、強力なモンスターがいるとなれば、ある意味で利益があると言ってもいいのかもしれないけど)
周囲の様子を見ながら、レイはそんなことを考える。
セトと共に、周囲の様子を警戒しながら森の中を進む。
そして、レイとセトの進む方向は決して間違っていなかったのだろう。
進むにつれて、やがて何らかのプレッシャーを、レイとセトは共に感じ始めた。
そのプレッシャーは、それこそ昨日倒した巨狼に勝るとも劣らぬ、圧倒的な気配。
つまり、このまま進めばそのような圧倒的な気配を持つ相手と遭遇することになる。
あるいは、この気配の主はそんなプレッシャーを発しながらも、自分に挑んでくる敵がいないようにしたいと、そのように思っているのか。
そう思っていると、不意に甘い匂いが漂ってくる。
それもレイ達が向かっている方からだ。
「何だ、この匂いは。……妙に甘ったるい匂いだけど。セト、問題ないか?」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトも一体何故このような匂いが漂ってくるのかが分からない様子で、疑問を抱く。
自分達の進行方向から漂ってくる以上、何らかの罠か何かと思うのだが、レイもセトも特に影響らしい影響はない。
であれば、取りあえずこの甘い匂いに害はないのだろうと判断し、匂いが漂ってくる方に向かって進み……
「お?」
「グルゥ」
レイとセトは、揃って声を上げる。
何故なら、視線の先には蛇の下半身にオークの上半身を持つという、見覚えのあるモンスターの姿があったのだ。
本来なら、魔の森のモンスターである以上はレイとセトを見つけた瞬間に攻撃してきてもおかしくはない。
何しろ、レイとセトは多数のオークナーガを殺したのだから。
それでも昨日の戦いで魔の森にいるオークナーガの全てを殺したとは思っていなかったのだが、レイのそんな予想は視線の先にいるオークナーガを見たことで証明された。
レイとしては、オークナーガの魔石はもう入手しているので必要ない。
だが、オークナーガの魔石は必要なくても、オークナーガの肉はかなり美味い肉だったので、是非欲しい。
そう思いながらも視線の先のオークナーガにちょっかいを出さなかったのは、自分達を見ても何も反応しないオークナーガが、甘い匂いに関係しているのではないかと思ったからだ。
レイはセトと共にそんなオークナーガの後を追う。
オークナーガは、本来ならレイ達の存在に気が付いてもおかしくはないのだが、全く気が付いた様子もなく進む。
(これが甘い匂いの効果か? けど、何で俺とセトには効果がない? いやまぁ、効果があって欲しいといったようには思わないけど)
どうして自分達に効果がないのか。
それは強い疑問なのだが、同時に自分達に効果がないのなら放っておいてもいいのか? といったような思いがあるのも事実。
それよりもレイが気になったのは、甘い匂いに導かれるようにして進むオークナーガの向かう方向には、先程感じた巨狼と同じくらいの気配を感じることだろう。
「よし、セト。取りあえずあのオークナーガの後をつけてみよう。多分、あのオークナーガは甘い匂いによって、操られているんだろうし。だとすれば、あの気配の主を観察する機会もある筈だ」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトは喉を鳴らす。
セトもレイと同じことを考えたのだろう。
そうして、レイとセトはお互いに足音を殺し、気配を殺し、この甘い匂いを出している存在……恐らくはランクAモンスターだろう相手に気が付かれないように注意しながら、オークナーガを追う。
(ランクAモンスターなら、俺とセトが気配や足音を殺して移動していても、あっさりと見つかってしまいそうな気もするけど……まぁ、それでもやらないよりはいいよな)
相手がランクAモンスターともなれば、それこそレイやセトであってもそう簡単に倒せる相手ではない。
巨狼のように、油断でもしている相手であれば話は別だが。
しかし、ランクAモンスターで巨狼のようにあからさまに侮るといったような真似をするモンスターが一体どれくらいいるのかと考えれば、正直なところそう多くはないだろう。
そういう意味では、レイ達が魔の森で最初に遭遇したランクAモンスターが巨狼だったのは、寧ろ運がよかったのだろう。
オークナーガの後を追い続けること、二十分程。
時間ではかなりの長時間だったが、進んだ距離そのものはそこまで距離はない。
甘い匂いに酔っているのか、引き寄せられているのか、その辺りはレイにも分からなかったが、移動速度は決して速くはない。
それこそ、千鳥足……という程に遅くはないが、蛇の下半身でかなり不安定に動きながら移動しているのだ。
そんな状況で進み続け……やがてオークナーガが到着したのは、魔の森の中だというのに周囲には何も……それこそ雑草の類すらも生えていないような、そんな場所だった。
普通なら、そのような場所を見れば驚くのだろう。
だが、レイとセトは黒蛇がいた場所を知っている。
そういう意味では、ここも黒蛇のいたような場所と同じようになっているのだろうと考えるのは、そう難しい話ではない。
しかし……驚くべきなのは、そのような広場とでも呼ぶべき場所において、一本の巨木が存在したことだろう。
明らかに、周囲の木々より大きな木。
それこそ少し大きいといった程度ではなく、五割増しくらいには大きい。
レイがその木を見て驚いた理由は、幾つもある。
例えば、周囲の木よりも明らかに大きいのに、何故魔の森の外からその木を見つけることが出来なかったのか。
幻を見せる魔法かスキルを使っているのか、それとも認識させないような魔法やスキルがあるのか。
とはいえ、それはあくまでも視線の先にある木を見て驚く理由としては弱い。
これだけの巨大な木を発見し、それを見たにも関わらず驚く理由として弱い。
そう断言出来る光景が、現在レイの視線の先にはあった。
巨木から伸びている、蔦。
それだけであれば、特に驚くようなことではないだろう。
だが、その蔦の先端から様々なモンスターの顔が生えているとなれば、それに驚くなという方が無理だった。
狼やヒポグリフ、蜂、黒豹、トカゲ、牛……それ以外にも様々なモンスターの顔が蔦からは生えており、中にはレイが初めて見るようなモンスターの顔もある。
そんな様々なモンスターの顔が、多数の蔦の先端から生えているのだ。
蔦の数というのは数えるのがかなり面倒なのだが、不幸中の幸いと言うべきか、蔦の先端に顔が生えている以上、それを数えるのは難しい話ではない。
(ざっと見た感じ百本以上か。……あの蔦の数え方は本でいいのか? 普通の蔦なら本でいいんだろうが、頭部が生えてるとなると個とかで数えた方がいいような)
自分でも馬鹿らしいと思えるようなことを考えているレイだったが、それは現在視線の先に存在する木を見て、動揺しないようにと意図してそのようなことを考えていた。
そんなレイの様子を見て心配に思ったのか、セトはそっと顔を擦りつける。
レイはそんなセトに感謝の意味を込めて撫で返し、改めて意識をしっかりと保ちながら蔦……ではなく、そこから生えている木に視線を向ける。
木そのものは、一見すると普通の木のようにしか見えない。
勿論、普通の木は何らかの手段で自分の存在を誤魔化したり、蔦の先端から他のモンスターの頭部を生やしたりといったような真似はしないが。
その辺りを抜きにして木を見ると、その木は間違いなく普通の木なのだ。
特に顔があったりとか、牙が生えていたりとか、木の根が足のように自由に動き回るとか。
そういったことはない、普通の木。
(普通ってなんだっけ?)
視線の先にある木が普通の木だと認識したレイだったが、そう思ってしまった為か、レイの中では普通という言葉の意味があまりよく理解出来ていない。
とはいえ、今の状況を思えばその木が普通であっても普通でなくても、そう違いはないのだが。
(普通ってのはともかく、木のモンスターとなると……トレント系のモンスターか?)
植物系のモンスターと聞いて、すぐに思いつくのはやはりトレントだった。
トレントにも、木の根を足のように動かして移動したりする個体や、一ヶ所に留まって敵を待ち伏せするといったような個体といったように、色々な種類がいる。
であれば、あの不気味な木のモンスターもトレント系のモンスター……それも希少種である可能性が非常に高かった。
もっとも、視線の先にいる敵を見れば、とてもではないが希少種といったような言葉で表現出来るとは思えなかったが。
そんな木に向かい、オークナーガは夢うつつ、もしくは千鳥足といった様子で近付いていく。
さて、どうなる?
そんな疑問を持ちながら、レイはオークナーガの様子を見ていた。
すると、数本の蔦がオークナーガに向かって近付いていき……その中の一本の蔦が、先端に生えている狼の口に真っ赤な……それこそ毒々しいといった表現が相応しいような果実を、その口に咥えていた。
そして近付いてきたオークナーガにその果実を渡すと、オークナーガは嬉しそうな様子でその果実を口に運び……そして果実を食べ終わった次の瞬間、二十本程の蔦がそれぞれオークナーガの身体を喰い千切っていく。
最後に残ったのは、頭部だけ。
その頭部からは蔦が生え……蔦の根元は木に向かって伸びていくのだった。