2549話
集団で襲ってきたオルトロスの群れとレイ、セトの戦いは続く。
オルトロスは、自分達の仲間が数匹殺されたこと……そして何より、それでもレイとセトが全くダメージを受けていない様子を気にしているのか、最初こそオルトロスの群れはレイとセトに激しく攻撃していたにも関わらず、今は慎重に行動している。
「オルトロスか。……俺のイメージだとこうして群れで動くといったようなものではなかったはずなんだけどな。いやまぁ、一匹で襲ってくるよりはこっちの方がいいけど」
レイにして見れば、魔獣術でセトやデスサイズの双方を強化するには、魔石が最低二つは必要だ。
そういう意味で、多数が襲い掛かって来るというのは、決して反対ではない。
だが、それはあくまでも魔石を最低二つ入手出来ればそれでいいということである以上、三匹目からはそこまで必要な相手ではない。
勿論、魔石以外の素材や肉といった意味では、多ければ多い程にいいというのも間違いのない事実なのだが。
「諦めて帰ってくれると、こっちとしても楽なんだけどな。……どうやら、そのつもりはないか」
「グルルルゥ」
レイの言葉に、セトは同意するように喉を鳴らす。
オルトロスは、セトに比べれば明らかに格下の存在だ。
身体の大きさこそ二m程もあるが、それでもセトにしてみれば正面から戦って負ける相手ではない。
「ワオオオオオオン!」
レイとセトの周囲を囲みながら歩き回っていたオルトロスのうちの一匹が、これ以上は我慢出来なくなったのか、そんな鳴き声を上げながらレイに向かって突っ込んでくる。
セトは自分よりも大きいので攻撃するのは躊躇したが、レイは自分達よりも小さいので攻撃するにも十分な相手だったと、そういうことなのだろう。
「仲間がやられたのを見ていただろうに!」
そう叫び、レイは襲ってきたオルトロスに向かってデスサイズの一撃を放つ。
こうして襲ってきたのだから、何らかの策があってのものなのかと思わないでもなかったのだが、実際にはただその二つの口の牙でレイを噛み殺そうとしているだけだ。
普通の冒険者であれば、双頭のオルトロスの攻撃は対処が難しいかもしれない。
何しろ、片方の頭に対処しても、次の瞬間にはもう片方の頭が牙を突き立てようとしてくるのだから。
だが……それはあくまでも普通の冒険者の場合だ。
「そんな単調な攻撃が通じるか!」
レイの振るうデスサイズの一撃は、一閃しただけでオルトロスの頭部を二つ揃って切断する。
呆気ない死。
だが、それが純粋にレイとオルトロスの間にある実力差だった。
レイにしてみれば、オルトロスはもっと強力なモンスターだと思っていたのだが、そういう意味では虚を突かれた形だ。
「グルルルルルゥ!」
と、レイの一撃によってオルトロスの一匹が死んだことに驚いたオルトロス達に向かってセトがアイスアローを放つ。
五十本の氷の矢は一斉に射出され、オルトロスに殺到する。
ただし、オルトロスはレイとセトを囲むようにしていたので、セトが放った氷の矢が貫くことが出来たのは、数匹でしかなかったが。
それでも、オルトロスの群れにして見れば仲間がやられたのは痛い。
予想外の展開に、オルトロス達は動揺し……当然だが、レイとセトがそこに付け込まない訳がない。
「はぁっ!」
鋭い呼気と共に、レイの手から黄昏の槍が投擲される。
放たれた黄昏の槍は茂みを貫き、その向こう側にいたオルトロスの胴体を貫き、それでも威力が止まることはなく、数本の木の幹をも貫いたことでようやく動きが止まる。
「ちょっと失敗したな」
黄昏の槍を手元に戻したレイは、木の幹を貫かれた木々が倒れ込もうとしているのを見て、オルトロスの尻尾……蛇の部分をクチバシで咥えながら振り回しているセトに声を掛ける。
「セト、木が倒れてくる! 巻き込まれないようにしてくれ!」
レイの声が聞こえたのだろう。セトは咥えていた蛇の部分を大きく振るって引き千切りながら、オルトロスの身体を投げ飛ばす。
『ギャイン!』
オルトロスにしてみれば、尻尾を引き千切られるというのは想像を絶する痛みだったのだろう。
二つの頭が同時に悲鳴を上げ……離れた場所にいた仲間のオルトロスに身体をぶつけ、それでようやく動きを止めた。
ぶつけられた方のオルトロスにしてみれば、そんな仲間の行動は邪魔以外のなにものでもなく……そして、気が付いた時にはレイがデスサイズを振りかぶっており、次の瞬間にはセトに投げられた個体も含めて、二匹揃って身体を切断されてしまう。
「次だ!」
レイは叫び、その言葉通り次の獲物を求めて周囲を見回すが……
「グルゥ」
レイの言葉に残念そうに喉を鳴らしたのは、セトだった。
何故残念そうなのかは、周囲の様子を見ればレイも理解出来る。
先程まではまだ多数いたオルトロスの姿が、なくなっているのだ。
「逃げたか。……勝ち目がないと見ると逃げる辺り、頭はいいんだろうな」
オルトロス単体でも、それなりの強さを持つ。……今回はレイとセトという存在が相手だったので、その強さを発揮出来るようなことはなかったが。
そんなオルトロスが群れで襲って、それでも殺すどころか、怪我をさせるような真似すら出来ず、仲間は次々と死んでいく。
オルトロス達にしてみれば、このままレイやセトと戦っては全滅すると、そう判断したのだろう。
だからこそ、勝ち目はないと判断して逃げ出したのだ。
そういう意味では、オークナーガよりも賢明だったのだろう。
あるいは、この魔の森においてはそのようなことも普通に起きるのかもしれないが。
「まぁ、二匹以上は倒したんだし、無理に追う必要もないけどな」
レイにしてみれば、セトとデスサイズの分の魔石が確保出来たのなら、それで問題はない。
寧ろ必要以上にモンスターを倒して、魔の森の生態系を壊す必要がなくなり、安堵すらしていた。
(魔の森に一般的な生態系があるのかどうかは、ちょっと分からないけど)
魔の森というだけあって、ここに棲息するモンスターは他では見ない個体も多い。
それだけに独自の生態系があってもおかしくはないのだが、固有種が多すぎて生態系といったものが成り立つのかどうかすら、レイには理解出来なかった。
「俺がその辺を考えても仕方がないが。オルトロスの群れが一つ壊滅したところで、生態系がどうにかなるとは思わないし。……寧ろそういう意味なら巨狼や女王蜂の方が生態系に影響を与えてそうだし」
首を横に振り、レイはそれ以上考えるのを止める。
生態系のことを考えたところで、意味はないと判断したのだ。
そもそも、レイは冒険者でモンスターを倒すことも多い。
その度に生態系がどうしたといったようなことを考えても、意味はないだろう。
「まずは、魔石だな。……そこまで皮は頑丈じゃないか」
ちょうど最後に二匹纏めて胴体を切断したオルトロスのうち、心臓に近い場所を解体用のナイフで切り裂く。
胴体を切断したのだから、そこから手を突っ込むといった手段もあったのだが……さすがにそれは遠慮したいというのが、正直なところだった。
そうして魔石を取り出すと、残っている死体を全て収納していく。
オルトロスは双頭なだけに、頭部を切断した場合はそれを収納するのがかなり面倒だったが。
そうして全てのオルトロスの死体をミスティリングに収納すると、レイは流水の短剣で魔石を洗う。
「ここから少し離れるか……いや、別にそこまでする必要はないな」
昨日であれば、血の臭いに惹かれてモンスターがやってくるかもといった心配をしていたのだが、二日目ともなるとそのような心配も面倒になったのだろう。
実際、昨日も色々とあったが血の臭いに惹かれたモンスターが襲ってくることは殆どなかった。
……その数少ない例外が、巨狼だったのだが。
そういう意味では、レイが残り一匹のランクAモンスターを待ち受けるという意味では、そう悪くない選択なのだろう。
「さて、魔石だな。オルトロスは結構高ランクモンスターだから、多分何も覚えないってことはないと思うけど。……セト」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは魔石を咥え、呑み込む。
【セトは『嗅覚上昇 Lv.五』のスキルを習得した】
アナウンスメッセージが脳裏に流れる。
そのアナウンスメッセージは、レイにとっても十分に納得出来るものだ。
何しろ、オルトロス……双頭の犬の魔石なのだから、嗅覚上昇のスキルが強化されてもおかしくはない。
おかしくはないのだが、それでもレイとしては若干残念に思う。
魔石を与える前にレイが口にしたように、オルトロスはそれなりに高ランクモンスターだ。
であれば、もっと別のスキルが強化されるか、あるいは新たに強力なスキルを入手するのかのどちらかだとばかり思っていたのだ。
(いやまぁ、嗅覚上昇が無意味って訳じゃないけどな)
何だかんだと、嗅覚上昇は今まで色々と役に立っている。
そういう意味では、嗅覚上昇のレベルが上がったのは決して失敗という訳ではない。
「そう言えば、レベル五になったけど……何か変わったか?」
レベル五になったスキルは、レベル四までと比べて飛躍的に強化される。
そういう意味では、嗅覚上昇がレベル五になったことにより、そちらも強化されたのではないか。
疑問に思って尋ねるレイに、セトは首を傾げ……分からない以上、まずは使ってみた方がいいと判断し、嗅覚上昇のスキルを発動する。
「グルルルルルルルゥ!」
そうして嗅覚上昇のスキルを発動し……
「グルゥ!?」
周囲の臭いを嗅いだ瞬間、セトは慌てたように激しく首を左右に振る。
その様子は、少しでも臭いを自分から遠ざけようとしているのかのような、そんな仕草だ。
「……セト? 大丈夫か?」
少しばかり予想外の展開に驚いたレイが、慌ててセトに駆け寄る。
体長三mオーバーのセトが、その首を激しく左右に振っているのだ。
普通ならとてもではないが危ないと思って近付いたりといった真似は出来ないのだが、そこはセトと付き合いの長い……それこそ生まれた時からの付き合い――それでも数年だが――のレイだ。
イヤイヤするように暴れるセトの背を撫でて、落ち着かせる。
レイの手の感触もあってか、三十秒程でようやくセトは落ち着く。
「グルゥ……」
ごめんなさい、と、レイに向かってそう喉を鳴らすセト。
セトも自分の身体が大きいのはしっかりと理解している。
今回は近くにいたのがレイだったから問題なかったが、もし近くにいたのがレイではなく他の相手……それも子供だったりしたら、どうなったか。
下手をすれば、首を振った動きで子供を吹き飛ばしていた可能性すらあった。
それを思えば、近くにいたのがレイで心の底から助かったといったところだろう。
「気にするな。それよりも、嗅覚上昇がレベル五になって、どうなったんだ?」
「グルルルゥ」
レイの言葉に、セトは鳴き声を上げる。
生憎と、レイにはその鳴き声の言っている意味を詳細には理解出来ない。
大体の意味は理解出来るのだが。
そんな状況でも理解出来たのは……
「つまり、嗅覚上昇の効果が上がりすぎて、一気に入ってきた臭いの情報に混乱したってことか?」
「グルゥ」
レイの言葉に、その通りと喉を鳴らすセト。
いつも通りの結果になるのかと思っていたら、レベルが五になったことによって、その能力は劇的に上がっていた。
具体的には、より広範囲の臭いを嗅ぎ取ることが出来るようになったということと、嗅ぎ取れる臭いがより詳細になったと。
だからこそ、今までと同じような感じで臭いを嗅ぎ取れると思っていたセトは意表を突かれ、動揺してしまった。
その結果が、あの激しい首振りだったのだろう。
少しでも臭いから離れようとして。
……実際には、そのような行為にはほぼ意味がなかったのだが。
セトとのやり取りでその辺りの事情を理解すると、レイは少しだけ気遣うようにしながらも口を開く。
「セト、今の様子だと嗅覚上昇はいきなり性能が上がった分、使いにくくなったみたいだけど……これから使えるのか?」
セトの嗅覚上昇のスキルは、地味ではあるがかなり便利な代物だ。
これから冒険者として活動していく上で、嗅覚上昇のスキルを使えないというのは非常に痛い。
だからこそ、レイは心配そうに尋ねたのだが……
「グルルルルルルゥ!」
レイの言葉に、大丈夫! とセトは自信を込めて喉を鳴らす。
先程嗅覚上昇のスキルを使った時は、いきなりだったので驚いてしまったのだ。
そういうのだと認識していれば、セトも問題なく嗅覚上昇を使えると、そう認識出来たのだろう。
そんなセトの様子に、レイは安堵しながらその頭を撫でるのだった。
【セト】
『水球 Lv.五』『ファイアブレス Lv.四』『ウィンドアロー Lv.四』『王の威圧 Lv.四』『毒の爪 Lv.六』『サイズ変更 Lv.二』『トルネード Lv.四』『アイスアロー Lv.五』『光学迷彩 Lv.六』『衝撃の魔眼 Lv.二』『パワークラッシュ Lv.六』『嗅覚上昇 Lv.五』new『バブルブレス Lv.一』『クリスタルブレス Lv.一』『アースアロー Lv.二』『パワーアタック Lv.一』『魔法反射 Lv.一』『アシッドブレス Lv.一』
嗅覚上昇:使用者の嗅覚が鋭くなる。