2547話
「ふぅ、美味かったな」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトは寝転がりながら同意の鳴き声を上げる。
オークナーガの肉は、上半身のオークの部分も、下半身の蛇の部分も、どちらも美味かった。
魔の森に棲息するオークだけあって、普通のオークよりも所持している魔力は多いのだろう。
そんな訳で、串焼きやスープの具材――もう出来ているスープに焼いた肉を入れるといった程度だが――として使えば、十分に満足出来る味だった。
勿論、レイとセトの胃袋だ。
オークナーガ一匹だけの肉で足りる筈もなく、それ以外にも多数の料理をミスティリングの中から出して食べた。
今日は昇格試験で大変な時なので、ミスティリングから出した料理はどれも極上の味と呼ぶべき数々の料理だ。
それだけに、レイもセトも十分に満足出来る味だった
そうして夕食を終えて、隠れ家の庭でゆっくりとした時間をすごす。
地面に寝転がっているセトに寄り掛かりながら、空を見上げる。
料理をしたり、それを食べたりといったようなことをしている間に夕陽は既に沈んで完全に夜になっていた。
夜空には雲の一つもなく、輝く星と月を見ていたレイだったが、ふと空を何かが通りすぎていったのを見る。
「ん? あれは何のモンスターだ?」
「グルルルゥ?」
地面に寝転がっていたセトは、レイの呟いたモンスターという言葉に空を見る。
魔の森のモンスターは、基本的にこの隠れ家を覆っている結界には近付いてこない。
一体この結界がどういう意味を持つ結界なのかは、生憎とレイにも理解は出来ていない。
モンスターがそもそも見つけることが出来ないのか、それともモンスターが苦手な臭いや雰囲気を作り上げて発散してるいるのか。
それでもセトや黒蛇が普通にこの結界に近付いているのを考えれば、何らかの例外はあるのかもしれないと、そう思うが。
そのような結界ではあるが、効果は一定範囲内に留まっている。
そして……当然だが、その一定の範囲というのは横だけではなく、高さの意味でも同じだった。
つまり、今レイが見たのはかなり上空の、とてもではないが結界の効果が発揮していない場所を、何らかのモンスターが飛んでいたということなのだろう。
「いや、何でもない。かなりの高さを何かのモンスターが飛んでいたのが、ちょっと見えただけだ」
夜に動き回っており、その上で効果は殆どないも関わらず、それでも隠れ家の上空を飛ぶモンスター。
間違いなく高ランクモンスターだろうと予想するが、空を飛ぶモンスターと戦うのは少し遠慮したいという思いがレイにはあった。
ここが魔の森でなく、他の場所……それこそギルムの近辺であったら、レイは嬉々として戦いに行った可能性もある。
だが、この魔の森においてはヒポグリフのように空を飛ぶ高ランクモンスターというのは多い。
狙っていた相手と戦っている時に、別のモンスターが襲ってくる可能性が皆無という訳ではなかった。
その上で、魔の森だけに高ランクモンスターという可能性も否定出来ない。
(モンスターの魔石が欲しいのは事実だけど、今日は色々と疲れたしな)
ランクAモンスターは、ギルムの冒険者でも滅多に遭遇することはない。
それより格下のランクBモンスターであっても、ランクAモンスター程ではないにしろ、遭遇することは多くないだろう。
そんなランクBやランクAモンスター……それ以外にも、モンスター辞典に載っていないモンスターが殆どだったので、具体的なランクが分からないモンスター達との戦い。
モンスター辞典に載っていないとはいえ、それでも魔の森に棲息するモンスターだ。
そうである以上、実は高ランクモンスターであっても不思議ではない。
特にレイが今日の夕食の材料にしたオークナーガは、一匹であればそこまで強くはない。
だが、レイ達が戦ったように集団でとなると、全ての個体が普通に魔法を使えるだけに、その魔法が一斉に放たれることになる。
レイやセトであればまだしも、その辺の冒険者……それが例えギルムの冒険者であっても、数の暴力に押されて負けてしまう可能性が高いだろう。
異名持ちや高ランク冒険者であれば、質で量を駆逐するといったような真似も出来るのだが、そのような真似は誰でも出来る訳ではない。
「うーん……そろそろ眠くなってきたな。明日も早いだろうし、俺はそろそろ寝ようと思うけど、セトはどうする?」
ミスティリングから懐中時計を取り出して確認すると、現在の時刻は午後八時を少し回ったところだ。
いつもならレイはまだ起きている時間なのだが、今日は多くの戦闘を行ったので疲れている。
魔の森という場所での戦闘というのも、精神的な疲れをもたらす理由となっているのだろう。
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトもそろそろ寝ると喉を鳴らす。
いつもなら、セトは建物の外で眠る。
しかし、この建物の場合は魔獣術の使用者が使うことが前提になっているので、セトも建物の中で眠ることが可能だった。
とはいえ、レイが眠る寝室ではなく、魔獣術を行った場所でだが。
「じゃあ、今日はそろそろお開きとするか」
そう言い、レイは焚き火を消したりして後片付けを終わらせる。
なお、オークナーガの内臓や頭部を捨てた地面の穴は、地形操作のスキルで既に埋められていた。
いい肥料になってくれるだろうというのが、レイの予想だ。
そうして夕食の後片付けを終えると、レイはセトと共に隠れ家の中に入る。
通路の途中でセトと軽く挨拶を交わし、自分の寝室へ。
昼寝をした時と特に変わった様子もなく、ベッドの上は若干乱れていた。
「一人暮らしとかをすると、こういうのを自分でやらないといけないのは面倒だよな」
一人暮らしをしても、夕暮れの小麦亭であれば、宿屋なのでその辺の処理とかも従業員がやってくれる。
マリーナの家の場合は、それこそ精霊魔法でその辺をどうにかしてくれていた。
だが、もしレイが一人暮らしをするとすれば、全てを自分でやる必要があるのだ。
あるいは、メイドの類を雇って任せるといった手段もあるが、それはそれで難しい。
異名持ちの高ランク冒険者のレイと、ランクS相当のセトが一緒に暮らしている場所を任せる以上、金目の物を盗んだり、セトの羽根や爪、羽毛といった素材となる物を盗んだりといったような真似をしない、信頼出来る人物が必要だった。
普通ならそこまで気にしたりはしないだろうが、レイやセトがいるとなると、それこそ上手く盗めば一攫千金も夢ではない。
そんな誘惑を断ち切ることが出来る者が、一体どれだけいるのか。
「まぁ、取りあえず暫くは一人暮らしじゃなくて、マリーナの家で暮らすことになりそうだな」
ドラゴンローブやスレイプニルの靴を脱ぎ、ベッドに横になる。
ドラゴンローブを脱いでも熱帯夜といった気温ではなく非常にすごしやすいのは、ゼパイル一門の隠れ家だからこそだろう。
そのまま気持ちよく眠ろうとし……だが、どうしても聞いておきたいことがあり、レイはミスティリングから対のオーブを取り出す。
その対のオーブは、エレーナ……ではなく、グリムの持つ対のオーブとセットになっている物。
「グリム、聞こえるか? グリム」
対のオーブに魔力を流し、グリムに呼び掛ける。
マジックアイテムの研究に集中していれば、もしかしたらレイの呼び掛けも聞こえないのではないか。
そんな風に思っていたレイだったが、予想外なことにあっさりとグリムの姿が対のオーブに表示される。
『レイか? どうしたのじゃ? 今は魔の森にいるのではなかったか?』
表示されているのは頭蓋骨なのだが、何だかんだと付き合いも長いからだろう。
その頭蓋骨はどこか心配そうにレイを見ているように思えた。
「ああ、魔の森だ。今日の探索は終わって、今は野営……というか、魔の森にあるゼパイル一門の隠れ家で休んでいるところだ」
『何と!?』
ゼパイルを含めたゼパイル一門を尊敬しているグリムにしてみれば、その隠れ家にレイがいるというのは、非常に驚くべきことだったのだろう。
だが、レイはそんなグリムの様子を特に気にせず言葉を続ける。
「魔の森だからな。迂闊に野営をすれば、それこそいつモンスターが襲撃してくるか分からない。ただでさえ、今日はランクAモンスターを含めて強力なモンスターを多数倒したから、疲れているしな」
『ほう? だとすれば、それはレイやセトにとっても悪いことではないのではないか?』
魔獣術について知っているグリムだけに、強力なモンスターと遭遇して倒したということは、それによって多くのモンスターの魔石を入手し、セトやデスサイズが強化されたということを理解しての言葉だ。
レイもまた、グリムに対してはその言葉を否定するような真似はしない。
それどころか、誇らしそうに頷く。
「ああ、正直なところ、信じられないくらいにスキルを習得したり、強化したりしたな。冗談でも何でもなく、魔の森は俺とセトにとっては大きな意味を持つ場所だ」
『で、あろうな』
うんうんと、骨だけの顔で納得した様子を見せるグリム。
失われた筈の魔獣術が、こうして日の目を見る……といった訳ではないが、それでもしっかりと受け継がれているのを見るのが嬉しいのだろう。
グリムにしてみれば、魔獣術は尊敬するゼパイル一門の面々が作り出した魔術だ。
それが廃れるのを、喜ぶ訳がない。
「そうそう、それでちょっと聞きたいんだけど……実は、魔の森に入ってから巨大な黒蛇のモンスターに遭遇したんだよ。けど、この黒蛇はこっちに全く敵意を示さないで、それどころか俺とセトを乗せて、普通なら近づけない筈のこの隠れ家にまで運んできてくれたんだ」
『何じゃと?』
レイの口から出た言葉は、グリムにとっても完全に予想外だったのだろう。
頭蓋骨なので見ただけでは分からないが、それでも対のオーブの向こう側から伝わってくる動揺はそれだけ強く驚いていたとことの証だろう。
「巨大な黒蛇だったり、俺達に敵意を向けないってだけなら、分からないでもない」
モンスターによっては、最初から理由もなく相手に友好的な個体もいるのだから、そのようなモンスターが偶然魔の森にいてもおかしくはない。
「だが……本来ならモンスターを近づけさせない結界に、その黒蛇は自分から進んでいった。それも、わざわざ俺を連れてな。これは、とてもではないが普通のモンスターだとは思えない。だとすれば、グリムがその辺にについて何か知ってるんじゃないかと思ったんだが。……どうだ?」
『ふーむ……』
レイの言葉に、グリムはすぐに返事をせず、何かを思い出すように首を傾げる。
そんなグリムの様子に、レイは答えを急かすような真似はしない。
グリムの記憶こそが、一番大きなヒントなのだから。
『レイ、改めて聞くが……その蛇は黒蛇なのじゃな? 白蛇ではなく』
「は? ああ、間違いなく黒蛇だ。まさか、あんなにしっかりとした色を見間違える筈はない」
『ふむ。ゼパイル一門の開発した魔獣術で生み出されたモンスターの中に、白蛇はいた。それもただの白蛇ではなく、ヒュドラのように多数の首を持つ白蛇のモンスターじゃ』
「それは……同じ蛇でも全く違うな」
レイが魔の森で見たのは、色は白ではなく黒。
そして頭の数もヒュドラのよう多数あるのではなく、一つだけだ。
純粋に、普通の蛇が信じられないくらいに巨大化したような、そんな蛇だ。
同じ蛇型のモンスターであっても、その二種類は明らかに違う。
『うむ。じゃが……これはあくまでも噂ではあるが、ゼパイル一門が魔獣術開発する際には幾つもの実験が行われたと聞く』
「まぁ、だろうな」
レイもグリムの言葉には納得せざるを得ない。
魔獣術というとんでもない魔術を開発するのだ。
それが実験も何もなしに成功する筈がない。
そして、話を聞けば何となく黒蛇の正体についても理解出来る。
「つまり、あの黒蛇は魔獣術の実験で出来た存在だと?」
『あくまでも、その可能性が高いというだけじゃ。少なくても、儂はそのような存在は知らん。公になっていたのであれば、儂もその存在について耳に入っていてもおかしくはなかった筈じゃ』
そう言われれば、レイとしても納得するしかない。
納得するしかないのだが、同時に疑問もあった。
「普通、自分が実験で作られたとかなれば、それをやった奴を恨んでいてもおかしくはないと思うけど、魔獣術を継承した俺に対しては、かなり人懐っこかったぞ?」
自分を実験材料にした相手の関係者だと知れば、攻撃してもおかしくはない。
にも関わらず、黒蛇は自分に攻撃するどころか、隠れ家まで運んでくれたのだ。
それを考えれば、そんな疑問を抱くなと言う方が無理だった。
『別に実験に使ったからといって、恨むとも限るまい。黒蛇も承知の上で実験に参加したといった可能性もあるのだから』
そう告げるグリムの言葉に素直に頷くことは出来ないレイだったが、黒蛇の様子を考えると納得せざるをえないというのも、また事実だった。