2544話
土を爆発させて姿を現した女王蜂を前に、レイとセトは即座に戦闘準備を整える。
セトは地面を踏み締め、いつでも攻撃出来るように。
レイは風の手を解除し、デスサイズと黄昏の槍を構えて。
(にしても、まさか女王蜂が自分から姿を現すとはな。……女王蜂ってくらいだから、当然巣の中でも一番深い場所にいたんだろうに)
セトのスキル、毒の爪……それもレベル六の強力なスキルによって毒に侵された木を燃やした煙に燻された中で、そのような巣の一番奥から地上までやって来たのだ。
それも、女王蜂というだけあって、その姿は普通の蜂よりも圧倒的に大きい。
それこそこの巣から出て来た蜂は全長五十cm程の大きさだったが、女王蜂は全長五mと十倍近い大きさを持っていた。
「これはまた……」
その巨大さに、レイの口からは驚きの声が漏れる。
とはいえ、それでも驚愕といった様子ではなく普通の驚きといった程度なのは、魔の森に入ってから多くのモンスターを見てきたからだろう。
特に黒蛇や巨狼は、女王蜂よりも明らかに巨大だった。
「ギギギギギギ!」
地上に姿を現した女王蜂は、苛立たしげに鳴き声を上げると、羽根を大きく振るう。
それにより、レイが風の手を解除したことによって周囲に漂っていた毒の煙は全て散る。
元々既に燃えつきそうだったこともあり、毒の爪で毒に侵された木を燃やさなければ、いずれ毒の煙は消えていただろう。
それを考えると、女王蜂のやったことはあまり意味がなかったのは間違いない。
とはいえ、その動きだけでも女王蜂がかなりの強さを持つというのは、本能的に察することが出来たが。
(普通なら、女王蜂や女王蟻となると、卵を産むのが仕事って印象があるんだけどな。こうして見る限りだと、明らかに普通の蜂よりも強そうだ。……まぁ、ドラゴニアスの女王のことを考えると、それも納得出来るけど)
ドラゴニアスの女王は、レイが思った通り卵……というか、子供を産むような存在だった。
だが、子供を産むということの他に、単体であっても高い戦闘力を持っていたのは間違いない。
であれば、女王蜂も高い戦闘力を持っていてもおかしくはないだろう。
(とはいえ……)
そう、レイは自分とセトの様子をじっと見ている女王蜂の姿を見ながら考える。
視線の先にいる女王蜂は、間違いなく高ランクモンスターだ。
それは分かる。
だが同時に、黒蛇は当然だが巨狼と比べても明らかに劣ると、そう思えたのだ。
ランクBモンスターよりは強いが、ランクAモンスターよりは弱い。
それが女王蜂を見たレイの素直な感想だった。
とはいえ、それはあくまでもレイの印象であって、実際にそうなのかは分からない。
少なくても、レイが覚えている限りではモンスター辞典に似たような蜂のモンスターは幾らか載っていたが、このモンスターが載っていないのが事実である以上、その印象を大事にするしかない。
(それに、あくまでも巨狼よりも弱いと感じたのは、この女王蜂を見てのものだ、モンスターのランクというのは、単純に強さだけで決まる訳じゃない)
体長五十cmの蜂を大量に……それこそ数え切れない程に産むことが出来るのであれば、その影響力は非常に高くなる。
だからこそ、もしかしたら女王蜂がランクAモンスターであるという可能性は否定出来なかったが……
それでも、レイから見てランクAモンスターであるとは認識出来ない以上、この女王蜂は取りあえずランクAモンスターの枠の中から外すことにする。
「ギギギギギ……」
睨み合いに我慢が出来なくなったのか、女王蜂はレイとセトに向かって威嚇の鳴き声を発する。
しかし、レイはそんな女王蜂の様子を見て、ふと違和感を抱き……すぐに納得する。
「セト、攻撃をするのなら早いうちがいい。今なら、まだこの女王蜂は毒を受けてる!」
「グルゥ!? ……グルルルルゥ!」
レイの言葉にセトは最初こそ首を傾げていたが、すぐにその言葉の意味を理解する。
女王蜂は、巣の奥――最深部かどうかは不明だが――にいたのは間違いない。
そして巣にはセトの毒の爪で毒に侵された木を燃やして出来た毒の煙を、レイが風の手を使って延々と送り込んでいた。
そして巣の中にいる他の蜂達が毒で動けなくなった中、毒の煙が充満している巣の中を移動してきたのだから、その移動中にも毒の煙を吸い込むことになる。
ましてや、巣の中を上に上にと進んだ場合、毒の煙の濃い場所を目指して移動するといったことになるので、より密度の高い毒を受けることになるのは当然だった。
「グルルルルルルルゥ!」
レイの言葉を聞いたセトは、すかさずアイスアローを発動する。
セトの周囲に現れた五十本の氷の矢は、即座に女王蜂に向かって放たれる。
「飛斬!」
レイもまた、そんなセトと同時にデスサイズを振るって飛ぶ斬撃を放つ。
本来なら黄昏の槍を投擲してもよかったのだが、セトがアイスアローを使っている以上、もし黄昏の槍を投擲して、傷が付くというのは遠慮したかった。
そうして放たれたレイとセトの攻撃だったが、女王蜂はその攻撃を見た瞬間に羽根を激しく羽ばたかせる。
ブブブブブブブブブブブブブ、というレイやセトにとっては聞き覚えのある音が周囲に響き渡った。
当然、女王蜂は何の意味もなく……あるいは威嚇が目的でそのような行動をした訳ではない。
その羽音が発すると同時に衝撃波が放たれ、女王蜂に向かっていた氷の矢は全てが狙いを外す。
飛斬はレベル五になって強化されていたこともあり、その衝撃波の中でも女王蜂に向かって進んでいったのだが……それでも、連続して放たれる衝撃波によって次第に射線が逸れていき、最終的には女王蜂に命中せず、あらぬ方向に飛んでいった。
そして、当然の話だが放たれた衝撃波はレイとセトの攻撃を防ぐだけではなく、レイとセトに向かっても襲い掛かる。
「ちぃっ!」
レイは半ば反射的にデスサイズに魔力を通しつつ振るい、衝撃波という目に見えない存在を切断する。
セトは身体中に力を入れると、衝撃波を正面から受け止めた。
衝撃波そのものは、継続的に放たれてはいるが、それでもそこまで凶悪な威力という訳ではない。
レイのデスサイズは当然だが、セトの身体能力であれば十分に耐えることが出来た。
だが……耐えられたからといって、それで痛くない筈はなく……
「グルルルルルゥ!」
セトは大きく鳴くと再度氷の矢を五十本生み出す。
まだ同じスキルを?
それだと、女王蜂の生み出す衝撃波によって再び狙いが逸らされるのではないか。
そんな疑問を抱いたレイだったが、セトが何の意味もないことをするとは思えない。
であれば、今はセトが何を狙っているのか見ておこうと、そして自分がここで下手に手を出せばセトの狙いが失敗するかもしれないと判断し、何かあったら即座に反応出来るように準備を整えながら事態を見守る。
そうして放たれた氷の矢は、先程と違って一ヶ所に集中している。
先程は女王蜂が大きいこともあり、取りあえず当たればいいといったように広範囲に放たれたのだが、今回は違った。
女王蜂の中心部分を狙い、密集した一撃を放ったのだ。
再び女王蜂は羽根を激しく震動させることによって衝撃波を放つ。
そこまでの流れは今までとそう変わらなかったのだが、そこからは違った。
衝撃波によって氷の矢の射線が逸れるものの、その逸れた氷の矢はすぐ隣にある別の氷の矢にぶつかって元の場所に戻る。
当然だが、ぶつけられた氷の矢の方は射線が逸れるものの、そのすぐ外にある別の氷の矢にぶつかって元に戻る。
そうして元に戻った氷の矢も、再度衝撃波によって射線を逸らされてしまい、再び近くの氷の矢にぶつかって元に戻るということを繰り返す。
当然そのようなことを繰り返せば、時間が経てば経つ程に氷の矢の狙いは外れていくだろう。
だが、それはあくまでも時間が経てばの話だ。
セトと女王蜂の距離はそれなりに開いてはいるが、それでもそれなり程度でしかない。
そうである以上、飛んでいる氷の矢は完全に狙いを逸らされるよりも前に……やがて、女王蜂の身体に命中する。
「ギギギギギギギ!」
氷の矢の突き刺さった痛みに悲鳴を上げる女王蜂。
だが、その身体をよく見れば、氷の矢が突き刺さっているのは僅かに先端だけでしかない。
「さすが高ランクモンスターといったところか」
レイが今まで見た限り、氷の矢の威力はかなり高い。
そんな一撃が五十本連続して放たれるのだから、その攻撃力を表すには、殲滅力といった言葉の方が正しいだろう。
それだけに、今の攻撃を氷の矢の先端が少し刺さっただけですんだというのは、女王蜂がどれだけの力を持っているのかということをこれ以上ない程に表している。
その上、レイがセトに言ったように今の状況でも毒で弱っているのだ。
そんな状況でこれなのだから、高ランクモンスターというだけのことはあるのだろう。
「セト、遠距離からの攻撃は難しい。近接戦闘で仕留めるぞ。ただし、あの衝撃波には注意しろ!」
デスサイズと黄昏の槍を手に、女王蜂に向かって進むレイがセトに向かってそう叫ぶ。
そんなレイの言葉に、セトは分かった! と短く鳴いてから、女王蜂との間合いを詰める。
レイが女王蜂の左側に回っているので、セトは右側に。
毒の影響が残っている以上、遠距離戦闘よりも近距離戦闘の方が有効なのは間違いない。
何よりも、あれだけ立派な羽根を持つ女王蜂にも関わらず、空を飛んでいないという点が非常に大きい。
恐らく、毒の影響から回復すれば、空を飛んで戦闘をするようになる。
勿論、相手が空を飛ぶのならレイもセトに乗って空を飛ぶといった真似も出来るのだが、今の状況を考えれば出来ればそんな真似はしたくない。
魔の森には、間違いなく空を飛ぶモンスターがいるのだから。
実際、ヒポグリフに襲われている。
女王蜂のような高ランクモンスターと戦いながら、それ以外のモンスターとも戦うといったような真似は、レイとしては出来る限り避けたい。
魔の森の空を飛んでいるモンスターなのだから、場合によってはそちらも高ランクモンスターの可能性があるのだ。
そのような高ランクモンスターと、三つ巴……いや、それ以上の数のモンスターとの戦いになるというのは、レイも避けたい。
だからこそ、女王蜂が空を飛ぶよりも前に倒す必要があった。
「パワースラッシュ!」
遠距離系のスキルは衝撃波で通じず、何とか命中させてもそう簡単にダメージを与えることは出来ない。
だが、遠距離系のスキルが通用しないのなら、近接攻撃系のスキルを使えばいい。
特にパワースラッシュは、デスサイズを使った一撃だけに非常に強力だ。
そしてレイにとっては幸いなことに、女王蜂が脅威を感じているのはレイではなくセトだ。
先程のレイの飛斬はあらぬ方向に逸らすことが出来たが、セトの放った氷の矢は多少なりとも女王蜂にダメージを与えた。
それこそが、女王蜂がセトを警戒する理由となったのだろう。
とはいえ……だからといって、レイの攻撃に完全に無防備という訳ではない。
女王蜂の視覚は複眼によってかなりの広さを持つ。
それこそ、セトの攻撃に注意しながらレイのことも視界の中に入れるといったようなことは容易な事だ。
だが……それでも、女王蜂にとってその行動は大きなミスでしかない。
デスサイズと黄昏の槍を持ち、人外の身体能力を持つレイを近づけるということは、大きな危機を意味している。
とはいえ、女王蜂にしてみればレイよりも圧倒的な巨体を持つセトの方に意識を向けるのは当然のことではあったのだが。
それを……レイの振るったデスサイズから放たれたパワースラッシュは、見事に証明してみせる。
「ギィイイッ!」
女王蜂としては、デスサイズの一撃は自分なら防げると、そう考えていたのだろう。
だが、レイの放った一撃はそんな女王の予想を超えて強力で、それでいて重い。
それでも胴体ではなく足の数本を切断されるだけですんだのは、女王蜂の本能的な動きからきたものであり……そんな女王蜂に向かい、レイから一瞬遅れて間合いに入ったセトが、前足の一撃を振るう。
女王蜂はそんなセトの攻撃に対し、即座に受け止めるのではなく回避を選ぶ。
レイの一撃によって、それなりにダメージを受けているからこそ、セトの攻撃を受け止めるといった真似は選択出来なかったのだろう。
当然のように、女王蜂もただ回避をする訳ではない。
羽根を素早く震動させ、近付いてきたレイとセト双方にダメージを与えようとして……
「させるかよ!」
「グルゥ!」
レイの放った黄昏の槍と、セトのパワーアタックによる一撃が、女王蜂の羽根に命中するのだった。