2543話
魔の森の中を歩き続けたレイとセトが見つけた蜂の巣は、ある意味で予想外で、ある意味で予想通りに地中にあった。
正確には、蜂の巣の一部が地面から出ており、その大半は地中に埋まっているといった表現が正しい。
スズメバチに限らず、蜂の中には地中に巣を作るといった個体も多い。
それを考えれば、地中に巣を作るというのは珍しい話ではないのだろう。
何よりも、体長五十cm程もある巨大な蜂の巣だ。
その辺に生えている木の枝といった場所に巣を作るようなことをした場合、巣の重みによって木の枝が折れるのは当然だった。
そうであれば、自重によって巣を作った場所が壊れないように、地中に巣をつくるのはそうおかしな話ではないのだろう。
……巣の大部分が地中にあっても、見える部分だけでかなり大きな巣……それこそレイの身長くらいはあるような規格外の巣だったが。
「これ、一体どれだけの大きさなんだろうな。中に一体どれだけいるのか、全く分からないのが厄介だ」
「グルルゥ」
視線の先にある巣の入り口を見て、レイは悩む。
セトもそんなレイの言葉に同意するように喉を鳴らす。
周囲の茂みに隠れるようにしながら、レイはこれからどうするべきかを考える。
(もっと時間に余裕があるのなら、ここで何日でも警戒出来るんだけどな。そうなれば、あの蜂がどんな生態なのかも知ることが出来るし)
そう思うも、二泊三日という時間しか魔の森に滞在出来ない以上、長時間観察するといった真似は出来ない。
あるいは、女王蜂がランクAモンスターであるという確信があれば、既に巨狼を倒しているので、残り一匹をランクAモンスターとして認識しても構わないのだが……実際に女王蜂かどうかというのは判明していない以上、それに賭けるのは危険すぎた。
「蜂……蜂か……何かで蜂の巣を駆除する時に煙で燻すってのを見たことがあったな。ただ、普通の煙だと……せめて蜂を煙で燻り殺すといった真似は出来なくても、麻痺させるような事が出来れば……麻痺毒? 毒? うん?」
「グルゥ?」
自分の中にある考えを纏めるように呟いていたレイが自分の方を見たのに気が付いたセトは、どうしたの? と視線を向ける。
そんなセトに、レイはもしかしたら……という思いを込めて尋ねる。
「セト、お前のスキルには毒の爪があったよな?」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトは素直に頷く。
わざわざ聞かなくても、と。そのような思いもあったのだろう。
何しろ、セトの毒の爪はレベル六。
光学迷彩やパワークラッシュと並んで、突出して高いレベルを誇っているスキルだ。
とはいえ、光学迷彩やパワークラッシュと違い、使われることは殆どないスキルなのだが。
セトにしてみれば、毒の爪を使わず普通に攻撃をするだけで相手を倒すことが出来る。
であれば、わざわざ毒の爪を使うといったような真似はしなくてもいい。
そういう訳で、実はセト自身毒の爪については若干忘れ気味だったのだが。
「よし、なら毒の爪でどこかの石か木に毒を付着させて、それを燃やして毒の煙を巣の中に流す。そうすれば、蜂にも被害が出る筈だ。……これで確実に倒せるかどうかは分からないけど」
レイの言葉に、セトは難しそうな表情を浮かべる。
そのような真似が本当に出来るのかと、そんな風に思ったのだろう。
実際、レイもこの方法が必ずしも上手くいくとは思っていない。
あくまでも思いつきからの行動なのだから、それも当然だろう。
だが、この方法が上手くいけば大きな成果を得られるのは間違いなかった。
「試してみないか? もし駄目でも、それこそ逃げればいいだろうし」
「グルルルゥ!」
セトはレイの言葉に分かった! と納得する。
本当にレイが考えているようなことが出来るのかどうかは、セトにも分からない。
だが、失敗したらレイと一緒に逃げればいいだけだ。
セトが知ってる限り、蜂の飛行速度はそこまで速くはない。
それこそ、飛ぶのではなく地面を走って逃げても蜂に追いつかれるとは思わなかった。
また、隠れ家に戻ればそこには結界がある。
少なくても、レイやセトが戦った程度の蜂であれば、あの結界に近付いたりといったようなことは出来ない筈だ。
「よし、やるぞ。まずは……そうだな、あの木だな」
レイの視線の先にあったのは、倒木だ。
とはいえ、腐って地面に崩れ落ちたといったような訳ではない。
何らかの動物かモンスターがぶつかったか何かをして折られた木。
その木に毒の爪でたっぷりと毒を与えてから、燃やすといったことをレイは考えたのだ。
セトもそんなレイの考えを理解したのか、レイが見ている倒木に向かって歩いて近付く。
「グルルゥ!」
毒の爪を使い、セトは倒木に傷を付ける。
レベル六の毒の爪は、即座に倒木につけた傷口から紫色の毒と思しき存在が見て分かる程の速度で浸食していく。
「早いな!」
レイとしては、もっとじっくりと毒が広がっていくのだと思っていたのだ。
さすがレベル六といったところか。
ともあれ、こうも素早く毒が広がっていくのであれば、倒木を迂闊に手に持つといった真似も出来ない。
渋々と、レイはミスティリングの中かから槍を取り出す。
黄昏の槍やデスサイズを使ってもよかったのだが、毒の爪で生み出された毒に触りたいとは思えなかった。
そうである以上、毒に侵された倒木を蜂の巣のある辺りに向かって持っていくには、使い捨ての槍を使った方がいいと判断したのだ。
「向こうに……いけ!」
その叫びと共に振るわれた槍は、生木を蜂の巣のある方に向かって吹き飛ばす。
……同時に、壊れかけの槍だったので今の一撃に耐えられるようなことはなく、槍の柄が途中で折れる。
「あ……まぁ、いいか。どのみち使い捨てだし」
投擲に使えなかったのは残念だったが、元々捨て値で買った槍だ。
そうである以上、ここで折れても十分役目を果たした。
いや、寧ろ値段以上に効果を発揮したと言ってもいいだろう。
そして、飛んでいった倒木は地面から出ている蜂の巣に向かって飛び……やがて、巣の入り口近くに落ちる。
「よし。後は燃やして煙を……」
「グルゥ!」
レイが魔法を使って木を燃やそうとした瞬間、不意にセトが鋭く鳴く。
半ば条件反射的に周囲を警戒したレイは、既に聞き慣れたブーンという音を耳にした。
「蜂か!? いや、けどこれは……」
音からして蜂なのは間違いないが、その羽音が聞こえてきたのは巣の方向。
てっきり巣の外にいた蜂が巣に戻ってきたのかと思ったのだが、それは違ったらしい。
そして、レイの予想通り巣の中から数匹の蜂が出て来る。
それを見たレイは、セトと共に茂みに紛れて様子を見るが……巣の中から出て来た蜂は、そのまま飛び去るといったようなことをするのではなく、巣の近くに落ちた倒木に近付いていく。
(嘘だろ?)
普通なら、巣の近くに倒木があっても蜂は特に気にするようなことはないだろう。
だが、それはあくまでも普通の蜂ならの話だ。
今レイの視線の先にいるのは、体長五十cmもある蜂のモンスターで、とてもではないが普通の蜂ではない。
そうなると、あの蜂が倒木を……正確にはセトの毒の爪によって侵された倒木を危険な存在として排除しようとしても、おかしくはなかった。
「けど、だからって……そんな真似をさせる訳にはいかないんだよ!」
そう叫びつつ、黄昏の槍を投擲するレイ。
放たれた黄昏の槍は、蜂がその存在に気が付くよりも前にその身体を貫き爆散させる。
こうなってしまえば、それこそいつ新たな蜂が姿を現してもおかしくはない。
「後は魔法を……いや、違う。俺がやるべきなのは、煙を巣穴の中に入れる方か。セト、少しだけ近付いて、ファイアブレスを使ってあの倒木を燃やしてきてくれ!」
「グルゥ!」
レイの指示に、セトは即座に従う。
隠れていた茂みを飛び出すと、ファイアブレスの効果範囲にまで近付くと、クチバシを大きく開き……
「グルルルルルルゥ!」
ファイアブレスのスキルを発動し、放たれた炎は真っ直ぐに倒木まで進み、燃やす。
とはいえ、セトもファイアブレスの目的は倒木を燃やすことではなく、より多くの煙を出すことだとは理解しているのだろう。
ファイアブレスの威力は、レイが知っているよりも明らかに弱い。
「風の手」
そんな中、レイはデスサイズを手に風の手のスキルを使う。
レベル四の風の手は、最大二百五十mまで延びる。
そういう意味では、現在レイのいる場所から倒木が燃えている木までの距離は十分に届く。
「セト、悪いけど他にも今の要領で木に毒の爪を使ってから、あの炎に投げてくれ。煙は俺のほうでコントロール出来ると思うけど、それでも完全じゃないと思うから気をつけてな」
「グルゥ!」
レイの指示に、セトはすぐに従う。
セトが動き出したのを見て、レイもまた風の手に意識を集中する。
燃えている木からは、毒のせいだろう。紫色の煙が立ち上っているのが見えた。
その煙を風の手を使い、巣に誘導する。
火災旋風を作る時に風の手を使った経験からだろう。レイが予想していたよりも大分楽に毒の煙を巣の中に流し込むことに成功した。
「よし!」
風の手を動かすことに集中しながらも、レイは嬉しそうに呟く。
とはいえ、それも一瞬のことだ。
火災旋風を作り出す時と違い、今は木を燃やしすぎないようにしながら煙を上手い具合にコントロールする必要がある。
それだけに、今の状況では気を抜くような真似は出来ない。
特に大きいのは、煙が少しも他の場所にいかないようにコントロールし続けることだ。
火災旋風の時は、竜巻が火災旋風になってしまえばその時点で風の手を使う必要はなくなる。
それとは違い、今は少しでも多く風の手をコントロールし続ける必要があった。
このコントロールし続けるというのが意外に難しい。
セトが次々と毒の爪を使った木を放り込んでくれることで揺れる煙の動きを調整し、更には魔の森の中であっても当然のように周囲から風が吹くので、それに対しても上手い具合にコントロールする必要があった。
そうして意外に難しい風の手のコントロールだったが、それでもある程度の時間集中していれば、それなりに慣れてくるのも事実だ。
そんな中、何匹かの蜂が巣の中から飛び出てくる。
毒の煙に燻される状態から、何とか脱出しようとしたのか。
もしくは、毒の煙を放っている相手をどうにかしたかったのか。
その辺りはレイにも分からなかったが、巣の中から飛び出て来た蜂は、しかしその時点でもう殆ど力が残っておらず、地面で燃えている倒木や木を排除することが出来ないまま、地面に落ちる。
そしてこの状況で地面に落ちてしまえば、巣の中に流される毒の煙を間近で吸うことになり、そのまま動かなくなった。
そんなことが何度か続き、中には特に体力に優れている個体なのか、巣から出て即座に地面に落ちるのではなく、燃えている木に突っ込む個体もいた。
だが……結局その個体は毒の煙により濃密に包まれ、更には炎によって身体を燃やされるという、他の蜂よりも悲惨な目に遭うことになる。
そうした時間が三十分以上続き、もう少しで一時間になるのではないかと思う頃……ようやくレイは風の手で毒の煙を送ることを止める。
「グルルゥ?」
もういいの? とセトは喉を鳴らす。
何だかんだと、レイと協力してやる作業が、セトにとっては面白かったのだろう。
例えそれが、毒の煙を生み出して蜂の巣に流すといった作業であっても。
「ああ。正直なところ、あの蜂はモンスターだからどこまで大きなダメージがあるのかは分からない。それに……本当に今更の話だけど、蜂の巣は狭いから俺達が入るのはちょっと難しい。後はもう、女王蜂が出て来てくれるのを待つといったようなことしか出来ないんだよな」
ドラゴニアスのような巨体を持つモンスターの巣なら、レイも中に入るといったようなことは可能だろう。
だが蜂は巨大だとはいえ、それでも体長五十cm程だ。
とてもではないが、レイがその巣の中に入るといった真似は出来ない。
幾らレイの身長が高くないとはいえ、それでも限度がある。
ましてや、レイの倍近い大きさを持つセトにいたっては、とてもではないが蜂の巣に入るといったような真似は出来ない。
「何気に、地下……というか地中に巣があるというのが、俺にとっては不利だよな。これが普通の巣で木の枝とかにあるのなら、巣を壊すといったような真似をすればどうとでもなるんだろうが」
呟くレイに、セトは慰めるように喉を鳴らし……だが、次の瞬間、セトは地中の巣に向かって喉を鳴らす。
何だ?
そう思ったレイの視線の先では、土が爆発するように吹き飛び……やがて、普通の蜂と比べてもなお巨大な存在が姿を現す。
「女王蜂」
レイのそんな声が周囲に響くのだった。