2538話
巨狼にしてみれば、自分よりも圧倒的に小さいレイとぶつかって、それによって圧倒的にレイよりも大きな自分が吹き飛ばされるとは、予想外だったのだろう。
同時に、今まで多数のモンスターを斬り裂いてきた爪の一撃でもレイを殺すことが出来なかったというのは、驚愕に値した。
しかし……それでも、この魔の森の中で生き抜いてきた存在だけに、すぐに頭を切り替える。
レイがセトの名前を呼ぶ声を聞き、半ば反射的に空中に向かって牙を向ける。
セトが上空から降ってくるといったことを察知出来たのは、巨狼の持つ鋭い五感によるものだろう。
空気を斬り裂きながら落下してくるセトの音と、その体臭。
それによって巨狼は牙を空中に向け、逆にカウンターを食らわせてやろうと、そう思っての行動。
その行動は間違っていない。いなかったが、セトを甘く見すぎていた。
上空から落下してきたセトは、レイの指示が咄嗟だったのでそこまで高度を稼げた訳ではない。
それでもレイがパワースラッシュを使った瞬間には翼を羽ばたかせて飛び上がっていたの考えると、以心伝心や阿吽の呼吸といったところだろう。
高度こそそこまでとれなかったが、それでも落下速度と体長三mオーバーのセトの体重、そして剛力の腕輪というマジックアイテムの効果によって一撃の威力は増しており、ついでとばかりにパワークラッシュのスキルすらも発動しての一撃。
結果として……
「ギャイン!」
セトの前足の一撃によって、その一撃を噛み砕かんとした巨狼の牙の一撃は負け、へし折られる。
そこまで威力を込めたセトの一撃を食らっても、顎が砕けるといったことではなく、あくまでも牙の一本がへし折られるといったような被害ですんだのは、巨狼の力だろう。
「ギャイイイン!」
続いて周囲に響き渡る、再度の巨狼の悲鳴。
それを行ったのは、レイの投擲した黄昏の槍だ。
セトの方を危険視した巨狼は、レイに対する注意を怠った。
勿論、怠ったとはいえ、完全に注意を逸らした訳ではない。
魔の森で生き抜いてきた巨狼だけに、その辺りの判断は決して甘くはない。
だが……それでも、レイとはデスサイズの一撃によって距離が出来たということもあり、セトの方に意識を集中したのは間違いのない事実。
そんな状況から、レイは黄昏の槍を放ったのだ。
そうしてレイが放った黄昏の槍は真っ直ぐに飛び、巨狼の右肩を貫いた。
ランクAモンスターの巨狼の身体であろうとも、黄昏の槍の投擲を肉や骨で食い止めるといったことは出来なかったらしい。
あるいは、単純に皮膚を裂き、肉を貫きつつも穂先が骨にぶつかることはなかったのか。
その理由はともあれ、巨狼が牙を折られて右肩を貫かれるといったような一撃で大きなダメージを負ったのは間違いない。
「セト、畳み掛けるぞ! 巨狼に攻撃させるな!」
巨狼の右肩を貫き、その背後にあった木の幹すらも貫き、どこかに飛んでいってしまった黄昏の槍を手元に戻しながら、レイが叫ぶ。
そんなレイの言葉にセトは反応し、パワースラッシュの一撃を繰り出した勢いで地面に着地したまま、新たなスキルを発動する。
「グルルルルゥ!」
その雄叫びと共に、セトの周囲に五十本の氷の矢が姿を現す。
レベルが五になり、威力が飛躍的に強化されたアイスアローだ。
痛みに悲鳴を上げていた巨狼も、すぐにそんなセトの様子に気が付いたのか、最初に会った時の明らかに侮っていた視線は消え、怒りと殺意に満ちた視線を氷の矢を生み出したセトに向ける。
そんな中、レイは巨狼の注意がセトに向けられた瞬間に駆け出す。
これからセトは、巨狼に対して氷の矢五十本を放つ。
そんな中に突っ込んで行くというのは、客観的に見て自殺行為以外のなにものでもないだろう。
だが……セトなら自分に攻撃を当てるような真似はしないだろうという確信があったし、同時にもし何らかのミスで氷の矢が命中したとしても、マジックシールドがあるので一発だけなら問題ないという思いもあった。
そして地面を蹴って一秒にも満たない時間で巨狼との間合いを詰めたレイは……つい先程黄昏の槍によって貫かれた肩の傷が泡を吹いて回復していっているのを見てしまう。
(嘘だろ!? どんな回復能力だよ!)
驚愕しつつ、だが牙の方が折れたままなのを視線の先で確認すると、巨狼は非常に高い再生能力を持っているのは間違いないが、それにも限度があると理解しつつ……
「多連斬!」
放たれたデスサイズの斬撃は、巨狼の右足に振り下ろされる。
レイとしては、本来なら頭部や心臓といったような致命的な場所を攻撃したかったのだが、体長十mの巨狼が立っている状態では、とてもではないがそのような場所に届かない。
スレイプニルの靴を使えば届いたかもしれないが、巨狼は未だにセトの方に集中していることもあるし、何より空中に浮かんだ状態ではセトも攻撃しにくいだろうという思いがあった。
「ギャウン!」
放たれた斬撃は巨狼の右足を切断する。
多連斬を使っていたので、それだけでは終わらず巨狼の右足が切断された場所に更に四つの斬撃が走り、傷口が更に酷くなり……
「ついでだ、これも食らえ!」
多連斬を放った状態から素早く一回転し、その勢いすら使って巨狼の喉の辺りを狙って黄昏の槍で突く。
多連斬によって右足……正確には右前足が切断され、頭の位置が下がっていたからこそ出来た芸当。
「グファン!」
巨狼の口から出た悲鳴がどこか濁っていたのは、喉を黄昏の槍で貫かれたからか。
当然の話だが、レイの攻撃はこれで終わらない。
右前足を失って体高が低くなっている今こそ、追撃を放つべき時だった。
「多連斬!」
巨狼の喉に突き刺さった黄昏の槍を引き抜きながら、その反動を利用してレイは再び多連斬を放つ。
そうして斬り裂かれる巨狼の胸元。
同時に、レイの攻撃を援護するかのようにセトから氷の矢五十本が放たれ、その五十本は一本も外れることなく巨狼の身体に突き刺さる。
身体中が氷の矢に突き刺されるといった状況は、もしこの様子を客観的に見ている者がいれば、あるいは酷いと言うかもしれない。
氷の矢以外にも、胸元は大きく斬り裂かれ、そこからは肉の奥に骨すら見えており、その骨もまた多連斬によって切断されたり、折られたりしている。
巨狼は、そんな自分の様子からもう助かることはないと判断したのか、それとも自分に大きなダメージを与えたレイを許すことは出来なかったのか。
ともあれ、牙が一本折られた状態でのまま、近くにいるレイの身体を噛み千切ろうと残っている体力を使って襲い掛かる。
しかし、レイにとってそれはピンチであると同時にチャンスでもあった。
自分に向かってくる巨狼の牙を全く恐れた様子もなく、レイは巨狼の首を狙ってデスサイズを振るう。
本来なら、巨狼の一撃はレイに大きなダメージを与えることが出来ただろう。
だが、それはあくまでも本来ならだ。
巨狼の牙がレイの身体に届くよりも前に、光の盾がその一撃を止め、光となって砕け散る。
そして次の瞬間、レイの振るったデスサイズは巨狼の首を切断するのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
濃い血の臭いが周囲に漂う中、レイは地面に座ったセトに寄り掛かるような形で大きく息を吐いていた。
その血の臭いの発生元は、少し離れた場所にある巨狼。
正確には、レイのデスサイズの一撃によって首を切断され、そこから延々と血を流し続けている巨狼だった。
そんな濃い血の臭いが漂う中でも、レイは何とか荒れている息を整えるのに必死だった。
巨狼との戦いで、傷らしい傷は負っていない。
だが、それでもやはりランクAモンスターとの戦いとなると、知らずに緊張していたのだろう。
ましてや、ここは魔の森の中だ。
巨狼との戦いの中で、いつ他のモンスターが出て来るとも限らない。
(そうだ、とにかくまずはここを離れないと)
ようやく息が整ってきたところで、レイは立ち上がる。
実際には、息が切れるといった程に長時間動いていた訳ではないので、息が荒くなっていたのは体力的なものではなく、精神的な意味合いが強かったのだろう。
そうして気を取り直し、レイはまず狼の頭部に近付いていく。
そんなレイの側にはセトがいて、いつ何があっても対処出来るように周囲の様子を眺めていた。
「でかいな」
デスサイズによって切断された頭部を見たレイは、しみじみと思う。
体長十m近い大きさを持つ巨狼だけに、その頭部も当然のように巨大だ。
それこそ、頭部だけでレイの身体よりも巨大なのは間違いない。
そんな頭部をレイはミスティリングに収納し……
「グルゥ」
と、そんなレイの前にセトがやってくると、咥えていた何かを置く。
何だ? と最初疑問に思ったレイだったが、改めて見るとそれは鋭い牙だと理解した。
セトが上空から降下してきて放った一撃によって、へし折られた巨狼の牙。
体長十m近い巨体だった為に、その牙一本だけでもかなりの大ききを持つ。
それこそ、特に加工するような真似をしなくても普通に武器として使えそうなくらいだ。
「これは、また……凄いな」
しみじみと牙を見ながら、レイは呟く。
勿論、そのまま武器として使えそうだからといって、本当にそのまま使う訳ではない。
そのままでも武器として使えそうなのは間違いないが、それを加工してきちんと武器として使えるようにすれば、当然そのまま使うよりも強力な武器となるのだから。
それを思えば、やはりこの牙はしっかりと加工して武器にした方がいい。
(問題なのは、誰が使うかだけどな)
牙の長さから、長剣として使うのは少し難しいだろう。
そうなると短剣か、長剣と短剣の中間……いわゆるミドルソードと呼ばれるような武器とするか。
短剣なら使うのはビューネだろうと思うのだが、そのビューネは高ランクモンスターの素材を使った白雲という短剣を持っている。
そうである以上、同じような短剣をわざわざ渡さなくてもいいだろうというのは、容易に予想出来る。
(となると、マジックアイテムの素材か? この牙がどんな素材になるのかは分からないけど。……狼の牙、か。竜の牙を使った骸骨の兵隊を作るって何かで見たな。それと同じような事が出来れば面白いんだが)
結局のところ、巨狼の牙の使い道を今この場で決めるような真似は出来ずに、ミスティリングに収納する。
勿論、それ以外……一番大きな身体の部分も、ミスティリングの中に収納し……
「あ、しまった」
ドラゴンを始めとして、モンスターの中には血すらも希少な素材となる存在がいるのを思い出す。
そうである以上、先程まで自然と血抜きの形となっていたこの巨狼の血も、そういう意味では貴重だったのではないか、と。
体力的にはともかく、精神的に疲れていたこともあってか、その辺には全く気が回らなかった。
「もう手遅れか」
十m近い体長を持つ巨狼だったが、既に首から流れている血は殆どない。
であれば、もうその血を確保するといったような真似は、到底出来なかった。
あるいは、首を下にすれば多少なりとも血を確保出来たかもしれなかったが。
巨狼が具体的にどのようなモンスターなのかが分からない以上、血が使えるのかどうか分からない。
「グルルルゥ」
がっかりしている様子のレイに、セトは励ますように喉を鳴らす。
そんなセトに、レイは感謝しながら頭を一撫でしてから巨狼の身体に手を触れる。
瞬間、その巨体が消える。
レイの持つミスティリングに収納されたのだ。
切断された右足も収納するのを忘れない。
巨狼の身体が消えると、今までそこにあっただけに、どこか違和感すらある。
「とはいえ、まずはこれで一匹……か。初日にランクAモンスターを一匹倒すことが出来たのは、運がよかったな。これで大分楽が出来る」
二泊三日の中で初日に一匹倒せたということは、レイにそれなりの余裕をもたらした。
(とはいえ、これで実は巨狼がランクAモンスターじゃなかったとかなったら、ちょっとどうかと思うけど。いやまぁ、あの強さであることを考えれば、そんな心配はいらないと思う)
何しろ、魔の森というだけあって、この森のモンスターはレイの持つモンスター辞典の類にも載っていない種類が多い。
勿論全てのモンスターが完全に載っていないということはないだろう。
事実、レイがエルジィンに来て魔の森から出る時に倒したウォーターベアは、ギルムできちんと名前が知られていたのだから。
「グルルルルゥ?」
と、そんなレイに、セトが不思議そうに喉を鳴らす。
巨狼の魔石はどうするの? と、そう言いたいのが分かったレイは、セトを撫でながら口を開く。
「ここであの巨狼を解体している時に、他のモンスターが来ると危険だろ。それに巨狼はランクAモンスターだから、ギルドに一応見せる必要がある。魔石は……その後だな」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトは残念そうに喉を鳴らすのだった。