2537話
レイの目の前では、七mの高さの竜巻が存在している。
セトがヒポグリフの魔石で強化されたトルネードを使ってみたのだが、それによって生み出された竜巻は、レベル三の時と比べると二m近く大きくなっていた。
(レベルが一上がるごとに、二mずつ大きくなっていくのか? いやまぁ、今はレベル四だから、レベル五になれば一気に強化されるんだろうけど)
レイとしては、風系のスキルのレベルが上がるのなら、出来ればウィンドアローのレベルが上がって欲しかった。
現在ウィンドアローのレベルは四なので、それが五になれば一気にスキルが強化されると、そう思っていた為だ。
とはいえ、トルネードのレベルが上がったのが不満なのかといえば、そうでもない。
何しろ、セトのトルネードというスキルはレイの代名詞たる炎の竜巻……火災旋風を使う際に必須のスキルだ。
それこそ、火災旋風の最重要部分だろう。
つまり、トルネードのレベルが上がったということは、今までと同じ火災旋風をもっと短時間で作れるようになるか、もしくは今までよりも巨大な火災旋風を作ることが出来るということになる。
現在の状況を思えば、それは決して悪いことではない。
(まぁ、ここで火災旋風を使う訳にはいかないだろうけど)
この魔の森には、多数のモンスターが存在している。
それこそ、ランクAや……場合によってはランクSモンスターすらいる可能性があった。
いや、レイが遭遇したあの黒蛇こそがランクSモンスターの一匹だろう。
ともあれ、そのような高ランクモンスターが存在している魔の森で火災旋風を使ったら、どうなるか。
ランクに関係なく、モンスターは魔の森から抜け出すだろう。
そうなった時、モンスターの群れがどこに向かうのかは分からない。
だが、ギルムに向かう可能性が必ずしもゼロではないだろう。
そんな中にランクAやランクSモンスターが入っていれば、どうなるか。
特に今は、本来ならギルムに存在しないような弱い冒険者や、増築工事の仕事を求めてやって来た一般人も多い。
そうなると、ギルムの増築工事は数ヶ月……下手をすれば数年単位で遅れてしまうだろう。
本当の意味で最悪となると、それこそ増築工事が中止になる可能性もあった。
それ以外にも、レイにとっては生まれ故郷と言ってもいい隠れ家を隠していた魔の森の木々も消えてしまう。
そんなことにならない為にも、トルネードの性能は確認しておきたいが、実際に火災旋風にしてみるといったようなことはするつもりはなかった。
「セト、竜巻を消してくれるか? ここまで大きいと、他からも結構見える。だとすると、竜巻を見て興味を惹かれたモンスターがやって来るかもしれないからな」
「グルルルルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトがトルネードを消す。
火災旋風になっていれば、レイのスキルや魔法が関与しているので、セトの意思だけで竜巻を消すような真似は出来ない。
だが、今はレイが何もちょっかいを出していないので、セトの意思だけで竜巻を消すといった真似が出来る。
「よし、新しいモンスターが集まってくるよりも前に、ここから離れるぞ」
「グルゥ? グルルルゥ?」
レイの言葉に、セトは何で? と不思議そうに喉を鳴らす。
何を目的として魔の森にやってきたのか、当然だがセトも知っている。
それはランクAモンスターを最低二匹倒し、その上で二泊三日すること。
……二泊三日というのは、隠れ家があるのでもう何も心配する必要がない。
ある意味で卑怯だが、魔の森という地理的な要因を活かした野営――しっかりと建物の中に泊まっているが――として考えれば、それはルール違反でも何でもない。
もっとも、昇格試験に魔の森を使うと考えた者にとっても、まさか魔の森の中にゼパイル一門の隠れ家があるとは、思いもしなかったのだろうが。
ともあれ、野営の心配がなくなった今となっては、レイはランクAモンスターを二匹倒し、その死体を持っていけばいい。
セトもそれを理解しているからこそ、自分の出した竜巻に興味を抱いて近付いてくるモンスターを倒せばいいのでは? と思ったのだろう。
「ここが魔の森じゃなければ、そんな真似も出来るんだが。場合によっては、ランクAモンスターが複数やってくるかもしれないし、ランクSモンスターがやって来る可能性もある。それ以外にも有象無象が大量に」
有象無象と表現したが、この魔の森に棲息しているモンスターである以上、基本的に強力なモンスターが多い。
魔獣術的な意味ではありがたいのだが、それでも多数のモンスターがやってくると、間違いなく大混乱となる。
その上、そこにランクAやランクSといったモンスターが現れれば、レイとしてもちょっとどうなるか想像出来ない。
そうである以上、レイとしては出来るだけ早くこの場から立ち去りたい。
……そこを気にするのなら、トルネードの確認を今やらなくてもよかったのでは? とレイも思わないでもなかったが、折角習得したスキルなのだから確認しておきたいという好奇心に負けてしまった。
それに、この昇格試験では多数の魔石を得るのは間違いないので、ここで確認しておかなければ、後々トルネードの確認を忘れてしまうといった可能性は否定出来ない。
そういう訳で、今はまずここでトルネードを使ってみるという選択をしたのだ。
ここまで巨大な竜巻になるというのは、少し予想外だったか。
竜巻の巻き起こす風により、先程までは周囲の木々も枝が激しく揺れていた。
さすがに枝が折れたり、ましてや木の幹が折れるといったような威力はないが……それでもこの周辺は台風一過……というのは少し大袈裟だが、台風が通りすぎた後のようになっているのは間違いなかった。
(あ、でも台風一過って台風がすぎた後の、青空とかのいい天気のことだったか?)
そんな風に考えつつ、レイはセトと共にその場所を離れる。
しかし……そんなレイ達の行動は、少し遅かったのだろう。
あるいは何とか間に合ったと言うべきか。
ともあれ、竜巻の実験をした場所から五分程移動した場所で、不意にセトが警戒に喉を鳴らす。
「随分と素早いな。いや、モンスターなんだから、それは当然かもしれないが」
呟きつつ、レイもまたデスサイズと黄昏の槍を構える。
それこそ、いつ何が出て来ても大丈夫なように。
そうして……やがて、茂みの中から一匹の狼が姿を現した。
狼型のモンスターとは、今まで色々と戦ってきた。
だからこそ、相手が狼型のモンスターであるというだけで動揺したりはしない。
しかし……狼型という理由以外で動揺とまではいかないが、驚くには十分だった。
何しろ、その狼はセトよりも大きな……それこそ尻尾から口までを含めると、体長十m近い大きさだったのだから。
「でかい……な」
「グルルルルルル」
レイの呟きに反応するように喉を鳴らす狼……いや、巨狼。
鳴き声そのものはセトと同じような鳴き声だったが、身体の大きさが違うからか、もしくは声帯そのものが違うのか、セトよりも低く、威圧的な雰囲気を発している。
そんな巨狼を前に、レイは相手の姿を確認する。
今まで戦ってきた狼型のモンスターは、それこそ触手が生えていたりと、原型こそ狼ではあったが、どこか狼と違うところがあった。
しかし、レイとセトの前にいる巨狼は違う。
圧倒的なまでの巨体を持つが、その姿そのものは普通の狼と違いはない。
生えている毛の色も赤や青といったような特徴的な色ではなく、灰色と普通の狼らしい。
それでも目の前にいる巨狼を見て、普通の狼と表現出来るような者はいないだろう。
(この威圧感……間違いなくランクAモンスターだな。幸先がいいと言うべきか、こんなに早く遭遇するとはと嘆くべきか。いや、前者だな)
昇格試験の内容として、ランクAモンスターは最低二匹は倒さなければならない。
だが、当然だが魔の森の中だからといって、ランクAモンスターがその辺に幾らでもいる訳ではなく、見つけるのは難しい。
そういう意味では、向こうから出て来たのだから、運がいいというのは間違いなかった。
問題なのは勝てるかどうかという事だが……
(勝てる。少なくても、負けるということはない)
レイは目の前の狼を見て、そう断言出来た。
何らかの根拠があってそのように思えた訳ではないのだが、敢えて根拠をとなれば、やはり黒蛇の存在があるだろう。
目の前に存在する巨狼は、確かに強い。
そして目の中には高い知性を感じるが、それでも黒蛇のように友好的な存在という訳ではなく、レイとセトを自分の獲物としか見ていないのは明らかだった。
そんな巨狼は、ランクAモンスターとしての迫力はあるが、だからといって自分とセトなら勝てない相手ではない。
そのように思うには、十分な相手なのは間違いなかった。
「セト、やるぞ!」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは即座に反応する。
「グルルルル……」
そんなレイとセトに対し、巨狼は面白そうな様子を見せた。
自分の獲物となる相手が、どのような行動をするのかお手並み拝見といった様子で。
猫がネズミを弄ぶかのような、そんな様子。……猫ではなく巨狼だが。
そんな相手に対し、レイはまず先制攻撃だといった様子で黄昏の槍を投擲する。
相手の意表を突くかのようにいきなり放たれた黄昏の槍は、真っ直ぐ巨狼に向かい……
「は?」
放たれた黄昏の槍を狼があっさりと回避したのを見て、レイの口から驚きの声が漏れる。
当然だろう。今まで、黄昏の槍をこうも簡単に回避したような相手は殆ど存在しなかったのだから。
それだけに、この状況はレイにとって驚くべきものだった。
とはいえ、それでも回避した動きが見えなかったという訳ではない。
そんな相手の動きはある程度確認出来たので、そういう意味ではレイ達の前に立ち塞がった巨狼は決して手に負えない相手ではない。
巨狼の背後にあった木の幹を削り取りながら飛んでいった黄昏の槍を手元に戻しつつ、レイは改めて目の前に存在するランクAモンスターに視線を向ける。
「ヴォフ」
そんなレイの視線が心地よかったのか、巨狼はどこか面白そうに鳴き声を漏らす。
巨狼の様子に、レイは面白くなさそうに息を吐く。
とはいえ、既にその表情に驚きの色はない。
相手はランクAモンスターなのだ。
そうである以上、この程度の身体能力があっても、おかしくはない。
「セト、王の威圧だ!」
「グルルルルルルゥ!」
レイの指示により、セトは王の威圧を発動する。
だが、巨狼はそんな王の威圧を全く気にした様子もない。
当然だろう。基本的に王の威圧というスキルは、セトよりも格下の相手に効果のあるスキルだ。
巨狼はランクAだとレイは認識しており、セトはランクAモンスターでスキルを持つ希少種ということでランクS相当の認識されている。
だが、それはあくまでもギルドで決められたものだ。
実際には色々違うところもあるし……そういう意味では、セトの王の威圧によって巨狼の動きを止めることが出来なかったのも、レイには納得出来た。
とはいえ、レイも最初から王の威圧が巨狼に対して効果を発揮するとは思っていない。
だが、王の威圧は相手の動きを止めることが出来なくても、多少なりとも速度を落とすことが出来る。
勿論、他の格下の相手に対して効果が発揮するような、三割程も速度を落とさせるといったような真似は出来ないだろう。
だが、それでも一割……いや、それ以下でも巨狼の速度を多少なりとも落とすことが出来れば、この戦いにおいては大きな意味を持つ。
そして実際に一割にすらも届かなかったが、巨狼の動きが間違いなく鈍った。
「マジックシールド!」
デスサイズと黄昏の槍を構えながら巨狼との間合いを詰めつつ、レイはスキルを発動する。
ランクAモンスターと思われる巨狼との戦いだ。
どのような攻撃が来るのか分からない以上、一度だけではあっても攻撃を防げるマジックシールドは使っておいて損はない。
「パワースラッシュ!」
そして、間合いが十分に詰まったところで、まずは先制の一撃。
先制の一撃ではあるが、様子見の一撃ではなく、相手に大きなダメージを与えることが出来るスキルによる攻撃。
巨狼も、レイの様子からその一撃が危険な一撃だと判断したのだろう。
王の威圧によって鈍った速度を理解しつつも、レイの一撃を迎え撃つ。
振るわれるデスサイズが、巨狼の放った爪の一撃によって迎え撃たれ……
ギィン、と。
とてもではないが生身の爪とデスサイズがぶつかったのではない音が周囲に響き……そして、巨狼はレイの一撃によって吹き飛ばされる。
「セト!」
巨狼を吹き飛ばした。
そう認識した瞬間、レイはセトの名前を叫びながら黄昏の槍を投擲するのだった。