2533話
昼食のスープ……勿論それだけでは足りないので、それ以外にも色々と料理を食べ終えたレイは、セトと共に隠れ家から出る。
レイやセトにしてみれば、この隠れ家は自分達の生まれた場所……生家のような場所ではあるが、それでも現在のレイは昇格試験を受けている身である以上、隠れ家でゆっくりするような真似は出来ない。
いや、一時間程昼寝をしたのだから、その時点でゆっくりしていないというのはどうかと、そう本人も思わないではなかったが。
ともあれ、レイが魔の森にいられる時間は二泊三日しかない。
そんな時間で、ランクAモンスターを最低二匹倒す必要があった。
ましてや、魔獣術の使い手たるレイとしてはセトやデスサイズの強化の為に、少しでも多く高ランクモンスターを倒す必要があった。
そうである以上、幾ら隠れ家に戻ってきたからといってゆっくりし続ける訳にもいかない。
何よりも建物の中が快適すぎるので、そのままずっと建物の中にいるのは昇格試験を考えると不味いと、そう判断しての行動。
そんな訳で、午後から魔の森を探索してランクAモンスターを探そうとして、結界の外に出たのだが……
「いないな」
「グルゥ」
レイの言葉にセトが同意するように喉を鳴らす。
探しているのは黒蛇だ。
ランクAどころか、ランクSに匹敵するだろう実力を持つモンスター。
レイは、何となく……本当に何となく、あの黒蛇はゼパイル一門の誰かが魔獣術で生み出したモンスターなのではないかと、そんな風に思っていた。
勿論、何か証拠の類がある訳ではない。
純粋に、レイの勘からくるものだ。
もしそうだとすれば、あれだけの巨体にも関わらずレイに全く存在を感知させることなく突然姿を現したというのも、理解出来る。
(セトの光学迷彩のスキルと似たような感じだと思うんだけど……この場合、どうだろうな。レベルが十になれば、また性能が変わるのか?)
光学迷彩は、レベルが五になって飛躍的に強化された。
具体的には、発動時間がレベル四までとは比べものにならないくらい長くなった。
そう考えれば、レベルが十になった時はもう一段階上のスキルに変わったとしても、そんなにおかしなことではないだろう。
「グルルゥ?」
レイが自分を見ているのに気が付いたのだろう。どうしたの? とセトは不思議そうな視線を向けてくる。
「もしかしたら、あの黒蛇はセトの先輩なのかもしれないと思ってな」
「グルゥ!?」
レイの言葉が意外だったのだろう。
セトは驚いたように喉を鳴らす。
もしレイの予想通りにあの黒蛇が魔獣術で生まれた存在だとすれば、それはレイの言う通りセトの先輩と言ってもいい。
もっとも、黒蛇が生まれた時代とセトの生まれた時代を考えると、そこにあるのはとてもではないが先輩後輩と呼べるような時間差なのかという疑問もあったが。
(そうだな。ドラゴニアスの死体に関しての報告を聞くついでに、あの黒蛇がゼパイル一門の誰かが魔獣術で生み出された存在なのかどうか、グリムに聞いてみるか)
居場所を知るGPS的なマジックアイテムがある限り、レイが二泊三日経つ前に魔の森から出るような真似をすれば、間違いなく昇格試験は失格となる。
しかし、レイには対のオーブがある。
……問題なのは、グリムが研究に集中しすぎていて、対のオーブに着信――という表現が正確かどうかレイには分からなかったが――に気が付くかどうかといったところだろう。
ただし、対のオーブで連絡が出来るようになれば、確実に情報は入手出来る。
グリムはゼパイルに……そしてゼパイル一門に対して、並々ならぬ尊敬の心を抱いており、だからこそゼパイル一門の面々に魔獣術で生み出されたモンスターについては詳しく知っている筈だった。
(ゼパイルのモンスターは狼型だったから、取りあえず違うのは確定だけど)
そんなことを考えつつ、レイは気分を切り替えるように大きく深呼吸する。
魔の森の中に漂う、強い草の臭い。
自然の臭いとも言うべき香りが、レイの鼻の中に入ってくる。
日本にいた時も、山のすぐ側に家があったレイは頻繁に山の中に入ることがあった。
そんな時、夏になればこのような臭いが漂ってきたのだが、今こうして漂ってくる臭いはそんな山の中のものと比べても圧倒的なまでに濃密な森の臭いだ。
(そう言えば、最初に結界から出た時にも、強烈な緑の臭いに驚いた記憶があるな。……さすがに今日も驚いたけど、以前程じゃないか)
初めての一歩を踏み出した時のことを懐かしく思いながらも、昇格試験の件でモンスターを探すんだったと、改めて自分に言い聞かせる。
そうしてレイがまず行ったのは、意識を集中させることだ。
魔の森のモンスターは、どれもが強い。
魔の森の中と外とでは、大きく違う。
「出来れば、あのトンボのモンスターを倒したいところなんだけどな」
素早い……そう、レイであっても咄嗟に回避するしか出来ず、反撃出来ないくらいに高速で空を飛ぶトンボのモンスターを思い出し、呟く。
一撃離脱に特化したような個体だった為か、最初の一撃をレイが回避したら、もう近付いてくるようなことはなかった。
それ以外のモンスターは黒蛇以外は全て倒しているだけに、出来ればトンボのモンスターも倒したいと、そうレイが思うのは当然だろう。
ましてや、あれだけ素早い相手だけに、一体どんなスキルが習得出来るか。
出来れば、そんな強力……いや、強力というのは黒蛇のような存在のことだろうから、この場合は厄介なという表現の方が相応しいのかもしれないが、ともあれそんなモンスターと遭遇し、倒して魔石を入手したい。
特にそのモンスターがランクA以上のモンスターであれば、言うことなしだ。
レイの中には、自分に友好的だった黒蛇の力を借りるといったような選択肢は存在しない。
あるいは、黒蛇がレイの従魔となるのなら、そのような選択をするということもあるかもしれない。
しかし、レイは黒蛇を従魔にするつもりはない。
そうである以上、魔の森での行動は自分だけで……いや、セトもいるのだから、そのセトと共に一人と一匹で行う必要があった。
「よし、セト。行くぞ。出来るだけ早く他のモンスターを見つけたいしな」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトが鳴き、レイとセトは魔の森の中を進んでいく。
結界の側である以上、どうしてもモンスターは近くにはいない。
高ランクのモンスターと遭遇するのであれば、やはりこの結界からは離れる必要があった。
(その点でも、やっぱり黒蛇はゼパイル一門の誰かが魔獣術で生み出した存在……って可能性が高いんだよな)
結界の側まで普通に近付いた黒蛇の姿を思い出しながら、レイは周囲の様子を確認する。
周囲に自分達を狙っているモンスターはいないか。
そんな風に考えているところで、不意にセトが喉を鳴らす。
「グルルゥ?」
一瞬、本当に一瞬だったが、そのセトの鳴き声を聞いたレイは、モンスターが襲ってきたのではないかと、そう思う。
だが、セトの鳴き声は警戒を促すようなものではなく、疑問を感じさせるような、そんな鳴き声だ。
少なくても、敵が今にも自分達を襲ってこようとしているといったような鳴き声ではない。
「何だ? どうした?」
そんな声をセトに掛けるが、セトは少し離れた場所にある茂みの方に視線を向けたままだ。
レイもまた、そんなセトの視線を追うように茂みを見る。
ガサリ、と。
レイが視線を向ける瞬間を待っていたかのように、不意に茂みが不自然に揺れる音が聞こえてくる。
もしかしたらモンスターでは? そう思ったレイだったが、それにしてはセトがまるで警戒している様子がない。
レイも自分の五感や第六感の類は鋭いと思ってはいるが、それでもセトの方がその点では自分より上だというのは理解していた。
そんなセトの様子から、取りあえず茂みの向こうにいるのは敵ではないのだろう。
そんな風に思っていると、茂みが再び激しく動き……
「コン!」
そんな鳴き声と共に、狐が姿を現す。
それも見るからに小さい、狐の子供だ。
勿論、狐ではあるが、魔の森にいる以上は普通の動物の狐ではない。
その証拠に、子狐の尻尾は二本あるのだから。
レイの目から見ても、モンスターであるのは間違いないだろう。
とはいえ、その子狐はセトを見ても逃げる様子を見せない。
それどころか、好奇心に目を輝かせながらトテトテとセトの足下までやって来る始末。
(普通のモンスターなら、セトの存在を察知したら大抵が逃げるんだけどな。中にはゴブリンのように相手の強さを察知出来ずに近付いてくるモンスターもいるけど。……いや、魔の森でそういうのを考えるのが意味はないか)
実際、魔の森のモンスターはセトの存在を見ても逃げるといったようなことはまずしなかった。
その辺の事情を考えれば、この子狐も一応魔の森に棲息するモンスターである以上、セトを怖がらなくても仕方がないのだろうと、そうレイは思う。
「あー……セト、可愛がるのも程々にな」
「グルゥ」
セトにしてみれば、自分に興味を持って近付いてきた相手だ。
他のモンスターのように問答無用で攻撃してきたような相手ではない以上、セトとしても迂闊に攻撃するといったような真似は出来ない。
あるいは、ここにいるのがレイやセトではなく、モンスターは即座に殺すといったような者であれば、もしかしたらこのような子狐であっても姿を見せた時点で殺すのだろうが。
とはいえ、子狐もそのような相手の前に顔を出すといったような真似をするかと言われれば、レイも素直に頷くような真似は出来なかっただろう。
とはいえ、レイはあくまでも昇格試験の為に……ランクAモンスターを最低でも二匹倒す為に、この魔の森に来ているのだ。
ましてや、先程までは昼寝をして昼食を食べて午前中の時間を消費している。
勿論、レイの疲れをとるという意味や空腹を解消するという意味、そして何よりもレイやセトが生まれ故郷に戻ってきたというのを実感するという意味では、決して無意味なことではない。
だが、それでも魔の森にいられるのが二泊三日である以上、時間を消費してしまったのは間違いない事実だ。
「コン?」
セトの前までやって来た子狐は、不思議そうな様子で鳴き声を上げる。
その様子は、見るからに愛らしい。
(動物の子供は、身を守るために愛らしさを発揮するとか何とか見たことがあるけど……こうして見ると、もの凄い破壊力だな)
レイも日本にいた時に子犬や子猫、ヒヨコといったのを見たことがある。
そのどれもが非常に愛らしく、愛でたいという思いを抱くのは当然だろう。
「グルルルゥ?」
スンスンと自分の臭いを嗅いでくる子狐を相手に、セトは戸惑ったように鳴き声を上げながらレイに視線を向けてくる。
どうしよう? と、そう言っている様子のセトだったが、レイもそのような視線を向けられても困る。
勿論、この子狐を殺そうなどとはレイも思わない。……思えない、という方が正しいのだが。
もしこの子狐が攻撃を仕掛けてくるのなら話は別だったが、今こうして見ている限り、子狐に自分達に対する敵意の類はどこにもない。
そうである以上、レイとしてもここで攻撃をするといったような真似は出来なかった。
「狐……それも子狐か。子狐って何を食べるんだ?」
狐の生態……ましてや、尻尾が二本ある以上は、ただの野生動物ではなくモンスターである以上、その生態はレイには分からない。
ミスティリングに収納されている肉を与えてもいいのかどうか。
もしくは、まだ肉を与えるのは早いのかどうか。
「取りあえず、俺達はもう行かないといけないんだ。お前もこのまま魔の森の中を歩いている訳にはいかないだろ?」
「コン?」
レイの言葉に、子狐は不思議そう顔を上げる。
レイが自分に敵対する相手ではないと認識しているのか、そこに怯えの色はない。
それどころか、言葉の意味が分からない為に、一緒に遊ぶ? 遊ぶの? 遊ぼう? といった視線すら向けていた。
友好的なモンスターがいるのは、レイにとっても悪い話ではない。
それどころか、癒やし役として連れていってもいいのではないかとすら思ってしまうくらいには、子狐は愛らしい。
(多分、この子狐をテイムするなり何なりしてギルムに連れていけば、間違いなく人気が出るだろうな)
セトも愛らしいということで人気が出たのだが、今は体長三mを越えている。
それでも愛らしいと思っている者は多いのだが、その大きさから怖がっている者がいるのも間違いない。……もっとも、そのような者も一度セトと接すれば怖くないとすぐに理解するのだが。
そんな不意に初めてセトを見た時に怖がるような相手であっても、この子狐なら小さいから問題なく愛でるだろうなと、そうレイは確信を抱くのだった。