2532話
「ん……んん……?」
意識が急激に目覚める感覚から、レイは自分がいつの間にか眠っていたのだということを理解する。
だが、頭が働いたのはその程度で、まだ眠いんだからもう少し眠っていても、いずれマリーナが起こしにきてくれるだろうと再度眠ろうとし……半分……いや、まだ七割は眠っている頭の中で疑問を抱く。
布団や枕の感触が、いつもの物と違うと。
これがもっと別のことであれば、そんな違和感に気が付くことはなかっただろう。
だが、こうして眠っている状況であれば、肌が触れている場所がいつもと違うというのに気が付くには十分だった。
そうして起きている三割の部分でそこに気が付けば、レイの頭と中の眠っている部分も急激に覚醒していき……やがて目を見開いて現在自分がどこにいるのかを確認する。
「ああ、そう言えば魔の森の隠れ家に来てたんだったな。眠ってしまったのか」
ミスティリングから懐中時計を取り出して時間を確認してみるが、幸いにしてまだ昼になるかどうかといった時間。
黒蛇に乗せて貰って移動し、この隠れ家に到着したのが具体的に何時くらいだったのかは確認していないが、それでも今の感覚からすると眠っていたのは一時間前後ということになる。
「まぁ、実は翌日の昼とかじゃなければだけどな」
呟きつつも、レイは自分でそれはまずないと判断した。
さすがにそれだけの時間ぐっすりと眠っていれば、腹を空かせたセトがやって来るだろうと、そう思った為だ。
そうなっていない以上、やはり今日は初日なのだろうと、そう思う。
もし今日が二日目だったら、それこそレイはもの凄く後悔してしまっていたのだろうが。
「このままこうしていてもしょうがないし、セトに……」
会いに行くか。
そう言おうとしたレイの視線は、壁に掛けられている絵で動きを止める。
その絵は、ゼパイル一門の十二人が描かれている絵。
この世界に転生……あるいは今の身体に憑依した時は、大雑把な知識だけがあった。
その時にこの絵を見て、ゼパイル一門の姿を自分で確認したのだが、魔の森から出て数年。
それなりにこのエルジィンという世界を見て、この世界の常識を知った。
もっとも、それでもまだ足りずに常識外れと呼ばれるようなこともあるのだが。
それでもこの世界について色々と見て、聞いて、知った。
それらの情報の中には、ゼパイル一門についての情報も多々ある。
少し大袈裟ではあるが、間違いなくこのゼパイル一門はこのエルジィンという世界に小さくない影響を与えたのだ。
それを思えば、こうして改めてゼパイル一門の面々が描かれている絵を見たレイには思うところがあった。
(いっそ、この絵を持っていくか? 間違いなく第一級の資料――もしくは史料――として扱われるだろうし)
そう思わないでもなかったが、この絵はゼパイル一門が残した遺産の一つでもある。
そのような遺産は複数ある。
レイの持つミスティリングやドラゴンローブ、スレイプニルの靴……それ以外にもセトが使っている剛力の腕輪といったマジックアイテムも遺産と言ってもいいだろう。
だからこそ、この絵はこの寝室に飾っておいた方がいいのではないか。
そうレイは思う。
あるいは、この絵が何らかのマジックアイテムで、特殊な効果があるのなら持っていくことをもっと本気で考えてもよかったのかもしれないが。
しかし、今の状況を思えばそんなことをする必要もない。
ゼパイル一門の遺産ではあるが、この隠れ家にゆっくりと眠らせておけばいいと、そう判断する。
「取りあえず、今日から二泊三日よろしくな」
壁の絵にそう声を掛けると、レイは今度こそ寝室から出る。
そして通路を進み、やがて魔獣術でセトを生み出した部屋に到着する。
(セトの気配は……中にあるな。一時間くらいの間、何をしていたんだ?)
そのような疑問を抱いて部屋の中を見たレイは……
「あー……うん。主従揃ってやることは同じか」
レイの視線の先では、床の上で丸くなって眠っているセトの姿があった。
こうして見た限り、特に何か……例えば何らかの罠で眠っているといった訳ではなく、ただ眠いから普通に眠っているように思える。
つまり、レイが寝室で寝ていたのと同じ理由で眠っていたのだ。
「……グルゥ?」
と、眠っていたセトがレイの声が聞こえたのか、もしくは気配を感じたのか。
ともあれ、丸まっていた状態から顔を起こしてレイの姿を見ると……嬉しそうな様子で喉を鳴らす。
「眠っていた俺が言うのもなんだけど、セトもやっぱり幸せそうに眠っていたらしいな」
「グルゥ!」
喉を鳴らして立ち上がるセト。
そしてレイの側にやってくると、嬉しそうに顔を擦りつける。
レイはじゃれてくるセトを撫でつつ、口を開く。
「俺も眠っていたし、セトも眠っていた。そうして眠っていても全く問題がなかったということは、やっぱりこの隠れ家を覆っていた結界はまだ効力を発揮しているということだな。拠点としてはこれ以上ない場所だ」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。
セトもまた、自分が生まれた場所を拠点として使うことに賛成だったのだろう。
レイもまたそんなセトの気持ちは分かったので、嬉しそうな様子のセトを撫でていると、空腹なのを思い出す。
懐中時計で時間を確認した時、もう昼近かったのを思い出し……
「この隠れ家に到着した記念だ。あの牛の肉を使って、少し豪華な昼食にしないか?」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、昨日食べた肉の味を思い出したのか、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
「となると、どこで料理をするか……庭というか、外だな。結界があるから、取りあえずモンスターとかに見つかることもないだろうし」
本当に安全を考えるのなら、当然だがここで料理をした方がいい。
しかし、この建物はゼパイル一門の隠れ家だ。
何かがあった時にまた使うかもしれないと考えれば、出来れば建物の中は汚したくない。
(もっとも、汚してもこの建物のことだから、勝手に掃除とかそういうのをしてくるかもしれないけど。……いや、それでも止めておいた方がいいよな。万が一があるし)
下手にここで妙な真似をして、それによってこの建物が損傷し、自動的に綺麗にする効果や、それ以外にも色々な効果が発揮されなくなったりしたら、取り返しがつかない。
特に後者は……清掃以外の効果は、あるのかどうかは分からないが、ここがゼパイル一門の隠れ家であり、レイの身体が安置されていた場所で、魔獣術を使う為の魔法陣があったと考えれば、それこそ何かあった時の為に様々な仕掛けがあってもおかしくはない。
それこそ、この建物そのものが一個のマジックアイテムであるかのように。
(そう考えると、出来ればこの隠れ家を持っていくことが出来たら色々と便利なんだよな。掃除の手間もいらいないし。……ただし、結界が他の奴にどう反応するのか分からないのがかなり面倒だけど)
例えば、この結界がレイとセト以外は誰であっても通さないような、そんな結界だったりした場合、どうなるか。
警備という意味では、これ以上ない程に優秀だろうが……それこそ、エレーナ達も家の中に招き入れることが出来なくなってしまう。
それ以外にも、家に用事がある者が入ってこられないというのは、家として大きな欠陥だろう。
何より、もし何かギルムでレイに何かあった時……何らかの理由でギルムから脱出しなければならない時、魔の森に存在するこの隠れ家は絶好の拠点となる。
魔の森にあるだけに、その辺の者はそう簡単に入ってくるといったような真似は出来ないだろう。
何しろ高ランクモンスターが大量に棲息しており、中にはあの黒蛇のような存在もいるのだから。
それこそ、下手に低ランクの冒険者が入ってきても、モンスター達の餌になるだけだ。
「グルルルゥ?」
考えているレイに、どうしたの? 昼食は? と喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、あの牛のモンスターの肉……牛肉を食べられるということで、期待しているのだろう。
レイにとっても、あの牛肉は美味かったのでそんなセトの気持ちは十分すぎる程に理解出来たが。
「そうだな、早く昼食を作ろうか。俺も腹が減ったし」
手に入れた牛肉は、非常に美味い分だけ下手に手を入れるよりも塩胡椒で簡単に味付けして焼いて食べるといった食べ方が一番だった。
いや、勿論料理技術が本当に高い者であれば、色々と手間暇を掛けて料理した方が美味くなるのは明らかだったが、レイのように料理が出来るとはいえ、その程度の技量でしかない者にしてみれば、シンプルに調理した方が美味く肉を食べられるのは間違いなかった。
(A5の和牛のような最高級の和牛は、そうやって塩胡椒で食べるのが美味い……って、何かの料理漫画でやってたのは事実だしな)
日本にいた時に見た料理漫画で、そんな話があった。
とはいえ、その時に話題となっていたのはロースのような脂身の多い部分に関してだったが。
ロースというのは、ロースト……焼くという言葉が語源だとも言われているだけあって、そういう肉は下手に手を加えるよりもシンプルにステーキにして食べるのが一番だと。そういう話だった筈だ。
それに比べて、レイがこれから食べようとしている牛肉は、もも肉。
普通なら煮込み料理とかに使われることが多い部位だ。
だが、モンスターの肉だからか、普通に焼いて食べても非常に美味い。
レイが日本にいた時も、地元で消費されるブランド牛があり、そのサーロインの部位を食べた事があったが、牛のモンスターのもも肉はそれに負けないだけの味なのだ。
常識的に考えてそんなことは有り得ないのだが、魔法が存在するエルジィンにおいて、それもモンスターの肉となれば、そんな常識が通用しなくてもおかしな話ではない。
「じゃあ、どうやって食べるかだな。やっぱり串焼きにするか? それとも、スープの具材として使うか?」
スープの具材にすると言うレイだったが、この場合は別にスープを最初から作る訳ではない。
ミスティリングの中には多種多様なスープが収納されている。
そのスープに牛肉を具材として追加するという意味だ。
勿論、レイも簡単なスープなら作れないことはない。
だが、どうせ本物の料理人が作ったスープがあるのなら、そちらを食べたいと思うのは当然だろう。
そうしてレイがミスティリングから取り出したのは、野菜をたっぷりと使ったスープだ。
肉の味が濃いもも肉だけに、出来れば肉のスープに更にもも肉を追加するといったような真似はしたくなかった。
そんな風に考えながら、レイはセトと共に隠れ家の外に出ると、野菜スープを取り出す。
野菜の甘みや食感を十分に活かしたスープという意味では、非常に美味い。
だが、レイやセトとしては、肉が中に入っていた方が食べ手応えがあると思えるのは当然だろう。
「グルルルゥ」
周囲に漂うスープの匂いに、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
先程まで魔法陣のある部屋で眠っていたが、空腹を感じていたのだろう。
もっとも、セトは空腹を感じるとはいえ、本来なら毎日食事をしなくても問題ない身体だったりするのだが。
「この肉は、焼いてから入れればいいのか、生のまま入れてスープで煮ればいいのか……どっちだと思う?」
「グルゥ?」
レイの言葉に首を傾げるセト。
セトにしてみれば、それはどっちでもいいという思いだったのだろう。
実際には焼くか煮るかで食感だったり、スープに溶け出す肉の味だったりが、色々と違うのだが。
首を傾げるセトを見て、取りあえず焼いてから肉を入れるかとレイは判断する。
手間を掛けないのなら、生のままスープに入れればいい。
だが、折角の極上の肉だ。
それを少し手間を掛けるだけで美味く食べられるのなら、そのようにしないという選択肢はレイにはなかった。
これが肉屋で普通に売ってるような肉であれば、そこまで手間を掛けるといったような真似はしなかっただろうが。
(手間を掛けるとは言っても、結局ただ焼くだけなんだけどな)
焚き火を用意すると、肉に串を刺して串の反対側を地面に突き刺す。
この時、重要なのは燃えている火からの距離だ。
近ければ表面だけが焼けて焦げてしまうだろうし、遠ければなかなか焼けずに肉汁が無駄に垂れ流されることになる。
その辺の事情を考えると、ちょうどいい位置に肉を刺す必要があった。
「こんなもんだろ」
レイはそのちょうどいい位置に肉を刺すと、肉が焼けるのを待つ。
味付けは下味として軽く塩を振ってるだけだが、それでも肉が焼けるにつれて、周囲には食欲を刺激する匂いが漂うのだった。