2531話
レイがゼパイルという名前を出したことが、黒蛇にとっては敵対や警戒する気もなくしたのだろう。
レイとしても、ランクAモンスターを二匹倒すことになっているのは分かっていたが、元々黒蛇は戦闘意欲そのものがなかった上に、ゼパイル一門を直接知っているといった様子を見せていたので、その時点で完全に攻撃する気を失っていた。
そんなレイは今……
「速いな」
黒蛇の背の上で、その移動速度に驚いていた。
レイの隣にはセトもいる。
いつもはレイを背中に乗せたり、場合によっては足に誰かをぶら下げたり、もしくはセト籠を掴んで移動するセトだ。
誰かを乗せたり持ち上げたりするのならともかく、自分が誰かに乗って移動するというのは、セトにとっても新鮮な感覚だったのだろう。興味深そうに周囲を見回している。
こうしてレイとセトが黒蛇の背に乗って移動しているのは、当然だがゼパイル一門の隠れ家に向かう為だ。
本来ならセトと一緒に向かうつもりだったのだが、黒蛇が自分に乗るように態度で示し、それにレイが乗った。
普通なら、初めて会ったモンスターをそんなに信じるといったような真似はしないのだが、今回の場合は最初から黒蛇は敵意を抱いていなかったし、何よりゼパイル一門のことを直接知っているというのが決め手となり、信じたのだ。
(というか、ゼパイル一門のことを直接知ってるってことは、もしかしてこの黒蛇ってゼパイル一門の誰かが魔獣術で生み出したモンスターとかだったりしないよな?)
魔獣術はゼパイル一門が開発した魔術だ。
それを考えると、開発したとはいえ、まだ完全に全てを解明したというのは少し難しいだろう。
であれば、もしかしたら……そうレイが疑問に思うのも当然だった。
とはいえ、魔獣術というのは使用者によって生まれるモンスターは大きく変わってくる。
そうである以上、もしこの黒蛇がゼパイル一門によって生み出されたモンスターだとしても、それを知ったレイが何か得られる訳がない。
あるいは、これでもっと小さな……それこそイエロ程とまではいかないが、体長一mから二m程度の蛇であれば、もしかしたら魔の森でテイムしたという扱いにしてギルムに連れていくといったような真似も出来たかもしれないが、この黒蛇の大きさを考えれば、そんな真似は出来ない。
それこそ家……それも貴族の屋敷並の大きさを持つこの黒蛇をギルムに連れていくような真似をすれば、それこそギルムでは阿鼻叫喚といった騒動になるだろう。
ましてや、これだけの大きさの黒蛇を空腹にさせないようにするには、かなり難しい。
(ギガント・タートルがいるから、暫くは何とかなるかもしれないけど……そもそも、この黒蛇は魔の森でどうやって暮らしてるんだ? この巨体を維持する食料となれば、その辺のモンスターや動物だと絶対に足りないだろうけど)
そうして考えつつも、レイは周囲の様子を確認する。
黒蛇がゼパイル一門の隠れ家まで案内してくれるのなら、その辺はあまり気にすることはないのかもしれないが、それでも何かあった時に周囲の地形を理解しておいた方がいい為だ。
もっとも、魔の森から脱出する時はセトに乗って空を飛べばいいので、本当の意味でこの辺りの状況をしっかりと理解しなければならないといった訳ではない。
(とはいえ、空は空で大変そうだけどな)
黒蛇は何らかの能力を使っているのか、本来なら通れないだろうという木々の隙間も縫うように移動していく。
そんな風に移動しながら、森の上……木々の隙間から見える空に視線を向けるレイだったが、そんなレイの視線の先では鳥やワイバーン、ハーピー、虫……それ以外にも色々と空を飛んでいるモンスターの姿を確認出来る。
空を移動するということは、当然ながらあのような空を飛ぶモンスターを相手にする必要があり、そうなれば非常に面倒なことになるのは間違いないだろう。
何よりも空で戦うといったことになった場合、当然ながら倒した相手は地上に落下する。
それも魔の森の中へだ。
とてもではないが、その死体を見つけて回収するといったような真似は出来ないだろう。
であれば、苦労だけがあって見返りはなにもないことになる。
(というか、俺とセトが最初に魔の森から脱出した時って空にあんなにモンスターがいたか? いや、そんなにいなかったような気がする。そうなると……あの時は偶然だったのか、それとも意外と魔獣術の影響で空を飛んでいるモンスターは避難していたとか?)
そんな風に考えていると、不意に黒蛇が動きを止める。
こちらもまたスキルか何かを使ったのか、レイもセトも揺れを感じるといったようなことはなかった。
それがまた、誰かが黒蛇の上に乗るのを前提としているスキルのように思え、魔獣術で生み出された存在なのではないかと、そう考えてしまう。
ともあれ、黒蛇が止まったということは目的地に到着したからだろう。
そう思って黒蛇の前を見ると、そこには予想通りの建物があった。
そして建物と黒蛇の間、というか黒蛇のすぐ前には、建物を守る為の結界が展開しているのが分かる。
「懐かしいな」
そんな建物……ゼパイル一門の隠れ家を目にして、レイは自分でも気が付かないうちに、そんな言葉を呟く。
自分がここから旅立ってから、一体何年くらいがすぎたのか。
そう思いつつも、隠れ家を見た瞬間に自分の生まれ故郷に帰ってきた、といったような思いが胸に浮かぶ。
「グルゥ」
レイの言葉に、セトが同意するように鳴き声を上げる。
レイにとって、ここがある意味で生まれ故郷であるのは間違いない。
しかし、それでも本当の意味でレイにとっての生まれ故郷となれば、それは日本だ。
だが、セトは違う。
本当の意味で、ここはセトにとっての生まれ故郷なのだ。
だからこそ、セトはレイよりもこの隠れ家に戻ってきたことが懐かしく感じるのだろう。
「俺達は隠れ家に入るけど、お前はどうする?」
そうレイが黒蛇に尋ねたのは、もし黒蛇がゼパイル一門の誰かが魔獣術で生み出したモンスターなら、他のモンスターと違ってこの結界を越えることが出来る筈だからだ。
「シャー」
黒蛇は、レイの言葉にそう短く鳴き声を上げる。
セトと違ってその言葉の意味を完全には理解出来なかったレイだったが、それでも黒蛇は自分が結界の中に入らないという意思表示をしているのだけは分かった。
もっとも、それが入らないのか、それとも入れないなのかまでは分からなかったが。
ともあれ、黒蛇はレイとセトに向かって短く鳴くと、そのまま去っていく。
巨体と呼んでもまた足りない程の、そんな相手が移動する光景に圧倒されながら、レイは黒蛇を見送る。
「セト、ちなみにあの黒蛇が実はお前の仲間だった……魔獣術で生み出された存在なのかどうかというのは、分からなかったか?」
「グルゥ?」
レイの言葉に、セトは首を傾げる。
そんな様子から、恐らくは分からなかったのだろうと納得したレイは、取りあえず黒蛇のことよりも、今は隠れ家だと半ば無理矢理意識を切り替えた。
そうでもしなければ、ずっと黒蛇のことを考えてしまいそうだったからだろう。
セトと一緒に結界の前まで移動し……そして、一歩を踏み出す。
一瞬だけ結界に入れず跳ね返されるといったような予想をしてしまったが、実際には特に何の問題もなく結界の中に入ることが出来た。
「ふぅ。……こうしてみると、やっぱり外とは違うな」
結界の中だからか、魔の森で感じた圧倒的なまでの自然の感触は感じない。
魔の森に入ってからの連続した戦いや、その後の黒蛇との遭遇を考えれば、まさに感じていた緊張や興奮が結界の中に入ると消えていく。
気が休まるという感覚を楽しみながら、レイはセトと共に視線の先に存在する建物に向かって歩き出す。
そんなレイの隣では、こちらもまたセトがどこかリラックスした様子で結界の内部を眺めていた。
今の状況は、セトにとっても十分にリラックスした状況なのだろう。
「グルルルルルゥ、グルルルゥ、グルゥ」
嬉しそうに喉を鳴らしつつ、セトが歩く。
レイはそんなセトの姿を楽しそうに眺めつつも、建物を眺めていた。
結界に覆われている以上、この建物が何者かに侵入されるといったようなことはまずないだろう。
つまり、恐らくは自分達が数年前にここを出てから、誰もやって来ていないということを意味している。
それを嬉しく……そしてどこか物寂しく思いつつ、レイは建物の前に到着して、扉に手を伸ばす。
「うん、まぁ……そうだよな」
レイがこの世界に転生……もしくは憑依した時もそうだったが、この建物は誰も使っていないにも関わらず、廊下に埃が積もったりといったようなことはなかった。
レイが今の身体で目覚めた時も、最初この建物が建築されてから相当に時間が経っているというのは、信じられなかった。
ましてや、誰も掃除をしていなかったということもまた、同様に。
「この技術をどうにかして形にしたら、もの凄く売れると思う」
「グルゥ?」
この建物は、ゼパイル一門の隠れ家だからだろう。
扉や廊下も相当に広く作られており、ギルムでは建物の中に入る時は外で待つことも多いセトだったが、普通に中に入ることが出来た。
とはいえ、セトも生まれた時と比べるとかなり大きくなっている。
今はまだいいが、このまま大きくなり続けたりしようものなら、いずれこの隠れ家の中にも入ることが出来なくなってしまうだろう。
(けど、ゼパイル一門の面々の連れていたモンスターも、時間が経つに連れて大きくなっていった筈だけどな)
そう考えるレイが思い浮かべたのは、自分をここまで運んでくれた黒蛇だ。
結局あの黒蛇がどのような存在なのかは、未だにレイにも分からない。
ゼパイル一門のことを知ってるようだったり、レイの言葉をしっかりと理解出来ていたことから考えると、やはりゼパイル一門の誰かに魔獣術で生み出されたモンスターではないのかと、そんな風に思ってしまうのだが。
「まぁ、今はそれより、この拠点を使えるようにする……いや、掃除とかもいらないし、特にやるべきことはないのか。そうなると、後は俺が目を覚ました部屋を確認してみた方がいいな」
こうして見た限りでは、特に何か変わった様子はない。
とはいえ、レイがこの隠れ家にいたのは数年前……それも本当に短い時間だけなので、何か多少変わったところがあっても。それに気が付けという方が無理かもしれないが。
勿論、何か見て分かるくらいにおかしなものがあったりすれば、レイもそれに気が付いたりするだろう。
しかし、幸か不幸か隠れ家の中は特に目立って変わったような場所はない。
だからこそ、レイは特に気にした様子もなく自分が目を覚ました場所……ベッドのあった部屋に向かう。
「グルルゥ!」
と、そんな中で、レイに向かって鳴き声を上げるセト。
どうした? といった視線を向けたレイが見たのは、分かれ道でレイが行こうとしているのとは別の方向に向かおうとしているセトの姿だった。
「そっちは……ああ、セトが生まれた場所か」
魔獣術の魔法陣があった場所。
まさにそこは、セトが生まれた場所と表現するのが相応しい場所だろう。
セトが自分の生まれた場所に何らかの思い入れがあるのかどうかまでは、レイにも分からない。
しかし、何だかんだと今日は魔の森に入って疲れたのは間違いないのだから、少しくらいゆっくりしてもいいだろうという思いがあるのも事実だ。
「分かった、俺は取りあえずこっちの部屋に行くから、後でそっちにも顔を出すよ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
最後にそんなセトの頭を一撫でしてから、レイは自分の目覚めた場所……寝室に向かう。
「そう言えば、こういう場所だったよな。この世界に来た時は、色々と驚いたり混乱したりしたけど。ゼパイルから貰ったのは、詳細って訳じゃない大雑把な知識と、マジックアイテムだけだったし。……まぁ、ミスティリングとかもの凄く役に立ってるからいいけど」
そう呟きながら進むと、やがて部屋が……それこそ、今の自分が生まれた部屋が見えてくる。
部屋の中は、廊下と変わらず埃の類が積もったりはしていない。
普通なら、誰かが使っていない建物であっても数年も時間が経てば、間違いなく埃が積もっている筈だった。
それがないというのは、ゼパイル一門が作った隠れ家だけに、そのような性能を持っているのだろう。
そんなことを考えながら、レイはベッドの上に倒れ込む。
そうして、この世界に来た時のことを考えていると、戦闘続きだった事もあってか、そのまま眠ってしまうのだった。