2530話
いきなり吹き飛ばされたレイだったが、幸いにも空中で身を捻ることで木の幹に身体をぶつけるといったようなことはしなくてすんだ。
広場の端にある木の幹を蹴ってから地面に着地し、握っていたデスサイズと黄昏の槍を構える。
そうして身体の調子を確認しつつ、受けたのは軽い打撲だけで骨折や斬り傷といったものがないのを確認しつつ、自分を攻撃した相手を確認する。
……いや、確認するまでもなく、その存在はそこにいた。
巨大な……そう、巨大な蛇。
巨大という一言で表してもいいのかどうか、分からない。
そのくらい巨大な蛇だった。
まず、胴の太さは直径で三m程もあるだろう。
つまり、セトの体長とほぼ同じくらいの長さだ。
当然それだけ胴が太いのであれば、体長も長い。
広場になっているので、太陽の光を遮る木陰はない。
光に煌めく蛇の黒い鱗は、いっそ艶めかしいという表現が相応しい程に濡れるように光っている。
(どこから? あんな巨体を見逃す筈が……光学迷彩? いや、光学迷彩であっても、これだけの威圧感を発する存在を全く感知出来ないなんてことは有り得ない筈だ)
光学迷彩というのは、あくまでも自分の姿を透明にして消すだけだ。
気配の類を察知出来るのであれば、消えた相手がそこにいるといったようなことは理解出来る。
そしてレイとセトは当然ながらそのレベルにまで実力は達していた。
今、黒の巨大な蛇が発する気配は、例え光学迷彩を発していても察知出来ないということは全くない筈だった。
(というか、俺に攻撃してきたのはいいけど、追撃をしなかったのは何でだ?)
レイの視線の先に存在する巨大な黒蛇は、明らかに高ランクモンスターだ。
それこそ、今回の昇格試験でレイが倒すべきランクAモンスターだと、見ただけで分かる迫力を持っていた。
あるいは、ランクA以上……ランクSモンスターであってもおかしくはないのではないかと、そう思える程の圧倒的な気配を放っている。
そんな巨大な蛇は、何故か現在とぐろを巻いたままの姿でじっとレイを見てるだけで、攻撃をしてくる様子はない。
「グルゥ」
蛇から目を離せなかったレイの隣に、セトがやってくる。
吹き飛ばされたレイを追ってきたのだろう。
その視線には、レイを心配するような色があったが、レイが何も問題ないと知ると、その視線は大好きなレイに危害を加えた巨大な黒蛇に向けられる。
大きさという点では、圧倒的にセトの方が小さい。
普段、街中では三mの巨体で建物の中に入ることすら難しいセトだったが、黒蛇と比べれば圧倒的に小さかった。
「ふぅ……さて、魔の森だからってことで予想していたが、それでもいきなりこんな高ランクモンスターに遭遇するとはな」
魔の森に入ってから短時間で、様々なモンスターに襲撃されてきた。
しかし、それでも今まではトンボを除けばどれもレイなら楽に倒せる程度の敵でしかなかったのだが、この黒蛇は明らかに今まで遭遇してきたモンスターとは違う。
「……何で攻撃してこないんだ?」
睨み合うこと、数分。
それだけの時間が経っても、とぐろを巻いている状態から全く攻撃してくる様子がない黒蛇に疑問を抱き、呟く。
レイの隣では、セトもまた先程までの鋭い視線は消え、疑問の視線を黒蛇に向けていた。
「シャアアアアア」
と、不意に黒蛇がそんな鳴き声を発する。
いきなりの行動だったので、てっきり襲撃の為の鳴き声かとも思ったレイだったが、こうして見た限りでは、特にそんな様子はない。
それどころか、まるでレイに何かを言い聞かせるかのように、じっと蛇特有の瞳でレイを見ていた。
(知性がある?)
その蛇の目に、間違いなく知性が……それも非常に高い知性が宿っているのが、レイにも理解出来た。
そのことに気が付けば、先程自分が吹き飛ばされた時のことについても疑問を抱く。
レイは思い切り吹き飛ばされたし、軽い打撲でダメージを負った。
しかし、考えてみれば目の前のような高ランクモンスターが、どのような手段かは分からないがレイに向かって不意打ちを行ったのだ。
そうである以上、本来なら軽い打撲どころか重傷を負っていてもおかしくなかったのではないか。
改めてそのような疑問を抱くと、何故そのようなことになっている? と納得出来ない。
(一撃で致命的なダメージを与えようとしたけど、ドラゴンローブの効果でそんな真似が出来なかった? いや、けどそれでも俺を吹き飛ばした状態から追撃をすれば、こっちに大きなダメージを与えられた筈だ。つまり……この黒蛇は、俺と敵対するつもりはない?)
これがもっとランクの低いモンスターであれば、レイを見つけた時点で攻撃を仕掛けてきたりといったような真似をしただろう。
しかし、現在レイの視線の先にいる黒蛇は間違いなく高い知性を持っている。
そんな知性を持つモンスターが、レイとセト……黒蛇なら一呑みに出来るだけの相手を前にしても、攻撃をしてこないというのは、明らかにおかしい。
(敵じゃないと思われている? いや、それは有り得ない筈だ。俺はともかく、セトはこの黒蛇と同等か、あるいはそれ以上のランクだ。まぁ、この黒蛇がモンスターにランクがあるというのを認識しているとは思えないけど)
それでも、レイやセトが強いというのは、間違いなく理解出来る筈だった。
であれば、黒蛇が攻撃を仕掛けてこない理由というのもレイには何となく予想出来る。
(つまり、下手に俺やセトと戦闘状態になったら、自分も大きなダメージを受ける。それを避けたいからこそ、俺とセトに攻撃をしてこないとか? ……もしくは、実はこの高い知性を持っている黒蛇は平和主義者だからとか。……有り得ないか)
自分の中に思い浮かんだ考えを即座に否定すると、レイはこれからどうするべきなのかを考える。
この黒蛇がランクA……場合によってはランクSモンスターであるのは間違いない。
どのみち魔の森では最低二匹はランクAモンスターを倒さなければならない以上、二泊三日の初日にこのような黒蛇に遭遇したのは運がいいのだろう。
だが、逆にこれだけの強さを持ったモンスターに遭遇したという意味では、運が悪いのだろうが。
ともあれ、今のレイにとって問題なのは目の前の相手にどう対処したらいいのかということだった。
(戦う? まぁ、戦って勝てないとは思わない。思わないけど、それでも無傷で勝つのは難しそうなのが問題だよな)
レイにしてみれば、視線の先に存在する黒蛇は、強敵以外のなにものでもない。
だが同時に、レイが倒すべき相手はランクAモンスター……それも最低二匹だ。
そうである以上、せっかく遭遇したこの黒蛇と戦わずに逃げてもいいのかと、そんな思いもあった。
そんな状況ですぐに戦うと断言出来なかったのは、やはり黒蛇の目には高い知性があり、相手が自分との戦いを望んでいないと理解出来てしまったからだろう。
これで黒蛇が問答無用で攻撃をしてきたのなら、レイもそれに反撃する形で戦闘が行われただろう。
だが、向こうは戦闘を望んでいない。
最初こそいきなり吹き飛ばされたレイだったが、それだって向こうが本気で攻撃をしたのなら、もっと大きなダメージを負っていただろう。
つまり、それは黒蛇が最初からレイに向かって本気で攻撃をするつもりはなかったということを意味している。
(どうする? ここで戦闘をするか、しないか……いや、これはしない方がいいか)
戦闘をしないとレイが決めたのは、やはり黒蛇が自分から攻撃を仕掛けてこなかったからというのが最大の理由だ。
向こうが何を考えてそのような反応をしたのかは、レイにも分からない。
しかし、戦えばレイやセトといい勝負をするだろう向こうが、自分達に攻撃をしてこない状況でレイ達が攻撃するのは、どこかが違うと思った為だ。
「俺達は行く。このままお互い攻撃しないで別れるということでいいな?」
自分の言葉を向こうが理解出来るかどうかというのを、レイは気にしなかった。
黒蛇の目に存在する知性の光は、間違いなく自分の言葉の意図を理解すると、そう判断していたからだ。
そして事実、レイの言葉を理解したのだろう黒蛇は、微かにだが頷いて見せる。
(セトもそうだけど、高ランクモンスターって頭がいいよな。勿論、高ランクモンスターだからって全てのモンスターが完璧に頭がいいとは限らないけど)
知性も何も関係なく、純粋に高い戦闘力を持ち、その危険性で高ランクモンスターとなった物がいても、レイは驚かない。
いや、寧ろ知性を持つモンスターの方が、全体的に少ないという方が自然に納得出来ただろう。
レイの場合は偶然、セトやこの黒蛇を知っているというだけで。
そもそもの話、セトではない普通のグリフォンは高い知性を持っている高ランクモンスターだと言われているが、それでもセトのように人の話を理解出来るかどうかまでは微妙なところだろう。
(まぁ、今回倒す必要があるランクAモンスターはともかく、ランクSモンスターともなれば高い知性を持っているのが前提になっていてもおかしくないような気はするけど)
そう考えるレイだったが、それはあくまでもレイの想像でしかない。
とはいえ、そう考えたレイ本人は自分の予想がそう間違っているとも思っていなかったが。
「グルルゥ?」
レイの側で待機していたセトが、本当にいいの? と喉を鳴らす。
セトにしてみれば、向こうはレイを攻撃してきた相手だ。
その上で、レイがランクAモンスターを二匹以上倒さなければならないという事情を知っている以上、ここで黒蛇と戦った方がいいのではないかと、そう思ってレイにいいの? と尋ねたのだろう。
そんなセトの様子に何かを感じたのか、黒蛇はとぐろを巻いた状態から微かに頭部を動かす。
(出来れば俺達とは戦いたくない。けど、戦いを挑んでくるのならそれを避けるといった真似はしないといったところか?)
黒蛇の様子から、全てを理解した訳ではない。
だが、それでも黒蛇の様子から、何となくその思うところを感じるといったような真似は出来た。
「行くぞ、セト。まずは拠点にする隠れ家に到着する必要が……おう?」
レイが最後まで言葉を言えなかったのは、一瞬前までとぐろを巻いてレイ達を見ていた黒蛇が、不意に動き出した為だ。
それこそ、もしかして攻撃をしてくるのではないかと、そんな風に思いもしたのだが、黒蛇の動き方はレイに対する敵意を抱いたものではないことは十分に分かった。
(何だ? 何でいきなりこんな反応をした? 何かあったか?)
黒蛇が反応した時のことを思い出し……自分が喋った内容の中で、気になる単語が一つだけあった。
「隠れ家」
そう言った瞬間、再び黒蛇はピクリと動く。
もう間違いはなかった。
確実に、黒蛇はレイが口にした隠れ家という単語に反応している。
(何だ? 何で隠れ家という単語に反応する?)
単語……いや、正確にはレイの言葉を理解していることそのものには、特に驚くようなことはない。
それこそ、この黒蛇の目にある知性の光を考えれば、人の言葉くらいは普通に理解出来ると思えた為だ。
「隠れ家」
念の為に、もう一度その単語を口にしてるみるが、やはり黒蛇は反応する。
こうして何度も続けば、それはもう間違いない。
つまり、この黒蛇はレイが口にしたゼパイル一門の隠れ家を知っているということになる。
黒蛇の方も、隠れ家という単語を口にしたレイをじっと見つめる。
その視線には、先程までの高い知性は勿論、どこか期待するような色があるようにレイには思えた。
そんな黒蛇の様子を考えれば、もしかして……と思うところがある。
「お前、もしかしてゼパイル一門の隠れ家を知ってるのか?」
「シャー」
短く、しかし確実にレイに向かって返事をする黒蛇。
明らかにレイの言葉にその通りだと言ったように思えた。
そんな黒蛇に対し、もしかしたら……と、そんな思いから尋ねてみる。
「隠れ家どころか、ゼパイル一門を知ってるとか?」
「シャー」
再びレイの言葉に返事をする黒蛇。
しかしそれは、レイにとって驚くべきことではあった。
ゼパイル一門が実際に生きてきたのは、遙か昔……場合によっては、古代と表現する者がいてもおかしくない程に昔の話だ。
ゼパイルはこの隠れ家にレイが現在使っている身体を用意し、それからどれくらい経ってからかは分からないが、魔獣術の継承者となる人物を探す為にレイが見た光球となって世界の狭間、死と生の狭間とでも呼ぶべき場所で待っていた。
つまり、この黒蛇がゼパイル一門を知っているとなると、それだけ長い時を生きてきた……ということになるのだ。
(ランクAどころか、文句なくランクSモンスターだった、か)
視線の先の黒蛇を見て、レイはしみじみとそう思うのだった。