2524話
牛のモンスターを倒した日の夜、レイ達は魔の森までもう少しという場所で野営をすることになる。
もしレイがもう少し急いで移動していれば、それこそ夕方になるかどうかといった時間に魔の森に到着しただろう。
だが、レイはザカットに言った通り明日の朝から魔の森に入り、そこから二泊三日の昇格試験を受けるということを選択した。
その結果として、今日の午後の移動はゆっくりとしたものになり、魔の森までもう少しという場所で野営をすることになったのだ。
「この肉、美味いな」
しみじみと、ザカットは串焼きを食べて言う。
その串焼きは、いつものようにレイがミスティリングから取り出した料理……ではなく、今日レイが倒した牛のモンスターのもも肉だ。
それを串で刺して焼いた後で塩を振っただけという、非常に簡単な料理。
それこそレイですら出来る料理だし、本当にもっと料理の上手い者……例えばマリーナなら、より美味い料理を作れるだろう。
だが、いない以上はレイが料理を作るしかない。
ザカットにも一応料理が出来るかどうか聞いてみたが、いつもは仲間に任せているのでレイと同じくらいか劣るくらいだった。
だからこそレイが素人料理として串焼き、それもソースの類ではなく塩で味付けをしただけという、非常に簡単な料理を作ったのだが、その串焼きは実際にザカットが感想を口にしたように美味かった。
レイが料理をしたので、肉の焼き具合も決して優れていた訳でない。
火の加減でところどころ焦げていたりするし、生のところがないのはせめてもの救いか。
そんな串焼きではあったが、肉は舌に吸い付くようなという表現が相応しい、珍しい食感だった。
もも肉である以上、そこまで脂の類はないのだが、それでもしっとりとしており、噛めば肉本来の旨みが口一杯に広がる。
「ああ、美味い。やっぱりこれだけでも肉を切りとっておいてよかったな」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、同じく肉を食べていたセトが嬉しそうに鳴き声を上げる。
夜の闇に響くセトの鳴き声は、普通のモンスターであれば声を聞いた瞬間に逃げ出したとしてもおかしくはないだろう。
もっとも、ここは魔の森の近くである以上、セトの鳴き声を聞いても怯えて逃げ出すといったモンスターばかりではなく、寧ろ獲物がいたと判断して襲ってくるモンスターがいる可能性もあったが。
なお、肉を食べて嬉しそうにしている二人と一匹とは違い、ザカットが乗ってきた馬はザカットの用意した干し草や水で夕食を楽しんでいた。
水はともかく、干し草はかなり特殊な草を干して作ったものらしく、馬にとってみればご馳走なのだろう。
昨夜もそうだったが、その干し草に馬が不満そうな様子を見せることはない。
「俺も高ランクモンスターの肉を食べる機会はそれなりにあるけど、この肉くらいに美味い肉ってのは滅多にないな」
ザカットが嬉しそうに……そして串焼きの数が残り少ないことに残念そうにしながら、そう呟く。
ランクA冒険者である以上、ザカットが言ってるように高ランクモンスターと戦う機会はそれなりにあるのだろう。
だが、そんなザカットにしても、この肉は想像以上の味だった。
「オークの肉は、そのランクよりも美味いよな? この牛もそんな感じでランクよりも美味いんじゃないか? 俺はこのモンスターを知らないから、どのランクのモンスターなのかは分からないけど」
多分、ランクBくらいではないかというのが、レイの予想だった。
ランクAモンスターとして考えれば、かなり弱い。
だが、それでもレイの飛斬でもろくにダメージを与えることが出来なかったのだから、それなりに高ランクモンスターなのは間違いなかった。
そんな予想から、恐らくランクBモンスターなのだろうというのは、レイにも容易に予想出来る。
「こういう当たりのモンスターと遭遇するのは、レイの運がいいんだろうな。もっとも、その辺の冒険者がこのモンスターと遭遇した場合、何も出来ずに殺されてしまう可能性が高いのを考えると、レイだからこそなんだろうが」
「それは褒められてるのかどうか、微妙なところだな。……まぁ、この牛のモンスターの肉を入手出来たのは嬉しいし、それについて不満はないけど」
実際、レイがこの牛のモンスターと戦った際に多少苦労はしたものの、それでも多少程度でしかない。
その程度の苦労でこのような美味い肉を入手出来たのだから、これは喜ぶべきことだろう。
少なくても、レイにとってその件に不満はなかった。
無理に不満を考えるとすれば、出来ればもっと大量に出て来て欲しかったといったところか。
「魔の森なら、レイが戦いたがっているような、こういうモンスターは幾らでもいると思うけどな。とはいえ、魔の森のモンスターは強敵揃いだ。気をつけないといけないだろう」
「だといいんだけどな。ちなみに、ザカットが以前魔の森に入った時のことを聞くのは、昇格試験のルール的に問題ないのか?」
「情報収集も昇格試験の一部と考えてもいいだろうから、問題はない。とはいえ、あまり教えられるようなことはないけどな」
「そうなのか? ザカットなら、魔の森でもそれなりにどうにか出来そうだけど」
レイがこの世界で目覚めた時、セトと共に魔の森から脱出する時は、簡単……といったようなことはなかったが、それでもそれなりに余裕を持って行動することが出来た。
であれば、ランクA冒険者のザカットなら、それなりに余裕があったのではないか。
そう思っての言葉だったが、ザカットはレイに対して首を横に振る。
「いや、俺達はパーティで魔の森に入ったんだ。結果として、そこまで長い時間いることは出来なかった」
「あー……なるほど」
パーティで魔の森に入った。
その言葉だけで、レイには何故長い時間ザカット達が魔の森にいられなかったのかを理解する。
ザカットの仲間がどのような強さを持っているのかは、レイには分からない。
だが、ザカットの様子からすれば、強さという点では間違いなくザカットに及ばないだろう。
(つまり、ランクB……いや、もしかしたらランクCくらいの実力なのか?)
勿論、パーティを組んでいる以上、全員が戦闘を得意としている必要はない。
実際。レイが組んでいる紅蓮の翼でも、レイ、マリーナ、ヴィヘラに比べると、ビューネは一歩……いや、五歩も六歩も劣るような強さしか持っていない。
だが、その代わりビューネは盗賊としての実力は相応に高い。
また、ヴィヘラと訓練を重ねているおかげで、盗賊という括りで見た場合、ビューネはかなりの強さを持つのだが。
ビューネのように、パーティには当然ように役割がある。
ただし、紅蓮の翼の場合は純粋に攻撃役のヴィヘラと、盗賊のビューネ以外にレイとマリーナがいる。
レイはマジックアイテムやスキル、魔法を使って遠距離、中距離、近距離の全てに対応出来る万能性を持っているし、マリーナは弓で遠距離からの攻撃が出来るのと同時に、桁外れに強力な精霊魔法の使い手で、攻撃、補助、回復とどのようなことにでも対応出来る。
それだけではなく、紅蓮の翼にはそのパーティ名の名前の由来となった翼……セトもいるのだ。
空を飛ぶことが出来て、様々なスキルを使いこなすセトは、まさにジョーカー的な存在だろう。
そういう意味で、紅蓮の翼はパーティであると同時に個々の実力も非常に高い。
そのようなパーティであれば、もし魔の森で行動するようなことになっても、すぐに撤退するといったようなことにはならないだろう。
ましてや、そこにパーティメンバーではないにしろ、仲間と言っても過言ではないエレーナ、アーラ、イエロといった面々が加われば、戦力はより強化される。
「パーティか。俺のところもそうだけど、色々とあるみたいだな。ザカットのところは、パーティメンバーの入れ替えってどのくらいあるんだ?」
紅蓮の翼の場合は、パーティメンバーの入れ替えは現在のところ緊急にといった予定はない。
ただし、他の面々はともかくビューネはいずれエグジルに戻らなければいけないだろう。
そうなれば、レイ達がエグジルに活動拠点を移さない限り、ビューネは紅蓮の翼を抜けることなるのは間違いないだろう。
そうなった時、どうするか。
ビューネがいなくなり、三人のパーティを維持するのか、それとも誰か新しいメンバーを入れるのか。
その辺は、レイもまだどうするか決めていない。
レイが所属する紅蓮の翼は、色々な意味で特殊なパーティだ。
それこそ、マリーナやヴィヘラといった美女が揃っており、エレーナとも接する機会が多いとなれば、迂闊に男をパーティメンバーに入れることは出来ないだろう。
また、腕利きが非常に多いというのも、この場合は関係してくる。
(やっぱり、ビューネがいなくなったら新しいメンバーを入れるんじゃなくて、三人で活動した方がいいのかもな)
そんな風に考えながら、レイはザカットとの会話を続ける。
「そうだな。ある程度固まるまでは、それなりに出入りはあった。ただ、そうして固まってからは出入りそのものはそこまで多くはないな」
ザカットの説明に、レイは納得したように頷く。
実際にパーティを組むまで、その人物と自分が合うかどうかというのは分からない。
人間的に問題はなくても、実力が合わない者……もしくは、その反対。
あるいは、人間的に問題があり、実力的にも問題があるという例もあるだろう。
何よりも厄介なのは、実力的に問題がなくても何故か他の仲間と合わない何かがあるという場合もある。
そのような者は、それこそ少しでも一緒に行動してみなければ、自分達のパーティに相応しいかどうかは分からない。
そういう意味では、紅蓮の翼の場合はお互いが十分に顔見知りだったし、実力的にも上手い具合に問題がなかったので、その辺の心配はいらなかった。
しかし、急にパーティに入ってきた相手に対しては、そのような真似が出来るとは限らない。
そういう意味で、レイが紅蓮の翼を結成した時は幸運だったのだろう。
「そうなると、俺のパーティも少し考える必要があるか」
「は? 何でだ? レイのパーティって紅蓮の翼だろ? 実力者揃いで、特に新しく仲間を入れたりとか、考える必要はないだろ?」
「そうでもない。盗賊のビューネって知ってるか?」
「ああ、あの……」
どうやらビューネの存在はザカットにも知られていたらしい。
それに少しだけ驚くも、ビューネは色々な意味で特殊である以上、ギルムでも目立ってしまうのだろう。
ましてや、ヴィヘラのような希に見る美女と一緒に行動しており、ビューネの言いたいことを本当の意味で細かいところまで分かるのは、ヴィヘラだけだ。
……また、ビューネも顔立ちは整っており、将来的に美人になるのは間違いないと思われている辺りも、有名になっている理由なのだろう。
特殊な趣味の持ち主も世の中には多いので、そういう者達からもビューネの人気は高かったりするのだが。
「そのビューネが、近いうち……それでも数年くらい先だろうけど、いずれパーティを抜けることになってるんだよ。これが純粋な前衛なら、それなりに対応出来るけど……盗賊だしな」
「ああ、なるほど」
ザカットは、レイの言葉に納得の表情を浮かべる。
盗賊というのは、冒険者をやる上で必須……とまではいかないが、いればかなり便利な存在なのは間違いない。
特に偵察や罠の設置や解除、鍵開けといったようなことが出来るのは大きい。
しかし、冒険者の中で人気があるかどうかとなると、また話は変わってくる。
盗賊は魔法使いとはまた別の意味でそんなに数は多くはない。
いや、技量を問わなければそれなりに多いのだが、レイが欲しているのは盗賊としての技量が高く、相応の戦闘力も持っているような盗賊だ。
……実際には、ビューネがそこまでの実力を身につけたのはレイ達と一緒に行動するようになってからの話なので、新しい盗賊がどうしてもいないようなら育てるといった選択肢があるのは、レイも理解している。
しかし、出来れば即戦力の盗賊が欲しいというのが、レイの正直な思いだった。
(とはいえ、それが無理な以上は何とかするしかないのも事実なんだよな。もしくは、俺かヴィヘラかマリーナが盗賊の技術を覚えるか。もっとも、盗賊の技術といっても偵察とかは全く問題ないから、罠関係と鍵関係といったところか。そっちもどうにかなる……か?)
罠の察知は、一応レイの魔法に薄き焔といった魔法があるので、地面に仕掛けられている罠なら察知出来る。……解除出来るかは別だが。
あるいは、マリーナの精霊魔法で何とかして貰うといった手段もあるだろう。
鍵については、最悪開錠しなくても破壊するといった手段もある。
(あれ? 意外と何とかなる?)
そんな風に思いながら、レイは魔の森に入る前日の夜をすごすのだった。