2523話
どう、と。
レイとセトの攻撃によって絶命し、倒れた牛のモンスターは、セトよりも大きな巨体から地面を揺らしながら倒れ込む。
「ふぅ。……まさか飛斬が効かないとは思わなかったな。なぁ?」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトは同意するように喉を鳴らす。
セトもまた、自分の放った水球がまさか殆どダメージを与えることが出来なかったというのは、少し予想外だったのだろう。
もっとも、最初からダメージを与えるより相手のバランスを崩すといった目的で放った一撃だったので、役割は十分果たしたのだが。
「さて、取りあえずこのモンスターは……ザカット、ちょっといいか? ここで大雑把に解体していきたいんだけど、構わないか?」
戦いに他のモンスターが介入してこないように周囲を見張っていたザカットは、レイの言葉に乗っていた馬から落ちそうになる。
当然だろう。まさかここでモンスターを解体したいなどというとは、ザカットも思っていなかったのだから。
「本気か?」
取りあえず戦闘が終わったと判断し、乗っていた馬をレイ達の方に近づけながら、ザカットはそんな風に尋ねる。
勿論、レイは冗談でも何でもなく本気で言っている。
「ああ、勿論本気だ。これから魔の森に行くのを考えると、その時に倒したモンスターの解体をすることになるけど、その時の労力を少しでも減らしておきたい。それに魔の森での解体となれば、血の臭いに惹かれてモンスターがやって来る可能性も高いしな」
いつもなら、レイがモンスターの解体をする時はセトが周囲を警戒してくれる。
魔の森でモンスターの解体をする時も、当然ながらセトは同様に周囲の警戒をしてくれるだろう。
だが、魔の森である以上は、どんなモンスターがやってくるのか分からない。
それが分からない以上、ここは出来るだけ早くモンスターの解体をしておき、魔の森で解体する数は少なくしたいというのが、レイの正直なところだった。
……実際には、魔の森での昇格試験が終わった後でモンスターの解体をするのが一番安全なのだろうが、素材はともかく魔石は出来るだけ早く欲しい。
何しろ、魔の森やその付近で暮らしているモンスターの魔石だ。
ほぼ間違いなく、魔獣術によってスキルを習得するなり強化するなりといった真似が出来るだろう。
その辺の事情を考えれば、少しでも多くの魔石が欲しいと思うのは当然だろう。
とはいえ、それは魔石さえ剥ぎ取ることが出来ればいいということなので、実際にモンスターの解体をする際には魔石だけを奪って、それ以外はギルムに戻ってから解体といったことになるのだろうが。
しかし、今なら魔の森に入る前である以上、牛のモンスターの解体……それとついでに、牛のモンスターによって内臓を喰い荒らされてはいるが、虎のモンスターの死体の解体も今のうちにやっておきたい。
「いいだろ? まだ魔の森に到着する前なんだから」
「はぁ、俺の役目はレイを魔の森まで案内するだけなんだがな。早くしろよ」
レイの言葉にザカットは少しだけ迷いつつ、それでもレイの頼みを少し聞いてもいいかといったように呟く。
実は心の中ではレイも魔の森に一人で行くのは不安なのかもしれないという思いがあったのだが……その辺、見事に勘違いをしていると言ってもいい。
実際には、牛のモンスター……牛肉の味がかなり気になっているというのが一番大きかったのだから。
「悪いな。素早く終わらせるから。虎の方は……内臓が食われてるけど、素材としては使えるだろうから、こっちはミスティリングに収納しておくか」
ザカットと会話しながら、レイは虎のモンスターをミスティリングに収納する。
自分やセトが戦いに関わった訳ではない以上、死体に魔石が入っていても魔獣術には使えないので、かなり雑な扱いだ。
「さて、問題は……これをどうやって解体するかだな」
牛は、体長三mのセトよりも更に大きい。
これが他のモンスターならともかく、牛だというのが問題だった。
どうせなら、牛の死体だけに上手い具合に解体したいと、そう思ったのだ。
ただし、当然ながらレイは牛の解体はしたことがない。
鶏の解体は、父親が飼っていた鶏で経験したことがあったのだが。
(牛肉で一番貴重なのはヒレ肉だっけ? あれ? そう言えば漫画でシャトーブリアンとかいう部位があった気がするけど、あれは違うのか?)
料理漫画の知識を思い浮かべるレイだったが、そういう部位があるというのは何となく理解していても、実際にその部位がどこなのかと言われれば、答えられる筈もない。
実際には、シャトーブリアンというのもヒレ肉の一種なのだが、レイの認識ではヒレ肉とシャトーブリアンは別の部位となっていた。
そのままどうするべきか迷い……
「面倒だし、時間もないから適当にやるか。牛タンのある場所なら分かるんだけどな」
牛タンは、牛の舌だ。
レイにとっても、焼き肉で好む部位だった。
そうである以上、出来ればそこも食べたいとは思っていたが、今のこの状況で舌を切るのは難しそうなのも事実。
(あ、そもそも牛タンって皮を剥いたりとかしないと、結構不気味な外見だったか?)
日本にいた時に肉屋で買った牛タン……スライスしていないそれの処理をするというのを見たことがあった。
その時に見た光景は、かなりグロテスクなものだったと、そう思いながら、レイは取りあえず美味そうな部分だけを切断して残りは本職にやって貰おうと判断する。
外見は多少……本当に多少ではあるが、普通の牛と違っている。
角が普通の牛の角よりも鋭利だったり、獲物の肉を噛み千切るのに十分な牙があったりといったように。
だが、それでも大まかに見た場合は、やはり牛なのだ。
そうである以上、肉屋辺りに持ち込めば上手い具合に解体してくれるのではないか。
もしくは、いっそギルドで解体作業用の人員を募集するのもいい。
そんな風に思いながら、解体用のナイフを使って心臓のある辺りを斬り裂こうとし……
「駄目か」
ナイフの刃が牛のモンスターの皮膚を斬り裂くことが出来ないのを見て、残念そうに呟く。
レイの力で強引に皮膚を斬り裂こうとすれば、出来ないこともないだろう。
だが、そうなれば当然のようにナイフの刃が欠けたりする可能性があったし、欠けなくても研がないと使い物にならなくなる。
「となると、こっちだな」
ミスティリングから取り出しのは、ナイフ。
だが、今まで使っていたナイフとは違い、ミスリルで出来たマジックアイテムのミスリルナイフだ。
例え牛のモンスターの皮膚がどれだけ頑丈であっても、ミスリルナイフにレイの魔力を通せば、斬り裂くことは容易に出来る。
そうして斬り裂いたところで心臓を探す。
セトよりも巨体なだけあって、そう簡単に魔石を見つけることが出来ない。
それでも皮膚をより大きく斬り裂き、内臓が見えるようになったところで、ようやく太陽の光に心臓が照らし出された。
そして心臓に埋まっている魔石をミスリルナイフで取り出すと、今のうちにミスティリングに収納しておく。
「さて、後はどこか美味そうな肉を……問題なのは、どの部位がどの肉なのか分かりにくいんだよな。取りあえず分かりやすい肉ってことで、ここを切っておくか」
呟き、レイは太股の辺りをミスリルナイフで斬り裂く。
牛のもも肉というのは、スーパーで見た覚えがあったし、何よりも鶏のもも肉というのが強い印象に残っている。
そうである以上、この牛のモンスターのもも肉も多分美味いだろうと判断したのだ。
実際には牛のもも肉というのは赤身肉で、レイが想像しているような高級和牛といったような肉ではない。
ただし、脂身が少ないので牛本来の肉の味を楽しむことが出来るという特徴を持っている。
料理の上手いものであれば、その肉質を使って十分に美味い料理を作ることが出来るのだろうが、残念ながらレイのように素人同然といったような調理技術では、その肉の味を引き出すようなことは難しいだろう。
(取りあえず、串焼きにすれば何とかなるか?)
そんな風に考えつつ、これ以上の解体は自分の技術では下手に可食部位を傷付けるだけだと判断して、牛のモンスターの死体をミスティリングに収納する。
勿論、切り出したもも肉も同様にミスティリングに収納する。
「ザカット、待たせたな。終わったぞ」
「見ていたが、それでよかったのか? 解体するって言ってたけど、殆どそのままで解体していなかったように見えたが」
「本当は全部解体しようと思ったんだけどな。ただ、見た感じだとかなり美味そうな肉質だったから、どうせならもっと解体が上手い本職に任せようと思っただけだよ。そうすれば、肉を無駄にしなくてすむだろ?」
そう言われると、ザカットも身に覚えがあったのだろう。納得したように頷き……だが同時に、羨ましそうな視線をレイに向ける。
「アイテムボックス持ちは羨ましいよな。俺達にも、あの時アイテムボックスがあったらな」
しみじみと呟くザカットを見れば、レイも何となくその理由に納得出来た。
恐らく、まだ量産型のアイテムボックスを入手する前に今のレイと同じような状況になったのだろう。
どのようなモンスターなのかは分からないが、美味い肉を持つモンスターを倒しはしたものの、何らかの理由でその死体を持って帰るようなことは出来ず、結果として自分達で下手な――それでもレイよりは上手いのだろうが――解体をし、持ち帰れない肉を無駄にした、といったような。
取りあえずその件には触れない方がいいだろうと判断したレイは、そのままセトの背にのってから、話題を変えるようにザカットに声を掛ける。
「さて、じゃあ魔の森に向かうか。ここからなら、そう遠くはないんだろ?」
「え? ああ、そうだな。こういう、普通の場所には出て来ないモンスターがいるのを考えれば、その通りだ。ただし、ここは辺境だからな。もしかしたら、今のモンスターは魔の森とは関係がない可能性もあるが」
「出来れば、魔の森に同じモンスターがもう少し棲息してくれていればいいんだけどな」
レイにしてみれば、牛のモンスターの魔石はまだ一つしか入手していない。
そうである以上、魔獣術でスキルを入手したり強化するにしても、自分の分とセトの分の二つは欲しい。
また、何よりも牛のモンスターである以上、牛肉は多ければ多い程にいいのだ。
「レイならそう言うだろうな」
レイの言葉に何を狙ってのことなのかを理解したのか、ザカットはそう呟く。
これがもっとランクの低い冒険者であれば、あのような存在と遭遇するのは死ぬようなものだから絶対にごめんだと、そう泣き言を口にするだろうが。
しかし、ザカットはランクA冒険者で、高い実力を持つ。
それこそ、レイとセトが倒したように、牛のモンスターを相手にしても勝つことが出来るのは確実だろう。
そんなザカットだからこそ、レイの言葉に対しても今のように言えたのだ。
「だろ? とにかく、そんな訳で魔の森に急ぐとしよう。ちょっとここで時間を使ってしまったし。……ああ、いや。違うな。もう少しゆっくりしていった方がいいか」
「は?」
レイの口から出た言葉は、ザカットにとっても余程意外だったのだろう。
一体何を言ってるんだ? といった視線をレイに向ける。
だが、レイはそんなザカットに視線を向けられても、平然としたままで口を開く。
「結局のところ、俺が魔の森にいられるのは二泊三日だろ? なら、夕方とか夜近くになってから魔の森に入って二泊三日か、午前中から魔の森に入って二泊三日か……これだと、同じ二泊三日でも半日は滞在時間が違うだろ」
それは、レイにとっては当然のことではあった。
だが、ザカットにしてみれば、本気か? と……いや、正気か? と聞きたくなるような言葉。
普通に考えて、レイの言うように少しでも長く魔の森に留まりたいと思う者がいるかと考え……だが、同時にギルムにいる何人かのランクA冒険者の知り合いについて考えれば、そのような者がいてもおかしくはないと思えた。
ランクA冒険者としては珍しく普通の人間に近い認識を持っているだけに、ザカットにしてみれば信じられることではない。
ないのだが、それでも何人かはレイと同じような判断をするだろうという予想があった。
それを思えば、これからランクA冒険者になる為の昇格試験を受けるレイがそのような希望を口にしても、納得出来るものでしかない。
(やれやれ、本当にランクA冒険者らしいな)
俺とは違って。
そう考えるザカットだったが、そもそも魔の森にレイを案内するという選択をする時点で、ザカットもまた十分ランクA冒険者らしかったのだが。