2522話
夜、当然ながらレイとザカットは魔の森に到着することはなく、野営を行っていた。
元々、今日一日で魔の森に到着するとは思っていなかった以上、この野営は予定通りではあるのだが……
(やっぱり、セトに乗って空を飛んで移動した方がよかったんじゃないか? そうすれば、今日中に魔の森には到着していただろうし)
食事をしながら、レイはそんな風に思う。
「野営でこういう食事をすることが出来るのは、羨ましいな」
夕食のメニューは、夏野菜がたっぷり入ったスープに焼きたてのパン、それと肉や野菜を炒めた上から酸味のある餡を掛けた料理だ。
他にも串焼きが用意されている。
その多くが出来たての状態でミスティリングから取り出されたのを見れば、ザカットが羨ましがるのも当然だろう。
アイテムボックスの簡易版を持っているザカットだが、簡易版である以上は時間が流れないというミスティリングのような効果はない。
温かい料理を入れておいても、時間が経てば当然のように冷めてしまう。
それなら冷めても美味い料理を入れておけばいいのでは? とレイは思わないでもなかったし、実際にそのような真似をしてもいるのだろうが、それでもやはり料理というのは出来たてが一番美味いのは事実だ。
「アイテムボックスだけはな。それこそ、ダンジョンとかに潜れば入手出来る可能性もあると思うけど?」
「ダンジョンか……その辺にあるダンジョンじゃなくて、かなり深いダンジョンじゃなければアイテムボックスを手に入れるようなことは出来ないだろうな」
「それは否定しない」
ダンジョンからはマジックアイテムを入手することが出来るが、当然ながら容易に入手出来る訳ではない。
貴重なマジックアイテム、強力なマジックアイテムであればある程に、ダンジョンのより深い場所でなければ手に入れることは出来ないのだ。
「けど、ザカットはランクA冒険者なんだし、パーティも相応の実力者が揃ってるんだろ? なら、ダンジョンの探索も出来るんじゃないか?」
「出来るかどうかと言われれば、出来るだろうな。だが、今までダンジョンの探索は数回しかやったことはない。それも、浅いダンジョンだけだ。もし本格的にダンジョンを探索するとすれば、もっとしっかりと準備をする必要が出て来るだろう」
そう言うザカットは、本格的にダンジョンに潜るつもりはないと、そう態度で示していた。
(ダンジョンに潜ったからって、必ずマジックアイテムを入手出来る訳じゃないんだし、それも当然か)
ダンジョンの探索を専門とする冒険者達であっても、ダンジョンで容易にマジックアイテムを入手するといったようなことは出来ない。
それこそ、運が大きな意味を持つのだ。
何とかマジックアイテムを入手しても、そのマジックアイテムが欲しがっているマジックアイテムとも限らず……そういう意味では、非常に厳しい状況なのは間違いない。
もっとも狙ったアイテムを入手出来ないということは、狙っていた以上のマジックアイテムを入手することが出来るという可能性も否定は出来ないのだが。
その辺りの状況を考えると、実力以外のものが必要になるということを意味していた。
ザカットにしてみれば、そのような賭けに等しいダンジョンに挑戦するというのは、あまり気が進まないのだろう。
「ダンジョンの冒険者と普通の冒険者だと、微妙に求められる素質が違っていたりもするしな。そういう意味では、迂闊に挑戦しない方がいいのかもしれないけど」
「そうなる。ただ、レイはエグジルに行ったんだろう? その時はどうだったんだ? あそこのダンジョンは、それこそ普通に潜るだけだとかなり厳しいって話だが」
「まぁ、大変なのは間違いなかったな。階層の中には砂漠とか、そういうのもかなりあったし」
幸いにして、レイはドラゴンローブがあったので砂漠の暑さにやられるといったことはなかった。
だが、砂漠は当然のように歩きにくいし、太陽――勿論本物ではないのだが――は眩しい。
そうである以上、普通の冒険者なら砂漠を攻略するのは難しいだろう。
それこそ、砂漠に慣れていないものであればよけいに。
「砂漠……砂漠かぁ。それはちょっと嫌だよな。夜は寒いし、昼は暑いし」
「あれ? 砂漠に行ったことがあるのか?」
今の説明は、砂漠を知っている者でなければ出て来ないものだろう。
そう判断したレイは、ザカットに驚きの視線を向ける。
「ああ。高ランク冒険者ともなれば、どうしても断れない依頼とか、難易度の高い依頼ってのは多くなるんだよな」
「それは分かる」
レイも色々と難易度の高い依頼をこなしてきた以上、ザカットの言葉の意味は十分に理解出来た。
ギルドが実力や実績によってランクを用意しているのは、難しい依頼には高ランク冒険者を用意するといったようなことを狙ってのことだというのは、十分に理解している。
それでも、やはりレイは自分がこなしてきた依頼の数々を思えば、それに対して色々と思うところがあるというのは、間違いのない事実なのだ。
「ザカットの話は分かるけど、難易度の高い依頼だと報酬がいいのも事実なんだよな」
「それは否定出来ない」
高ランク冒険者が受ける依頼ともなれば、当然の話だがその報酬は相応に高額となる。
ランクA冒険者に指名依頼をするとなれば、相手にもよるが金貨程度では足りないと言われることは容易にある。
白金貨……人によっては、光金貨すら必要だと、そういう物が出て来てもおかしくはなかった。
そんな風に、レイはザカットと共に高ランク冒険者についての話を続け……それによって、夜はすぎていくのだった。
「レイ、見ろ!」
ギルムを発ってから、二日目。
セトの背に乗って周囲の様子を見ていたレイは、不意にザカットに声を掛けられる。
ただレイを呼んだだけという訳ではなく、強い緊張感に満ちた声。
そんな声を掛けられたレイは、馬の上からザカットが指さしている方向に視線を向ける。
するとその方向では、セトよりも大きな牛のモンスターが、虎のモンスターと戦っていた。
牛と虎。
普通に考えれば強いのは虎で、それこそ牛は虎の餌といった扱いにしかならないだろう。
だが、レイの視線の先にあったのは、牛の側頭部から生えている角が虎の顔を貫き、頭蓋骨や脳みそを完全に破壊するといったようなことを行っている光景だった。
とてもではないが、普通に考えた場合は理解出来る光景ではない。
しかし、そんな光景が目の前に広がっているのは間違いのない事実でもある。
「あれは……知ってるモンスターか?」
「グルルルゥ」
レイの言葉に、セトも知りたいといったようにザカットに視線を向ける。
少なくても、レイが魔の森からギルムに向かう時にあのようなモンスターを見た覚えがなかった。
もっとも、レイとセトがこの辺りを通ったのはたったの一度だ。
その時に見ることが出来なかったからといって、そのような存在がいないと考えるのは間違いだろう。
「いや、俺も知らない。以前魔の森に行った時も見た覚えはない。だが、ここは辺境……それも魔の森の近くだ。それを思えば、見たことがないモンスターが大量にいてもおかしくはないだろう」
ザカットの言葉は、レイにも十分に理解出来た。
魔の森に近付いたのだから、そこには未知のモンスターがいてもおかしくはない。
そもそもの話、ここは辺境なのだから。
その時点で今まで見たことがないモンスターがいても、おかしくはなかった。
「そうかもしれないな。それで……どうする? 未知のモンスターなんだし、出来れば倒したいんだが」
虎のモンスターは牛のモンスターに殺されたので、その魔石を使っても魔獣術でスキルを習得することは出来ない。
しかし、虎のモンスターを倒した牛のモンスターは違う。
(それに、牛だから肉も美味そうだし)
オークの肉も美味いが、その肉質はレイの感覚では豚肉に近い。
もっとも、その豚肉は日本で食べたような豚肉とは比べものにならない程に美味い肉だったが。
オークよりもランクの高いだろうあの牛のモンスターの肉は、それこそ日本で食べた牛肉よりも美味い肉であってもおかしくはない。
「そうだな。倒した方がいいか。……おい、見ろよ。モンスターである以上、当然かもしれないが」
そう言うザカットの視線を追ったレイが見たのは、虎のモンスターの死体を噛み砕く牛のモンスターの姿だった。
本来は草食植物である筈の牛が、虎のモンスターの死体の肉を喰い千切っている光景というのは、異様な迫力がある。
「まぁ、モンスターだしな」
ザカットの言葉に同意するようにレイはそう告げる。
本来なら草食動物がモンスター化したことによって、肉食に変わるというのはレイも今までに何度か見たことがある。
そうである以上、魔の森の近くに存在するモンスターがいてもおかしくはない。
「セト、倒すぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトは喉を鳴らすと、虎のモンスターの死体を貪っている牛に向かって進む。
「レイ、俺はどうすればいい? 助けはいるか?」
馬に乗ったまま、遠ざかるレイに向かってザカットは叫ぶ。
「いや、周囲の警戒を頼む! 新しいモンスターが襲ってくる可能性もある!」
叫ぶレイに、ザカットは分かったと大きく手を振る。
実際、ここは魔の森の近くだ。
そのような場所には、当然ながら多くのモンスターが存在している。
今のこの状況を見て、他のモンスターがやって来ないとも限らないのだから。
だからこそ、ここで周囲を警戒して貰う相手が必要だった。
ザカットも、それを分かったからこそこうしてレイの言葉に素直に従ったのだろう。
一度魔の森に行っているというだけあって、このような時の対応についても十分熟知していた。
そんなザカットをその場に残し、牛のモンスターに近付いていくレイとセト。
(未知のモンスターである以上、ランクはそれなりに高いと判断して行動した方がいいな。……なら、手加減は抜きだ)
セトの背の上で、レイはミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
当然だが、そんなレイとセトが近付いてきているのに、牛のモンスターも気が付く。
「ブモオオオオオオオオオオオオオ!」
口元を虎のモンスターの血や内臓で汚したまま、雄叫びとも呼べる鳴き声を放つ牛のモンスター。
その際、開いた口からは鋭い牙がしっかりとレイには見えた。
それはつまり、牛のモンスターが肉食であることは確実だった。
「飛斬!」
最初にレイが放ったのは、飛斬。
デスサイズのスキルの中でも非常に使いやすいスキルで、レベルが五を超えたことにより、その威力もかなり上がっている。
だが……真っ直ぐに飛んだその刃は、牛の皮膚に命中したところで、特に被害らしい被害を与えることは出来ない。
「マジか」
この一撃で殺せるとは思っていた訳ではないし、致命傷を与えられると思っていた訳でもない。
だが、それでもまさか全くの無傷というのはレイにとっても信じられない思いだった。
とはいえ、飛斬が通じなかったからといって相手を倒すことを諦める訳ではない。
飛斬の効果がないのなら、それ以上の攻撃力を持った攻撃でダメージを与えればいいだけなのだから。
「グルルルルルゥ!」
自分に向かって近付いてくる牛のモンスターに対してセトが鳴き声を上げると、直径一m程の水球が四つ周囲に姿を現す。
そして水球は真っ直ぐセトに向かって突っ込んでくる牛のモンスターに向かって飛んでいく。
命中すれば岩程度なら破壊するだけの威力を持つ水球が四つ。
普通に考えれば、その威力はモンスターを殺すに十分だろう。
だが……
「ブモォ!」
放たれた水球にぶつかった牛のモンスターは、走っていたバランスを崩したものの、それでも皮膚を少し裂いた程度のダメージしか与えることは出来なかった。
しかし……レイとセトにとっては、バランスを崩したというだけで十分な成果となる。
「はぁあぁぁあぁっ!」
セトの速度によって間近に迫ったところで、レイは右手のデスサイズと左手の黄昏の槍を同時に動かす。
魔力を込められたデスサイズの刃は、牛のモンスターの横を通り抜けながらセトよりも巨大なその胴体を斬り裂き、黄昏の槍は首を貫く。
「ブモォ……」
本来なら、牛のモンスターはその角で突き刺すか、鋭い牙で喰い千切るか、もしくはセトよりも大きな巨体で押し潰すか……といった攻撃の手段があったのだろう。
だが、セトの水球によってバランスを崩したところで、攻撃をする前に攻撃されてしまった。
その結果この有様であり、牛のモンスターは全く実力を発揮出来ないまま、死んだのだった。