2521話
「ブルルルル」
ギルドがザカットの為に用意した馬は、セトと一緒に行動することを前提とされている馬だけあって、かなりの迫力の持ち主だった。
それこそ、その辺に存在するモンスター程度であれば、乗っている冒険者が何かをするよりも前に蹄であっさりと踏み殺すといったようなことをしそうな……そんな馬。
まさに歴戦の猛者という言葉が相応しいその馬は、実際にセトを前にしても怯えた様子がなかった。
普段であれば、馬がセトを見れば間違いなく怯えてしまう。
何日か一緒にいて、それでようやくセトが自分に危害を加えないと認識して、怯えなくなるのだが……ギルドが用意した馬は、最初からセトを怖がるといったようなことはない。
そのことは、幸運ではあったのだろう。
レイにしてみれば、セトと一緒に行動するのに怯えられてしまい、それこそ一定の距離を開けなければならない……などといったようなことにならなくてすんだのだから。
「グルルゥ?」
そんな馬を前に、当然だがセトも特に緊張した様子を見せたりはしない。
セトにしてみれば、目の前の馬は自分を怖がったりしない馬だが、そのような馬は珍しいものの、初めてという訳ではない。
それどころか、マリーナの家に現在いるエレーナの馬車を牽く馬もまた、セトを怖がったりはしていない。
だからこそ、セトは目の前の馬を見ても特に驚く様子はなかった。
「あれ? 荷物はそれだけでいいのか?」
そんなセトと馬をよそに、レイはザカットが思ったよりも軽装なのを見て、疑問の声を上げる。
レイが身軽なのは、ミスティリングを持っている為だ。
その中には生活に必要な様々な道具が入っている。
もしミスティリングの中身が何らかの理由で飛び出るといったようなことになれば、冗談でも何でもなく、家の一軒や二軒どころか、十軒近くが潰れてしまってもおかしくはない諸々がミスティリングには収納されている。
それはともかくとして、レイはミスティリングがあるので、依頼を受けてギルムの外に出る時でも特に何かこれといった荷物を持つ必要はない。
だが、そんなレイとは違ってザカットは野営用の道具を始めとして、様々な道具を一人で運ぶ必要があった。
「いつもはパーティの仲間が一緒だから、手分けして持ち歩くんだけどな。ただ、今日は俺だけだから、こいつを持ってきた」
そう言い、ザカットがレイに見せたのはベルトに引っかけられている袋。
袋? と疑問に思ったレイだったが、すぐにそれがアイテムボックスの簡易版だと理解する。
アイテムボックスがもの凄いマジックアイテムなのは、当然のように多くの者が知っている。
そうである以上、アイテムボックスを何とかして量産しようと思うのは当然だろう。
実際、レイの仲間でもエレーナが量産型のアイテムボックスを持っていた。
とはいえ、当然ながら量産型である以上はレイの持つミスティリングには遠く及ばない。
収納出来る量には限度があるし、時間も普通に流れる。
それでも便利なのは間違いなく、高ランク冒険者に限らず、商人や貴族といった者達の中にも欲している者は多い。
とはいえ、量産型であってもアイテムボックスだ。
当然非常に高価であり、そう簡単に入手出来る訳がない。
そのような代物を普通に持っている辺り、さすがランクA冒険者といったことなのだろう。
ただし、レイが驚いたのは量産型のアイテムボックスを持っていることもそうだったが……
「パーティを組んでるのか?」
「うん? まさか、そこで驚かれるとは思わなかったな。別にそこまでおかしな話でもないだろうに」
そう言われれば、レイも納得するしかない。
そもそも、冒険者の中ではソロで活動している者の方が珍しいのだ。
当然だが、ランクA冒険者の中にパーティを組んでいる者がいてもおかしくはない。
今回昇格試験を受けるレイも、紅蓮の翼というパーティを組んでいるのだから。
「ザカットは一人だったから、ソロだと思ってたんだよ」
「なるほど。本来なら俺は滅びの月光というパーティを組んでるんだよ」
「また、随分と物騒なパーティ名だな」
滅びという単語が入ってることにレイは少し驚くが、それを言うのならレイのパーティ名だって紅蓮といったような単語が入っている。
パーティ名を考えれば、滅びの月光という名前も特に驚くべきことではないのだろう。
「そうか? 長い間使っていると、慣れからかそういう風には思わなくなるんだけどな。……ともあれ、今回呼ばれたのは俺だけだったから、パーティメンバーはそれぞれ自分の仕事をしてるよ」
ザカットがここにいる以上、他のパーティメンバーはそれぞれ別に行動をしているのは当然だろう。
レイが所属する紅蓮の翼も、現在レイは昇格試験、マリーナは診療所、ヴィヘラとビューネはニールセンのお守りといった具合に別行動をしているのだから、そこまで驚くことはなかった。
「魔の森には、ザカットだけなのか?」
「そうなるな。俺の仲間も相応の強さを持つが、それでも魔の森に近付くとなると……ちょっとな。それより、荷物の件はこれでいいとして、そろそろ出発しないか。人目が気になる」
レイにしてみれば、セトと一緒にいる時点で多くの者から視線を向けられるのは当然のことで、もう慣れている。
だが、ザカットにしてみればギルドの前にいることで、多くの者から視線を向けられるのはあまり慣れていないのだろう。
(とはいえ、ザカットもランクA冒険者なんだ。周囲からの視線に慣れていても、おかしくはないと思うんだが)
ランクA冒険者ともなれば、普通の冒険者にとっては半ば英雄のような存在だ。
それだけに、ザカットも周囲から様々な視線を向けられるのに慣れていてもおかしくはない。
ただし、今回の件に関しては視線の種類が若干違う。
今回向けられている視線の大半は、セトやレイのついでにザカットにも視線が向けられているといった感じだ。
視線を向けている者の多くは、セト愛好家やレイがこれから昇格試験を受けるのを知っている者達だ。
だからこそ、本来ならランクA冒険者として視線を集めてもいいザカットではなく、レイやセトを見ているのだろう。
「分かった。なら、行くか。セト」
「グルゥ!」
馬の様子を見ていたセトは、レイに呼ばれるとすぐにやってくる。
そしてレイはセトの背に乗り、ザカットも馬に乗る。
そのような様子を見て、ギルドの周囲にいた者達はすぐに道を空ける。
レイの邪魔をする訳にはいかないと、そう思っての行動だろう。
レイとザカットは、そんな道を堂々と進むのだった。
「大分ギルムから離れたな」
そう呟いたのは、ザカット。
馬に乗ってギルムからかなり離れたところで、小さくなったギルムを見ての言葉だ。
「そうだな。でも、ここから魔の森までは結構な距離があるんだろ? セトなら空を飛んで移動出来るけど、地上を移動するとなると余計にな」
「この馬はかなりの力を持つ馬だから、地上を走って移動しても……そうだな、明日の昼くらいには到着すると思うぞ。普通の馬なら、二日は掛かってもおかしくないんだが」
「そう考えると、ギルドもよくこんな馬を寄越したな」
「それだけ、レイに対する期待が大きいんだろ。……何しろ、ランクA冒険者になるのは間違いないって言われてるくらいだし。俺もレイが昇格試験に合格するのに賭けたぞ」
「ザカットも賭けに参加してるのか。ちなみに、当然だが俺も自分の合格に賭けたな」
自分の合格に賭けたというレイに、ザカットは呆れの視線を向ける。
とはいえ、レイにしてみれば自分が昇格試験に合格するのは間違いないと思っていたし、何よりも自分の賭けられる場所が合格しかなかったというのが決定的だった。
不合格に賭けた場合、レイはいつでも自分から不合格になってレイが賭に勝つと言われてしまえば、レイとしてもその言葉には反論出来なかったが。
「ともあれ、今日のうちに出来るだけ進んでおきたい。魔の森までの道のりは、基本的にそこまで複雑じゃないが、それでも無駄に時間を掛ければそれだけモンスターが出て来るだろうしな。……盗賊達が出ないのが、唯一の救いか」
「そうか? 個人的には盗賊達には出て来て欲しいけどな。色々とお宝を入手出来るし」
盗賊狩りを趣味とするレイとしては、盗賊が出て来る分には幾らでも襲って欲しいという思いの方が強い。
特に自分以外にザカットという戦力がいる以上、いつも以上に楽に盗賊を倒すことが出来る筈だった。
もっとも、現在レイ達がいるのは辺境の中でも魔の森に向かっているところだ。
そのような場所に盗賊がいるということは、まずない。
そもそも、基本的に盗賊というのはギルムより一つ二つ前にある街の、サブルスタやアブエロといった周辺で活動することが多い。
盗賊ともなれば、そう簡単に街中に入ることは出来ず、暮らすのは基本的に野外だ。
そうである以上、辺境で盗賊をするとなると、いつ高ランクモンスターに襲撃されてもおかしくはない。
盗賊は冒険者としてやっていけない者だったり、遊んで暮らしたいと思っているような者だったり、家が貧乏で仕事もなく盗賊になるしかなかったりと、様々な経歴の者がいる。
だが、そのような者達であるが故に、辺境に出現する高ランクモンスターを相手にして、勝つといったことはそう簡単なことではない。
盗賊達にとっても、ギルムからやってくる商人達を襲うことが出来れば利益は大きいのだろうが、命の危険を考えると、とてもではないがそのような真似は出来ない。
少なくても、盗賊の中でも最低限頭の回る者がいれば、そう判断するだろう。
……中には、その最低限頭の回るような者もおらず、辺境で盗賊行為をすることになる者もいる。
しかし、そのような者達は基本的に短時間で死んでしまう。
場合によっては、商人や旅人を襲うよりも前にモンスターに襲撃されてモンスターの餌となることが多かった。
「盗賊か。出て来ることはないから、そっちの心配はしなくてもいい。ただ、モンスターの中には相手から何かを奪っていくような性質を持ってる者もいるって知ってるか?」
「そういうモンスターがいるのか?」
「ああ、魔の森に近くなってくると出て来るリスのような姿をしたモンスターなんだが、こっちに攻撃をしてくることは基本的にない。ただ、野営をしているとこっそり忍び寄ってきて、食べ物を中心に小物とかを盗んでいくんだ」
「……それは、また。随分と珍しいモンスターもいるんだな」
基本的に、モンスターというのは人に対して敵対的な存在だ。
中には人間に好意的なモンスターもいたりするし、テイムをしたり、召喚魔法の契約を結んだりといったようなことをするのも珍しくはない。
しかし、それでもやはりモンスターの大半が人間に敵対的な存在なのは間違いないのだ。
もっとも、ザカットから聞いたような盗賊のように食料や物を盗んでいくモンスターも、人間に敵対的な存在なのは間違いなかったが。
(出来れば、そのモンスターの魔石が欲しいな、冒険者とかから盗むといったような真似をしてるのなら、それこそ魔獣術でそっち系のスキルを入手出来る可能性がある。まぁ、ゲームじゃないんだし、そう都合よくは出来ないだろうけど)
レイが日本にいた時に遊んだゲームであれば、モンスターからアイテムや金を盗んだりといったようなことが出来ただろう。
だが、ここは現実だ。
モンスターが金を持っている訳ではないし、何らかの道具を持っていたりといったことも珍しい。
いや、冒険者から奪った武器を使っていたりするのを考えれば、それなりに道具を持っているといったことになるのかもしれないが。
ともあれ、もしゲームにあるような盗むといったようなスキルを入手しても、金を奪ったりといったことはまず不可能な筈だった。
(考えられるとすれば、相手の素材を盗む? 例えば角とかを何らかの手段で切断するなり何なりして、それを俺の手元に持ってくるとか。それはそれでかなり凶悪なスキルだよな)
盗む素材が角なら、そこまで問題ではないだろう。
だが、眼球や内臓といった部位であった場合、それをいきなり何らかの手段で奪われる……となれば、それは凶悪としか言いようのないスキルとなるのは間違いない。
とはいえ、レイにしてみれば強力なスキルを習得出来るのなら何の問題もない以上、出来ればそのスキルを習得したいと思うのは当然のことだったのだろう。
「出来れば、そのモンスターの魔石が欲しいな。今夜にでも襲ってきてくれると嬉しいんだが」
そう呟くレイに、ザカットは呆れの視線を向けるのだった。