2518話
「じゃあ、レイの合格を祝って……乾杯!」
「ちょっと待って。合格って何よ。昇格試験は明日なのよ?」
ヴィヘラが口にした合格という言葉に、マリーナが突っ込む。
マリーナの家の中庭で行われていた夕食は、レイの合格を願ってという思いからいつもより少し豪華な料理が出されていた。
とはいえ、幾つかは手作りだが、大半は購入してきた料理なのだが。
レイが帰ってきた時はマリーナも家に戻ってきていたのだが、その後はちゃんと診療所に戻っている。
そうして最後まで仕事をしていた以上、マリーナに手の込んだ料理が作れる筈がない。
……それでも幾つかの料理を作った手際は、さすがと言うべきだろうが。
「昇格試験で不合格になるつもりはないから、少し早い合格祝いと思ってくれれば、それはそれで構わないんだけどな」
「レイ、それは幾ら何でも気が早すぎだ」
レイの言葉を聞いたエレーナは、若干の呆れを込めてそう告げる。
レイは自信満々に受かると口にしているが、ランクAへの昇格試験だ。
それも可能な限り早くということで、試験の期日を前倒しにした結果、魔の森で二泊三日し、その上でランクAモンスターを二匹倒す必要があると、普通の昇格試験よりも難易度は上がっている。
とはいえ、難易度が上がった結果として礼儀作法の試験は省略されることになったのだが。
エレーナから礼儀作法について習っていたので、取りあえず最低限には取り繕える自信があったレイだったが、それでも礼儀作法の試験はしなくてもいいというのは非常に助かった。……ワーカーの前では若干強がっていたが。
「そうかもしれないけど、それでも合格する自信があるしな。セトもいるし」
「あ、そう言えば……」
セトの名前を聞いて、ふとヴィヘラがレイに視線を向けてくる。
突然のヴィヘラの行動に、何だ? と視線で尋ねたのだが……その視線を受けてヴィヘラの口から出たのは、レイにとっても予想外の言葉だった。
「セトがレイの従魔ということで一緒に魔の森に行けるのなら、トレントの森の近くにいるゾゾ達も、表向きはレイの従魔ということになってるんだから、連れていけるんじゃない?」
「それは……いや、連れていこうと思えば出来るのか?」
ヴィヘラが言う通り、ゾゾは表向きレイの従魔という扱いになっているのは事実だ。
そういう意味では、ゾゾを魔の森に連れて行っても問題はない。
ゾゾがレイの従魔となっているのは、あくまでもそういうことにしておいた方が都合がいいというだけであって、レイもゾゾを従魔としては扱っていない。
……ただし、ゾゾの方は何故かレイに深い忠誠を誓っているのだが。
「ただ、ぶっちゃけゾゾだと魔の森で生き残るのは難しいだろうから、連れていくのは無理だろうな」
ゾゾはリザードマンの中では強者と呼んでもいい。
だが、レイとそれなりに戦える実力を持つガガと比べれば明らかに弱い。
戦ったレイの感想としては、ランクC上位かランクB下位か、といったような実力だ。
ランクAモンスターが普通に存在する魔の森で、ゾゾが生き残るのは不可能……ではないが、それでも相当の幸運が必要となるのは間違いないんだろう。
また、常に一緒に行動しているレイとセトと違い、ゾゾは上手く連携を取るのも難しい。
その辺りの事情を考えれば、ゾゾは自分と一緒に魔の森に行く資格があっても、実力が足りないというのが、レイの正直な気持ちだった。
(ガガなら、相応の強さを持つから魔の森に行っても生き残れる可能性が高いと思うけど。あ、でも短時間ならともかく、二泊三日とかなると生き残るのは難しいか)
魔の森には複数のランクAモンスターがいる以上、何とか一匹を倒すことが出来たとしても、続けて別のランクAモンスターに遭遇するということも普通に有り得る。
また、ランクAモンスターと一括りにされていても、どういうモンスターなのかは千差万別。
ガガであっても、相性が悪くて手も足も出ないような、そんなモンスターがいないとも限らない。
「うん、やっぱりゾゾを連れていくのは止めた方がいいな。何だかんだと、ゾゾもリザードマンの中ではそれなりに慕われているし、死ぬようなことになったら困るし」
「レイを慕っている相手が死ぬのも、困るわね」
マリーナの言葉に、レイはその通りだと頷く。
ゾゾが死ぬようなことになった場合、間違いなく色々と面倒なことが起きる。
特にガガはゾゾという異母弟をそれなりに気に入ってるように見えた。
「そんな訳で、ゾゾは魔の森に連れて行かない」
そんなレイの言葉に、話を聞いていたニールセンが不意に口を開く。
「トレントの森の近くにいるリザードマンって、普通のモンスターのリザードマンとは違うの?」
同じトレントの森に暮らしている――実際には、リザードマン達が暮らしているのはトレントの森の隣なのだが――リザードマンだけに、ニールセンにとっても興味を惹かれる内容なのだろう。
レイとしては、ニールセンが魔の森に興味を抱かなかったのが疑問だったが。
とはいえ、ここで魔の森に興味がないのか? といったようなことを尋ねた結果、興味が出て来たといって明日の昇格試験で魔の森に来られても困る。
であれば、何故興味を持たないのかは分からなかったが、触らぬ神に祟りなしと、その件には触れないようにする。
(いや、この例えって合ってるのか? ……まぁ、いいか)
そう考え、ニールセンの好奇心を満足させてやることにする。
「一番大きな違いは、ゾゾ達は高い知能を持っていることだな。この世界に転移する前にいた世界では、高度な文明を築いていたらしい」
その文明の一端を見ることが出来るのは、生誕の塔だろう。
リザードマンの卵が安置されている場所で、その塔はリザードマン達が建造したものだ。
そのような塔を作るだけの文明を、ゾゾ達は持っている。
「ふーん。じゃあ、この世界のリザードマンとは随分と違うのね」
「一緒にしたら、ゾゾ達は怒るだろうな。いやまぁ、この世界のリザードマンを見たことがないから怒らないかもしれないけど。……あ、でも冒険者達と一緒に暮らしていれば、その辺の話が出てもおかしくはないのか。一応リザードマンがいるって話はしてあるから、そこまで怒らないで欲しいと、そうは思ってるんだが」
冒険者にしてみれば、リザードマンと一緒に暮らしていれば当然会話を交わす。
その会話の中身にこの世界のリザードマンについての話があったとしても、それは驚くべきことではないだろう。
「そうなると、ゾゾ達がこの世界のリザードマンと戦ってみたいとか、そんな風に言うかもしれないわね。そうなったらどうするの?」
「どうするのと言われてもな。……ヴィヘラ、そんな期待の視線を向けても、お前が望むようなことにはならないと思うぞ」
強者との戦いを楽しみにしているヴィヘラだったが、もしゾゾ達がこの世界のリザードマンと戦うということを考えても、とてもではないがヴィヘラが期待するような戦いはないだろう。
基本的にこの世界のリザードマンは、ヴィヘラが戦うのを楽しめるような相手ではないのだから。
とはいえ、モンスターの中には希少種という存在もいる。
リザードマンの中にそのような相手がいれば、ヴィヘラにとっても倒すべき敵として認識されるだろうが。
「そうかしら。それはちょっと残念ね。そうなると、やっぱり魔の森に行けるレイが羨ましいんだけど……」
「基本的に立ち入り禁止になってる以上、ヴィヘラが魔の森に行くのは無理でしょうね。ダスカーから許可を貰えば別だけど」
そう言ってくるマリーナに、ヴィヘラはおねだりするかのように上目遣いで尋ねる。
「そこは、マリーナの力で何とかならない?」
もしこれで、おねだりされたのがその辺の男であれば、無条件でヴィヘラの頼みを聞いてもおかしくはない様子。
だが……そこにいたのは、その辺の男ではなくマリーナだ。
即座に首を横に振る。
「無理よ」
「そう、残念ね」
マリーナに頼んでみたのは、ヴィヘラにとってももしかしたらという思いの方が強かったのだろう。
だからか、マリーナに無理だと言われるとあっさりと引き下がる。
ヴィヘラの戦いに対する欲求を知っている身としては、その言葉を素直に信じてもいいのかどうかは微妙なところだったのだが。
「レイの方の準備はいいのか? 今回の昇格試験は、結構な注目を集めているらしいからな。貴族の間でも話題になっているぞ」
実際に貴族の面会が多いエレーナだからこそ、貴族の間でもレイの昇格試験について話が広がっているというのを理解しているのだろう。
ただし、レイにとってそのエレーナの言葉は驚くべきものだった。
「貴族の間にもか? 何でまた? もしかして、貴族も賭けに参加してるからとか、そんなことがあったりするのか?」
まさか自分が合格するかどうかの賭けが貴族の間にも広がっているのか。
そう思ったレイだったが、考えてみればジャンの説明から考えると、そこまで大々的に賭けをやっているとは思えなかった。
だとすれば、もっと他の理由で注目しているのだろうと、そう考える。
「賭け? 参加している者もいるかもしれないが、貴族が気にしてるのは、やはりレイだからこそ……それも魔の森で行われる試験だからこそ、と言うべきだろう」
それは、やはりレイがダスカーの懐刀と見なされているというのが大きな理由だろう。
元々レイはダスカーの懐刀と見なされてはいたし、異名持ちの腕利きということで知られてもいたが、それでも結局のところはランクB冒険者でしかなかった。
そんなレイが、今度は本当の意味でランクA冒険者になるのだ。
例えダスカーの懐刀として有名であっても、ランクBとランクAでは大きく意味が違ってくる。
少なくても、周囲に与える印象という点では間違いなく変わってくるだろう。
そういう意味で、貴族達は国王派、貴族派、中立派の三大派閥の全てがレイの昇格試験に少なくない注目を集めていた。
「実際、最近は貴族派だけではなく国王派の貴族までもが私に面会を求めてくるようになっている」
「それはまた……そこまで気にする必要はないと思うんだがな」
「レイ、お前はもう少し自分のことを理解するべきだ。個人で軍隊を……いや、セトの機動力を考えれば、一国ですら相手に出来るだけの実力の持ち主だぞ? そのような者がダスカー殿の懐刀となっているだけでも脅威なのに、その懐刀が今度はランクAになるかもしれない」
それで警戒するなという方が無理だろう? と、そう告げるエレーナに。レイはそういうものか? と思いつつも納得する。
ただし、レイはダスカーの依頼をそれなりに受けてはいるが、別にダスカーの部下になったつもりはない。
そういう意味では、懐刀という言葉は微妙に表現が違っているのだが……ダスカーとしては、自分で言い触らした訳ではないのに、そのような話が広まっているのは利益になると判断して、訂正していない。
「取りあえず、俺としてはそういうものか? といった感じなんだが……まぁ、その辺は俺が特に突っ込む必要もないだろうから、気にしないようにしておく」
「それでどうにかなればいいんだけどね。多分だけど、将来的にはレイも面倒に巻き込まれることになると思うわよ」
マリーナのその言葉は、自分が色々と経験してきてからこその言葉なのだろう。
レイにしてみれば、当然そのような面倒に巻き込まれたいとは思わない。
(とはいえ、もし俺が何らかの面倒に巻き込まれたとしても、ここにいるエレーナ達なら無条件で助けてくれるだろうし)
自分もまた、ここにいる面々――ニールセン除く――の場合何らかの面倒に巻き込まれたら、無条件で助けるだろう。
「その面倒が今……正確には明日起きなければ、取りあえず問題はないよ」
現在のところ、問題なのはやはり明日の昇格試験だ。
であれば、まずはその昇格試験に合格する必要がレイにはあった。
「レイならそう言うと思った」
エレーナのその言葉に、話を聞いていた他の者達も同意するように頷く。
ニールセンですらも、エレーナの言葉に頷いていたのだ。
「これは、一応褒められていると思えばいいのか?」
「さぁ? その辺はレイの考え方次第じゃない? 褒められていると思えばそうなんでしょうし、そうじゃないと思えばそうじゃないかもしれない」
マリーナの意味深な言い方は、レイを微妙に不安にさせる。
とはいえ、それでもすぐに気分を切り替えることが出来るのは、レイらしいと言えばらしいのだろう。
そんな風に、レイは昇格試験前日の食事を楽しむのだった。