2517話
「レイ、ちょうどいいところで戻ってきたな。……怒られたのか?」
レイが何故ギルドマスターの執務室などという場所に行っていたのか、当然だがその冒険者も理解していたのだろう。
少しだけからかう様子で尋ねてくる。
「怒られたというか、軽く注意された感じだな。……まぁ、俺としても今回の件は色々と迂闊だったと思うし」
「へぇ」
素直に非を認めた為だろう。
冒険者は感心……いや、驚きの表情をレイに向ける。
そんな相手の視線には若干思うところがあったレイだったが、今はそれよりも先にやるべきことがあるので、視線を無視して口を開く。
「それで、俺の賭けについてはどうなった?」
「ああ、そうだったな。これからちょっと俺と一緒に来てくれ。賭けてもいいかどうか、上役が自分で判断するらしい」
「そこまでする必要があるのか?」
レイとしては、あっさりと認められるだろうと予想していた。
何しろ、自分が賭けるのは昇格試験に不合格になるのではなく、合格になる方なのだから。
にも関わらず、直接会って賭けてもいいかどうかを決めるのは、正直どうかと思う。
それでも、どうせなら会ってみてもいいかと判断し、冒険者に案内されるままにギルドを出る。
当然のように、レイがギルドを出たのを見ればセトが近付いてくる。
レイと一緒にギルドから出て来た冒険者も、当然ながらセトについては知っていた。
なので、セトが近付いてくることには驚かなかったのだが、今までセトと遊んでいた者達が向けてくる、残念そうな、恨めしそうな、もう少し時間があってもいいんじゃないの? といった視線を向けられるのは予想外だったのか、視線を向けられて動きが止まる。
「どうした?」
そんな冒険者に、視線の圧力を全く感じていないかのように尋ねるレイ。
(慣れれば、この視線の圧力を感じたりしなくなるのか? いや、それはそれで……どうなんだ?)
そんな疑問を感じるも、取りあえず今はこの場から早く立ち去った方がいいと判断する。
「こっちだ」
冒険者がレイを案内したのは、ギルドからそんなに離れていない場所にある店。
色々な雑貨を売っている店で、賭けの元締めがやっているようには思えない。
とはいえ、別に今回の賭けに関しては裏の組織がどうこうするといったような話題ではない。
あくまでも一般的に行われている賭けである以上、このような普通の店の店主が賭けの元締めをやっていてもおかしくはないのだろう。
(寧ろ、裏の組織の連中がやってるよりも、安心出来るか)
そんな風に思いつつ、レイはセトを撫でながら少し待ってるように言って店の中に入っていく。
すると、そんな店の中にいたのは強面の男。
(だよな)
何故か、もの凄く納得してしまうレイ。
だが、考えてみればそれは当然のことなのだろう。
何しろ、賭けとなると当然だが多くの金が動く。
中には負けを認めないで暴れるような者もいてもおかしくはない。
そのような相手に対処する時、その辺にいる一般人が話をしても、それこそ相手は図に乗って騒ぐだけだ。
しかし、そのような人物に対処するのが強面の人物であった場合……多くの者は暴れるといったようなことをするのは躊躇するだろう。
勿論、そのような人物が相手であっても暴れる者は暴れるだろうが。
それでも有象無象に対処出来るというのは、賭けを運営している方にしてもありがたい話なのは間違いなかった。
「レイさん、こんにちは」
「お、おう」
しかし、そのような強面がレイに向かって丁寧な言葉遣いで挨拶をして頭を下げてきたのには、レイも驚く。
見た目と行動のギャップが、もの凄く違うのだ。
「ジャン、後は任せた。俺はギルドの方でもう少し賭けの参加者がいないか探してくるから」
レイをここまで案内してきた冒険者は、ジャンと呼ばれた強面の男にそう告げると、店から出て行く。
ジャンもそんな男の行動にとくに異論はないのか、何か言う様子はない。
そしてレイと二人だけになったところで、ジャンが口を開く。
「それで、レイさんが賭けに参加したいという話でしたが、本当ですか?」
その外見に見合わぬ丁寧な言葉遣いは、一種異様な迫力がある。
とはいえ、レイも今まで色々な経験をしてきた。
そのような言葉遣いの男に驚くも、すぐ我に返って頷く。
「ああ、そうだ。俺が昇格試験に合格するかどうかの賭けに参加したい。ただし、俺が賭けるのは不公平感がないように、昇格試験に合格するというのに賭けたい」
「……なるほど。話は聞いていた通りですね。結果を言ってしまえば、その条件ならレイさんが自分に賭けるのは構いません」
予想外にあっさりと賭けてもいいと言われたレイは、ジャンの顔に視線を向ける。
レイに視線を向けられたジャンだったが、それで特に驚いた様子もなく言葉を続けた。
「ただし、レイさんが賭ける場合は金額の上限を決めさせて貰います。それも、かなり低い金額になるでしょう。それでも構いませんか?」
「出来れば自由に賭けさせて欲しかったけど、胴元がそう言うのならしょうがないか。ちなみにどのくらいまでだ?」
「金貨五枚でどうでしょう?」
「それは幾ら何でも安すぎないか? せめて白金貨五枚」
金貨五枚で安いと言う辺り、レイの金銭感覚が麻痺している証拠だろう。
とはいえ、レイにしてみれば盗賊狩りをすれば金貨数枚程度を稼ぐことは珍しくもない。
盗賊団が持っているお宝によっては、白金貨数枚になってもおかしくはなかった。
また、普段から屋台や食堂で大量の料理を購入したりといったこともしているのが、金銭感覚を麻痺させている理由だろう。
「レイさんの実力は知っています。また、昇格試験に合格する気であることも。ですが……もしレイさんが合格しても、それに支払える金額がないのです。私達はそこまで大きな組織ではないのですから」
ジャンのその言葉は事実だ。
ジャンが行っている賭けは、あくまでもそこそこの金額で……趣味で行われているような賭けなのだ。
それでも賭けの胴元である以上はそれなりに金額に余裕はあるが、レイによって大勝ちされるようなことになってしまった場合、それを支払いきれるかどうか微妙なところだった。
他の賭けが行われていなければ、まだ余裕があったのだろうが……何しろ、レイの昇格試験は急に決まったことである以上、どうしても他の賭けと同時進行する必要があった。
また、昇格試験の合否を賭けるにしても、合格か不合格かというだけではなく、不合格の場合でも何日目で不合格になるのか、合格する場合でもどのくらいのランクAモンスターを二匹倒すという条件以外に何匹倒すかといった具合に、賭ける場所には多数の項目がある。
ましてや、レイは異名持ちとしても知られてる以上、合格に賭ける者はそれなりに多い。
ジャンにとって幸運だったのは、試験を行う場所が魔の森であるということだろう。
魔の森は高ランクモンスターが多数存在しており、迂闊に近付くことすら禁止されている場所だ。
それだけに、幾らレイでも合格するのは難しいと考えている者もいる。
そのような諸々を考えると、何だかんだと賭けは胴元のジャンにとっては都合のいいように散らばっていたのだが……
その後、ジャンと話したレイは若干渋々とではあったが金貨五枚を自分の合格に賭けることにする。
それもただの合格ではなく、ランクAモンスターを三匹以上倒しての合格だ。
本来なら、レイの合格基準はランクAモンスターを二匹倒して死体を持ってくればいいというものである以上、三匹も倒す必要はない。
つまりそれは、レイが昇格試験の基準を十分に……いや、十分以上に満たしているということを意味していた。
勿論、レイとしては三匹どころか五匹でも十匹でもランクAモンスターを倒すつもりではいる。
レイとセトだけの魔獣術。
魔石によって新たなスキルを習得したり、既存のスキルを強化したりといったようなことが出来る特殊な魔術なのだが、その魔獣術で用いる魔石は高ランクモンスターの魔石程にスキルの習得や強化が出来る。
低ランクモンスターの魔石では、スキルの収得や強化が出来ないことが多いのだ。
そんなレイやセトにとって、魔の森で高ランクモンスターと戦えるというのは、非常に大きな意味を持つ。
とはいえ、相手は高ランクモンスター……それこそ通常のグリフォンと同じようなランクAモンスターだ。
レイとセトであっても、そう簡単に勝てるとは限らない。
(まぁ、セトはスキルを習得している希少種といった扱いだから、ランクS相当という扱いになっているし、そういう意味では普通のグリフォンでも格下という扱いではあるんだが)
ジャンとの話を終え、昇格試験の合格……それもランクAモンスターを三匹以上倒しての合格に金貨五枚を賭けたレイは、セトと一緒に街中を歩く。
「グルゥ?」
レイの機嫌がそれなりにいいと判断したのだろう。
セトが、どうしたの? とレイに向かって喉を鳴らす。
そんなセトを撫でながら、レイは笑みを浮かべつつ口を開く。
「今回の昇格試験……色々と楽しみが増えてきたなと思ったんだよ。それにこうしていることで、いよいよ昇格試験が近付いてきたって感じもするし」
レイは今回の試験にはかなり期待をしている。
それは自分がランクA冒険者になるということもそうだが、それよりもやはり魔の森で昇格試験が出来るというのが大きいだろう。
魔の森に滞在出来るのは、二泊。正確には二泊三日だが、その間に一体どれだけのモンスターを狩れるのか。
魔の森にいるモンスターの多くは、レイやセトの存在を察知しても逃げ出さないという者も多いだろう。
(いや、魔の森なんだし、ゴブリンのような低ランクモンスターはまずいないと思ってもいいのか?)
そう考えるも、食物連鎖的なことを考えれば、ゴブリンのような低ランクモンスターの存在も不可欠なのは間違いない。
魔の森にも、ゴブリンではなくても同じような低ランクモンスターがいても何もおかしなことではない。
そう思い、魔の森から脱出した時のことを思い出そうとするレイだったが、特にそういう低ランクモンスターの姿はなかったように思う。
(ウォーターベアとかジャルムはいたんだけどな。……あ、いや、もしかしてジャルムがゴブリンの代わりだったりするのか?)
ジャルムというのは、体長十五cm程度のムササビのようなモンスターで、尾が鋭く硬質化しており、刃のようになっているランクFのモンスターだ。
純粋に個体のランクとして見た場合は、ゴブリンと同じなのだが……ジャルムも魔の森のモンスターだけあって、当然ながら一筋縄ではいかない。
個体としてはランクFなのだが、基本的には百匹単位のコロニーを作っている。
それこそ、百匹単位で襲ってくるということは、百本の刃が襲ってくる……それも空を飛んで襲ってくるような存在なのだ。
同じランクFモンスターであっても、ゴブリンとは違う。
(いやまぁ、一応ゴブリンも群れを作ったりしてるから、集団で襲い掛かってきたりするのは間違いないんだけどな。ただ、ゴブリンとジャルムだと同じ集団でも全く攻撃力とかが違うんだよな)
ゴブリンは、最初こそ勢いよく襲ってくるのだが、自分達が不利になれば即座に撤退し始める。
それと比べると、ジャルムは一糸乱れぬ様子で襲ってくる軍隊の如き規律を持っている。
魔の森という場所で生き抜く為に得た習性なのだろうが、低ランクモンスターだからと侮るような真似をすれば、それこそ相応の強さを持った冒険者でもあっさりと死んでしまいかねない。
「ともあれ、魔の森で戦うモンスターがいるのは嬉しいよな。セトもそう思うよな?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、その通り! と喉を鳴らすセト。
魔獣術で強化されるのは、レイの持つデスサイズだけではない。
いや、寧ろ魔獣術という点で考えれば、セトの存在こそがその主役なのだ。
デスサイズは、元々レイの魔力が莫大な為に魔獣術の魔法陣でセトを生み出した後、それでもレイの魔力が残っていた結果として作り出されたのだから。
「セトはどんなモンスターと遭遇したい? やっぱりドラゴンか?」
「グルゥ? ……グルゥ……」
レイの言葉に、セトは迷った様子を見せる。
セトにとって、ドラゴンといえば一番身近なのは友達のイエロだ。
そんなイエロと同じドラゴンと戦いたいのかと言われれば、複雑な思いなのだろう。
もっとも、ドラゴンの仲間……というより、下位種族のワイバーンは普通に倒せるのだが。
セトの様子を見て、何となくその気持ちが分かったレイは、優しいセトを撫でながらマリーナの家に帰るのだった。