2516話
「レイ君!? 一体どうしたのよ、この数日全く姿を見なかったのに!」
マリーナから言われてギルドにやって来たレイは、即座にケニーに捕捉された。
ギルドの中には今も結構な人数がいるのだが、それでもレイをすぐに見つける辺り、ケニーは鋭い。
今は他の冒険者の相手をしておらず、書類仕事に集中していたから、レイに気が付いてすぐに声を掛けることが出来たから、というのもあるのだろうが。
隣で冒険者に対応していたレノラがいきなり大声を上げたケニーに視線を向けるが、今はケニーに注意するよりも自分の対応している冒険者の相手をする必要があった。
それでも一瞬鋭い視線を向けることは忘れなかったが。
「ちょっと出掛けててな。それで今日戻ってきた」
「こういう時にそういうことをするのがレイ君だよね。……ほら、周囲を見てみたら? 何人か呆れの視線を向けている人もいるわよ?」
そう言われ、レイは周囲の様子を確認する。
すると、確かにいつも以上に視線を向けられており、その中には今のレイの言葉が聞こえたのか呆れの視線を向けている者もいる。
だが、問題なのは……
(呆れの視線はともかく、恨めしそうな視線を向けてきている奴もいるな。敵意って程じゃないけど。一体何でだ? いやまぁ、マリーナやヴィヘラと一緒にパーティを組んでるんだから、そういう視線を向けられるのには慣れてるけど)
マリーナもヴィヘラも、絶世のという言葉が形容詞として相応しいくらいの美女だ。
そんな美女二人とパーティを組んでいるレイは、当然のように男からは嫉妬の視線を向けられることは珍しくない。
実際にはその二人だけではなく、ビューネのような子供が好きという特殊な趣味を持った者からも嫉妬の視線を向けられていたのだが、レイはそれには気が付かない。
「何か妙な視線が向けられてるな。何でだ?」
「レイ君の昇格試験でどうなるか、賭けが行われているのよ」
「そういうのって、普通なのか?」
「そうね。ランクA冒険者というのは冒険者の頂点だもの。冒険者は当然だけど、それ以外にも多くの人の注目が集まるのは当然よ。そして注目が集まれば、それを賭けの対象にする人も出て来るわ。ましてや、今回の試験は普通の試験じゃなくて、魔の森で行われる試験だもの」
「まだ試験が始まってないのに、俺に恨めしそうな視線を向けている連中がいるんだが?」
「レイ君、ここ何日かギルムにいなかったでしょ? だから、試験に間に合わないで失格になるというのに賭けた人でしょうね。あ、勿論私はレイ君の合格に賭けたわよ? というか、ギルドの人は全員がレイ君の合格に賭けてるんじゃないかしら」
満面の笑みを浮かべるケニー。
ギルド職員は、当然ながらレイがどれだけの実力を持っているのかをよく知っている。
それだけに、レイの実力があれば昇格試験にも間違いなく合格すると、そう理解しているのだろう。
昇格試験をする場所が魔の森であってもレイなら大丈夫だと、そう思っての判断だった。
(俺の力を知っているギルド職員が賭けるって、いいのか? 普通に考えれば、インサイダー取引だったっけ? そんな感じで罰を受けてもおかしくない……まぁ、そういうのはないのか)
インサイダー取引というのは、自分の会社の重要な情報……例えば何らかの画期的な研究を行っており、それが公表される前に自分の会社の株を買うといったような真似をすることだ。
そのような行為は禁止されているのだが、それはあくまでも日本ではの話だ。
エルジィンでは、その手の法整備がしっかりとされていない。
それどころか、賄賂が普通にまかり通ってすらいる。
「ちなみに、俺も賭けることは出来るか?」
「え? うーん……どうかしら。さすがにそれはちょっと難しいと思うわよ? レイ君ならそんなことはしないと思うけど、試験を受けて自分から不合格になるって邪推する人もいるでしょうし」
レイのことをよく知っている者であれば、レイがそんな馬鹿な真似はしないと断言出来る。
そもそも、現時点においてレイは使い切れない程の財産を持っているのだ。
また、もし万が一にもレイの財産がなくなっても、金を稼ぐのならギルドで依頼を受けたりモンスターの素材を売ればいいだけだし、もっと単純に金を稼ぐのなら盗賊狩りをすれば幾らでも稼げる。
それでもレイが自分に賭けたいと言っているのは、これが一種の祭りに等しいと理解している為だ。
であれば、自分もその祭りに参加したいと思うのは当然だろう。……ある意味、昇格試験に参加するレイこそが、祭りの中心人物ではあるのだが。
「出来るかどうか、一応聞いてみる。誰に聞けばいい?」
「うーん、このギルドの中だと……ほら、あの冒険者ね」
ケニーが示したのは、レイも何度か見た覚えのある冒険者だ。
増築工事で急激に増えた冒険者ではなく、その前からギルムで活動していた冒険者。
「分かった。それと、ワーカーに会いたいんだけど」
「じゃあ、レイ君が賭けについて話を聞いてる間に、ギルドマスターにちょっと聞いてくるわね。今のこの状況で奥の階段まで行くのは、ちょっと難しいんだけど」
「だろうな」
ケニーの言葉に、レイはランク昇格試験について聞きに来た時のことを思い出す。
あの時、ケニーが書類の束を崩したか何かをして、その悲鳴が聞こえてきたのだ。
今度はそうならないように祈りながら、レイはケニーから教えられた冒険者に近付いていく。
「ちょっといいか?」
「どうしたんだ?」
レイに話し掛けられても、特に驚く様子を見せずに言葉を返す冒険者の男。
男にしてみれば、レイのことはそれなりに詳しく知っている。
何の意味もなく自分に暴力を振るったりといったような真似はしないと、そう理解しているのだ。
「俺の昇格試験で賭けを行ってるって聞いてな。俺もその賭けに参加させて貰いたいんだが?」
「いや、それは普通に考えて無理だろ」
「俺が昇格試験をわざと失敗して賭けに勝つという可能性があるからか? けど、普通に考えればここで賭けに勝つのと昇格試験に合格するの、どちらの方が利益があるかは分かるだろ?」
「だろうな。けど、賭けていた場合、昇格試験で危なくなったらすぐに試験を止めたりとか、そういう風にならないとは限らないだろ?」
そういう方面での心配があったか。
意表を突かれたレイだったが、すぐにその心配はないと首を横に振る。
「俺が賭けるのは、昇格試験に合格して俺がランクA冒険者になること。これなら問題はないと思うが?」
「それは……」
レイの言葉に、男は黙り込む。
実際、それならレイが自分の合格に賭けることに反対する理由にはならないだろう。
それに反対する者がいるとすれば、レイが昇格試験に合格した時、貰える掛け金が少なくなる者達だけか。
ただし、ギルド職員の場合はレイが昇格試験に合格しても、それを一緒に喜ぶことはあっても不満を持つことはないだろう。
他の合格に賭けた者達は分からないが。
「どうだ?」
「ちょっと待っていてくれ。上に話を聞いてくる」
「そうか、ちょうどいい」
男と話していたレイの視線は、ギルドカウンターの奥からやってくるケニーの姿を捉えていた。
レイは男に最後に頼んだとだけ言うと、そのままカウンターの方に向かう。
「レイ君、ギルドマスターはすぐにでもレイ君に会いたいそうよ。ただ……その、少し怒ってたみたいだから、気をつけてね」
「だろうな」
ケニーの言葉に、レイは納得したように頷く。
ギルドマスターにしてみれば、昇格試験が明日に行われる予定だというのに、ここ数日レイの姿はギルムから消えていたのだ。
やきもきするような思いを抱くのは当然だろう。
(とはいえ、あのワーカーが慌てるといったようなことをするとは思えないけど)
レイから見て、マリーナの跡を継いでギルドマスターとなったワーカーは、その能力はともかく冷静さという意味ではマリーナと同等……もしくは上回っているように思えた。
そんなワーカーが慌てるといった光景を、レイは思い浮かべることが出来ない。
「だから、ギルドマスターと話す時は注意してね。……本当ならレイ君を執務室まで送ってあげたかったけど、仕事をしっかりするようにと言われたから、そっちを優先しないといけないのよね」
本当に残念そうな様子のケニー。
そんなケニーの様子に、離れた場所で様子を見ていたレノラが少しだけ疑問を抱く。
ケニーの性格を考えれば、それこそレイを二階の執務室に連れていくといったような真似をしてもおかしくはないと思えた為だ。
もっとも、そんな疑問も冒険者とのやり取りに集中したことで、すぐに忘れてしまったが。
レイは心の底から残念そうにしているケニーをその場に残しカウンターの奥に向かう。
(少し書類が減ったか?)
本当に少しではあったが、カウンターの内部に積まれている書類の数が減っているような気がする。
ギルド職員の奮闘の結果が出たのだろうと、そう思いながら進むレイ。
このまま少しずつ書類が減っていき、次第にここも歩きやすくなるといいんだが。
そんな風に思うのだが、すぐにこの程度は誤差かもしれないとも思う。
今はたまたま書類が少なくなっているだけで、時間が経てばまた書類の山が復活するのだろうと。
ギルド職員達が頑張るように願いながら、レイは階段を上ってギルドマスターの執務室の前に到着する。
「ワーカー、俺だ、レイだ」
『入って下さい』
ノックをしながら告げると、中からワーカーのそんな声が聞こえてくる。
そうして扉を開けると、そこでは予想通りワーカーが自分の仕事を行っていた。
ただし、こちらもまた数日前にレイが来た時に比べると、部屋にある書類の塔の数が減っており、高さも以前より低くなっていた。
(頑張ったんだな)
そう思うも、それを口にすると色々と面倒なことになりそうだったので何も言わないでおく。
「暫く留守にして悪かったな。正直なところ、ここまで長くなるとは思わなかったんだ」
「全くです。現在の状況を考えれば、昇格試験を受けるレイがいなくなったというのは、大きな騒動になりかねませんでしたよ」
しみじみと告げるワーカーは、そこまで焦っているようには思えない。
(あるいは、俺が来たから隠してるとか? もしくは、焦っていても他人には分かりにくくて、俺にはそれを見つけられないとか、そんな感じか)
ワーカーの様子を見ながらそんな風に考えるレイだったが、ワーカーとの会話は続ける。
「ともあれ、こうして戻ってきた以上は何も問題ないんだろ?」
「そうですね。魔の森で使うマジックアイテムは、明日渡しますね。明日の午前中にギルドに顔を出して下さい」
「分かった。それで、魔の森までは誰が行くんだ?」
「一人、ランクA冒険者を出します。ですが、その冒険者はレイを魔の森まで案内したらすぐにギルムに戻ってきます。それで構いませんね?」
「ああ、それで構わない」
レイとしては、魔の森はこの世界で目が覚めてからいた場所ではある。
だが、その魔の森からセトと一緒に出て来てから既に数年が経つ。
その上、魔の森から適当に進んでギルムにやってきた以上、魔の森まで自分とセトだけで移動出来るかと言われれば、正直微妙なところだ。
勿論、時間をかければ普通に魔の森に到着することは出来るだろう。
しかし、今の状況を思えばそのようにしているような時間はない。
であれば、しっかりと魔の森を知っている相手からその場所を教えて貰った方がいいのは間違いなかった。
「では、明日の午前中に」
てっきりもっとネチネチと言われるのかと思ったが、特に注意らしい注意はない。
そのことに安堵しつつ、ワーカーも取りあえず自分が戻ってきたので問題はないのだろうと、そう考えて執務室から外に出る。
ワーカーも、執務室の中にある書類の塔の様子を見れば、そちらを片付ける方が優先されるのだろうと、そう思いながら。
階段を降りてカウンターの内部を移動していると、ケニーが冒険者の相手をしているのが見えてくる。
レノラの方はと視線を向けると、こちらもまた先程までとは別の冒険者の相手をしている。
「レイさん、こちらからどうぞ」
そんなレイの様子に、ギルド職員の一人がそう言い、カウンターから出られるようにした。
相手に感謝の言葉を口にしてからレイがカウンターから出ると、ちょうど先程の冒険者……レイの昇格試験についての賭けでレイが参加してもいいかどうかを上の者に聞いてくると言っていた冒険者が戻ってくるところで、レイはそちらに向けて足を踏み出すのだった。