2514話
「ありがとうございました」
奴隷商が、レイ達に向かって深々と頭を下げる。
奴隷商にしてみれば、安値で奴隷を購入することが出来たのだから感謝するのも当然だろう。
ましてや、その奴隷は鉱山で働かせたり、戦場で肉壁として使ったりといったように、需要も多い。
「気にしなくてもいい。こっちも予想していたよりも高く売れたしな。それに盗賊達が持っていたお宝もそれなりだったし。それに小麦粉も五袋約束通りに貰ったしな」
レイ達が倒した盗賊は、致命的な怪我を負っている者は少なかった。
だが、少ないというのは皆無という訳ではない。
例えば、レイが最初にデスサイズで攻撃して吹き飛ばした盗賊は、予想通り肋骨が砕けており、その破片が内臓を傷付けてもいた。
そのような相手には、結局ポーションが使われることになった。
ただし、外傷という訳ではないので、その傷を治す為にはポーションを掛けるのではなく飲ませる必要があり、それによってポーションを飲んだ者はあまりの不味さに暴れ回っていたが。
ともあれ、ポーションを使ったことによって多少の値引きはされたものの、元々奴隷の仕入れは犯罪奴隷だけあって、仕入れ値はゼロだ。
そんな相手を売ったのだから、多少値引きされたところで問題はない。
あまりに露骨な値引きならレイも不満を持ったのだが、奴隷商人達はそのような真似はしなかった。
もしそうした場合、他の奴隷商に売ると、そう考えていたのだろう。
そして、それは間違いのない事実でもあった。
また、盗賊達を尋問して本拠地を白状させ、そこにあったお宝はレイがそれなりに満足出来る程度の金額であり、武器や防具もそれなりにあったので、レイにとっては悪くない収入となる。
結果として盗賊のお宝を没収し、双方に不満のない取引を終え……そしてレイは奴隷商や警備兵、住人といった面々に見送られて街の外にいた。
「グルルルルゥ!」
レイを背中に乗せたセトは、数歩の助走で翼を羽ばたかせながら空を駆け上がっていく。
その場に残された者達は、何故かセトに置いていかれたヴィヘラに不思議そうな視線を向ける。
一体、どうするのかといった視線。
だが、そんな様子を疑問に思った誰かが口を開くよりも前に、空を飛んでいたセトが地上に向かって降下し……
「じゃあ、この辺で」
ヴィヘラは短く告げると跳躍し、高度を落として飛んでいたセトの前足に掴まる。
セトはヴィヘラが足に掴まってもバランスを崩すといったようなこともなく、再び高度を上げていく。
「冒険者って凄いな」
見送っていた者の誰かがそんなことを呟いたが、近くにいた冒険者は必死になって一緒にしないでくれと主張するのだった。
「で、レイ。どうするの? 目的のポーションは入手したんだし、そろそろギルムに戻る?」
「そうだな。出来れば他にも色々と見てみたかったんだけど。マジックアイテムは特にいいのがなかったしな」
ポーションを購入する為に幾つかの店を回ったのだが、そこに置かれていたマジックアイテムはどれもレイが欲しいと思える物ではなかった。
ちょっと興味深いといった程度のマジックアイテムはあったのだが、それもわざわざ自分で金を出して購入する程ではない。
そのようなマジックアイテムしかなかった以上、折角ギルムの外に出たのだから、出来れば幾つかマジックアイテムは欲しかったのだ。
「でも、レイが欲しがるようなマジックアイテムなんて、滅多にないわよ? それこそ、ああいう街じゃなくて辺境のギルムか……もしくは王都とかのような人の多く集まってくる場所で探すしかないと思うわ」
そう言われれば、レイもこれ以上無茶は言えない。
そもそも、今回の旅――日帰りになりそうだが――の目的は、あくまでもポーションの購入だ。
最大の目的は果たしたのだから、これ以上他の場所に寄るような真似をした場合、それこそ昇格試験に間に合わなくなってしまう可能性がある。
特に何か欲しいマジックアイテムがある訳でもないのだから、わざわざ他の街に行くよりも大人しくギルムに戻った方がいいだろうと判断し、レイは下から聞こえてくるヴィヘラに向かって口を開く。
「そうだな、なら、ギルムに戻るか。ギルムに行けば、他にも色々とやるべきことはあるだろうし。それに、ヴィヘラも仕事があるしな」
「あら、私のことを心配してくれるの?」
嬉しそうなヴィヘラだったが、レイにしてみれば自分の言葉で喜んだのか、それともビューネやニールセンと一緒にトレントの森に行けるのが面白いのか、どちらのことで喜んでいるのかが分からない。
もっとも、レイとしてはどちらでもヴィヘラらしいと、そのように思えるのだが。
「それは間違いないな。……セト、ギルムに向かうぞ。来た道を戻ればいいだけだから、問題ないよな?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らして翼を羽ばたかせるのだった。
「……ついた、わね」
ギルムが見えてきたところで、ヴィヘラが疲れと共に呟く。
そんなヴィヘラの様子に、レイも若干思うところがあったのか、少しだけ申し訳なさそうに口を開いた。
「そうだな。無事に到着した」
「……昇格試験は明日だけどね」
恨めしそうに呟くヴィヘラの声に、レイはヴィヘラがセトの前足に掴まっているというのを知りつつも、そっと視線を逸らす。
ポーションの補充をして、ギルムに戻ろうとしてから三日。
ポーションを買いに行ったのが、魔の森で昇格試験を五日後に行われると言われた次の日だったので、ギルドでワーカーに会ってから今日は四日目。
つまり、昇格試験は明日から始まるのだ。
「あー……うん。ほら、無事に間に合ったんだし、村を襲っていた盗賊とか、それを狙っていた獣人の部隊とか、エルフの仇討ちとか、色々とあったけど無事に到着したからいいだろ?」
それは全て、この三日の間にレイ達が巻き込まれた事件。
本来ならポーションを仕入れてから真っ直ぐギルムに帰るつもりだったのだが、途中で盗賊に襲われている商人を助けたりしている間に、次から次にトラブルが襲い掛かってきたのだ。
それこそ、本にすればこの三日間だけで数冊分にはなるのではないかと思えるような、そんなトラブルの数々。
それでもレイ達はそのトラブルを強引に……力ずくで片付けると、無事にギルムまで到着したのだ。
「レイが揉めごとに巻き込まれやすいのは分かっていたけど、予想以上だったわね」
しみじみと呟くヴィヘラ。
トラブルメーカーという自覚のあるレイとしては、そんなヴィヘラの言葉に反論出来ない。
……これで諸々のトラブルの結果で特殊なマジックアイテムでも入手出来ていればよかったのだが、増えたのはポーションだけだ。
(いや、盗賊から奪ったお宝も増えたか)
何だかんだと盗賊と数度遭遇した結果、得られたお宝は結構な量となっている。
そういう意味では、この三日は決して無意味という訳ではなかったのだが……それでも昇格試験、それもランクAへの昇格試験が数日後に迫っている時にやるべきことではない。
(いや、自分のことを置いておくとして、盗賊に苦しめられる人が一人でも減ったんだからいいよな。俺も頑張った、うん、頑張った)
半ば無理矢理自分に言い聞かせるように考える。
「じゃあ、取りあえずギルムに向かうか。エレーナ達も心配してるだろうし」
一応、レイはエレーナと対のオーブを使って夜に会話をしている。
だが、それでもやはりエレーナ達にしてみれば、直接レイに会いたいと思うのは当然のことだった。
何よりも、明日は昇格試験の当日なのだ。
それに遅刻しないように必ず今日帰ってくるようにと、エレーナやマリーナから昨日何度も繰り返し言われている。
その約束をきちんと果たすことが出来るというのは、レイにとっても十分満足出来ることだった。
「じゃあ、セト。頼むな」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトは分かったと喉を鳴らし、ギルムに向かって進む。
そうしていつものように……いや、増築工事をしているのでいつも以上に中に入る為に並んでいる行列が見えてきたところで、セトは地上に向かって降下していく。
そんな中、やがてギルムの前で並んでいる者達も地上に降下してくるセトの存在に気が付いたのか、ざわめきが起こる。
とはいえ、セトを見て驚く者がいるのはいつものことだ。
そのまま地上近くまで降下し、まずはセトの前足に掴まっているヴィヘラが手を離して地面に着地する。
『おおおおおおおおおお』
あまりにもスムーズに行われたその行為に、見ていた者達は全員が驚きの声を上げて拍手する。
ここまで賞賛されたのは、見事な着地だったからというのもあるが、ヴィヘラの着ている服が薄衣だったことにより、一種の天女的な存在に見えたのだろう。
実際、その様子は一種の芸術作品のように見えるものだったのだから。
ヴィヘラが拍手喝采を浴びている間に、今度はセトが降りてくる。
初めてセトの存在を見る者は驚くが、今まで何度かギルムに来ている者達にしてみれば、以前にもセトを見たことがある者は多い。
それでもやはり驚いた者が多かったのは、ギルムでは地上を歩いているセトとは違い、ここでは空を飛んでいたからだろう。
地上を歩くというのならまだしも、やはりセトのような存在が空を飛ぶとなると、迫力があるのだ。
「セト!? レイも、ここ数日見なかったけど、どこに行ってたんだ? それに、そっちの美人も初めて見る顔だけど」
並んでいた者の中で、レイの顔を知っていた者が我に返り、驚きの表情を浮かべながら尋ねる。
それでいながらヴィヘラのことを聞いている辺り、尋ねている人物も男だということなのだろう。
レイのことは知っていても、ヴィヘラのことは知らない。
あるいは顔くらいは見たことがあるのかもしれないが、名前は知らない。
そんな相手に、レイはどう言葉を返すか迷い……そうしてレイが口を開くよりも前に、警備兵が近付いてきた。
「レイ! 遅いぞ! どこに行っていた!?」
「そう言われても、ちょっと……」
「レイの趣味の盗賊狩りをね」
レイの言葉に割り込むように、ヴィヘラがそう告げる。
そんなヴィヘラに疑問の視線を向けるレイ。
実際に今回は盗賊狩りをしたのは事実だ。
だが、最大の目的はポーションを購入することだったのに、何故?
そんな視線を向けるレイに、ヴィヘラは黙ってるようにと一瞥する。
ここでポーションが品薄になっていると言うのは止めておきなさい。と。
もしここでレイがギルムにポーションが少なくなったと言ったらどうなるか。
勿論、それはレイの話を聞いていた者達の中でも商人達は次にギルムに来る時はポーションを大量に仕入れてくるだろう。
それは別に悪いことではない。ないのだが、既に自分で情報を集めてポーションが足りないと判断している商人達はポーションを仕入れている筈だった。
そうやって自分の実力でポーションが足りないのを知った商人達に対して、そのような実力もなく……それどころか、ここでレイが言った言葉だけを頼りにした商人達がポーションを仕入れるのは、色々と危険だと判断したのだろう。
それが、ポーションを購入したのはいいものの、次にギルムに来た時はもう大量にあって売れないということで商人達が困ると思ったのか、それとも現在ポーションを集めようとしている商人達を困らせないようにしている為か、その辺はレイにも分からなかったが。
「そうなんだよ。少し盗賊の数が多くなってる場所があるって噂を聞いてな」
取りあえず、ヴィヘラからの無言の指示に従ってそう言うレイ。
とはいえ、その言葉は決して間違っている訳ではない。
今回のレイの行動で、結構な数の盗賊達が死んだり、犯罪奴隷として奴隷商人に売られたりといったようなことになったのだから。
「盗賊を? ……まぁ、いい。ダスカー様がレイがいないって気にしていたぞ。領主の館に顔を見せてやってくれ」
そう言われたレイは、どうするべきか少し迷うも頷く。
ダスカーにしてみれば、ランクAへの昇格試験が行われることになったのに、肝心のレイがいきなりギルムから姿を消したのだ。
それこそ、もしかしたら昇格試験が嫌で出奔した……といったように思われても、おかしくはない。
そしてレイに昇格試験を受けるように促したのがダスカーである以上、レイがいなくなったのを気にするなという方が無理だった。
「そうだな、分かった。領主の館に顔を出してみるよ。……ダスカー様が忙しくなければ、会ってくれるだろうし」
そう告げるレイの言葉に、警備兵は呆れの視線を向けるのだった。