2513話
『……』
沈黙。
レイの降伏しろという言葉に、二十人程の盗賊達は何も言えなくなる。
ただし、レイの正体を知っている何人かの盗賊は、周囲にいる他の者達とは別の意味で何も言えなくなっていたのだが。
「ぷっ……くくく、ぎゃはははははは! おい、聞いたか? こいつ、俺達に降伏しろだってよ!」
レイと話していた盗賊が、我慢出来ないといった様子で笑い声を漏らすと、次の瞬間には他の盗賊達も笑い声を上げ始めた。
「あはははは、嘘だろ? 冗談にして笑えないっていうか、笑えすぎるぞ。一体、何を考えていれば、そんなことを言えるんだ?」
「ひぃ、ひぃ……は、腹が……腹が痛い……わ、分かった。こいつ、俺達を笑い死にさせるつもりだな?」
「そ、それは……そうだな、そう言われれば、最強の攻撃方法かもしれないないな」
何人もの盗賊達が、笑いながらレイを嘲笑する。
盗賊達にしてみれば、レイは背の小さな子供にしか見えない。
確実に二十歳には届いてないだろう男。
そんな人物が降伏しろと言ってくるのだから、盗賊達にとっては笑い話以外のなにものでもない。
しかし、レイはそんな盗賊達の嘲笑に対して、全く気にしていない。
自分がここにいる時点で、盗賊達の命運は死と奴隷のどちらかに決まっているのだ。
特にこのような盗賊達……犯罪奴隷は、それなりに需要がある。
もっとも、それは観賞用や護衛といったような目的ではなく、鉱山の採掘や戦いにおいての肉壁といったような、非常に厳しい労働用にという意味でだが。
「降伏勧告はした。どうするのかは、お前達が決めろ。痛い思いをしない分だけ、降伏した方がいいと思うけどな」
そう言い、レイはミスティリングの中からデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
「……え?」
そしてレイが取り出した二つの武器を見て、先程まで嘲笑していた盗賊達の口から間の抜けた声が出た。
当然だろう。レイがその外見とは全く似合わぬ長柄の武器……それもどちらか片方ならともかく、デスサイズと黄昏の槍を二つもどこからともなく取り出したのだ。
一体何が起きたのか理解出来ないといった様子を見せる盗賊達。
そして、その理解出来ない時間が少しだけ……本当に少しだけだが、盗賊達に冷静さを取り戻させる。
そして、冷静さを取り戻せばレイの持つデスサイズという特殊な武器に視線が行くのは当然な訳で……
「深紅……?」
ぽつり、と盗賊の一人が呟く。
デスサイズと黄昏の槍に目を奪われ、数秒前までの嘲笑の声は消えていた為か、小さな呟きではあったが、その言葉は盗賊達全員の耳に届く。
レイの……いや、深紅の噂話の中で有名なのは、やはりデスサイズという大鎌を使っていることだろう。
その噂を聞き、深紅という存在に憧れた者の中には、レイと同じような大鎌を使ってみようと思う者もいた。
だが、大鎌は使いこなすのが非常に難しい武器だ。
当然ながら、ほんの少数……一握りの者だけが、レイと同じような大鎌を使えるようになったが、試した大半は結局自分では使いこなせないと諦めた。
そんな目立つ大鎌だけに、レイがこうして持っているのを見れば、それが誰なのかというのを予想するのは難しくないのだろう。
それだけではなく、レイはデスサイズ以外にも黄昏の槍を左手に持つ。
噂話に聡い者であれば、深紅はデスサイズと黄昏の槍という長柄の武器を同時に使う二槍流の使い手だと知っている者もいるだろう。
盗賊達がその噂を知っていたかどうかは別として。
「ああ、俺の異名を知ってる奴がいたのか。ちなみにお前達のような盗賊からは、盗賊喰いと呼ばれたりもしてるな。……で、どうする? 大人しく降伏してくれれば面倒がなくていいんだけどな」
先程と同じ言葉を口にするレイだったが、盗賊達からは先程のような嘲笑の声は出ない。
当然だろう。先程まで、レイは無害な……もし戦う力を持っていても、それは自分達には及びも付かないようなものでしかないと思っていたのだ。
だが、目の前にいるのが異名持ちの冒険者となれば、話は変わってくる。
そのまま何も言えなくなり、動けなくなる盗賊達。
そんな盗賊達を眺めていたレイだったが、三十秒程が経過したところで、このままではどうしようもないと判断して盗賊達に近付いていく。
盗賊達は自分達に向かって近付いてくるレイに後ろに下がろうとするが……
「グルルルゥ」
いつの間にか盗賊達の後ろに回り込んでいたセトが、威嚇するように喉を鳴らす。
「ひぃっ!」
これが高い能力を持つ暗殺者の類であれば、セトの存在に気が付けたかもしれない。
だが、盗賊達は弱者を襲うことには慣れているが、強者と戦ったようなことはなかった。
盗賊の中には冒険者崩れや傭兵崩れ、兵士崩れ、騎士崩れといったような者もいるのだが、レイの前にいる盗賊達の中にそのような盗賊はいなかった。
レイから一番近くにいた……盗賊達の中でも先頭にいた盗賊は、いきなり背後から聞こえてきた唸り声と悲鳴に、半ば反射的にそちらを見る。
あるいは、それはレイという存在から少しでも目を逸らしたいという本能からの行動だったのかもかもしれないが……レイを前に、自殺行為以外でしかない。
「ぐぇっ!」
後ろを見ていた男は、胴体をデスサイズの柄で殴られ、吹き飛ばされる。
吹き飛ばされ、それどころか仲間の身体に当たってそのまま数人を巻き込みながら地面を転がった。
「ちょっとやりすぎたな」
デスサイズの柄を通して、肋骨の砕ける感触が伝わってきたことに、レイは反省する。
ポーションを無駄遣いさせない為に、出来るだけ怪我をさせないようにして倒す必要があったにも関わらず、骨を折ってしまった為だ。
(それでも折ったのが肋骨でよかったよな。内臓を壊すといったようなことになっていたら、洒落にならなかったし)
ポーションで治療するにしても、肋骨と内臓のどちらがより回復しやすいか……そしてポーションの量が必要になるかといったところが違う。
その辺を考えて、レイはそこまで酷い怪我をさせなくてよかったと、安堵し……
「うおおおおっ!」
「奇襲するのなら、声を出したら意味ないだろ」
「ぐええっ!」
黄昏の槍の石突きで、盗賊の腹を突く。……より正確には、内臓を傷付けないように優しく、手加減しながら突く、というのが正しいだろうが。
手加減をしたおかげで、重傷を負わせるようなことはなかった。
「これは、手加減するのなら使わない方がいいか。人数も少ないし」
視線の先では、ヴィヘラも盗賊達に襲い掛かっている。
ただし、その表情はやる気がない。
戦闘狂の一面があるヴィヘラだが、その場合の戦う対象はあくまでも強い相手だ。
このような盗賊達を相手にした場合、それこそやる気が急激に低下していく。
それでもヴィヘラの一撃によってあっさりと盗賊達が吹き飛び、気絶している光景を見れば、しっかりと自分の役割を果たしているだろうというのは理解出来た。
「そうだな。俺も素手でいいか」
デスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納し、盗賊に向かって間合いを詰める。
とはいえ、それは何らかの特殊な歩き方といったものや、地面を蹴って急激に間合いを詰めるといったような訳ではなく、単純に歩いて間合いを詰めているだけだ。
そんなレイの姿だったが、盗賊達にとっては恐ろしかったのだろう。
その場から逃げ出そうとするも、タイミングを狙ったように――実際に狙っていたのだろうが――セトが鳴き声を発して牽制する。
動けなくなった盗賊達の前まで到着すると、レイは拳を突き出す。
人を殴ったとは思えないように鈍い音と共に、殴られた盗賊は一瞬で意識を失って地面に崩れ落ちた。
そんな盗賊を一瞥すると、レイは拳を開いてからまた握り、納得したように頷く。
相手に致命傷を負わせないようにして無力化するという点では、デスサイズや黄昏の槍を使うよりも手っ取り早いと思えた為だ。
そして続けて二人、三人、四人……そうして殴っては気絶させていく。
盗賊達は逃げることが出来ず、降伏しても奴隷になるだけだと知り、勝ち目がないと理解しつつも、レイに向かって攻撃するしかない。
「うおおおおおっ! 殺せ、殺せ、殺せぇっ! ここで負ければ、俺達に待ってるのは絶望だぞ! 生き残る為には、深紅を……盗賊喰いを殺せぇっ!」
そんな怒声と共に、何人もの盗賊がレイに向かって攻撃してくる。
セトはともかく、一見すれば娼婦や踊り子のようにしか見えないヴィヘラよりもレイに向かって攻撃してくる者が多かったのは、レイがリーダーであると認識しているからだろう。
だからこそ、レイを倒してセトとヴィヘラが混乱している間に逃げる。
そんなつもりでの行動ではあったのだろうが、それはレイにとって寧ろ望むところであった。
振るわれる長剣や斧、棍棒の攻撃を回避しながら、相手の腹部を殴っていく。
本職のヴィヘラ程に素手での戦いが得意な訳ではないレイだったが、それでも盗賊程度であればレイの放つ一撃は意識を奪うのに十分な威力を持っていた。
そうして、次々に意識を奪われていく盗賊達。
今回レイ達と遭遇した盗賊達の数は二十人程だったが、これが倍の四十人……いや、十倍の二百人が相手であったとしても、レイにしてみれば倒すのに多少の時間は掛かるだろうが、苦戦するようなことはなかっただろう。
「ぐ……は……」
そして最後の一人が意識を失って倒れたところで、一方的な蹂躙と呼ぶべき戦いは終わった。
「結局誰も降伏はしなかったな」
殴って気絶させるだけとはいえ、それなりに面倒だったのは間違いない。
「そうね。降伏してくれれば面倒がなかったんだけど。それより、この盗賊達は私が見張ってるから、レイは街に戻って警備兵と奴隷商人を連れて来たら? この全員を街まで連れて行くのは、かなり面倒よ?」
そんなヴィヘラの言葉に、レイは頷いてセトに呼び掛けるのだった。
「……は? 本当なのか? もう盗賊達を倒したと?」
レイの言葉を聞き、警備兵は驚きの声を上げる。
当然だろう。盗賊を倒すとレイが言って出て行ってから、三十分も経っていない。
そんな時間で盗賊達を全て倒したと言われても、そう簡単に信じるような真似は出来ない。
もっとも、この状況でレイが嘘を言う必要がない以上、レイが勝ったのは間違いのない事実なのだろうが。
「ああ、そんな訳で警備兵と奴隷商人は一緒に来て欲しい。……あ、でも考えてみれば奴隷商人は別に一緒に来る必要はないのか? 警備兵達が捕らえて事情を聞いた後で売ることになるんだろうし」
「あー、そうだな。うん。それで何の問題もないと思う」
レイの話を聞いていた警備兵が、何とかそれだけを告げる。
今のこの状況で奴隷商人を連れて行っても、それこそ奴隷となる盗賊達の品質を見るような真似しか出来ないのだから。
であれば、別にここで無理に奴隷商人を連れて行く必要はない。
もっとも、レイ達は出来るだけ早くこの街を出ると決めているので、多少安くても出来るだけ早く値段を付けて貰った方がいいのだが。
奴隷商人と値段交渉をするのであれば、それなりに時間は必要となるだろう。
だが、レイの場合は別にそこまで奴隷の値段に拘っている訳ではない。
買い叩くような安さでなければ、少し安めに買い取って貰っても何の問題もないのだ。
そんな訳で、警備兵はすぐに他の警備兵を準備し、レイの話を聞いていた奴隷商や、噂で知った奴隷商を集めると、盗賊達がいる場所まで向かう。
レイにとって幸いだったのは、捕らえた盗賊達を運ぶ為の馬車が用意されたことだろう。
折角だからということで、五人程の奴隷商達もその馬車に乗って移動する。
セトに乗って飛べば一分程度で到着する場所だったが、それはあくまでもセトの飛行速度があればの話だ。
地上を……それも歩いて移動するとなれば、かなりの時間が必要となる。
馬車で移動すればそれも省略出来るのだから、レイが馬車で移動するのを喜ぶのは当然だった。
「うわ……これは……」
盗賊達と戦った場所に到着すると、兵士の一人が驚きと共に呟く。
当然だろう、二十人程の盗賊全員が地面に倒れているのだから。
「一応、誰も殺してはいない。……ただ、何人かは重傷だから、治療しないと死ぬかもしれないけど」
レイの言葉に、警備兵は頷いて気絶している者達を縛っていく。
相手が盗賊である以上、一人二人死んでも構わないと、そのように思っているのだろう。
街にあるポーションの在庫が少ないというのも、これに関係してくる可能性があったが。
(ポーションで回復してくれれば、奴隷商も値切りする理由を一つ失ったんだけどな)
安く売られても構わないとは思うが、だからといっていいように値切りされるのも面白くない。
そう思いながら、レイは奴隷商との値段交渉に移るのだった。