2509話
「じゃあ、行ってくる」
「はいはい。けど、どんなに遅くなっても昇格試験の前日には戻って来なさいよ」
レイの言葉に、マリーナはそう返す。
これがもっと別のことであればまだしも、ことは昇格試験についてだ。
それこそ、多くの者達が動いている以上、レイの都合で……それも道に迷っているといった理由で試験を受けないといったような真似は出来ない。
いや、出来るか出来ないかといえば、出来るだろう。
だが、そうなれば間違いなくレイの立場は悪くなる。
それが分かっているからこそ、マリーナはレイに向かって釘を刺したのだ。
「大丈夫よ。レイとセトが道に迷いそうになったら、私が何とかするから」
マリーナの言葉を聞き、自信満々に返したのはヴィヘラ。
レイとセトが他の村や街で買い物をする際に、一緒に行く人物として選ばれたのが、ヴィヘラだったのだ。
実際には選ばれたというよりも、エレーナは貴族派の人間として行動する必要があり、マリーナは診療所で働く必要があるということで、残ったのがヴィヘラだけだったのだが。
なお、他にもアーラとビューネがいるが、アーラはエレーナの補助として行動する必要があり、ビューネはそれなりに親しくなりはしたが、まだ詳細な意思疎通となるとヴィヘラがいなければどうにもならないので、双方共に却下となった。
「そこまで信じられないか? 一応、俺はパーティを組むまでソロでセトと一緒に活動してきたんだが」
そう言うレイだったが、道を間違えた結果として問題が起きたといったような経験が実はそれなりにある。
ヴィヘラもこれまでの経験からそれは知っているのだろう。強がっているレイを面白そうに見るが、何も口に出すようなことはない。
そんな風にヴィヘラに見られて居心地が悪くなったのだろう。レイが口を開く。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「ええ、いってらっしゃい。……もしヴィヘラがいてもどうしようもなくなったら、対のオーブでエレーナに連絡してちょうだい」
その言葉に、デパートや遊園地といった場所で迷子になった子供か? という思いを抱くレイ。
実際にマリーナにしてみれば、そのような気持ちだったのかもしれないが。
ともあれ、レイはそのままヴィヘラとセトと共に家を出る。
ビューネは無言だったが、それでも少しだけ心細そうにしながらも、ヴィヘラに向けて手を振っていた。
本来ならエレーナとアーラもこの場にいなければおかしいのだが、今日は朝から貴族が来たので、そちらの対応をしている。
何もこんな時間から……と不満を抱いていたエレーナだったが、相談に来た貴族もこのような時間に来るということは、当然ながら相応の理由があってのことなのだろう。
実際、レイが見た限りではエレーナと話をしていた貴族は深刻そうな表情を浮かべていた。
……なお、ニールセンはまだぐっすりと眠っているのでこの場にはいない。
(木の幹の中で寝るのが妖精なんだよな? 普通に寝ていたけど)
そんな疑問を抱くレイだったが、妖精である以上、その辺は適当にどうとでもなるのだろうと判断する。
イエロはセトがいなくなるのを残念そうにしていたが。
「さて、いつまでもここでこうして時間を取る訳にもいかないし、行くか」
そうレイは告げ、他の者達もそんなレイの言葉に異論はなく、レイとヴィヘラ、セトはマリーナの家を出るのだった。
「レイ、向こうで街道が別れてるけど、どっちに行くの?」
セトの前足に掴まっているヴィヘラが、そうレイに声を掛ける。
その言葉にレイは少し悩み……
「左側だな」
そう決断する。
左側と決めたレイだったが、別に何らかの理由があって決めた訳ではない。
何となく……というのが多少表現が悪ければ、レイの冒険者としての勘が左側がいいと判断していたのだ。
とはいえ、レイにしてみれば勘というのは非常に大きな意味を持つ。
実際に今まで勘によってレイは多くの危機を乗り越えてきたのだから。
だからこそ、ここで街道を左に向かうのだと自信満々に判断し……そして、レイのその勘が正しかったことは、左に進んでから三十分もしないうちに街が見えてきたことだろう。
もっとも、街道を進んでいるのだから、いずれ街道沿いに街や村があるのは当然だったのだが。
「セト、降りてくれ。あそこの街でポーションとか買っていこう。何か、美味い名物料理とかもあるといいんだけどな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。
ポーションを購入するというのではなく、名物料理という単語に反応したのだろうが。
レイはそんなセトの様子に笑みを浮かべつつ、首の後ろを撫でてやる。
そんな撫で方に嬉しそうに鳴き声を上げ、セトは地上に向かって降下していくのだった。
「何だか微妙に活気が少ないような……いや、気のせいか?」
街中の様子を眺めつつ、レイはそんな風に呟く。
当然だが、街中に入る際にはセトの件で色々と問題になったのだが、幸いにも深紅の異名はかなり有名になっており、その深紅がグリフォンのセトを連れているというのも十分に知られている事実だった。
そのおかげで、最初こそ驚かれたものの、最終的には特に問題なく街中に入ることが出来たのだ。
「ギルムの街中を見てばかりだからじゃない? ちょっとギルムは人が多すぎるし」
「ああ、なるほど。今のギルムは結構な人数が集まってきてるしな。それを考えれば、この街……というか、普通の街の活気が少ないように見えても当然か」
普通の街の平均的な活気が五十とすると、ギルムの活気は二百から三百くらいはある。
そんなギルムの活気に慣れてしまった場合、普通の街の活気には物足りなさを感じてしまうのは当然だろう。
「そういうことね。それでどうする? まずはマジックアイテムを売ってる店に行く? どういうポーションを売ってるのか分からないけど」
これが日本であれば、店で購入した場合は、どの薬も基本的に同じ品質となる。……たまに生産時のミスで問題になるような薬もあったりするが。
ともあれ、日本であれば一定の品質の薬を購入することが出来るが、エルジィンにおいては当然だが日本と同じような流通は存在しない。
商人達が商品を運ぶといったようなことをしているが、当然ながらそこまで大量の荷物を運ぶことは出来ない。
そうである以上、当然ながらその街で売られている品の多くはその街で作られた……地産地消的なものとなる。
そうである以上、この街で売られているポーションの類も当然ながらこの街の錬金術師や薬師が作った物となる訳で……ポーションは作り手の技量や素材によってその効果は大きく変わってくる。
ヴィヘラが心配しているのは、そういう意味でのことだろう。
「それでも、ないよりはいいだろ。それに少しくらい品質が悪くても、使い道は色々とあるし」
レイが自分で使わなくても、例えば誰か他の相手……それも決して友好的ではない相手にポーションを使うといった手段もあった。
少なくても、レイとしては自分に友好的な相手ならともかく、敵対的な相手にポーションを使おうとは思わない。
敵対的な相手にポーションを使うのか? というのは、アンテルムとの一件を考えれば明らかだろう。
手足を切断した後で、失血して死なない最低限の止血をするといった意味で……もしくは完全に止血をするといったような場合ではなくても失血を少なくするといった方法でも、それなりにポーションは使い道がある。
勿論、しっかりと効果のあるポーションであれば、わざわざそんな真似をしなくても自分で使ったり、他人に使わせる。
そういう意味でも、ポーションはあればあっただけいい。
「レイがそう言うのなら、私はそれで構わないけど。やっぱり、出来れば普通に使えるポーションがあってくれればいいわね」
「それは俺も否定しない。……さて、まずはマジックアイテムを売ってる店を探すか。これだけの広さなら、何軒かあるだろうし」
「そうなると、人に聞いてみるのが一番じゃない? それなら無駄な時間も短縮出来るでしょうし。……いえまぁ、レイと一緒に街中を見て回るというのは嫌じゃないから、ゆっくりとその辺を確認してみるというのも、悪くはないと思うけど」
「俺もそれは悪くはないと思うけど、今の状況では少しでも早くポーションを購入しておきたいところだな」
「あら、そこまで急ぐ必要があるの? 勿論無駄に時間を使う必要はないと思うけど、それでも多少は街中を見て回る時間はあるでしょ? この街の名物料理を探すという目的もあるんだし」
「その時間もあるけど、遅くなればこの街にもギルムからポーションを仕入れる為に商人が来たりしかねないし。それが終わった後でなら、ゆっくりするのも悪くないと思うけど」
レイの言葉は、ヴィヘラに反論するつもりをなくさせる。
実際にギルムでポーションが足りなくなったという話は聞かないし、現在どれくらいの備蓄があるのかも、ヴィヘラには分からない。
だが、そんな状況であっても商人というのは利を求めるものだ。
ポーションを購入する為に動き出していてもおかしくはない。
そしてこの街にそのような商人がやってきても、おかしくはないのだ。
もっとも、ギルムからこの街まであっという間にやって来ることが出来たのは、セトに乗って……もしくは前足にぶら下がって飛んで来た為だ。
そのような手段がなく、仕入れた商品を持ち帰る為にも馬車で移動するしかない商人がこの街に到着するには時間が掛かるだろう。
ただし、それはあくまでも今日のうちにギルムを出発した商人ならではの話だ。
今日ではなく昨日、一昨日……場合によってはそれよりも更に前にギルムを発っている者がいるとすれば、そのような者が今こうしている間に到着してもおかしくはない。
そんな訳で、レイ達はすぐにでもポーションを購入する為に、マジックアイテムを売っている店を探す。
情報を得るという目的で屋台に寄って買い食いし、マジックアイテムを売ってる店を聞き出す。
なお、屋台で買った料理は可もなく不可もなくといった程度で、不味くはないが美味くもないという微妙なものだった。
「いまいちだったわね」
ヴィヘラが屋台から十分に離れたところで、そう告げる。
そんなヴィヘラの言葉に、レイは頷きセトは同意の意味を込めてか喉を鳴らす。
「店のある場所を教えて貰う情報料だと思えば、そう悪くはないだろ。いまいちだったけど、食べられないくらいに不味いって訳でもなかったんだし」
レイの言葉に、ヴィヘラはそれでも……と微妙な様子を見せる。
ヴィヘラとしては、どっちつかずよりはきちんと不味い方がいいと、そう思ったのだろう。
「グルルルゥ?」
と、道を歩いていると、不意にセトが喉を鳴らす。
しかし、その鳴き声には警戒心の類はない。
そんなセトの様子から、何か危険なものではないと理解したレイはセトが見ている方に視線を向ける。
そんな視線の先で姿を表したのは数人の子供。
(なるほど)
ギルムでも、子供はセトと一緒に遊ぼうとしてくる。
そうである以上、この街の子供もセトと一緒に遊んでくれるのではないかと、そう思ったのだろう。
……今まで、セトが初めて行く街でも、初めて会ったセトを見た時の反応は二つに分かれる。
巨大なセトを見て怖がる子供と、好奇心から近寄ってくるといったように。
前者の子供も、セトと少し接すれば問題はないと分かるのだが、最初に驚いて泣かれてしまうということにもなりかねない。
そういう意味では、前者の方がいいと思っていたレイだったが……
「うわぁっ!」
セトを見た子供の一人は、大きな声を出す。
もし泣かれたら、すぐにでもこの場を離れる必要がある。
そう思いながらレイは様子を見ていると、やがて子供達は嬉しそうにセトに走り寄ってきた。
「凄い、凄い、凄い!」
この子供達にしてみれば、体長三mを超えるセトを見ても怖いと思うことはないのだろう。
もしこれが大人であれば、セトという存在を前にした場合、凄いという言葉よりも恐怖の方が先になってもおかしくはない。
だが、幸いにして子供達にはそのような先入観の類はなかった。
最初に驚いて凄いと言った子供がリーダー格だったのも、他の子供達の驚きや恐怖を消し去ることに影響したのだろう。
その結果として、セトは子供達に囲まれることになった
「なぁ、兄ちゃん。この凄いのって何だ?」
最初にセトを見た子供が、真っ先にそう尋ねてくる。
そんな子供にどう反応するべきかを考え……先程の屋台で聞いた店に案内して貰いながら、セトについての説明をするのだった。