2508話
「五日後ね。……ワーカーに後で差し入れでもする必要があるかしら」
夜、いつものようにマリーナの家の中庭で食事をしながら今日あった出来事を話していたレイ達だったが、今日の話題でやはり一番注目を浴びたのはレイのランクアップ試験が決まったということだった。
その詳細を聞いたマリーナは、自分の後釜でギルドマスターになったワーカーの苦労を思い、後で差し入れをしてついでに精霊魔法で多少なりとも疲れを癒やしてやろうと、そう考える。
「そこまで大変なことなのか?」
「当然でしょ。……まぁ、いつも最前線で戦っているレイには分からないかもしれないけど」
「それを言われると、こっちも何も言えなくなるな」
実際、レイは何かあれば真っ先に前に出て戦うといった性格をしている。
それだけに、後方支援という意味ではそこまで詳しくはない。
……もっとも、ミスティリングで食料や補給物資、武器や防具といった諸々を運んだりするので、そういう意味では全く後方支援の役に立っていないという訳ではないのだが。
「それで、魔の森に行くんでしょう? ……羨ましいわね。私にも特例で魔の森に行かせてくれないかしら」
魔の森には強力なモンスターが多数存在している。
強敵との戦いを好むヴィヘラにしてみれば、魔の森に行けるレイは心の底から羨ましいのだろう。
「それは無理だろ。いやまぁ、ヴィヘラがベスティア帝国の皇女としての身分を使って要請すれば、ダスカー様も許可するかもしれないが」
「むぅ」
レイの言葉に、ヴィヘラは難しい表情を浮かべる。
ヴィヘラにしてみれば、ベスティア帝国の皇女という身分はとっくに捨てたものだ。
だというのに、今のような状況でそれを使うのはどうかと、そんな風に思うのだろう。
「いや、ベスティア帝国の皇女という身分を明らかにした場合、それこそ皇女である以上は魔の森などに行かせる訳にはいかないだろう?」
エレーナの言葉に、レイは納得する。
姫将軍のエレーナ、世界樹の巫女マリーナ、そして戦闘狂で迷宮都市エグジルでは狂獣と言われていたヴィヘラ。
誰もが相応の地位を持っているのだが、全員が一騎当千、万夫不当といった表現が相応しい実力の持ち主だ。
だからこそ忘れていたのだが、普通なら皇女といった身分の者が魔の森などという場所に行きたいと言っても、許可は出来ないだろう。
ある意味、このような面子で暮らしている為に常識から外れてきているのかもしれない。
「じゃあ、皇女の身分を使わなくてもいいのね。……そうなると、魔の森には行けないけど」
皇女の身分を使いたくなかったヴィヘラは、エレーナの言葉で安堵しつつも、魔の森に行けないということで非常に残念に思ってしまう。
「ん」
そんなヴィヘラを慰めるように、ビューネは自分の料理の皿から甘辛く煮付けた肉を一切れ、ヴィヘラの皿に置く。
「あら、ありがとう。……美味しいわね」
その肉を食べ、驚くヴィヘラ。
ここまで美味いとは思っていなかったのだろう。
その料理は美味いと評判の食堂で出されているのを、レイが気に入って鍋ごと購入してきたものなので、美味いのは当然だろう。
「とにかく、五日しかないのなら、レイの準備をしないといけないわね。……ミスティリングがあるから、特に必要はないと思うけど」
「マリーナの言う通り、特に準備らしい準備はする必要がないんだよな」
レイの持つミスティリングの中には、数え切れないくらいの物資が入っている。
それこそ、もしレイがどこか見知らぬ世界に一人で放り出されても問題ないくらいには。
事実、ケンタウロスのいる異世界でミスティリングの中にある物資はかなりの効果を発揮した。
もしミスティリングがなければ、ドラゴニアスの本拠地を見つけるようなことも出来なかっただろう。
それが終わった後でも、ミスティリングの中にはまだ多数の物資がある。
「とはいえ……そうだな。物資も無限じゃないんだし、少し補充しておいた方がいいか。ポーションとかは幾らあっても困らないし」
ポーションも時間が経過すれば効果は薄くなったり、最悪腐ったりもする。
だが、時間が流れないミスティリングの中に入れておけば、その心配はない。
だからそう呟いたのだが……
「あら、でも今は止めておいたほうがいいわよ?」
それに待ったを掛けたのは、マリーナ。
「何でだ?」
「ポーションはかなりの品薄状態だからよ。理由は分かるでしょ?」
「急に増えた冒険者か? けど、増えた冒険者達の仕事は基本的にギルムの内部だろ? それこそ、増設工事とか」
勿論、樵達のようにトレントの森で仕事をしている者もいる。
また、レイがいない時の為に現在は伐採した木を運ぶ為の人員もある程度雇用されており、そんな中には増築工事の仕事を求めてギルムにやって来た者も少なくない。
だが、それは少数の例外だ。
ギルムの中と外で働いている者のどちらが多いのか比べてみれば、圧倒的に中だろう。
だというのに、何故ポーションが品薄になるのかがレイには疑問だった。
「この暑さで怪我をする人が多いって話は前にしなかったっけ?」
「暑さで注意力が散漫になって……って奴だろ? それは聞いた」
「そうして怪我をした人達が多いから、軽い怪我なら診療所に行くよりもポーションを使って治した方がいいと判断したのよ。幸い、資金はたっぷりとあるから、ポーションを買うのは難しくないし」
「金があるのは納得出来るけど、出来ればそういうのに金は使って欲しくなかったな」
元々ミレアーナ王国に唯一存在する辺境ということで、希少な素材を求めて多くの金があつまる。
ましてや、今は増築工事で更に多くの者達が集まっている以上、ギルムに集まっている金はかなりのものになるだろう。
それを考えれば、増築工事の現場で働いている者達が怪我をした時の為にポーションを用意するというのは、決しておかしな話ではない。
だが、レイとしては……いや、レイ以外にもギルムの外で討伐依頼を行うような者のことを考えれば、ポーションが品薄になるというのはかなり危険なことだった。
「となると、いっそ他の街に行ってポーションを買い集めてくるか?」
「サブルスタやアブエロは、多分もうポーションないわよ? 近いんだから、真っ先にポーションを仕入れる場所でしょうし」
ギルムから近い街がサブルスタとアブエロである以上、それは当然だろう。
レイもそれくらいは予想出来たので、特に驚いた様子はなく頷く。
「なら、もっと他の街に買いに行ってみるってのはどうだ? セトがいれば、そこまで時間は掛からないし」
「……でも、大丈夫? 昇格試験は五日後なんでしょ? それまでに戻ってこられなければ、昇格試験を受ける受けない以前の問題になるわよ?」
レイとセトが微妙に方向音痴気味なのを知っているだけに、マリーナは真剣に心配する。
「戻ってくるのはそう難しくはないだろ。なぁ、セト」
「グルゥ!」
レイの言葉に、表面を炙った肉を食べていたセトが喉を鳴らす。
レイとセトも、自分達が若干……本当に若干だけだが方向音痴気味であるというのは知っている。
しかし、今の状況を考えれば昇格試験が始まるまでに帰ってくるのは難しい話ではないように思えた。
もっとも、それはあくまでもレイとセトがそう思っているだけであって、それ以外の面々はレイの言葉を素直に納得することは出来なかったが。
「うーん……どうする? 他の街に行くのなら、出来れば誰かが一緒にいった方がいいと思うんだけど」
ヴィヘラがそう言い、周囲にいる者達に視線を向ける。
それでいながら嬉しそうなのは、今のような状況で動けるのは自分だという思いが強いからだろう。
エレーナは貴族派の人間としてそう簡単に出掛けるような真似は出来ない。
マリーナは診療所で働いており、増築工事では必須な人員となっている。
そうである以上、レイと一緒に行ける人物としてはヴィヘラしかいない。
ヴィヘラの様子から、何を考えているのか理解したマリーナは、疑問を口にする。
「ヴィヘラが何を言いたいのかは分かったけど、ヴィヘラにもヴィヘラでやることがあるでしょう? ニールセンをトレントの森まで連れて行く必要があるんだから」
「そちらは、別に絶対に毎日連れて行かないといけないって訳でもないでしょう? それこそ、ニールセンを別の場所に連れていくといったような真似をしても構わないんだし。……ねぇ?」
そうヴィヘラに尋ねられたニールセンは、少し迷った様子を見せてから頷く。
「そうね。そうなったらしょうがないわね」
しょうがないと、そう言ったニールセンだったが、その表情に浮かんでいるのは嬉しそうな……期待の込められた表情だ。
ニールセンにしてみれば、このギルムを見て回る――ビューネの服の中からだが――のも面白いのだが、ギルムではない他の村や街を見て回ることが出来るのなら、それは今よりも楽しいと思える。
何しろ、このギルムに限ってはいつでも見て回ることが出来るのだが、ギルム以外となるとそう簡単にはいかないのだから。
であれば、ニールセンとしてはこの機会を逃すといったような真似は絶対に出来ない。
寧ろ、今の状況では是が非でも他の街に行くべきだと、そう言うだろう。
……また、日中にはかなりの暑さになるのだが、レイと一緒に行動するとなればドラゴンローブの中で休むことが出来る。
それこそ、非常に快適にすごせるのだから。
そう思ってニールセンはヴィヘラの言葉に全面的に賛成したのだが……
「却下だな」
レイの口によってあっさりと却下される。
「ちょっ、何でよ! 別に私も一緒に行ってもいいじゃない!」
「ニールセンを連れていくと、多分……いや、間違いなく面倒が起きると思う」
そんなレイの言葉に、周囲で話を聞いていた面々も納得してしまう。
ニールセンと一緒にすごすようになったからこそ、レイの言葉は決して大袈裟ではないと、そう思ってしまうのだ。
「ちょっと待って。私、ギルムで何か騒動を起こしたことはないでしょ? ね? ね?」
必死に言葉を紡ぐニールセンだったが、その言葉も決して間違ってはいない。
レイやビューネの服の中にいてギルムの中を見て回ったりしていたが、そこでニールセンが悪戯をしたといったようなことはない。
であれば、ニールセンの言葉は決して否定出来るものではない。
だが、それでもレイとしてはニールセンを連れていくといったような真似はしたくない。
「そもそも、ニールセンがギルムにいるのはダスカー様との交渉の為だろ? なら、俺と一緒に他の街に行くのは問題だろ」
そう、ニールセンがギルムに来ている最大の理由はそれだ。
……実際には、最近あまりダスカーとの交渉はしていないのだが。
正確にはダスカーとの交渉は大筋でほぼ纏まっている。
つまり、今の状況はニールセンにとって自由に遊ぶことが出来るような、そんな時間なのだ。
だからこそレイと一緒に他の場所に行きたいと、そう思っていたのだろうが……建前であっても、理由は理由だ。
そうである以上、レイとしてはニールセンを連れていくような真似は出来ない。
「えー! 行きたい行きたい行きたい行きたい!」
レイに何を言っても話を聞く様子がないと知ると、ニールセンは駄々をこねる。
それも妖精らしく空中に浮かびながらの駄々だ。
ただし、そんなニールセンの様子を見てもレイが首を縦に振るようなことはない。
「却下だ。どう頑張っても、俺がお前を連れていくことはないから諦めろ。妖精の存在が公になれば、もう少し自由に動けるかもしれないけどな」
「えー……ほら、私一人だけレイと一緒に行っても、絶対に分からないって。だから、ね?」
「却下だ。どうしても行きたいって言うなら、長から許可を貰ってこい」
そう言った瞬間、レイはしまったと思った。
長という立場にいるのは間違いないが、それでも長は妖精の一人だ。
であれば、そちらの方が面白いと判断すれば、もしかしたらレイと一緒に行ってもいいと許可を出すかもしれないと、そう思ったのだ。
しかし、レイにとっては非常に運のいいことに、ニールセンはレイの言葉を聞いて何も言えなくなっていた。
今この状況で長に少しギルムから離れたいと言えば、間違いなく許可されないと分かっていた為だ。
レイは長も妖精だから、ニールセンの言葉を聞いたら許可するかもしれないと思ったのだが、それは思い込みからきたものだ。
妖精の長とはいえ……いや、長だからこそしっかりと妖精達の手綱を握っているのだ。
もっとも、ニールセンではなく長本人が他の街に行くという話になれば、また別だったが。
ある意味で、自分が苦労している中でニールセンだけを楽しく遊ばせないと、そう長は判断するのだろう。